未熟者
彼女はバイト初日から金髪の髪をなびかせ、店内の照度をあげる笑顔で入ってくる。日本人の靴は大体白色か黒色なのだが、彼女の靴は真っ黄色である。
今までアルバイトをした経験がない彼女は僕と同年代の社員・筋藤につきっきりで教えてもらう。僕がほぼ一人でお店を回している中、二人は初日から初対面には見えないほど仲が良さそうな様子が業務に追われ、忙しくて狭まった視界に映る。
筋田が一通りの業務を教え終わり、細かい業務の指導は僕にバトンタッチされる。バイト色に染まっていない彼女にここに入って一年経ちバイトリーダーに昇格した僕が業務を教える。
彼女は教えた業務をやり遂げると細く白くすべすべそうな手でハイタッチを求めてくる。内向的ででさほど女性経験のない僕にはお客さんや社員の目を気にせずに会って数時間ほどの女性とのハイタッチは難易度が高すぎるため代わりにグータッチをする。彼女は少し戸惑う顔をしていた。
彼女にうどんの盛り付けを教える。彼女は非常に不器用であり、僕の入りたての頃とよく似ていて親近感が湧く。だしをお客さんでも分かるぐらいの入れにくそうなつぎ方をして、お通しのキムチは一つの皿に三人前ほど盛っている。作られたおにぎりは大きく透明なタッパーに敷き詰められており、そこから一つ盛りと二つ盛りに分けていく。彼女はおにぎりを箸で分ける。オーナーの母親である通称お母さんから「箸で分けたら時間がかかるから手袋をつけて手でわけなさい」と一喝を受けている。
帰り際にあんなに仲良さそうにしていた筋藤ではなく、僕にインスタの交換を求める。僕と話したいのか彼女を探ろうとすればするほど口角が上がり、オキシトシンが分泌される。笑顔の人には笑顔の人が寄ってくる。僕は過剰に笑顔で彼女に受け答えをする。みんなで話す仲から二人きりで話す中になるまであと何日かかるだろうか。
「グループになんち送ればいい?」
日付が変わった頃に早速僕にバイトのライングループになんてあいさつをしたらいいかを聞いてくる。ため口に先ほど上がった口角がさらに上がる。「お疲れ様です。名前です。よろしくお願い致します。的な」就活中の僕は形式ばったあいさつを教える。彼女はそれを嫌がり、「お疲れ様です!大間です!頑張ります!よろしくお願いします!」と送る。厳格なバイトのライングループに相応しくない文面が飛び込まれ、明らかに違う色を発している。みんなが白壁の微瑕な文面にリアクションをするわけがなく、僕にリアクションを求めてくる。浮きたくないから嫌だと無残に断る自分優位な姿勢に心底腹が立つが、自分の意志ではなかなか変えられない。
次の日には多くの人からリアクションをもらっている。彼女の言動や雰囲気は人に好かれると見受けられる。そんな彼女に羨望の感情を抱かされる僕もすでに彼女の虜にされている。
僕はいつも六時出勤が多いのだが、今日は大学の講義が長引き、七時出勤になる。
「六時に来てよ」
その日六時出勤の彼女からラインが来る。僕を気にかけてくれる彼女は家族のように温かい。
僕は定期的にホームシックになる。大学に入学すると同時に一人暮らしを始めた。お風呂に入る時は誰かがテレビを見ていると想定してつけておく。一回生の頃は休みがあるとすぐに実家に帰っていた。講義終わりの疲れた心身を酷使しながら稼いだ給料は交通費にほぼ費やされていった。二回生になる頃にはホームシックの頻度の波は緩やかになっていった。時々来る波には友人の家に行ったり、コンビニに行って気を紛らわせたりしていた。といってもいつも友人は家にいるわけでも予定が合うわけでもない。「早く家族がいる地元に戻りたい」そればかり考えていた。三回生の頃、新たにバイトに入ってきた彼女の温もりを糧に一人暮らしをまた頑張れそうな気がしてくる。
彼女は東京のサロンで働く夢を大きなリュックと共に背負い、新しく一人暮らしを始めた自宅から一駅分先にある美容専門学校に自転車で通う。学校のワインド実技ではA、B、C、D判定ある中の最低評価であるD判定が大好きだった地元を離れて出てきた彼女に突きつけられる。評価が悔しく落ち込む彼女はホームシックとも戦いながら居残りでワインドの練習をする。
私には幼稚園からの親友の小保がいる。中学校まで同じでどこに行くにもいつも一緒にいた。小保は私のことをなんでも肯定してくれる。高校が別になり、離れ離れになっても私たちの関係は終わらない。小保とは毎朝、毎晩電話をする。親友が寝ているときは他の人を探す。よく高校時代の元カレとも電話をする。友人から元カレと電話はやばいと言われる。でも私は付き合うほど仲良くなったのだから離れる意味が分からない。
小保は僕の地元の学校に通うために一人暮らしをしている。彼女はよく小保の家に遊びに行くので僕の地元を親しい友達でストーリーにあげる。懐かしさから彼女のストーリーをスクリーンショットしてしまう。ストーリーのスクリーンショットはばれないと分かっているもののばれないか不安になりながらいつもしてしまう。これをできるのは僕が親しい友達に入っているからということは言うまでもない。
彼女のストーリーには居残りでワインド頑張る姿が映っていたりする。僕はストーリーに尻を叩かれ、頑張る活力を捻出している。尻をたたかれ頑張れる僕はおそらくMである。
「ワインドしてっちゆって」彼女は気だるそうな顔をのせたストーリーをあげる。誰に何を言ってほしいのか僕には関係のないのに勘繰ってしまう。
ワインドが終ったのか夜遅くに彼女はまた僕の地元をストーリーに上げている。僕はそのストーリーにすかさず反応する。
「ムーンリブやん」
ムーンリブとは僕の地元のスーパーであり、地元の学生のたまり場となっている。
「ホームシックになっちょる?笑」彼女は濃度の高い方言で返信してくる。
「すごく笑。今おるん?」
「コンビニ行かなやん笑。違うよ。唐人です」
「なんなん笑」
「寂しくなったら会いに行っちゃんよ」
「笑」
あまりに距離が近い彼女にすかした返信をしてしまう。異性の友人にこれほど距離が近い彼女の彼氏になった人は大変だろうなと他人事に思う。
続けてラインがくる。久しぶりの長尺ラインに高校二年生の夏を思い出す。
「夏休みっちなにするん?」
「特になんもせん」
「えーじゃあ一緒に花火しよ!」
「あり!」
「がち!ゆったけんな?!」
「なんなら今日しよ!」
「めっちゃフッ軽やん。そういうの大好き。決定やね!今日一日頑張れそう」
そう、僕は自他ともに認めるフッ軽である。楽しそうなことであれば県内どこへだって何時だってすぐに駆けつける。時間を無駄に浪費している阿呆だと言われるかもしれないがこれは自分の心身の健康管理の一環なのである。家に帰ってきても誰も出迎えてくれない孤独に僕の心は毎日少しずつ食われている。
