とんでもない転生者が原作崩壊させていた
伯爵令嬢アマリア・ディラックは王家主催の夜会で庇護欲そそる小柄な令嬢を見つけた。その途端、アマリアは彼女を目掛けて歩き始めた。
(絶対にあの子のせいに違いないわ!)
苛立ちを隠さずずかずかと歩くその姿はお世辞でも淑女とは言い難い。
しかし、アマリアにとってそんなことはどうでも良かった。
「ちょっと貴女!」
「は、はい……!」
アマリアが庇護欲そそる小柄な令嬢に鬼のような形相で話しかけると、彼女はピクリと肩を振るわせた。
しかし彼女は少し怯えつつも落ち着いて見事なカーテシーを披露した。
アマリアが自分よりも格上の身分だと思ったのであろう。
しかし彼女のその態度がアマリアを余計に苛立たせた。
「子爵令嬢の癖にお上品ぶっているんじゃないわよ!」
「も、申し訳ございません。その……アドラム子爵家次女、ガブリエラ・アドラムと申します」
庇護欲そそる令嬢――ガブリエラはアマリアの態度に怯えつつも、令嬢としての礼儀を欠かさなかった。
しかしアマリアはその態度も癇に障った。
「どこまで私を馬鹿にするのよ! 貴女、転生者でしょう!? 貴女が何かしたから私に今婚約者がいないのよ!? 今パターソン伯爵家のクズなダミアンと婚約していないと私はタウナー侯爵家の素敵なレオン様に出会えないじゃない! 私はレオン様と結婚して贅沢して幸せに暮らすはずなのに!」
アマリアはガブリエラにそう叫んでいた。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
アマリア・ディラックは転生者である。
彼女は十三歳になる年の春に高熱を出した。
その時、アマリアの脳内には別人物の記憶が海のように流れ込む。
それはアマリアの前世だった。
アマリアの前世は令嬢系のアンソロジー漫画に夢中になっていた、可もなく不可もない日本の女子中学生。
中学一年になったばかりの時期に、運悪く交通事故に遭い亡くなってしまったのだ。
(ここってもしかして、令嬢系アンソロジーコミック四巻の、『幼馴染優先の婚約者なんか必要ありませんから』の世界よね? やったわ! 私、ヒロインのアマリアよ!)
アマリアは熱が下がった後、鏡で全身を見てうっとりとした。
アマリアが前世で読んだ『幼馴染優先の婚約者なんか必要ありませんから』は、その名の通り幼馴染を優先する婚約者を捨てて新たに格上の侯爵令息と幸せな結婚をする物語。
ヒロインはアマリアで、アマリアと結ばれるヒーローはタウナー侯爵令息レオン。最初にアマリアと婚約しているのはパターソン伯爵令息ダミアン。しかしダミアンは幼馴染であるアドラム男爵令嬢ガブリエラを優先するのだ。漫画ではそれに辟易したアマリアがダミアンと婚約解消し、新たにレオンと出会い幸せになる。おまけにダミアンとガブリエラは落ちぶれてざまぁな展開だ。
(私、前世は真面目で悪いことをしていなかったから、神様は確実に幸せになれるご褒美をくれたのね)
アマリアはこれからの人生が楽しみになった。
しかしいつまで経ってもアマリアにパターソン伯爵家からの縁談は来ない。
(おかしいわ。漫画には十三歳の秋にクズなダミアンと婚約したって書いてあったはずなのに)
十四歳になっても縁談が来ないので、どうなっているのだろうかとアマリアは不安になっていた。
(でも、私が転生したことで色々とズレたなんてこともあるわよね)
アマリアは自分にそう言い聞かせることにした。
しかし、それでもパターソン伯爵家からの縁談が来ないままアマリアは十七歳になった。
(どうして? このままだと私、レオン様と出会えないわ! 私、幸せになりたいのに!)
いよいよおかしいとアマリアは焦り始めた。
それと同時に、アマリアが暮らす王国を賑わす話題が入って来る。
アドラム子爵家が様々な便利グッズを開発していること。
おまけにそれらはアマリアが前世でよく見かけた現代日本にあるものだった。
(アドラム子爵家……! きっとダミアンの幼馴染ガブリエラも転生者なのだわ! 私の幸せの邪魔をしやがって……!)
