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小説

とある人間の国で、とある竜人が狸族の少女と出会った

作者: 重原水鳥

 たぬたぬたぬき

 たぬたぬき


※ファンタジーです。

 竜人であるボルギが、故郷である竜国からほど遠いただの人間の国の一つにやってきたのは、仕事でだった。


 空の高い場所を、ボルギは高速で飛んでいた。

 低い場所を飛ぶと、この国で暮らしている人間たちが慌てふためき大騒ぎになる。故に、目的地以外ではできる限り高い場所を飛ぶのが慣例となっていた。


(この空は、竜国の空と比べて随分と広い……)


 竜国では空はもっと狭いと感じていた。

 けれど竜国を離れて遠くまで来て、空を思うがままに飛ぶ存在が殆どいないからか、今は、空は酷く広い場所にように感じている。


(あと二山超えたら都か。――ん?)


 眼下の山を見ながら残りの飛行時間を数えていたボルギはほんのわずかな違和感に目を止めた。

 何かが光っている。そんな気がしたのだ。


 反射的に、ボルギは下に向かって下降していった。


 翼をたたむ。重力に従うように、下へ下へと落ちていく。


 そうして、森の中、木々の隙間、何かから隠れるようにうずくまっている存在の前に、降り立った。


 そこにいたのは、二人の人影だった。

 一人は地面の上に寝かせられていて、もう一人はその横に座り込んでいる。


 恰好からして恐らく、旅人二人だろう。


 ボルギは、寝ている方の人をガン見しながら、座っている方に問いかけた。


「――何をしている?」


 びくりと、茶色の髪が揺れた。髪のあいだから生えている縁の黒い耳が揺れた。


 突然目の前に降り立ったボルギを見て、元から丸い目を、さらに丸く見開く。


「りゅ、りゅっ、竜人!?」


 ピィッ、と座り込んでいた方は大げさに反応して、短い尻尾を両手でつかんで縮こまった。


 ガタガタと震える姿は、よく見るものだ。


 竜人族は、生き物としてあまりに強すぎる。悪意がなくとも他種族を簡単に殺してしまえる力を持っている。


 だからこそこれまで長い間、竜国は他国から恐れられ、戦争らしい戦争に巻き込まれる事も殆どなく過ごす事が出来ていた。

 竜国もまた、不必要に他の国を攻め入る事はなかった。興味がなかったから、という側面も強いが。


 視界の隅に震える相手をとらえながら、ボルギは寝ている相手の見た目から種族を特定する。


「お前……狸族か」


 コクコクコク、と狸族は激しく首を振った。


 寝転がっている方も、座っている方も、どちらも狸の獣人族の若者だった。

 違いは、座っている方が女で、倒れている方が男という事ぐらいだろう。


「何故こんな所に?」

「ぅ、ア……」

「……そんな怯えるな。取って食いやしないよ」


 寝ている方から視線を逸らさないままそういうと、視界の隅で狸族の女は視線を右へ左へずらすように動いていた。

 もう一度、問う。


「なんでこんな所に?」

「………………その、住むところ、探して……」

「それでなんでこんな所で立ち往生を? 山の中だぞ。あと数時間で暗くなる」

「それは……」


 ちらりと、狸族の女が、男を見る。ボルギもずっと、この男の事を観察していた。


「……起きなくて」


 倒れている男の目は閉じている。

 口は薄く開いていて、舌が見えている。


(……仮死状態って事か)