彼女はまたワインドがD判定で居残りをさせられ、バイトに来るのが遅れる。そのせいかいつもの元気が見当たらない。居残りは三週間連続であり、まだまだ記録は伸びそうらしい。「才能なさ過ぎて死ぬ。永遠居残り。何が悪いん。心折れる」彼女らしからぬ発言がストーリーにあがっており、僕は彼女の沈んだ気持ちとは裏腹に少し嬉しくなる。彼女の知られざる一面を知れた喜びという自分勝手な欲望が倫理を逸脱して僕の中に生まれる。
バイト終わりに二十四時間営業のショッピングセンターに花火を買いに行く。二千五百円の花火をどちらが買うかじゃんけんで決める。僕は髪色をピンク色に変えた彼女に慈悲をかけずに連続三連勝する。まだ遊ぶのは一回目なのだが、気が合いすでに楽しい。
レジのそばの冷蔵スペースに期間限定のカップ焼きそば味のエナジードリンクが野球部員のように正確無比な陳列を為している。彼女は先頭の缶を一つ取り、正確無比な陳列は正確さを失わせる。彼女は変わった味が出たら飲みたくなるらしい。変わったものが好きなのか、同じものを愛せない飽き性なのかのどちらかであろう。
そんな彼女も唯一昔から好きな食べ物がある。回転寿司にあるハンバーグのお寿司であり、行ってもそれしか食べない。寿司屋にいって魚を食べないのはどうかと思うが、好きなら仕方がない。飲食物から推測するに彼女は変わったものが好きなようだ。
「変なものばっか好きやん」
彼女をいじると長く白い手で叩いてくる。彼女の手はいつもつるんでいる男共の手とは違い、程よい肉付きでさらさらしていて肌触りがいい。つい触られたいがために過剰にいじって、怒らせてしまう。
自転車で海浜公園まで向かう。すごく後ろから声が建築物を反射して微かに聞こえる。
「はやーい。ゆっくり行こ」
バイトに自転車を三十分漕いで通勤している僕のスピードに彼女は追いつけない。彼女のペースは非常に遅く、僕の肌は熱を冷ますための風を求める。
海浜公園は海風とともに僕らを出迎えてくれる。ひやりと肌を撫でてくる風で僕はさらなる撫でを求め、甘えたくなる。
公園には花火をしている人が一人もいない。浮くのが恥ずかしいが、やりたい欲求は抑えられないので隅でひっそりとやることにする。
奥からパトカーとは違うランプを光らせた車がタイヤを走らせ、中に乗っている人は首の根元から左右の窓を舐め回すように警察よりも異常がないか凝視している。誰も花火をやっていない理由が分かる。僕らはそれでも花火を諦めきれず、隅のさらに隅にある看板に自転車ごと隠れ、車が去ったのを看板の下から目視しながらこそっと花火をする。浮かないようにひっそりする花火とは違い、隠れながらこそっとやるこのスリルは僕らの結び目を強く締め、糸の全長を縮めた。三本目に取り掛かるとチャッカマンが能力を発揮しなくなる。オイル切れをなる。二人合わせて百本中四本しか楽しめずに僕らの花火は終わる。
花火ができなくなり、満足に楽しめなかった僕の手は砂浜におちている貝を彼女にむかって投げる。彼女は当たり前にやり返してくる。会場はしり上がりに盛り上がりをみせ、砂の掛け合いにまで発展していき、僕らのバイト終わりでベトベトの身体に砂が遠慮なしにこべりつく。疲れに疲れ切った僕らは砂浜に寝転び、街中の星を眺める。田舎生まれの僕は街中の星には満足できず、きれいな星をために「田舎の方へレンタカーで行こう」と誘う。彼女は乗り気な反応を見せないので僕はしつこくは誘わない。というより誘えない。「しつこく誘ってきたら断れない」彼女はこの前そう言っていたが、あからさまにテンションがあがっていない彼女を目の前にして一回目と同じテンションで誘うことは僕の度胸ではできない。いつも友達はどんな風に誘っているんだろう。それとも彼女は自分を取り繕っているのか。彼女を知りたい。彼女の取扱説明書があればいいのに。
日にちを跨ぐと海浜公園は僕たちに夜の更けを寒さで知らせる。隣に寝転んでいた彼女は起き上がり、僕の手を砂で埋めてくる。三回に一回ぐらい彼女の手が僕の手に触れ、そのたびに心拍数が急速にあがる。落ち着こうとするが、そうすればするほど早く脈をうつ。彼女にばれていないか不安になるころには身体全体で鼓動している。不安を隠すように彼女の手を埋め返す。微笑ましいこの状況に僕の上がった体温は周囲の砂は熱くする。この世の中はばれたくないことに限ってばれやすくなっている。念には念を込めてばれないために彼女を僕の近くに寄せない。
「あっちになんかおるよ」
「なんがおるん」
「分からん。見てきてよ」
彼女は疑う余地を持たずにそそくさと何もない場所に何もないものを探しに行く。彼女の好奇心の旺盛さは並の比でなく、後先考えずに一人でどこまでも行ってしまいそうで儚く見える。
海には僕ら以外にも多くの人がいる。海は海自体の湿気と人の多さゆえの湿気でじめじめしており、使っていない花火が使えないほど濡れている。彼女は靴のまま海水の近くまで行く。僕が向けたレンズから彼女は僕の写真フォルダに侵入してくる。案の定濡れて戻ってきた無邪気な行動に僕は近所の小さい子供を見る笑みをこぼす。水で遊び飽きた彼女は間髪入れずに小保と電話を始める。
小保は最近、いい感じの人がいて、もう自宅デートを済ませているらしい。彼女も現在は彼氏がおらず、早く彼氏がほしいと言っている。
元カレが多くいる彼女に僕は嫌悪感を抱く。前の彼女とは男関係の多さが発端となり別れるに至った。彼女と付き合ってしまえば、また同じ成り行きで別れてしまうと自分に言い聞かせて彼女への気持ちを抑える。
彼女は好きな人ができたらどんなに塩対応をされても粘り強く積極的に連絡して、ラインを生活の一部にさせるらしい。相手を依存させる魔性の女である。学校で彼氏と会うのは苦手で会ってもうまく話せないし、話しかけられない。敢えてしているのか、それともただピュアなだけなのか。どちらにしても彼女の性格からそんなことはなさそうだったから不意を鋭く突かれる。歴代の彼氏とは一カ月ぐらいしか続いたことしかないらしい。一カ月しか耐えられない問題がなにかあるのだろうか。より一層彼女のことを知りたくなる。結局、深夜三時まで海にいた。
帰路の途中に海浜公園の近くのコンビニによる。彼女と出会って、まだそれほど経っていないのだが、常にお菓子とアイスを食べている。
海浜公園から家が近い彼女は家が遠い僕を少しも送ってくれない。当然のことなんだけどもなぜか距離があいたような寂しさに襲われる。明日の朝から用事があるのに彼女はこの時間まで遊んでいる。馬鹿である。だけどその馬鹿が眩しく輝いて見える。馬鹿は尊く、愛おしく、僕を無条件に惹きつけ、滾らせる。
家に着くと彼女からの通知が入っている。「先輩遅くまでありがと!次は先輩の家の近くで遊ぼうね」
次も遊んでくれることに僕は何も達成していない達成感と何も危機にさらされていない安心感に包まれる。
お風呂を上がると再び彼女から通知が来ている。