思い通りにならないアマリアは、ガブリエラに激しく苛立っていた。
そして、王家主催の夜会で社交界デビューしたばかりのアマリアはガブリエラに詰め寄るのである。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
「私の幸せな人生を返しなさいよ!」
アマリアはガブリエラにそう叫ぶ。
「えっと、その……」
アマリアに詰め寄られ叫ばれたガブリエラは涙目になっていた。
「ガブリエラ!」
そこへ、品のある貴婦人が颯爽とやって来てガブリエラを抱きしめる。
「ガブリエラ、大丈夫かしら? 酷いことを言われたわよね?」
「お母様……」
どうやらガブリエラの母のようだ。
ガブリエラは母が来たことで安心していた。
「大丈夫です、お母様。ありがとうございます」
「ガブリエラ……私が貴女を守るわ」
ガブリエラの母は優しげであった。
しかしその優しげな表現から一変し、アマリアを見る目は絶対零度のように冷たくなる。
「貴女……私の大切な娘に何を言ったのかしら?」
口元は笑っているが、冷たい目にアマリアはゾクリとした。
「だってそれは……」
ガブリエラの母を前にして、アマリアは何も言えなくなってしまう。
ガブリエラの母は意味ありげに口角を上げ、ゆっくりとアマリアの耳元で囁く。
「貴女に言っておかないといけないわね。アドラム子爵家が販売している便利な道具の数々……あれは私が開発したものよ」
それを聞いたアマリアはハッと目を大きく見開きガブリエラの母を見る。
「そうよ。私が転生者なのよ」
ふふっと蠱惑的に微笑むガブリエラの母である。
同性でも思わず見惚れてしまいそうになる笑みだ。
アマリアも余裕があればうっとりしていただろう。
「まさか令嬢系アンソロジーの世界に転生するなんて思わなかったわ。でも、大切な娘が破滅する未来なんて選ぶわけないじゃない。ヒロイン如きが私達家族の幸せを奪わないでちょうだい」
挑発的な囁き声だが、ガブリエラの母は諭すようにアマリアの肩に手を置く。
それにより、恐れもあったがアマリアの神経は逆撫でされる。
「モブの癖に出しゃばりやがって!」
思わず肩に置かれたガブリエラの母の手を振り払うアマリア。
その時、ガブリエラの母の手にはアマリアの爪により引っ掻き傷が生じ、うっすらと血が流れる。
「お母様、血が……!」
「ガブリエラ、このくらい何てことないわ」
青ざめるガブリエラに対し、彼女の母は優しい笑みを向けた。
「これは何事ですの?」
凛として品のある声が響き渡る。
「もう! 次から次へと誰よ!?」
色々と思い通りにならないアマリアは、苛立ちを隠そうともしない。
するとやって来た女性の護衛らしき人物が声を張り上げる。
「無礼者! このお方はこの国の女王陛下だ!」
「え?」
ガブリエラの母が転生者だったり、女王が登場したりとアマリアは頭が追いつかなくなった。
(もう、本当に何なのよ!?)
「ルシア、怪我をしておりますわね。急いで王宮の医師を呼んで治療をしましょう」
「女王陛下、この程度は擦り傷ですので王宮の医師の方々のお手を煩わせるわけにはいきません。お気持ちだけお受け取りいたします」
ガブリエラの母――ルシアは女王に対して落ち着いて対応していた。
「いいえ、ルシア。貴女の発明品には私も助けられておりますし、何より貴女は私の大切な友人なのです」
「……そこまで仰っていただけますのであれば、後程治療をお受けいたします」
「そうしてちょうだい。ガブリエラ、貴女も大変でしたね」
「恐縮でございます。ですが、母や陛下がいらしてくださり心強かったです」
ガブリエラはこの国の最高権力者である女王に少し緊張しつつも、品のある笑みを浮かべた。
女王もガブリエラと彼女の母ルシアには優しい表情を向けていた。
しかし、アマリアには冷たい表情を向ける。
「貴女はディラック伯爵家のアマリアですね。よくも我々王家主催の夜会で騒ぎを起こしてくれましたね。衛兵、アマリアを会場の外に連れ出しなさい」
「え、ちょっと!?」
先程から頭が追いつかないアマリアは、衛兵により会場から締め出されてしまった。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
「アマリア! よくもディラック伯爵家に泥を塗ってくれたな!」
「そうよアマリア! 女王陛下とアドラム子爵夫人とガブリエラ嬢に失礼を働くだなんてとんでもない!」
夜会から締め出された後、アマリアはディラック伯爵家で両親からこっ酷く叱られていた。
「それに何なの!? パターソン伯爵家との縁談や、タウナー侯爵家との縁談だなんて! 王家主催の夜会であんな嘘を叫ぶだなんて恥ずかしいわ!」
「そうだぞアマリア! それに、パターソン伯爵家にダミアンなんて人物はいない! あの家は令嬢しかいないんだ!」
「え……!? 何で!? ダミアンがいない!?」
前世で読んだ漫画と全く違う設定に、アマンダは混乱している。