 狸族の特徴を、ボルギは思い出した。


 危機が迫った時、狸族は死んだふりをする事がある。

 その死んだふりは見事なもので、よくよく調べないと生きているのか死んでいるのかもわからないのだという。

 戦場で狸族の死んだふりに騙されて、倒しきったと勘違いし、とどめを刺さずに去ったという話は数多い。


「移動してた時、野盗に襲われて……私は彼に言われて、荷物を持って先に逃げたんです」


 女は両腕で、傍らに置いていた荷物を抱きかかえた。


 荷物を持っていないのなら、仮死状態になってしまえば、身包みはがされる事はあっても、殺されはしないという判断を男がしたのだと、女は言った。


「野盗がいなくなっただろう時間が経ってから探しに来たら、彼が、仮死状態になってて……だから、起きるまで待ってて。でも……今日は、仮死状態が長くて……」


 女が俯く。


 ボルギはそっと、ずっと見つめていた男の傍にしゃがみ込んだ。それから、片手を男の口元に持っていった。


「……」


 そっと、もう片方の手で、男の胸元に触れる。


 それだけで、事実は明らかだった。


「…………仮死状態じゃない。こいつはもう死んでいる」


 そう告げてから、ボルギは初めて女の方に視線をずらした。


 ボルギの言葉に、狸族の女は勢いよく顔を上げていた。丸い瞳にみるみるうちに涙がたまっていく。


 彼女は、嘘だと騒ぐ事はなかった。

 心のどこかで分かっていたのだろう。

 それでも認められなくて、こんな時間まで、ずっと、男の傍から離れられなかったのだ。


 震えながら唇をかみしめて、それから、荷物をきつく抱きしめる。

 そんな狸族の姿を見て、ボルギはくんっと鼻を鳴らして、それから、目いっぱい、空気を吸い込んだ。


「住むところを探しているって事は、特定の墓とかはもっていないな?」

「……は゛い゛」

「そしたら、こいつを埋めてやろう。このままじゃ、不憫だ」


 狸族は何度も首を縦に振った。




 ◇ ◇ ◇




 竜人の力を持ってすれば、一人を埋めるための穴を掘るのは容易な事だった。

 その穴に男を埋め、上に石を置く。それから近くで女が摘んできたという花を、そっと墓石の傍に添えた。


「運命の番だったのか?」

「いえ。ただの彼氏です」


 女はそう答えた。


「でも、家族みたいなものでした。……おとうちゃんもおかあちゃんも、みんな、死んじゃったから……」


 女の声が震えている。


 必死に涙を耐えながら語る女に、ボルギは酷な事を聞いた。


「……狸国からの亡命者か」

「…………」


 女は答えなかったが、住むところを探している狸族なんて、今時、それしかいない。



 狸国。


 獣人族の国の中でも割と古くて、長い歴史を誇るその国が滅ぼされたのは、数か月前の事。


 隣国の、とある人間の国が急に狸国に攻め入ったのだ。ちなみに今現在、ボルギたちがいる国とは全く別の国だ。


 狸族は温和な種族だ。

 対話などでは意外と狡猾さを見せる事もあるけれど、戦闘能力はそう高くない。


 少し前まで友好関係を築いていた人間の国に攻められるなんて考えていなかったようで、あっという間に彼らは負け、国は侵略されてしまった。

 国民たちは過半数が殺されたと言われていて、残りは奴隷にされたり、逃げ出したりと、種族自体がバラバラに逃げる憂き目に合っている。


 攻められた理由は簡単だ。


 狸国が、資源豊かな国だったからだ。


 その資源から得られたものを他国に売っている輸出国。

 それが狸国だったのだ。


 ――まっとうな商売で手に入れるより、土地そのものを手に入れた方が早い。


 そう考える国が出るのはさほどおかしな事ではなかったが、今までは複数の国が牽制し合ったりしていて、実際に国が滅亡させられる事態にまでは陥った事がなかった。


 ところが、今回の侵略した国の手際は酷く早かった。


 他国が割り込む隙間もないほど一気に、狸国を攻め落としたのだ。


 負けた狸族は、暮らしていた故郷を追い出され、さまざまな国をさまよう亡命者となっている。


 これは現在、色々な国でも問題になっていて、ボルギも何度も聞き及んでいる話だった。

 狸族は温和な種族とはいえ、今まで暮らしていなかったかなりの数の民を、簡単に受け入れるのは難しいのだ。


「……なにも、わるいこと、してないんです。なのに、どうして、こんなめにあうの?」


 ボルギに聞かせる為というより、どうしようもなく我慢出来ない本音という風の言葉だった。


 ぐずぐずと泣き始めた狸族の女が泣き止むまで、ボルギは何もせずにその場にたたずんでいた。




 ◇ ◇ ◇




「……ずみ゛ま゛ぜん゛……」

「何もしてない。礼はいらない」

「ぐず、竜人って、もっと冷たい人たちかと思ってました……」

「本人に言うかそれ」


 呆れ気味にボルギは狸族の女を見下ろした。


 女は赤くなった鼻をすすりながら、目元を必死に擦っている。


 その姿に、ボルギの過去の記憶が重なった。


「お前。うちに来るか?」

「……へ?」


 狸族の女は、目を擦るのを止めて、ボルギを見上げた。


「住むところないんだろう。うちん家で雑用する使用人としてだったら雇ってやってもいい。部屋はある。家賃はいらないし三食食える。変わりに給与はそんな良くないが」

「い――いいんですか? そんな、私たち、今初めて会ったばっかで……」

「こんな所で死なれても寝覚めが悪い」


 ボルギは背中の翼を広げた。


「どうする? うちで働かないなら、おいてくが」


 将来的な使用人なら抱えて飛んでやるのもやぶさかではないが、そうではないのなら、わざわざ抱えて空など飛びたくない。

 故に、そんな意地悪な言い方をボルギはした。


 空は赤らんでいる。時期に真夜中になれば、夜に活動している獣たちが目を覚ますだろう。

 獣人といえど狸の獣人でしかない女では、すぐに殺されるかもしれない。

 運よく殺されなかったとしても、また、別の野盗に襲われるかもしれない。


 本人もそれを重々承知しているのだろう。狸族の女は、


「働きますっ!」


 と慌てた様子で叫んだ。


「なら荷物を抱えろ。それごと抱えて飛ぶから」

「え、結構重いんですけど……」

「竜人にはたいした重さじゃない」

「す、すごぉい……」

「……そういやお前、名前は?」


 狸族の女は目をぱちくりとさせてから、荷物を抱え、ボルギに向かって綺麗な角度のお辞儀をした。


(まる)明子です。あ、明子・(まる)の方が、竜人族には分かりやすいでしょうか?」

「ん。アキコね」

「お世話になります!」


(まだ覚えやすくて言いやすい名前で良かった)


 そう思いながら、ボルギはアキコを抱きかかえた。そして空に舞い上がった。




 ◇ ◇ ◇




「ここ、うち」

「おおぉおぉ」


 竜人であるボルギには手狭な部屋は、狸族のアキコには随分広く見えているようだ。


 あちらこちらに視線を向けている彼女に、ボルギは言った。


「越してきてからそんな経ってないから、今は使用人が通いのしかいない。テキトーに家の中散策して好きなように部屋整えていい。あ、今日は向こうにゲストルームがあるからそれ使って」

「げすとるぅむ」

「言葉聞きなれない? もしかしてこの国の人間の言葉喋れなかったりする?」

「いえっ、大丈夫です。ちゃんと喋れますっ」

「ならよかった。ただの人間は、獣人族の共用語とか使えない人多いから。人間の国の言葉喋れないとやってくの厳しいからね」

「はいっ、頑張ります!」


 ふんすふんすと鼻を鳴らすアキコに、ボルギは軽く手を振る。


「力入れなくていい。ここは完全に住む用の場所だから、そんな大層な事しないし……。さぁてと、夕食は何にするか……。あっ、狸族って草食?」

「雑食です! 野菜、肉、昆虫、木の根、何でも食べれます!」

「悪いけど昆虫と木の根は流石にないからな」

「なんでもいけます!」


 ボルギが食材を置いている厨房横の保管庫に入ると、アキコも付いてきた。

 今後料理も任せる可能性もある。そうなれば物がおいてある場所は把握しておいてなんの損もないだろうと、ボルギは自由にさせた。


「肉でいいか……」


 ボルギは手慣れた様子で竜人族サイズのフライパンに油を敷く。

 それから、かまどの前にしゃがみ込み、ボッと口から火を吹いた。


「ピョゲェッ!?」


 驚いて飛び跳ねるアキコをスルーして、火が薪に移った事を確認すると、そのまま油の上に、買ってあった肉をどかりと乗せた。


(野菜はいらんが……雑食性もいるしな)


 適当に、通いの使用人が買っておいてくれたらしい野菜をちぎり、フライパンの上に乗せる。


「アキコ。そっちの棚にパンがあるから、食べやすいサイズに切って。包丁は向こうの引き出し」

「はいっ!」


 肉を途中で何度かひっくり返して、さまざまな面を焼く。

 その間にアキコは棚から取り出したパンを、包丁で切っていた。


 その姿を横目で見ながら、


(もっと小さい包丁いるか。通いの人も使いづらそうにしてたし)