「なんかDMやと大人っぽく見えるね笑笑」
僕は会って数日しか経っていない彼女に「ガキみたい」といじられた。彼女は会って数日しか経っていない関係なのにそんなことを躊躇いなく言える。
バイトが休みの彼女は映画を見に行っている。
「やっぱ人はさいのうだけでは生きていけんのやね」
彼女の哲学チックな感想を聞くと僕は次の日には映画館に足を運んでいる。自分と重ね合わせて、頑張る活力をもらえる映画であった。映画で得た心の鍋から溢れ出すふつふつとした感情を誰かに今すぐ吐き出したい。吐き出すのを我慢しながら彼女を誘い、ファミレスではなく、焼き鳥屋で映画についてファミレストークをしに行く。いきなり誘った僕も悪いかもしれないが、家から目的地までそれほど遠くない彼女は三十分経っても来ない。誰かと通話中で電話に出ない。待てる人がいることは幸せだが、蒸し暑くなってきた中、映画で興奮して火照った身体で一時間ほど待たされるのは辛い。
前日に夜更かしをしたのか目が充血している彼女は遅刻したことを感じさせないほどジンジャエールを片手につくねとはつを頬張る。彼女の勢いに僕はすがすがしさ覚え、僕はたれ味の焼き鳥も無限に食べれそうな気がする。
会話は山場を過ぎ、落ち着きの色に僕らのテーブルを染める。
「はつってなに?」
「心臓。血の味がしておいしいよ。一ついる?」
はつの味が分からない僕に彼女は何気なく一つ差し出してくれた。彼女といると気を使わないでいい。相手に気を使わせないように気を使える彼女は人の気持ちがよく分かる。そのせいで気を使いすぎてしまい、よく我慢をしたり、甘えるのが苦手だったりするらしい。彼女のことをもっと知りたい。
もちろん会計はじゃんけんである。五千円という学生に対しては多大な金額に手汗が滲み出てくる。負け。大事なところでいつも勝てない。
お店を出て、一直線には帰路にはつかない。百均で日用品を買ったり、バス停のベンチに座ってアイスを食べたり、住むなら田舎か都会か討論をしようとしたりする。僕は暮らすのは田舎。働くのは都会。彼女は好きなのは田舎。成長できるのは都会。意見が似ていて対立抗争にならずに討論は破綻する。
歩き疲れて座ったバス停のベンチで彼女はゲームをあまりしないと言っていたのにスマホゲームをしている。彼女のことはまだよく分からない。明日までのワインドの課題があるのに目的のないまま歩き続けている。先のことを考えない馬鹿だけど一緒にいると楽しくて明日のことはどうでもよくなる。
「焦ったほうが思い出に残る」彼女はそう言ってよく無茶をする。彼女といると自分では絶対にしないことをしたり、無駄なことをしてしまう。でもそれが楽しくてやってしまう。彼女は僕のパレットにない色を有無を聞かずにのせて、かき混ぜる。見たことのない色に僕の好奇心が七色に光りだす。
歩き疲れたので電動キックボードで帰ろうとするが、彼女はクレジットカードを持っていないので乗れず、やむを得ず二人乗りをする。彼女の手が腰回りを温め、胸の奥がバクバクしてわざと荒い運転をしてみたりする。案の定彼女は怖がり、強く僕の腰を絞め、顔を僕の背中にひっつける。汗をかいている服に顔をつけられるのは嫌だが、断ると彼女の顔の体温を感じられないので断りはできない。人の体温に触れると心までもが温かくなる。それが彼女であれば、熱さも伴う。僕はいつも追いかける側から始まる。
彼女は僕の家までついてきてくれる。終電はとっくにすぎ、帰りの手段がない彼女に僕のブレーキの利かない自転車を貸す。事故を起こさないで無事に帰れたらしく、一安心をする。彼女が三時過ぎに始めた課題で出されたワインドを終えるまで電話に付き合う。眠いけど楽しさが勝り、彼女が寝るまでは起きていられる。
後日分かったのだが、彼女は貸した自転車を僕が指定した場所ではないとこに置いていた。バイト前の焦る時間に多くの時間を有して探す羽目になり、黒色のバイト着がだんだんと濃くなってくる。「事前に置いている場所は教えてよ」本人にはあてつけがましく言わないが、心では何度も言う。
「自転車どこ置いた?」
「ちゃんと駐輪場」
「どこの?」
「駅の横の」
「定期いるやろ笑」
「わからん笑。しれっと入って止めたよ笑。頑張って先輩!」
彼女の他人事なあしらいに僕の心に黒色が混じる。
「とれんやん笑」
「走ったら十分で着くよ。バイトしてから作戦会議ね」
「汗だくなるって」
「汗だくで来たら面白い」
「はい地雷。アイス奢りね」
「汗だくできたらね」
「汗だくなったらバイト飛ぶ」
「えー来てくれんの?つまらんくなるやん」
「気分上げさせるの上手すぎ」
濁りは彼女によるろ過に取り除かれ、僕の心は純度を取り戻す。
「事実って」
「やり手」
「先輩がちょろすぎるだけね」
「だまれ」
「もう本当詐欺に引っかからんか心配。守っちゃんよ」
「よろ」
「よろやないわ。騙されんようになって」
「今映画見よる」
彼女は時々、急に話題の舵をきる。
「面白かった?」
「いやー私にはささらんかったね。大人の恋愛やった。愛を知らん私には早い。また五年後くらいに見たらささるかも」
哲学味のある彼女の感想は少し考えさせられるから面白い。頭を開いて見てみたいぐらい興味深い。彼女についてばかり考える。
「感想が面白い」
「愛とかわからんくない?わかる?」
「わかるよ」
「いいって笑。先輩ガキやん」
「違うわ」寝落ちをしてしまい返信を翌日の七時にする。
「起きるのはや。偉いやん」
「二度寝してしまったけど。でも気持ちよかった」
「じゃあ私も二度寝したいけん毎朝四時くらいに一回起こして」
馬鹿である。四時に起きずにぶっつづけに寝たほうが気持ちいいことは考えなくても体の本能で理解できる。やはり彼女の色は僕には持ち合わせていないものばかりだ。
「変わっとるね」
「変わっちょんほうがいいやん」
僕は好き嫌いを別として変わってる人にも惹かれる。映画でもアニメでも格好にしろ性格にしろ風変わりな登場人物を好きになってしまう。僕にない色がほしいのだ。これは決して奇を衒っているわけではない。
僕はよく本を読む。お気に入りは森見登美彦さんと綿矢りささんの本である。周りには母ぐらいしか本についてしゃべれる人がいない。一人暮らしをしている僕は母と物理的距離があるため人肌を感じながら本についてしゃべるには実家に帰るしか方法がない。大学もあるためいつでも実家に帰れはしない。日々、素晴らしい本と出合っても僕は僭越ながらも一人で消化せざるえない羽目になっている。
焼き鳥屋で分かったのだが、彼女は本を読むらしい。一人暮らし中でも誰かと本の感想をしゃべれることに楽しみを抑ええられずに今度本を貸す約束を勢いで結んぶ。僕の好きなものを彼女と共有したい。
「洗い物変わるよ」
