3.
頭を勢い良く下げたマレカに、レムは目を丸くした。
「はい?」
唐突な申し出に、レムは変な声を出してしまった。
「記憶が戻るまで、ココで働かせてください。ここ事務所なんですよね、だったら、人手が必要だと思うんです。だから」
「わ、悪いけど、そんなに繁盛しているわけじゃないし」
言っていて悲しくなるが、事実だ。だが、その一言でもマレカが諦める様子はない。先ほどまで泣いていた女の子は、頭を下げたままじっと床を見ている。レムが良いと言うまで諦めないつもりなのかもしれない。
静まり返ってしまった空気を破るように軽快なノック音が聞こえてきた。よく聞く奇妙なリズムの主は、レムも良く知っている相手だ。これ幸いと言わんばかりに、レムは椅子から立ち上がり、扉を開けた。
「どーもー、毎度おなじみの黒猫です……って、旦那、今はお取込み中でしたか?」
レム越しにマレカの姿を見た黒猫と名乗る男は、首をかしげて言った。
「いや、大した用じゃない。それより」
「なかなかの美人で、富裕層のような装い。もしかして、ようやくパトロンが付きましたか?」
からかう声で訊いてくる黒猫にレムは目を眇めて彼を見た。長年の付き合いで、レムの言わんことが分かっている黒猫は人当たりの良さそうな笑顔を浮かべ、レムの隣をするりと抜けると、勝手知ったる顔で事務所の中に入っていく。
「お嬢さん、何かお困りごとですか?」
黒猫に声をかけられたマレカは、慌てて振り返った。先ほどまでの必死な雰囲気は消え去り、突如として現れた黒猫に戸惑いの表情を浮かべて見ている。
「怪しい者ではないですよ。オレは黒猫。ゴシップから国の超機密情報まで揃えられる情報屋です」
「……情報屋?」
「レムとは昔馴染みでね。こいつの仕事に必要な情報があれば提供するのがオレの役目」
黒猫に言われていることが理解できていないようで、マレカは首を傾げた。黒猫もマレカの様子に気づいたからか、言葉をゆっくり続けた。
「レムの仕事はご存じで?」
「えっと……探偵、ということくらいしか」
マレカの言葉に、人の良さそうな笑みを浮かべたまま黒猫は横目でレムを見た。レムは素知らぬふりをして、そっぽを向く。空気を読むのが得意な黒猫は、何かを察してくれたらしく、マレカに向かって頷いた。
「そうそう。こいつはこう見えて、探偵でね。まぁ人気がない商売だし、こうやって閑古鳥が鳴いているけど、腕はオレが保証するよ」
「はぁ」
「探偵に超向いている固有能力もあるけど、そんなの関係ないくらいの腕はあるから安心してってこと。その能力ってのが」
それ以上話そうとする黒猫の口をレムは両手でふさいだ。モガモガと抗議の声を黒猫があげているが、知ったことではない。レムは眉根を寄せて、黒猫の耳元で言う。
「それ以上言うな。あいつが居座るだろ」
何が面白いのか、目を細めて黒猫はレムを見た。顔全体が分からなくても、何を考えているかはわかる。黒猫は、面白いおもちゃでも見つけたに違いない。マレカの方をそっと伺うと、マレカは再び頭を下げていた。
「本当の私を探してくださいっ」
言わんこっちゃない。レムは天を仰ぎ見たくなった。
「できるんですよね、探偵だから」
「……金、払えんの?」
一段低くしたレムの声に、マレカは固まった。
「え?」
「こっちだって慈善事業じゃねぇんだよ。僕はプロの探偵だ。僕に依頼をするならば、金が必要になるんだよ」