 と思いながら、ボルギは調理を続ける。


 アキコが自分には大きい包丁でなんとか二人分のパンを切り終えた頃、ボルギも肉を焼き終え、取り出した皿に器用に切り分けた肉を乗せ始めていた。


「どれぐらい食う?」

「えぇっと、今の時点で食べきれないです……」

「は? 狸族ってそんな食えない訳?」

「ウッ、ご、ごめんなさいっ」

「謝んなくていい。……ならこれぐらいは?」

「あ、たぶん、丁度いいです……」

「よし。パン持ってきて」

「はいっ」


 テーブルに肉と野菜のシンプルな炒めとパンを運んだあとで、ボルギは重大な事に気が付いた。


「椅子ねぇな」

「あ、別に、立って食べれますよ!」

「立ってても高くね? 机、竜人(こっち)に合わせた大きさだけど」

「…………高い、デスネ」

「なんかあったかなぁ」


 ボルギはそう言いながら軽く探し、最終的に野菜が入れてある箱を移動させてくる事になった。


「よし。この箱ならいい大きさじゃないか? 座ってみ」


 んしょんしょ、と箱によじ登るアキコを見つめる。

 アキコはテーブルの前に腰かけた。目算通り、丁度よい高さだったようだ。


「ちょうどいいです!」

「そりゃよかった。フォークとナイフは竜人サイズしかないのは許せ」

「全然大丈夫です!」


 食事が始まった。

 お互いに、食べる事に集中し、会話はない。


 食べ終わった後、ボルギは風呂場にアキコを連れて行った。


「ここが風呂場」

「フロバ!?」

「お湯に浸かりたかったら事前に声かけな。沸かす」

「オユ!? ワカス!? そそそそ、そんな高級な事、ただの使用人が受けていい待遇超えてますっ!!」


 あわわと頭を隠すように両手を回しているアキコにボルギは首を傾げた。


「ここでの使用人の待遇をどうするかは、このボルギに決定権がある。分かるか?」

「ひゃ、ひゃい」

「今後変わる可能性はいくらでもあるが、今日はまず、その旅で臭くなってる体洗え。狸族は耐えられるのかもしれないが、すごいぞ、匂い。耐えられない」

「ひっ」


 アキコは何とも言えない悲鳴を上げた後、ボルギが吹いた火で沸かされた風呂に浸かった。


「うん。綺麗に匂いも落ちてるな」

「うぅぅ……そんな臭いって言わなくたってぇ……」


 匂い匂いと言われたのは堪えたようで、アキコは目に見えて落ち込んでいた。

 もう他に説明もないしと、ボルギはアキコをゲストルームに案内し、自身も自室に戻った。



 ――ぐず、ぐす。



 その夜、一晩中ボルギの耳に届いた泣き声を、ボルギは聞かなかったふりをした。




 ◇ ◇ ◇




 ひょんな出会いから、はや数か月。


 アキコは特に心配する必要もないほど、屋敷に馴染んでいた。


 当初はアキコ一人だった住み込みの使用人も、現在は数人増えている。

 屋敷の主人が竜人だという事で最初は中々人が増えなかったのだが、通いで来ていた使用人たちから少しずつ話が広がっていったのと、アキコの人柄のお陰で、現在は問題ない程度に数が増えている。


 ボルギはというと、毎朝アキコに起こされ、身支度を整えられ、食事をし、それから仕事に行っている。


 ボルギの仕事は外交官と言われる仕事である。

 竜国の代表者として、この人間の国の政治のトップや、官僚らなどと会話をするのだ。


 アキコは当初、ボルギが外交官と知り、


「え゛ぇ゛!? ボルギ様、外交官なんですか!?」


 と、大層驚いていた。

 その際結構失礼な言動と反応もしていたが、寛大なボルギは聞かなかった事にした。


(まあ、自分には貴族らしい洗練された様子はあまりないしな)