彼女は口では「バイトを楽しい」と言ってはいるが、洗い場に立っている顔はきつそうであった。弱った時に人の隠れた本音が出る。頑張りすぎていつかパンクして壊れてしまいそうな彼女の危うさに優しくしゃべりかける。不安定なものに人は心を奪われ、魅了される。彼女の充血した目や高校時代空手部でついた筋肉、濃度の濃ゆい方言は日々刺激を求めている人を魅惑させる。いつもは僕の下の名前に先輩をつけて呼んでくれるのだが、今日は名字に先輩をつけて呼んでくる。僕と彼女のは靴ひものように緩くないとは思うが、結ぶ糸が細く感じる。彼女との恋はまだ始まっていないくせに僕はすでに頭を抱えている。
バイト終わりに本を渡す予定だったのだが、渡すのを忘れる。帰り道の半分を過ぎたころに気づき、急ブレーキをかけながらラインをする。
「あ、本を渡すのを忘れた」
「持って来ちょったん?笑」
「うん」
「もう遠いよね?」
彼女の乗り気な返信が僕の自転車の漕ぎを速くさせる。
「まだいけるよ」
彼女に電話もかけてみるが出ない。彼女が電話に出てくれることは果たしてあるのだろうか。
「今から戻るね」
「えーわざわざ戻ってくれるん。待っちょきます」
「約束やったしね」
「優しいやんめっちゃ」
「どこおる?」
「家」
「出向かえてよ」
「出る。待っちょって」
バイト時の服装とは違い、ラフな格好で出てきた彼女に不意打ちのジャブを打たれ、スムーズに一言目がでてこない。
「は、はい。これ面白いよ。森見登美彦さんの四畳半サマータイムマシンブルース」
「すぐ読むね」
「すぐ」って嬉しい。「読む」だけじゃなくて「すぐ読む」は人付き合いの枠に収まらず、自発的な興味関心があることを文面で表現したものである。僕は彼女の感想が明日来ることを願い、心躍る睡眠をする。
彼女の読みかかりは僕の想像以上に早い。日を跨いですぐに本についてラインが来たので推測するに渡してすぐに読み始めてくれている。彼女の行動は僕の情緒を揺りかごのように優しく、温かく揺さぶってくる。
「この本読むの難しい。考えながら読まんとやん。さらさら読めん」
「呼んでくれとるの嬉しすぎ」
「先輩のセンス気になるけん読むよ」
「一章難しいけど二章三章それに準じとるけん伏線回収おもろいよ」
「期待大やわ」
「読み終わり楽しみしとく」
「確かに二章からおもろいかも笑。八月十二日が楽しみになるね」
「ほんとそう!今んとこどう?」
「めっちゃいいやんこれ。おもしろかった」
「もう読み終わったん?」
ほんの数時間で二百ページほどの本を読み終えた。彼女の読書体力と速読力に脱帽すると共に僕の好きな本を全部読んでもらい、感想を共有したいと脳みそより先に心で思う。それより僕の好きな本を楽しんでくれたことが僕の中の彼女の価値を爆裂にあげる。
「私も未来全部決まちょってほしい」
彼女がどんな未来を想像しているのか気になって就寝の準備が進まない。もっと彼女を知りたいからもっといろんな本を読んでほしい。
「サークルの先輩のキャラまじでいいよね」
「えーもどかしい。明石さんがいい」
「なんで?笑」
「送り火見に行くの誘ってくださいとどこで見ます?っち言うのがいいやん笑」
「あのシーンきゅきゅんすごくて心臓一つじゃ足りんよね。どこで見ますも一緒に見る前提ってのもよすぎ笑」
「まじでいい笑」
「小説で恋愛できるよね笑」
「えーできんできん。益々したくなる」
「でもこんなんしてみたいね笑」
「絶対ね」
「感想共有楽しすぎ」
「まじおもろい。眠れん。明日学校なのに起きれんって」
「それな笑」
「他の本も貸してよ」
「いいよ」
「バイト終わりなら渡せるよ」
いつの間にか時計の針は深夜の二時半を回っていた。
「明日絶対起きれんやん」
「起こしちゃるって。ちゃんと電話でてね」
「うん!まじでよろしく」
「今何パーセント眠たい?」
「ゼロパー。やばすぎ」
「もー勘弁して笑」
「生活リズム終わっとる」
「ほんとそれ。寝らな」
僕は久しぶりに寝落ちをする。それだけ気づかないうちに夜が充実していたのだろうか。
こんなに夜更かしが続いて生活リズムが崩れているのは彼女のせいである。
彼女から目覚ましの電話がかかってくる。僕は眠りが浅かったせいか彼女のおかげか満足な睡眠はとれていないが、目覚めのいい朝を迎えられる。
「寝起き良すぎて朝から面白かった笑。一日のスタートから笑わせてくれてありがとう」
「起こしてくれたのになんでそんなことゆってくれるん笑。いいやつすぎ」
「七月五日の午前四時十八分に日本を南海トラフ地震が襲う」ある漫画家が予言する。その漫画家はコロナウイルスも予言しており、見事に的中させた。信憑性の高さは折り紙付きである。その予言と信憑性の高さに彼女はひどく怖がり、わざわざ実家に三日間だけ帰る。度の過ぎた怖がり方に僕も怖がる。おそらくこないであろう地震への怖さを紛らわすために来なかったら彼女が僕にアイスを奢り、来たら僕が彼女を奢ることを決める。来ない確率のほうが高い僕に有利な賭けだということが彼女にばれ、賭けは始まりの口火を切ることはなく、決着もつかないまま幕を閉じる。
想定とは違い、テレビには地震の速報ばかり入ってくる。僕たちの地域ではないものの地震は震度五程を記録する強烈さを持っている。
「地震すごいね」
「ガチ怖い」
「もしきたら四国沈むってよ」
「まじ怖くない?。一人で寝ちょんときに地震来たら恐怖で死ぬ。幽霊の方がまし」
「それは断じてない。幽霊の方が一万倍怖い」
「ざっこ!」
「あ?」
「先輩より地震が怖い。明日一緒にオールしよ」
「オールは死ぬ」
「一生のお願い。明日オールね」
「オールして何するん?」
「なんでもいい。怖いやん。一人で地震とかあったら」
「心配性すぎる笑」
「ガチ怖い。笑えん」
「バイト終わりならいいよ」
「バイト終わりかー。眠いやん。絶対オールしてくれる?」
「電話でオールするん?」
「のほうがいいっしょ?」
「電話でオールはしんどい笑」
「じゃあ会ってくれるん?」
「オールするなら遊ぼうや」
「先輩神やん。もう大好き。一生ついていきます」
大好きなんて簡単に言わないでほしい。期待してしまう。期待は誰のためにもならない。
「どこ集合する?」
「どーしよっかな」
「行きたいとこない感じ?」
「ないない。地震来んかったらなんでもどこでも」
「じゃー映画見ようや」
「めっちゃいいやん。ホラー映画見たい」
「ホラーなし笑」
「絶対おもろい笑。びびっちょん先輩とか見たい笑笑」
「無理。バイトリーダ―として面子がたたん笑」
「先輩ならいける」
「なら、ちょい怖ね笑。会場そっちでいい?」
僕は気の知れない人に自分の部屋を見られると裸を見られたような恥ずかしさが顔を出す。部屋の臭いや雑貨、配置をその人に品定めされ、部屋に入る前の印象と変わっていないか心配になる。だから僕は信頼を添えている人しか家に入れれない。気の知れた中でないとなかなか家には誘えない。
