批評エッセイを書いている人がいたから、てっきり反論を求めているのかと思ったら、必ずしもそうではない、という話。
突然ですが、みなさんは「ディベート」お好きですか?
私は好きです。
100人いれば100の考えがあって、いろんな意見が出てくるの、おもしろくないですか!?
私が以前書いた小説『未完なふたり ~みかん好きのわたしの恋は前途 “未完” !?』(n6156hr)でも、みかん派ともも派で対立する女の子たちが登場しました。
いかにみかんが素晴らしいか。いかにももが優れているか。
(でも、みかん派だからといって、ももを貶すのはダメ、と思っています。お互いの尊重、大事!)
そんなある日、秋の公式企画の参加作品を眺めていたら、ひとつの批評エッセイを見つけました。
公式企画のジャンルは「文芸」ですけれど、歴史ジャンルのひとつとして、歴史を踏まえながら、エッセイ的な形として書かれた作品です(考えてみたら、これもジャンルミスだったのかも)
感想欄は開けていました。
もしかしたら、おもしろい意見交換ができるのではないか、という淡い期待を込めて、私は「反対派意見」としての感想を書くことにしました。
もちろん失礼な態度にならないように、丁寧な口調を心がけることは忘れていません。
・・・そこまで書いて気付きました。
秋の公式企画には、ジャンルとは別に「テーマ」が指定されています。
そして今年の「秋の文芸展2025」のテーマは「友情」。
あれ。この作品、歴史は歴史だけど、友情テーマ関係ないじゃん!!!
余計なお世話かもしれませんが、一応、気になった点として「公式企画のタグをつけていますけれど、企画の趣旨に合ってないのでは……?」と付け加えました。
さあ、どんなおもしろい答えが返ってくるのでしょう。
わくわく。
そうですね、そんな意見もありますね、とか?
テーマ「友情」がないので入れました、とか?
あるいは、企画の趣旨に外れそうなのでタグは外しました、とか?
ところが。
期待しながら返ってきた答えは……
なぜか「クレーム扱い」でした。
あれこれ考えて書いた答えが、クレームは受け付けてませんので、と冷たくひとこと。
えーーーっ!?!?
そりゃないよ、と感想欄へ新たな意見を書き込もうとすると、今度は「このユーザーによってブロックされています」の文字。
ブロック???
ブロックまでされてんの!?!?
攻撃的な文章で、批評エッセイを書いて、さらに感想欄を開けているということは、つまり、反論を求めているからじゃないか――そう思い込んでいた私は、軽くショックを受けました。
え。この意見がクレームになるのか、と?
しかも、あえて拒むように、ブロックして、これ以上の感想を拒んでいる。
「なろう」にはブロック機能がありますが、私は、いままで一度も使ったことがありません。
そもそも私、気に入った作品はこっそり読む派でして……
感想やレビューが書きたいときは、余程心を動かされたとき。
そのため、交流が少なく、ブロックするようなコメントも来ない…というのもありますが。
自分の書いた作品で「これは違うんじゃない?」というご意見がきたら、真摯に受け止めようと考えています(実際、執筆の下調べが甘く、ご意見いただいたこともありました。逆に丁寧なアドバイスをいただいて、その節は感謝しております)
なのに……
こういう意見もありますよ、と指摘しただけでブロック!?
初めてのことに事態が受け入れられず、うんうん思い悩んで、過去に同様の出来事に遭遇した方々のいろんな意見を参考しながら、心を落ち着かせて、はたと気付いたのです。
この人が感想欄を開けていたのは、ただ『共感』がほしかっただけなのだ……と。
反論なんて端から求めていない。意見の合わない人とやり合うつもりもない。ただ、自分の意見を言って、大勢の人に見てもらって、すごいね、そうだね、と言ってもらいたかっただけなんだと。
100人いれば100の考えがあります。
自分とは異なる意見も「おもしろい」と受け入れたい、そして、間違っている点があれば謝って修正する。そんな私のような考えを持つ人もいれば、意見の合わない人とは徹底的にやり合う人だっているでしょうし、トラブルを回避するために「一定の人とは交流しない選択」をする人(=積極的にブロックを使う人)だっているということなのでしょう。
ただ、今回のような相手に貴重な感想を1個くれてやるのも悔しいので、該当の感想は消すことにしました。
当然、リアクションボタンも押していません。
ブックマークも、星評価だってしていません。
だって相手は「自分の気に入った相手としか交流したくない」タイプの人間なのですから。