 と納得しているからだ。


 実の所、しようと思えば()()()()()態度は取れる。何故ならボルギの生まれ自体は悪くなかったので。

 三十五年前ぐらいまでは()()()()態度も取っていたが、次第に取らなくなっていった。


 何故かと言えば、そんなものなくとも、威張った風な態度を取っておけばいいからだ。


 ――傲慢、尊大、自信にあふれている。


 他の種族から見た竜人のイメージは、そんなものだ。

 そしてそのイメージからかけ離れていない方が、「やはり竜人はこうだ!」と相手が納得して満足し、話が進みやすかったりするのだ。


「ただいま」

「お帰りなさいませ、ボルギ様っ! ……今日はなんだかお疲れですね」

「勘弁してほしいぜ全く。この国の番誘拐問題はとっくのとうに和解しているっていうのに」


 ボルギはコートを脱いで、アキコに手渡した。アキコは慣れた様子でそのコートを別の使用人に渡しながら、ボルギの三歩斜め後ろをついてくる。


「また赤の他人が番の誘拐問題を引き合いに出して、自分に有利な条件を取ろうしてきたんですか?」

「ああ」

「飽きませんねぇ……」


 アキコはもにょもにょと口を動かしながら、変な顔になっていた。

 ボルギも多少、疲れが顔に出ている。


 ――過去、他種族を番といって一方的に攫っていた竜人がいた。


 それは、変える事など出来ない、事実である。

 起こっていたという過去。

 そしてそれが、竜国内で大きな問題として取り扱われてこなかった事は、事実なのだ。


 その竜人が、例え、一万(あるいはそれ以上の人数)に一人しかいない事例だとしても。

 誘拐が事実である以上、その過去を批判されて、簡単に否定する訳にもいかない。



 他国・他種族に対する、一方的な番の誘拐・拉致の問題は、三十五年前、『アンジェリーヌの悲劇』と言われる事件が起きた事で大きく対処が動く事になった。



 ちゃんと相手方にメリットを与えた上で嫁や婿として迎え入れていた竜人もいたが、そうではない竜人もいた訳だ。

 あるいは、メリットを与えたとしても、それを上回る不遇を竜国に連れて来た後に強いていたものもいた。

 ……まさに、『アンジェリーヌの悲劇』の当事者である元王太子のように。



 竜国が『非竜人族の番を迎え入れる際の決まり事』という法律を定めた時、現時点で他の種族を「番だから」と配偶者に選んでいる竜人たちには調査が入った。


 相手が獣人族でもただの人間でも等しく調査は入ったが、特に重要視されていたのは後者――アンジェリーヌと同じ、ただの人間だったものたちだ。

 獣人はまだ体も頑強だったが、ただの人間は本当に非力だったからだ。万が一冷遇されていた場合、先に限界がくるのはただの人間だというのは、誰でもわかる事だった。


 この調査は早々に終わっている。


 雑に調査をしたからではなく、数が少なかったからだ。


 『アンジェリーヌの悲劇』の前ですら、竜人に「運命の番だ」と見初められていたただの人間は、男女合わせて二十人ほどしかいなかった。

 その内の数組は『悲劇』によって壊れていた。

 残りは、十数人しかいない。

 お陰で、そう時間もかからず終わったのだ。



 ――その時に調査されたうちの二人の人間()の故郷が、今ボルギがいる国という訳である。


「親戚だというからどんな距離感の相手かと話を聞いてみたが、聞けば聞くほど『親戚と思おうと思えば親戚』ぐらいの遠い親戚だった。当事者である番とは顔を合わせた事もない間柄だ。それだってのに堂々と『わが一族の女性をいいように貪ったのですから』などとよく言えたものだ」


(せめて実際に番と縁があった人間にその手の発言はしてもらいたいものだ)


 と、疲れたボルギは思ってしまう。


 まあ実際にそういう人間に言われたとしても、「私ではなく実際に攫った竜人とその家に訴え下さい。万が一返答がない場合は竜人国の非竜番結婚局にご連絡していただければ仲立ちしますので」としか、言えないのだ。


 法律が出来た直後は外交官が窓口兼相談を請け負ったりもしていたが、今は専門部署が出来たので、窓口として紹介するぐらいしか外交官には()()がないのだ。


 歩きながらタイを解こうとして上手くいかず、苛々しながらボルギは引きちぎった。


 アキコはそれに「また無駄にして! 勿体ない!」と文句を言いながら、タイをボルギから受け取った。


「……ちなみに親戚って、どれくらい離れてたんですか?」

「番の父の父の母の父の六人いた弟のうちの一人の子供の子供のそのまた子供に養子に入った人間の子供の配偶者が前夫との間に作っていた子供の子供」

「血すら繋がってない!」

「ここまで遠いと、せめて繋がっててほしいよな」


 アキコの叫びにボルギは同意した。


 アキコも語ったように、この国にきた当初、ボルギは「運命の番」という言葉を盾にした誘拐事案の事後処理は自分では対応できないとハッキリ伝えている。

 窓口の紹介は出来るが、それを理由に条約を結ぶような、大きな外交を行ったりは出来ないのだ。


 だというのに、未だにそれを引き合いに出す者は、定期的に表れる。

 国単位ではなくとも、自分の家だけ何か有利に契約を結べないかと、あれやこれやと屁理屈をこねてくるのだ。


(一応は被害国だから無下には出来ないのが面倒なんだよな……)


 という言葉は、アキコ以外の使用人もいる場では到底口に出来ない。


 しかし、この国で竜国に嫁いでいる二人の女性の実情を知っていると、被害者という単語にも首をかしげたくもなる。


(この国の被害者()って、一人は『白馬じゃなくて白竜の王子様が迎えに来た!』って意気揚々と嫁いだ人と、『三世代先まで遊んで暮らせそうな財宝積んでくれたので嫁ぎますわ』って嫁いだ人なんだが。どちらも八十超えてるし)


 既に孫やひ孫に囲まれている女性たちは、


「私は特に不満はありませんわ」

「既に実家には十分すぎる財宝を積んでいただきましたから別に……」


 と、早々に和解を結んで、話に決着がついている。


(アンジェリーヌ様たちのような酷い被害者もいるのは事実。そちらに気を遣うべきだ、という事で、竜人の番となったものは誘拐被害者という呼び名が広まっているが……)


 ひとまとめに纏めてしまうには、あまりに、彼女たちとアンジェリーヌ様は違った。

 きっとその大きな違いは、本人の心持ち以上に、相手の男やその周りの人々で――。


 ボルギは、アキコを振り返った。


 アキコは視線にすぐ気が付き、顔を上げる。


「どうかしましたか? ボルギ様」

「……アキコは、どう思う? 竜人の番の問題」

「えぇっ? そんな難しい国際問題、アキコには難しいですよ」

「感覚でもいいさ」

「うぅん……。……まあ、私も、狸族ですし。運命の番を大事に思う気持ちは分かりますから、出会えたらその人の傍にいたい、ってのは分かりますけど……」


 アキコは短い尻尾をゆらゆら揺らしながら、視線を斜め下に落としながら答えた。


「……運命の番だっていうのなら、やっぱり、幸せにしてほしいかも、ですね。だって、竜人は幸せで、選ばれた人は幸せじゃなかったら……なんだか、不公平です」

「幸せか」

「……ボルギ様は、まだ運命の番には会われてないんですね。やはり会いたいんですか?」


 ボルギはアキコから視線を逸らした。


「死んでいてほしい、と、思っていた」

「へっ?」

「顔を合わせた時には、もう、死んでいて欲しい。……ずっと、そう……三十五年前から、ずっと」


 予想外の言葉だったのだろう。アキコは丸い目を右へ左へ揺らしながら、胸の前で半端に広げた手を所在なさげに出したままにしていた。


「一番いいのは、番の墓の前で、この地面の下にいるのが番だって気づく形だ」


 ボルギは目を伏せる。


(――頭がどうにかなってしまいそうな。あるいは体が引き裂かれるような。そんな激情に支配されて、見るべきものも見えなくなるぐらいなら、いっそ、死んで会いたいって)


 運命の番について考える時。


 ボルギは、考えずにはいられない。


(もし王太子がアンジェリーヌ様に出会わなかったなら? もし誰かが、すぐに、アンジェリーヌ様がこの国に足を踏み入れた瞬間から、彼女に気を遣えていたら? そしたら……そしたら――)