「今回はうちで次そっちね」
「いやだ笑」
明日彼女の家でオールをすることにる。付き合ってない、そういう関係でもないバイト仲間である男女が家でオールをするのはいかがなものかと通常運転の僕であれば断れたかもしれないが、僕はいつの間にか彼女に対して通常運転ができなくなっている。明らかに意識してしまっていることは恋愛経験の少ない僕でも理解できる。
「地震速報めっちゃきよる」
「まじ怖いって」
「速報多すぎて怖くなってきた」
「やろ。危ない。一緒に実家に帰ろ」
「バイトある笑」
「えーー飛ぼ。命のほうが大事やって」
「まーね。十一時くらいに終わる」
「了解。頑張れ」
「終わったよ」
「お疲れ様です」
「ありがとうございます。業務連絡やん笑」
異常運転中の僕のつま先は彼女の家に向き、歩く速度も速く、片手にはたくさんのお菓子をぶら下げている。彼女の家に着き、彼女に電話をかけるが相変わらずでない。
「オートロック?」
「あ、着いた?」
「うん。番号押したらいいん?」
「下まで行こうか?」
彼女のラフな格好を見るのは二回目なのだが、僕はまだ彼女をうまく焦点を合わせて見られない。彼女の部屋は僕の嗅覚を刺激し、その刺激はあまりにも強すぎて僕の呼吸を速くさせる。家模様は全体的に物が少なく、家具は白で揃えられており、僕には眩しく抵抗がある。片隅には興味をそそるピンク色の瓶があり、じろじろ見過ぎないようにさらっと見る。不確かであるが英語で「ラブポーション」と書かれてある。誰に使うために買ってあるのか気にかかり、映画を満足に楽しめそうにない。色が大好きという彼女の片鱗が部屋着や数少ない雑貨などからもうかがえる。机の上にはあまり手をつけられていない綺麗さの色彩検定の参考書がある。僕と同じ形から入るタイプだと推測できる。彼女は家でずっと音楽を流している。流す曲は全部彼女のお気に入りらしい。僕は彼女の好きな曲を何曲か好きになりプレイリストに入れる。僕は多分一時の間この何曲しか聞かないだろう。依存体質な自分が嫌になる。
映画を見る前に彼女はお風呂に入ろうとするが、彼女の部屋には隠し部屋でもない限り更衣室は見当たらない。
「俺がおるのによくお風呂入れるね」
「先輩のことを信用しとるけ」
まだで出会って間もない他人を信用できる彼女に感心するとともに彼女への心配が芽を出す。
お風呂上がりの彼女はさらに僕の呼吸を速くさせる。只今、嗅覚に僕の感覚は支配されており、嗅覚の赴くままに彼女の近くによる。
彼女の長いドライヤーが終わり、長々と待たせていた映画と対面する。スタートからホラー要素がふんだんに詰め込まれており、怖がる彼女はバイト終わりでお風呂に入れていない僕を「ベッドの上で一緒に見よう」と誘い、僕は言われるがままに従う。僕は驚かせたいシーンで全部驚いてしまう。隣で見ている彼女もそうであり、時折彼女の匂いが強くなる。彼女の肌は開封したてのシーツのようにすべすべで思わず肌を擦り付けたくなり、下半身が熱を帯びる。僕の下半身は嘘をつけないようだ。足には多くの傷が見られる。活発なのだろう。彼女の傷を触り、過去を知った気になる。ホラー映画は一緒にびっくりできる相手と見ると絶叫アトラクションのように楽しめる。鑑賞中、彼女は頻繁にトイレに行く。人がトイレに行っている後ろ姿は僕に尿意をもたらし、僕も続けてトイレに行く。便座に暖房機能はついていないが、便座が温かい。便座から彼女の体温を感じ、また下半身が過熱する。見終えた頃にはへとへとで何も考えられない。隣の彼女は眠りに就いている。彼女の眠った顔を丁寧にフォルダに保管する。異常運転の僕でもさすがにベッドで彼女と二人並んで寝られない。始発まで映画を見て時間を潰す。貸した本と歯ブラシを持って帰るのをわざと忘れ、次に会うための伏線を姑息に張る。
一睡もしていない僕は自宅でシャワーを浴びて、すぐにベッドに寝転ぶ。起きられるか不安だったのでラインの一番上にあった彼女に目覚ましの電話を頼む。
七月五日の夜に彼女は実家でも怖がっている。
「妹と足を絡めて寝るね笑」わざわざラインを送ってくる。僕は誰かと寝る際には足を絡めたくなる。足を絡めることで相手の体温と安心感を得られる。腕でも胴体でも致し方ない理由があればいいのだが、できるならば僕は足がいい。足には腕や胴体にはない曲線と太さがある。それが合わさり、凹凸がぴったりにはまれば僕は何にも恐れずに寝むれる。彼女とも足を絡めて寝て、足から彼女を感じたい。
定時になっても地震は僕たちのもとには届かない。「明日くるやん」それでも彼女は怯えている。
「日曜先輩の家に行ってもいい?」
「オールは付き合うけどまじで俺の家?」
「うん!オールばっかで大学生っぽい。青春やん」
彼女が僕の部屋を見て、何も思うか考えると不安で何も手に付かない。「嫌われたらどうしよう」そんなことが頭をよぎり、最悪の事態ばかりを考え、自分を最悪の事態から守る。
彼女との会話がラインを交換して以来初めて途切れる。いつの間にか彼女からのラインがないと一日がやるせなく終えていくようになっている。自分のリズムを崩し依存してしまうのは後々辛くなることは数回の失恋を通して身を挺した経験をしたもののつい、彼女の高頻度のラインを無視できずに返信してしまう。彼女をピン止めしてしまったら僕は後には引けなくなる。恋は落ちるものではなく、するものであり、落ちてしまったら自分が壊れてしまう。自分が壊れないために彼女に熱し過ぎないように気を付ける。世の中の多くの恋は程々の方が長く続く。僕は彼女に疲れるほど一途で手遅れなほどべた惚れである。でも僕がすごいわけではない。一途にさせた彼女がすごい。
「最近、先輩と話しすぎて話してないの違和感あるんやけど。どうしてくれるん笑。沼やわ笑」
やるせなく終わろうとしていた僕の一日がトーク画面の一番上にある彼女からのライン一通で煌びやかに隈なく彩られてく。こんなメッセージを無視しては置けない。放っておけば放っておくほど冷め、劣化していき、本来の味を味わえなくなる。恋にはどんない自分を取り繕うとも嘘をつけないから恐ろしい。
「今度映画見に行こうね!」
僕は限界値まで上がりきった興奮度のまま彼女を誘う。
「あ、それ昨日から始まっちょんか。早く行かんと。いつ行く?」
「二日後。九時十五分からやけど終電ある?」
「あるある多分いける」
多分って何だろう。終電は時間が決まっているのに。終電は男女が一線を越えるためにある。僕たちは終電という一線を越えてしまうのか。そんな瀬戸際でてきとうな返信をする彼女に心が読めない。
「明日もホラー見ようね。地震とホラーにビビりながら不健康オール楽しも!」
「何時くらいに来る?」
「何時くらいから行っていい?」