「だったら私、レオン様と結婚して贅沢で幸せな生活が出来ないじゃない!」
「何馬鹿なことを言っているのよ!」
「アマリア、あの夜会の後、タウナー侯爵夫妻からこう言われた! 贅沢を好む上、妄想癖まである令嬢をタウナー侯爵家に入れるなどあり得ないとな!」
「え……!?」
アマリアは父からの言葉に頭が真っ白になった。
「レオン様と結婚出来なければ、誰が贅沢な暮らしをさせてくれるの!? 私、真面目に生きて来たのに!」
「ふざけたことを言うんじゃない! お前はディラック伯爵家の恥だ! 女王陛下も夜会でトラブルを起こされたことに怒り心頭らしい! お前のようなとんでもない妄想癖のある奴はもう修道院に一生入っていろ!」
「アマリア、修道院へ行く手続きもしてあるわ。明日、この屋敷から出て行きなさい」
「そんな……」
両親からそう言われ、アマリアは呆然とした。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
翌日。
アマリアは失意の中修道院へ向かおうとした時、来客があった。
ガブリエラの母ルシアである。
「何しに来たのよ? 私を見て笑いに来たわけ?」
すると、ルシアは蠱惑的に口角を上げる。
何を考えているか全く読めないのが恐ろしいと感じるアマリアである。
「貴女が一生修道院から出たくないと思えるような話をしてあげに来たのよ」
ルシアは妖しげな笑みだった。
「……何よ?」
思わず後ずさるアマリア。
「私が前世の記憶を思い出して、ここが令嬢系アンソロジー四巻『幼馴染優先の婚約者は必要ありませんから』の世界だと気付いた時、真っ先にまだ生まれて一ヶ月の娘ガブリエラを破滅する運命から守らないとって思ったの。前世の記憶もあるけれど、ルシアとしてお腹の中にいるガブリエラを慈しんだ時間は大切なものですもの。ガブリエラを守る為に、私が何をしたのか想像出来るかしら?」
「……ガブリエラをダミアンに近付けない?」
「まあ、それも考え付いたけれど、大切なのはガブリエラとダミアンが幼馴染にならないことなのよ。だから私、まだ生まれて一歳にもならないダミアンにたっぷりと与えることにしたのよ。……蜂蜜をね」
ルシアは妖艶な笑みを浮かべた。
「あ……」
アマリアの表情が青ざめる。
前世でアマリアが小学三年生だった時、一番下の妹が生まれた。
その時に、母親から妹が一歳になるまで蜂蜜は絶対に与えてはならないことを教わった。
アマリアはまだ小学生だったので詳しいことは分からなかったが、一歳未満の子供は蜂蜜の中に含まれる菌のせいで死んでしまう可能性もあるということだけは分かった。
だから前世のアマリアは弟と協力して家にある蜂蜜を棚の奥に厳重保管しようとして母親から「そこまでしなくても良いけど」と苦笑されたことがあった。
「流石に分かるみたいね。私はパターソン伯爵夫人と幼馴染でね。パターソン伯爵邸へ行くのは簡単だっだわ。伯爵夫人も私のことを信用し切っているから、何度もこっそりとダミアンに大量の蜂蜜を与えることなんて造作もなかったの」
楽しそうにクスクスと笑うルシア。対するアマリアは顔色が悪くなる。
「その結果、ダミアンは死んでしまったわ。可哀想だけれど、ガブリエラを守る為だもの。仕方ないわ。それに、ああいうのは男のダミアンがしっかりしないのが悪いのよ。愛する娘ガブリエラを破滅させる諸悪の根源は徹底的に排除しておかないと。だからダミアン以外に男児が生まれた場合も、同じ手口で始末したわ。ガブリエラに男の幼馴染がいたら大変ですもの」
アマリアの目の前にいるのは、紛れもない人殺しである。
「どうして……そこまで……?」
アマリアの呼吸は浅くなっている。
「どうしてって、愛する娘の為よ。愛する娘ガブリエラが破滅せず幸せになれるのならば、私は何でもするわ。ガブリエラが飢えないように、アドラム子爵家で色々と便利グッズを開発して経済基盤も盤石にしたことだし、女王陛下ともお近付きになれたわ」
ルシアは「それに……」と言葉を続ける。
「私は、愛する我が子の為ならば何でも出来る母親よ」
美しくも恐ろしい表情だった。
アマリアは「ひいっ」と小さく悲鳴を上げる。
「別に、この話を誰かにしても構わないわ。でも、妄想癖のある貴女の話なんて、誰が信じるのかしらね?」
ルシアはクスクスと笑っている。
「それと、もしも修道院から抜け出そうとした場合、私は貴女がガブリエラに害をなすものと見做すから、何をするか分からないわよ。命があると良いわね」
口元は笑っているが、低く冷たい声である。
アマリアは震えながら首を横に振る。
「絶対に……修道院から抜け出しません……!」
修道院の中にいた方が安全だと感じたアマリアである。
こうしてアマリアは修道院へ行き、生涯をそこで過ごすのであった。
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※一歳未満の子供に蜂蜜を与えてはいけません。