 ――赤い。光景を、見る事は――。


「ボルギ様! ご飯を食べましょう!」


「は?」


 ふんふんっと鼻息荒く主張するアキコを何も言わずに見下ろす。

 アキコは先ほど弱弱しく胸の前に出していた両手を、強く握りこぶしにして、上下に振っていた。


「さっきからお疲れで、暗い雰囲気が凄いですよ! お腹いっぱいになったら幸せになれます! 間違いありません!」


 胸をたたいて、アキコはそんな事を言った。

 その言葉に、ボルギは、ふっと息を吐きだした。


「……食事より先に風呂に入りたいが」

「お風呂ですね。そっちもいつでも入れるように沸かしてありますよ!」

「助かる」


 準備の良いアキコが沸かすよう整えていてくれていた風呂に浸かる。


 アキコはとてとてと風呂に入ってくる。勿論、濡れても良いような仕事着だ。

 それから、風呂に広がっているボルギの髪を拾い上げた。


「髪洗いまぁす」

「たすかる……」


 アキコが慣れた手つきでボルギの頭を洗っていく。

 これも、最近では定番になっているアキコの仕事だった。


 これまでは面倒ですぐ切り落としていたボルギの髪は、ここ最近、アキコのお陰でやたら艶がある。あと長さも伸びた。


 よく分からないが髪が長い方がアキコや使用人たちからのウケが良いので、髪型などに関してはよほどおかしくない限り、アキコたちに自由にいじらせている。

 最近はアキコが三つ編みにはまっていて、しょっちゅう三つ編みにされている。


「お仕事の疲れも、お風呂でしぃーっかり流してくださいねぇ~」

「おう」


 しゃかしゃかしゃかと泡立てる音と、髪の毛を他人に触られる感覚。


(悪くない……角には触られたくないが)


 目を閉じて、沈まないように風呂の縁に腕をかけながら、ボルギはアキコに頭を洗われた。




 ◇ ◇ ◇




 月日が過ぎる。アキコは竜人の屋敷で働く狸族として、周囲でも有名になっていた。組み合わせが珍しく見えるらしい。

 有名になったからといって、アキコの生活も、ボルギの仕事もとくに変わりはない。


 休日。部屋で読書をしていたボルギは、廊下を歩いてくるぽてぽて、とてとて、としか表現の仕様がない音と、ノックの音で、誰が来たか分かった。

 入室を許可すれば、アキコが、銀のお盆に一通の手紙を乗せて部屋に入って来た。


「ボルギ様っ! 竜国からお手紙ですよ!」


 ボルギは本を読む手を止めて、顔を上げる。


「ああ、ありがとう」


 それから、手紙の封等の柄を見て、ついっと片眉を上げた。


 アキコはボルギが座っている椅子のすぐ横のテーブルにお盆を置き、ボルギに背を向ける。


「ペーパーナイフ持ってきますね」

「いや、いらん」

「へっ?」


 銀のお盆の上に乗せられている手紙をつまみ上げ、それから口から火を吐く。


 火に包まれた手紙は、見事に中の便箋だけが残り、封筒は綺麗に燃え尽きた。


 ボルギが火を吐くと、アキコはいつも大げさに反応した。


「わわわわっ! こんな所で火を吹かないでください!」

「ちょっとした火種だ」

「その火種が私たちにとっちゃあ大炎上の元なんですけど!」

「すまんすまん」


 ボルギは手紙を見下ろした。


 整った文字は国からの連絡だ。

 目を通して、それから、ボルギはため息を吐いた。


「……全く。面倒な事になるな」

「ど、どうかしたんですか……?」

「配置換えだ」

「はいち……この国から、移動される、って、事ですか……?」

「ああ」


 本国からの連絡だ。封筒を見た時点でその可能性は考えていた。

 アキコには分からないだろうが、封筒の柄で配置換えの可能性は考えられた。そういう、なにがしかの指示を出すときによく使われる封筒だったからだ。


「はぁ……やっとこの国に馴染んで来たってのに」


 しかも。


(――配置換えの理由が、きな臭いから、か。嫌な話だ)


 戦争の気配。

 それに備えて、人員を異動する。


 直接的な説明はないが、要はそういう事だと、ボルギには理解できた。


 どうにも、この国は起きる()()()()()()争いからほど近いようだ。

 その為、もっと長く外交官をしている凄腕が配置されるために、ボルギは異動する。


(ま、より()()()()()()を配置するのは当然だな。面倒な事に巻き込まれない国にいければいいが。いやでも)