僕にとって彼女は特別な人になっている。彼女の一言一句に感情が振り回される。彼女にその気はないかもしれないが、僕は勝手にヘロヘロで多分メロメロである。彼女も僕にヘロヘロでメロメロであってほしい。僕のことを友人として好いてくれているのは伝わるが、恋愛として好いてくれているのかは僕の浅い洞察力で判断できない。僕以外とも頻繁にスキンシップをとるし、男と二人で遊んでいたりする。それが通常運転ならば僕はただの友達の一員に過ぎない。憂鬱をお気に入りのアニメで吹き飛ばそうとするも楽しめない。恋愛は一人でするには過酷である。だから彼女には期待しないけど、周りにいい人はいっぱいいるけど、彼女でないと僕は満足できない。彼女は僕がいなくても幸せになれるそうだが、僕は彼女なしでは幸せになれない。もし僕が一億円を稼いだとしても隣には彼女がいてほしい。
「六時に家着くけそれ以降ならいいよ」
「多分九時くらいになる。家出るとき言うね」
彼女が家に着く前に普段はしない掃除機をかけて、部屋を少しきれいに見せる。
九時になっても彼女は来ない。来るまでの時間は普段よりも長く、寂しさに思考を奪われ、なにをするにも身が入らない。用もないのにインスタを頻繁に開いて、彼女のインスタを確認してしまう。彼女のインスタがオンラインになっているだけで僕は返信に期待して胸を躍らされる。オフラインなろうものならば、孤独に襲われ、活力が栓を抜いた浴槽のように見る見るうちにかさが減っていく。
「九時無理そう。十時までには着きます」
彼女が来るまでにあと一時間ほどかかる。僕は一時間何をしてればよいのか。彼女のせいで僕の生活リズムは崩れに崩れ、今にも時間をかけて築いてきた自分を見失いそうである。
十時過ぎにドーナツと僕が食べたいと言っていたコンビニのアイスにしてはお高めなジェラートが入ったレジ袋を片手にぶら下げ、一泊するには必要ないほどの荷物が入った大きなリュックを背負ってやってくる。荷物を置いてすぐに彼女は僕に「服を貸して」と請うてくるのでもちろん貸す。僕から彼女に「着て」とお願いしたいくらいだが、どこから生まれたか分からないプライドが喜び隠そうとする。僕も彼女の服を借りたいが、サイズが合わないので借りはしない。
映画を見た後、僕らは小腹が空き、電動キックボードに乗って24時間営業のスーパーにまた僕らは二人乗りをして向かう。彼女は前よりも強く腰を締めてくる。腰を強く締められているせいか息がしづらく、呼吸が荒くなる。帰りは彼女が運転をして僕が後ろに乗る。彼女を抱きしめても致し方ない状況なので気兼ねなく思い切り満足に抱きしめる。このまま離れたくない。どこまでも行きたい。風になびいて僕の顔にあたる彼女の髪の毛がいい匂いをもたらす。後ろから撮った彼女の姿は家族か彼氏だけしか撮れないアングルで彼女の彼氏でないにもかかわらず、僕の気分は彼氏面をしている。
家に着くころには午前三時を回っており、二人ともすぐにベッドに寝転がる。彼女は男性と同じベッドで寝たことがなく、なかなか寝られないらしい。寝られない彼女を見ていると僕もますます寝られなくなる。僕は手持無沙汰な足を欲求の向くままに彼女の足に絡ませる。彼女の足は相変わらずすべすべしていて、僕の足は力を入れなくても彼女の足を勝手に滑っていく。彼女の足を知ってしまった以上もう彼女の足なくしては生きていけない。僕の最大級の愛情表現はスキンシップである。これが彼女に伝わればいいのに。口で言わないと伝わらないのは重々理解しているが、僕の口は頑なに「好き」を発音しようとしない。「好き」を言えないまま僕は朝を迎えている。
彼女のアラームは地震が嫌いなはずなのに警報アラームの音であり、その音で意識より先に心臓で飛び起きる。遅く寝て早く起きた僕は言わずもがな睡眠不足である。
彼女と別れるのは辛く、彼女に「駅まで着いてきて」と言ってほしい。子供のように甘えてきてほしい。僕の中に潜むのはМだけではない。変える支度を終えて彼女は僕に言ってほしかったことを目を見つめながら言ってくれる。僕は感情を言葉と仕草で表現してくれる彼女をもう普通の目で見られない。
彼女が帰った後にはベッドに長いピンクのきれいな髪が数本落ちている。自分の髪の毛のように乱雑にゴミ箱には捨てられない。布団には彼女の匂いがほのかに残っており、いつの間にか僕は顔をうずめている。
学校終わりに以前約束した映画を見に行く。
「八時四十五分のでい?」
「おっけー。今から寝るね」
僕よりも寝不足な彼女は学校が終わると仮眠をとるそうだ。こういう時は大体寝過ごすお決まりのパターンである。
「寝坊したら奢りね」
「起きる。あの後から寝た?」
「寝たよ」
「ずるすぎ」
「大学生の唯一いいところ」
「手作りのサバの味噌煮食べたい。先輩作って」
「料理しきらん笑。逆に作ってほしい」
「なんも作れんの?二十一歳になるのに?」
「茹でと焼きしかできん。あ?」
「今日令和七年の七月七日らしいよ。めっちゃ願い事かないそうやない?笑」
「スリーセブンやん笑。何願うん?」
「響きだけでいい日やわ笑。毎年恒例の彼氏できますように」
「せっかくのスリーセブンなのにいつもと一緒のこと頼むん?笑。もったいな」
「えーじゃあ運命の人と付き合って、結婚できますように。んで先輩は?」
「料理できますように」
「スリーセブンなのに?」
「あと、部屋がきれいになりますように」
質問を投げかけてきた本人と付き合えますようになんて言えるはずがない。僕はみっともなくても笑われてもいいから彼女と付き合いたい。必死にそれっぽい願い事を考えるが、頭の中に正解を絞り出せる余白が今はない。
「それこそもったいない。もっとビッグなこと願おうや。質素すぎ。織姫と彦星もスルーしてしまうって。それを踏まえた上でなににする?」
「でかい家に住んでお金持ちになる」
ありきたりな回答で乗り切る。
集合時間の三十分前になっても彼女は起きない。五分後に電話をかけても出ないので延期を提案してみる。
「また今度にしようや」
僕はこういう時にいい人を演じてしまい、いつもあとになって後悔する。もっとわがままになりたい。我慢ばかりじゃ恋愛は上手くいかない。恋は実験である。やってみないとなにも分からない、何も進まない。
「えーなんでよ」
「映画間に合う?笑」
「頭回らんけんとりあえず地下鉄乗ります」
「やるやん!俺も今から準備する」
彼女は僕の後悔をなくしてくれる。彼女といれば僕はわがままで入れる気がする。僕は改めて彼女と同じ時間を過ごしたいと認識する。
「映画館どこあるん?」
「四階」
「迷子になる笑」
ショッピングモールは彼女の地元にはないほど広く、彼女は迷う。
「迷路みたい笑」
僕らは迫りくる時間に追われ、合流しながら映画館に向かう。「あそこ面白かったね。ここも面白かったね」熱が帯びる僕の横にいる彼女と気温差を感じる。気を使って楽しそうにしてくれてはいるもののやはり熱していないことは熱さに敏感な僕の肌感が見逃さない。映画はアクション以外一人で見る方がはずれを引いてしまったときに気が楽である。
