12.
電話で警備隊に連絡をしようとしたレムに、絞り出すように揺れた声でマレカがそう言った。振り返ってマレカを見ると、涙を目にたっぷりとためていた。ちょっとでも突っつけば零れてしまいそうなくらいで、レムはそれ以上何も言えなくなった。
「お、お願いです。自分の命を粗末に扱わないでください」
マレカに言われるほどの付き合いは長くはない。だが、この様子を見る限り、彼女の記憶に触れる何かに酷似してしまったのかもしれない。
マレカと目線を合わせるように、レムは屈んでマレカの頭をそっと撫でた。
「……悪かった。驚かせたな」
レムの言葉に床が本格的に濡れだしてしまった。レムは慌ててキッチンにあるタオルを持ってきてマレカに渡すと、マレカは嗚咽を堪えながら泣いていた。その様子を見て嘆息してからレムは立ち上がり、手近なロープでスキアを縛り上げた。よほどの一撃だったらしく、スキアは目を覚ます様子はないが、念のためだ。
この状況をどう説明するか悩みながら、レムは受話器を再び手に取り、警備隊に通報し、スキアを回収してもらうようにお願いした。
通話が終わっても、泣きじゃくっていたマレカの肩を抱きながらソファに座らせると、レムはキッチンで茶を入れることにした。
やかんでゆっくりと湯を沸かしながら、レムは右手で口元を覆った。口元に残っていた血を拭い、舐めてみる。想像通りの鉄の味がし、眉根を寄せた。いつになっても慣れない味だ。
湯気が立ち昇り始めたところで、レムはゆっくりポットに湯を注ぎ始めた。湯のせいか、早くも茶葉がお湯に色を移し始める。芳しい香りも漂い始め、レムの口元が自然と緩んだ。
しばらくしてからカップに茶を注ぎ、マレカの前にレムはそっとカップを置いた。
「これ飲んで、落ち着け」
マレカの隣に深く座り、レムは言った。俯いていたマレカが香りに誘われ、ゆっくりと顔を上げる。涙でぐちゃぐちゃだったマレカの顔が少しだけ綻んだ。
「この香り」
「気持ちが落ち着く茶らしい。それ飲んで少しは落ち着け」
女が泣くのを見るのは苦手だ。レムはそっぽを向いた。
「ありがとうございます」
ようやく安心したような声と、カップを持ち上げる音が聞こえた。
記憶を失った人が一日に二人もここに訪ねてきたのは、偶然ではないだろう。誰かの差し金か、それとも何かの罠か。
マレカと向かい合うようにソファに座りなおして、腕を組んで天井を見た。今は考えても埒が明かない。それに偶然が起きる時は起きる。これ以上、深く考えることも、関わることもしないようにしなければ良いだけだ。
「あ、あの」
マレカが声をかけてきたので、レムは目だけを動かしてマレカを見る。目元は赤くなっているが、顔色は少しだけ戻ったようだ。
「私も記憶の鍵を開けて欲しいです」
「は?」
レムは耳を疑った。
あれだけのことがあった後にもかかわらず、マレカからスキアと同じ申し出をしてくるとは思わなかった。
「……わかってるのか?」
「はい」
真剣みを帯びた目で自分を見てくるマレカに、レムは頭を抱えたくなった。
「ここは探偵事務所だと言っただろ?」
「ですが」
「記憶を取り戻すことで、精神に異常をきたすこともある。程度はそれぞれだが、無事で済む可能性は低い。お前はそれをさっき見ただろう」
レムの本当の姿でさえも。大抵の人間はアレを見ただけでも、レムと関わるのすらしなくなる。それほどの衝撃的なものを見たにもかかわらず、この女は。
「わ、私は自分がどこの誰かわからないまま生きるのは嫌です」
マレカの強い言葉にレムは顔をしかめた。
「鍵を開けるには手がかりが必要だ。それはお前も同じだ」
「手掛かり?」