「……また別の国に行くの、めんどくせぇー」


 配置換えの通達があって、それでは他国に引っ越そう! ――だけでは終わらないのが、難しい所。


 まず、今借りている家や、使用人のその後について考えなくてはならない。


 竜人は大抵、体が大きい。しかしその大きさの差は同じ竜人内でも結構ある。

 また、どの程度の広さの屋敷を欲するも、人によって違う。


 ついでに、たいていの竜人は、家へのこだわりが強い。


 他人種より強い傾向があると言われている。


 それもあって、仕事として他国に滞在している外交官たちも、「家は自分で好きな家選びな。そっちの方が文句ないよね?」のスタンスが取られている。


 なのでボルギがいなくなれば、この屋敷は再び売りに出す。

 竜人が暮らした家は謎にご利益があるとかなんとか言われて売れるらしいので、外交官が変わる度に違う家で暮らす事が嫌がられる事はあまりない。


 家の問題はまあ、売るだけなので良いとして。


 一番大事なのは、使用人たちの方だ。

 こちらを雇い続けるのは簡単ではない。次に来る外交官と使用人たちが相性が良いという保証がないからだ。


 外交官という仕事をしているだけあり、国の外に出た事がない竜人と比べれば、外交官たちはほかの種族の文化に寛容で、合わせられる者が多い。

 しかし、主人として仰ぎたいと下の人間が思うかどうかは、会ってみないと分からない。


 この国の、ボルギの前任は貴族らしい貴族の竜人。

 彼が集めた使用人たちは、ボルギとは合わなかった。

 顔合わせでそれを察し、ボルギは前任の外交官から使用人を引き継がなかった。

 前任者よりずっと手狭な家に住んでいたので、どちらにせよ全員を雇えないなら、一律で雇いなおした方が楽だったからだ。


 万が一次の竜人が前任者のような貴族らしい竜人だったなら、恐らくボルギが自分に合わせて集めた使用人たちは、合わない。


「はぁ……とりあえず全員集めて、次の外交官の下でも働きたいか聞かないとだな……アキコ。昼に連絡があるから全員集めるように――アキコ?」


 手紙から視線を上げて、横のアキコを見る。

 名前を呼ばれて、アキコはびくりと肩を震わせた。


「どうした?」

「……ぁ、い、いえっ! なんでもないです!」


 アキコはぶんぶんと首を横に振った。それから縁が黒い耳を焦るように何度も引っ掻く。


「え、えぇっと、お昼に集合ですね。皆に伝えてきます!」

「あ、おい。待っ」


 止める間もなく出て行ったアキコに、ボルギは何度か目をぱちぱちと瞬いた。



 ボルギの異動に関する通知に、使用人たちは残念そうな顔をしていた。


 竜人で、無茶も特に言ってこず、ついでに給与も、同レベルの仕事と比べると、良い。


 ここは良い職場だと、使用人たちには思われていたらしい。それが急になくなると決まってしまったのだから、どうしようと考える者は多かったようだ。


「希望があれば次の外交官に引き継ぐ。辞めるのを希望するなら紹介状と、ああ、退職金も出すぞ。とりあえず退職金は月給の一年分に、実際に働いた分の月給上乗せな」

「エッ! そんなに貰えるんですかぁ!?」

「破格っ!!」

「中にはわざわざ前の仕事辞めてきてもらってるやつもいるからなぁ。急な事だったし、出すぞ」


 ちなみに実際は国からそこまで金は出ない。ボルギの自腹だ。


「はいはいボルギ様! 通いと住み込みで差はありますか!?」

「一応住み込みのが高く考えさせてもらう」

「ならアタシはこれぐらいか……」


 わいわいがやがや。


 盛り上がっている使用人たちの輪の中で、下を見ているアキコは目立っていた。


(今日はずっと暗いな……)


 自分の進退についてボルギに話を振ってくる使用人たちの話を聞きながら、一人、哀愁すら感じる背中で立ち去るアキコをボルギは見送った。




 ◇ ◇ ◇




(思ったより時間がかかったな……)


 退職金はよほど皆の心をとらえたらしく、今日希望を聞けた使用人は一人を除き全員、紹介状を貰って退職を選んでいた。


「どこいった? アキコ」


 除かれた一人は姿を消して以降、誰にも見られていない。

 一体どこに行ってしまったのかと家の中を歩いていくボルギの耳に、聞き覚えのある音が届いた。



 ――ぐず。



 ボルギは歩いていた廊下の窓を開けた。首を出す。ぐるりと首を回しながら周囲を見る。


 姿は見えない。けれど聞こえた音の大きさからして、大体どのあたりにいるかは予想が付いた。


 ボルギは少し苦労しながら窓から身を乗り出すと、そのまま外に飛び出る。羽を広げる。自分が暮らしている家の敷地内位、空を飛んだって問題ないだろうと考えた。


 アキコはすぐそこにいた。窓から少し離れた、裏庭の木の下に座り込んでいた。


 飛び降りて来たボルギに驚くような反応はせず、折り曲げた膝に顔をうずめている。


「何が不満なんだ?」


 ボルギは片膝を地面について、うずくまっているアキコを見下ろした。


「アキコ。何が納得いかない? 退職金なら、お前は初めての住み込みの使用人だし、もう少し出せ――」

「――そんな事じゃないっ!」

「おっと」


 急に顔を上げたアキコは、両目に涙をためながら、ボルギを睨んだ。


「お金なんかじゃない。そんなものいらないよっ、だから、だから……。……だから私、ボルギ様と、はなれたくない……」


 声は段々と小さくなり、アキコはまた頭を膝にうずめてしまった。


 ボルギはだらしなく口を開いたまま、暫くアキコを見つめていた。

 その間にも、アキコはぐず、ぐず、と鼻を鳴らしている。


(……はなれたくない? それはつまり……つまり?)


 外交官として、結構な年数を、ボルギは働いてきた。


 しかしその人生の中で、こんな事を言われた事は、一度もない。


 ぐずぐずと度々音を鳴らすアキコの小さな体を見下ろしながら、ボルギはつぶやいた。小さな玉を地面に落とすような声で。


「この国の人には馴染んだろう。お前を迫害する奴はいないはずだ」

「でもボルギ様はいなくなっちゃう」

「この国には彼氏の墓もあるだろ」

「今だって墓参りには行けてないし、お盆に帰ってくるのは墓じゃなくて供養してる所にだから、場所変わったって大丈夫だよ」

「お金は沢山やれる。暫く生活にはこまらない」

「お金は関係ないって言った!」

「ついてきたって、たいして贅沢は出来ないぞ。ここが一番良い環境かもしれない」

「贅沢したくて、今、ボルギ様と一緒にいるんじゃない」

「次の国はお前が喋れん言葉の国かもしれないぞ」

「なら言葉覚える」

「ついてきたって、いつか、ひどい目に合うかもしれないぞ。竜人の傍にいるんだから」

「ボルギ様は酷い事しないもん」

「もんじゃない。そういう、安易な考え方はよくない」


 ボルギはそっと、アキコの頭に手を置いた。


「竜人は――」


 ふわふわの両耳が、手に触れる。


(小さい、小さい――)


 すこし指を広げるだけで、つかめてしまいそうな、小さな頭だ。


「――このままお前の頭を握りつぶせるんだ」


 この指先に力を籠めたら、簡単に、アキコの頭はつぶれてしまうだろう。


 竜人にとって、他の種族は、それぐらい、小さくて弱い、生き物でしかない。


 『アンジェリーヌの悲劇』以降、若い竜人は、新しい価値観をどんどん受け入れて行っている。

 けれどそうして関わりが増えて、多くの竜人が外に意識を向けたとして。


(その先に待つのが本当に幸せか?)