「七夕やけもうちょっと遊ぼうよ」
帰ろうとする僕に彼女は無邪気な誘い文句で僕は彼女の家に泊まる成り行きになる。仕様がない感じで承諾はしたが、素直な僕の口角は屈託のない笑顔を作る。
「家が汚く、勘違いされそうなものがあるから待って」
部屋の外で待たされ、鍵までも閉められる。よっぽどであろうからすごく気になる。
遊ぶ回数を重ねて仲を深めたので遠慮なくお風呂に入らせてもらう。お風呂場にあるオレンジ色の石鹸は彼女のお風呂上りと同じ匂いで僕の鼻をとろけさせる。僕は後にネットショッピングですぐに注文する。僕の生活に彼女が入り込んでくる感覚が僕の充実していた生活をさらに満たしてくれる。貸してくれたタオルで顔を拭けば僕の鼻は原型を保てていない。人間は五感で一番残るのが嗅覚である。彼女の匂いはもう僕の神経にこべりついて、忘れることはできなくなっている。彼女の匂いを嗅げば、彼女の綺麗な顔や絡ませた足を感覚が蘇ってくる。自分の匂いのように毎日嗅いでいれば彼女の匂いも分からなくなるのだろうか。毎日一緒にいたいが、彼女の匂いを感じていたい。恋は矛盾だらけに溢れている。
お風呂あがりの濡れた僕の髪に彼女は自分の匂いの一端を担っているヘアクリームを塗ってくれる。美容室に数回しか言ったことがない僕は女性に髪を触られることにひどく緊張する。しかもしてくれているのが彼女だから余計に。彼女の匂いに包まれた僕は彼女と一つになれたことへのだだ洩れの愛情が僕の船に大きな追い風を与えてくれる。
「お腹空いた」何気なく言った一言で彼女は麻婆茄子と少し濃いめの茄子の味噌汁を作ってくれる。寂しい一人暮らしを続けて忘れかけていたが、僕はこんな日常を望んでいる。味はおいしいが、味よりも僕のために作ってくれたことに舌が大きく唸りをあげる。
彼女にお礼を告げるが、反応がいつもより冷たい彼女に僕の肌は違和感を覚える。
「なんで冷たいん?」なるべく棘がないように丸めて丸めて笑みを中に入れて言う。
「仲良くなると塩対応になるっちゃんね」
できればあまあまで対応してほしい。でなければ彼女が塩対応するたびに僕の心は不安が募る。彼女が築く塩対応の牙城を僕は崩したい。
お風呂に入らせてもらうに重ねてベッドで寝させてもらう。足はすでに遠慮なく絡めさせてもらう。足にとどまらず僕は彼女の全身に触れていたい。僕は彼女のお腹を触ろうとするが、彼女はお腹を触らせてくれない。我慢できない僕はしつこく触ろうとする。彼女も前だと無性にわがままに甘えたくなる。彼女のお腹、フェイスライン、鼻の穴、歯茎を触ることで僕のオキシトシンは急激に増加する。彼女は先に寝た。彼女が寝た夜は静かで面白みがない。彼女がいない夜を楽しむために彼女の頬に鼻を沿わせ匂いを嗅ぐ。彼女のおかげで寂しい夜になったが、彼女のおかげで寂しい夜を乗り越えられる。
彼女はバイト中に社員やお客さんがいるにも関わらず、僕にハイタッチを求めてくる。ハイタッチをするのもほかの人に見られているのも恥ずかしくて断る。断るとあてつけのようにこっちを見ながら社員とハイタッチをする。するのも嫌だけど他の男の人としているのを見るのはすごく嫌だ。バイト終わりに彼女とアイスをかけて、じゃんけんをする。僕はうどん屋から近いスーパーで彼女にラムレーズン味の高級カップアイスをおごる羽目になる。自分の分はけちって、百円安いただのカップアイスにする。
スーパーから近い公園のブランコでまるでカップルかのように二人並んでアイスを食べる。彼女はアイスで酔ったのか自分をさらけ出し始める。
彼女はうどん屋のバイトが初めてであり、バイトリーダーの肩書に強い憧れを抱いている。バイトリーダーである僕に「あと一カ月で私がバイトリーダーになる」と意気込んでいる。彼女の言動から分かると思うがMBTIはENFPである。INFPである僕とは相性が悪い。納得がいかなくはない。僕と彼女は性格が真逆に近いほど違う。彼女はお客さんに平気でしゃべりかける。クラブなどの人が多く、わいわいしているところに行きたがる。しかし、僕と似ている部分が垣間見える。時節、彼女は明るさを取り繕っているように見える。僕も久しぶりに会う友達の前や大人数での集まりでは変に明るく振舞ってしまう。彼女も基本は周知の明るい彼女なのだが、ふとした瞬間に充電が切れたかのように周りの空気ごと静まっている。
アイスが空になるころには夜は更けているが、彼女はカラオケに行きたがる。バイトで疲れている僕の体はカラオケに向かえないが、彼女の家には向かえる。そもそもカラオケの楽しみ方もあまり分からない。夜も遅いので彼女に家に泊まらせてもらう。最近、自分の家より彼女の家にいる気がする。いずれは毎日いられたな。幸せな日所に妄想が肥大する。帰り道に彼女におんぶをせがまれる。
「えーきついやん」
照れを隠すためワンクッションをおいてしまう。
「お願い!」
彼女はしつこく甘えてくれる。僕は彼女に甘えるのが好きだが、同等に甘えてくれるのも好きである。彼女をおんぶする。彼女の全身が僕に密着する。僕はいつもより少し前かがみになる。彼女もバイトで疲れたのか僕の肩に顔を預ける。僕の顔の横にある彼女の頬に頬を擦り付けたくなる。でも擦り付けられない。だって僕は恋愛対象ではないから。無駄に拗れた恋愛観と実用性のないプライドで幸せであるべきこの空間を楽しめない。
バイト終わりで疲れている僕の体はお風呂を上がり、一直線にベッドに向かう。彼女は寝ている僕の唇に指を触れさせる。僕は起きているが、目を開けられない。彼女はなぜこんなにも僕の心をぐちゃぐちゃにするのか。朝起きると僕の唇はぷるぷるしている。彼女は乾燥していた僕の唇を気遣い、リップを塗ってくれていた。彼女の指の感触が僕の唇を赤く染める。
初めて社員と彼女の二人でお店を回す。初めては身体に負担が大きく、慣れるまで多くの時間を要する。それにも関わらず、彼女は営業中に返信を頻繁に返す。
「めっちゃ暇なんやけど。先輩おらんけんおもんないやんー」
彼女は僕に会いたがってくれている。それだけで僕は愛を感じるられる。一定量のオキシトシンがないと僕は寂しさに押しつぶされる。
相手に素直に気持ちを伝えられる彼女が羨ましい。僕は相手に直接気持ちを伝えるのが恥ずかしくてできない。彼女の像直があればどんなにスムーズに生きてこられたか。ないものねだりが止まらない僕は強欲な人間である。
僕はうどん屋以外にもう一つのバイトをしている。バイトから自宅までの帰り道にうどん屋の前を通る。新人ながらも懸命に笑顔で働いている彼女を見かけるが、うどん屋に顔を出す口実がないのでそのまま通り過ぎる。また常識人を演じてしまう。彼女が僕の立場にあれば、ためらいもせずにうどん屋に顔をだせるだろうに。僕は悩めば悩むほど彼女の凄さを理解する。彼女と口実がなくても会える関係になりたい。
最近、彼女の指導はもう一人の僕と同年代のバイトの人がする。うらやましい。間に入って彼女を奪い去りたい。そんな心に忠実な行動は僕にはできない。
彼女は夜に他の男とカラオケに行って、ドライブに行っている。遊んでいる男は僕だけではない。男関係が多いのはストーリーで分かってはいたが、いざその状況に立ち会うとかなりのダメージをくらう。彼女が僕を恋愛的に見ていないのが事実として僕の心を突き刺し、痛めつける。僕はもう恋愛で傷つきたくない。彼女と距離をとるべきか、僕は自分の心に決断を迫られる。
彼女と距離を置くことはできない。彼女に触れられなくなるのは僕の生きていく意味を失わせるほど僕のピースの大部分を占めている。距離を置くどころか僕は彼女を夜ごはんに誘う。七時から彼女と沖縄料理屋に行く。
沖縄料理屋は電話で予約できない。怪しい雰囲気を漂わせながらお店に着くと先客で席が埋まっている人気店であった。予備のお店を探していない僕らは近辺を歩き回り、沖縄料理屋の近くの昔からありそうな古びた中華料理屋に入る。
内装は薄暗く、薄汚れている雰囲気から味は抜群そうである。一階は人で埋まっていたので二回に案内される。二階には僕らを除いておじさん二人のもう一組がいる。僕は彼女のおかげで大好きになった麻婆茄子と彼女は炒飯と焼き餃子を注文し、二人でシェアしながら食べる。彼女は美味しそうな顔をして「美味しい」と言いながら食べる。彼女と食べるご飯はなんでも美味くなる。一品一品量が多く、会話も盛り上がり、なかなか器の底が見えない。完食しあぐねている僕らに二階にいるもう一組のおじさんらが声をかけてくる。
「君たち付き合ってんの?」
「付き合ってないですよ」間髪入れずに僕は否定してしまう。
彼女が僕を恋愛対象として見ていないのはこの前の件で分かったので彼氏面をするのがみじめで恥ずかしい。
「二人で遊んでんのに付き合ってないのか」
「はい」
「今から告るんか」
「やめてくださいよ」
笑いながらこの話題を逸らす。告っても恐らくこの恋は成就しない。告白は成就する恋愛にだけ用いるのではないが、好きな人に振られて平然としていられるほど僕のメンタルは強くない。そんな賭けにはのれない。
「告るなら男が告れよ」
「はい」
「別れる時も男が振られろよ。女に恥はかかすなよ」
「はい」
おじさんたちのありがたい説法のせいで僕らの会話はたどたどしくなる。
今の僕は恰好をつけたい。彼女に財布は出せない。
お店を出て、街中に行き、目的もなくぶらぶらする。行きなれた面白みのない場所も彼女がいれば新鮮で面白みに溢れた場所になる。現実には映画みたいな魔法はないけれど彼女が笑うとあるように思えてしまう。
気温が高く風がないじめじめした天気の下で彼女はさつまいもを買い、半分を僕に当たり前のようにくれる。僕らは湯気で汗をかきながら彼女の優しさで甘くなった焼き芋を食べる。僕は彼女のためにお金を使いたい。人のためにお金を使うのは嫌ではないが、使いたいとは思わない。でも彼女の喜ぶ顔が見られるならお金を使うのを厭わない。物をもらうよりも喜んでいる彼女の横にいたい。それだけで生きる意味になる。彼女のためなら人生をかけれる。
バイトがある日は彼女の家に泊まるようになっている。当然のように彼女と一緒に食べるアイスを持って、彼女の家に向かう。
彼女の家に着くと彼女は家を出る支度をしている。
「どっか行くん?」
「スーパー行こ」
汗にかいたバイト着のままスーパーで丸々一個のパイナップルとイチジクを買う。帰宅路の彼女はやけに距離が近い。
「近いって。汗臭いよ」
「全然臭くないよ。自然でいい匂い」
今まではこの気持ちを覆い隠せたが、もう我慢できない。履いている靴が成長するにつれ小さくなるように恋愛の成長に僕の心の大きさが追いつかなくなってきている。何度か好機はあったものの僕は漫然と同じことばかりしている。今度こそは。帰ったら告ってしまおう。
家に着くと彼女がパイナップルを切って、イチジクを剥いてくれている隙に僕はお風呂に入る。一口サイズに食べやすくカットしてくれており、また彼女を好きになる。今は彼女がなにをしても好きになってしまう。それくらい僕の好意は高揚している。残ったパイナップルを次来る時までとっておいてくれる。彼女はまだお風呂に入っていなかった。なのに僕を先に入らせてくれ、自分は果物を切ってくれていた。
彼女がお風呂から上がるのをベッドの上で待つ。彼女と少し時間離れるだけでも寂しい。
そう感じられる人に出会うのは難しい。こんな自分とは初めて対面する。「なんて告白しようか」考えれば考えるほどなにが良いか分からなくなる。
お風呂から上がった彼女はなかなかベッドにこない。彼女を呼ぶと「ドライヤーをしてくれるならいいよ」という。面倒くさいドライヤーも彼女をベッドに呼ぶためなら喜んで要求を受け入れる。
ドライヤーを終えた彼女は約束通りベッドに来てくれる。告白を考えると頭が真っ白になって、白紙のようになにも言葉が書かれていない。
「キスしていい?」
口が滑る。自分で発音した感覚もない。
「いいよ」
彼女の唇の凹凸に合わせて、僕の唇をはめる。
「大好き」
好きがこぼれる。
「急にどうしたん」
「大好き」
単語を覚えた子供のように「大好き」しか発音できない。
「私も」
彼女も僕が好きだったようだ。僕は自分が好きな人より自分のことを好きな人が好きだ。彼女はどちらも満たしてくれている。僕は彼女の口に舌を入れる。彼女を呼応するように舌を絡ませてくる。彼女の口の中は甘く、舌を引っ込められない。
僕は名字で呼んでいた彼女を下の名前で呼び始める。彼女にも僕の名前を呼び捨ててほしい。お願いしてもなかなか呼んでくれない。
彼女が僕を好きになったのは一緒に電動キックボードに乗った時からのようだ。恋愛の答え合わせの時間はその恋に悩んだほど楽しくなる。彼女の首元にキスマークをつけ、彼女も僕の首元にキスマークをつけた。僕だけの人になった気がして、彼女を独占したくなる。彼女の背中に手を回し、ブラジャーを外そうとすると「まじ」と拒まれる。次回に持ち越しになる。
次の日のバイトでお母さんに「首どうしたの?」と聞かれたらしい。
「日曜日オールしよ」
「いよ!なんする?」
「まじでいいよん?頭悪いって」
僕は何をしているんだ。恋愛経験の少なさが露呈した。
日曜日の夜に僕は彼女の家に向かう。いつもよりいいパンツを履いて、新品のコンドームをカバンに入れている。前日にもサウナに入った。僕が知っている準備は全てやってきた。
成熟した恋は語るに値しないが、僕らの恋はまだまだ語ることが山ほどある。語る奴ほど大したことはないが、自分史上最大に映画より映画な人生を送っている。