 追い出されるように、逃げ出すように、竜国の外に出て。

 そうしてずっとずっと、ボルギは考えているのだ。


 運命の番なんて、ない方が幸せなんじゃないのか。


 ――竜人族なんて、いない方が、この世界は平和なんじゃないのか。




 ◇ ◇ ◇




 三十五年前、王太子は運命の番の状況を正しく認識しなかった。


 彼女が感じた屈辱を、絶望を、怒りを、理解出来なかった。


 それ故、運命の番から、関わりを断たれた。



 幽閉され、ただ死を待つだけの王太子。


 彼が切っ掛けで表沙汰にされた竜人族の汚れは、誰のせいだろうか。


 親のせい? そうかもしれない。


 けれど王侯貴族の家族は、直接的にかかわる事はそう多くない。


 生まれた後から、ずっと、子供は乳母に育てられる。

 その後さまざまな家庭教師から教育を受ける。


 人の性格は生まれと環境が決めるというのなら。


 王太子が運命の番を慮れない性格になった罪は。



 ――王太子を教育した者にある。




 ……そうして、王太子を正しく導けなかったとして、レミージョ・ボルギという男がやり玉に挙げられた。


 彼は王太子が一番信頼し、尊敬していた、教師であった。



 レミージョ・ボルギは国中の民から、石を投げられ、罵声を浴びせられた。


 王太子の教師という栄えある肩書は、一瞬で、罪人レベルにまで落ちたのだ。



 国からの正式な沙汰の前に、レミージョ・ボルギは自死した。



 己の胸を十の指で左右に引き裂き、生きたまま心臓を掴み、引きちぎったのだ。



 ――死んだ彼を最初に見つけたのは、彼のたった一人の子供(かぞく)だった。




 ◇ ◇ ◇




「ならこのまま握りつぶしてよっ!」


 ハッと息をのみ、ボルギは目の前に意識を戻した。アキコはいつの間にやら、自分の頭に置かれている手を、両手でつかんでいた。

 大人と子供の差があるかと思うぐらいに大きさが違うのは、竜人族が他種族より体躯が大きいのと、狸族が他種族より体躯が小さいせいもあるかもしれない。


「あの日、彼が死んじゃったあの日、ボルギ様は私を助けてくれた。ボルギ様がこなかったら、私はきっと、あのまま森で殺されてた! 野盗なのか、け、獣になのかは、わかんないけど……でも、生き延びるなんて、出来なかった。お父ちゃんやお母ちゃんたちがいる所に、きっとすぐ行ってた! それを生かしてくれたのはボルギ様だよ!」


 アキコが顔を上げる。


 その動きに反応するように、ボルギは彼女の頭に置いていた手を外す。

 外された手を、アキコはまだ、握りしめていた。彼女の全力だろう力は、ボルギにとって、ささいなものだ。


 そのささいな力に、まるで縫い付けられたように、手を動かす事すら出来ない。


「――決めた。今決めた! 私の今後!」


 アキコは丸い目に強い光を湛えて、ボルギの顔を見ながら叫んだ。


「ボルギ様と次の国にいく。お金もいらない、給与だっていらない。だから連れてって。私の事、次の国にも連れてって!」


 その小さな火種は、あっという間にボルギの胸に広がった。

 とっくの昔に死んで枯れて、動かなくなっていたボルギの心を、一気に満たしていった。


「――は、はは」


 地面に、座り込む。

 アキコに掴まれていない方の手で、額を抑えた。


 いつからか、随分と長く伸びた髪からは、ひだまりみたいな匂いがする。


 アキコが好きで、選んできた香油の匂いだった。


「……いいよ。分かった。連れてこう」

「! ほんと!?」


 アキコの顔色が明るくなる。そこでやっと、掴まれていた方の手が、自由になった。


「ああ。その代わり」


 その自由になった手をそのまま、アキコの背中に回して、ぐいと、抱き寄せる。


「地の果てまで、一緒に来てもらう事になるけれど、いいんだな? 私の黄金」


 後からやっぱりなし、を許容出来る保障はない。


 竜人は、傲慢で、強欲で、どうしようもない生き物だから。


 そういうつもりの言葉だったのだが、アキコは目を丸くして、それから、なぜか急に、自分の髪の毛をやたら気にしだした。

 そして、困ったような垂れた眉で、こう答えた。


「……私、金髪じゃないけど、いい?」


 耐えきれず、ボルギは大笑いした。


 お陰でボルギの家周辺百世帯ぐらいが、地震が起きたと大騒ぎになった。




 ◇ ◇ ◇




 次の赴任先は、また別の人間の国だ。

 起きるかもしれない争いからは、遠い遠い国だ。


 赴任地が決まった時点で、ボルギはこの国に運命の番誘拐問題の被害者がいるか確認した。そして、


(被害者なし。よし。その話題であれこれ言われる事はないな)


 と、安心した。


 自分自身は空を飛んでいけば赴任地まですぐである。

 しかし今回からは、長時間の飛行には耐えきれない宝も増えたので、ボルギは馬車での移動に甘んじていた。

 ボルギを怖がらない馬を探すので大変で、予定よりかなり時間がかかった。


「ボルギ様ボルギ様! 街! 街見えた!」

「おー。ついにか。長かったな」

「ボルギ様が重いから馬車が全然動かないんだよ?」

「おっ? このままおいて飛んでいこうか?」

「いやだっ!」


 わあわあと騒ぐボルギとアキコに、御者はなんとも気まずい顔をしていた。

 自分が操る馬車に、竜人が乗っているのだから仕方ない。しかも外交官を名乗っている。

 何かあったら一大事だと、必死に馬を操る御者の心など露知らず、ボルギは、新しい土地に目を輝かせているアキコを見つめた。


(不思議な事もあるもんだ。最初に彼女を連れ帰ったのは、ただ、匂いが染み付いていたから、それだけだったのに)


 初めて会った時。

 アキコの体は旅のせいで、薄汚れていた。


 彼女の体には、彼女自身の体臭と、草の匂いと土の匂いと、それから、ずっと一緒に旅をしてきたという彼氏の匂いが染み付いていた。


 アキコの彼氏の匂い。


 ――ボルギの、()()()()の匂いが。


(遺体より、アキコの方が匂いが濃かった。あんな事あるんだとびっくりしたもんだ)


 きっと、アキコを守るために、死んだ彼氏が、におい付け(マーキング)をしていたからだろう。

 効果は多くないが、ないよりはまし。その程度のにおい付け(マーキング)だったけれど。でもそのお陰で恐らく、アキコは森の中で、ほかの獣に襲われていなかった。


 彼女を守ろうとした彼氏の願いはかなったのだ。


(私の願いもかなった)


 運命の番を大事に出来なかった男のせいで、ボルギはたった一人の父親を失った。


 父親が背負う筈だった罪はボルギには下されなかった。ボルギは王太子に関わってこなかったからだ。


 それでも多くの人は、ボルギの背中を指さした。


「あいつの父親のせいで悲劇が起きた」


 そう、多くの人が言った。


(運命の番が、出会った時には死んでたらいい。――狂ってると言われる願いが、現実になった)


 あの日。

 山をいくつも超えている時。

 ボルギを引っ張ったのは、運命の番の絆だ。


 それがなければ、ボルギはアキコたちの前に降り立たなかった。


(自分でずっと、願っていたのに。……あの時は、頭がそのまま、爆発するかと思った)



 ――目の前に番がいる。


 ――死んでいる。


 ――番が死んでしまった!


 ――半身が! 死んでしまった!



 会話をした事もない初対面の相手が死んでいるだけなのだ。それなのに、ボルギの胸はぐちゃぐちゃに無理矢理かき混ぜられたようになった。頭を書き蒸して、叫びそうになった。

 それをしなかったのは、絶望故だ。


 ――自分が願ったから、番が死んだのではないか?


 そんな、絶望が、ギリギリ、ボルギに理性を残した。


 そうして連れ帰ったアキコは、風呂に入れば番の匂いもなくなった。

 それまではずっと、匂いに頭痛が引き起こされるような感覚がしていたので、匂いがなくなったアキコには安心したのを、今でも覚えている。


(ああ、でも――今ならこう思う。本当に、()が、()()()()()()()()()と)


 最低な事だと、ボルギは分かっている。

 アキコに言ったなら、きっと、失望されるような事だ。


 だが、もし彼氏が生きていたのなら、今の幸せはないとボルギは言い切れるのだ。


 もし彼氏が生きていたのなら。

 彼氏の恋人だと名乗るだろうアキコに、ボルギは、手を出していたかもしれない。

 自分がずっと恨んでいる相手よりもっと最低な事を、していたかもしれない。



 まるで浮気された女が、愛人に怒り狂うように。



「うわあああ! 湖! 湖ですよ、ボルギ様!」


 きゃあきゃあと、耳を立てて喜ぶアキコの横顔に、ボルギは笑みをこぼす。


「そうだな。今度抱えて上を飛んでやろうか?」

「落としませんか?」

「落とさないよ」

「な、なら、飛んでみたいです……!」


 えへへ、と、アキコは笑った。



 引っ越し先である王都は、高い塀に囲われていた。

 門番は、冷や汗を流しながら、何度も何度もボルギたちが提出した資料を眺めている。


「まだ確認は終わんないのか? 何かおかしい所でも? ただ、女が二人、王都に入るってだけだろう」


 ボルギの言葉に、門番はウッと言葉を詰まらせるような動作をした。


「し、失礼いたしました! アンナリーザ・ボルザ外交官。それと、えぇと、アキコ・マール様」


 やっと王都に足を踏み入れる。

 門番から十分に離れたところで、アキコは頬を膨らませた。


「また発音、間違えられました! 私の名前、そんな変です?」

「まあ、(まる)なんて苗字は、この国にもなかろうな」

「そんな変かなぁ?」

「すねるな、私の黄金。あそこで飴が売っているらしい。買ってやろうか」

「そんな言葉に私は負けたりしな――リンゴ飴だぁあああ!!!」


 ぴょーんと飛び出していくアキコに、ボルザはまた腹を抱えて笑って地震を起こすのを耐えながら、一等大切な宝を追いかけた。


 凸凹な二人の先を祝福するかのように、白い渡り鳥が王都の上空を飛んでいた。



◇◇◇アンナリーザ・ボルザ

 竜人。女外交官。

 三十五年前、たった一人の家族だった父親に先立たれた。以降淑女的な言動は辞めたし髪の毛は鏡も見ないで適当に切るようになっていた。最近はアキコの手入れで綺麗になっているし髪の毛が伸びている。


◇◇◇〇明子 まる あきこ

 狸の獣人族。

 祖国が攻め滅ぼされて行き場をなくしていた所、色々あってボルギに拾われた少女。

 狸の獣人族の苗字はちょっと変わっているのが多い。


◇◇◇アキコの彼氏

 狸の獣人族。名前は和也かずや

 ボルギがアキコたちを見つけた時には亡くなっていた。


◇◇◇レミージョ・ボルギ

 竜人。ボルギの父。

 三十五年前、当時の竜国の王太子の教師の一人として働いていた。

 王太子が問題を起こした原因は誰だという話になり、やり玉に挙げられ、自死した。




 気が付いたら微妙に繋がりがあるような内容な話が4つも続いてしまいました。

 万が一もう一個続く事になりそうでしたら、その時はこれまでのまとめ版を連載形式にしてみようか検討するかもしれないです!!!!

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思い付き1↓
竜国に『非竜人族の番を迎え入れる際の決まり事』という法が制定された理由
思い付き2↓
狼国のとある侯爵家で子が亡くなり、夫人は子を忘れた
思い付き3↓
獅子国には『非獅子族と結婚する際の掟』がある





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― 新着の感想 ―
おお、男同士の番だったのか斬新だなー…まあ生殖が必ずしも人生の最重要事ってわけじゃないし。と思っていたら竜人は男でなく、女同士の道行きでしたか。まあ恋愛が必ずしも人生の最重要事ってわけじゃないし。 番…
狸は、日本でこそ割りとメジャーな動物ですが、世界的に見ると極東の一部地域を原産とする、近似種が少ないマイナーな動物だそうです。 だから日本の民話にはよく出てくる狸ですが、ヨーロッパなどの民話とかで見か…
アキコに「運命の番だったのか?」と聞いた心境を想像すると更に美味しいですね。 混乱、絶望、安堵、逃避、自嘲、等。ぐっちゃぐちゃになってたんだろうなって。 女二人旅。ええやん。アキコの番は現れないで欲…
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