11.
「僕は構わない」
揺るがないレムの言葉にスキアが口をパクパクとする。レムは自分の口元に水の塊を寄せて、口の中に放り込もうとしたところで、鈍い音がスキアの後ろからした。白目をむいたスキアがゆっくりと横に倒れこんだ。レムは驚いてスキアの後ろを見ると、ツボを振り下ろした格好のままマレカが肩で息をしながら立っていた。
「おや?」
床にスキアを転がしたレムは瞬きを何度かはっきりした。目の前のマレカは顔を真っ赤にさせながら、レムを見ていた。
「な、なにをしてるんですかっ」
「何をって?」
レムは念のためスキアが持っていた刃物を手に取り、テーブルの近くに置く。できるだけスキアの近くから刃物は離しておいた方が良いだろう。
「死のうとしないでくださいっ」
「死ぬつもりなんて」
肩をすくめて見せると、マレカは益々顔を憤怒の表情に変えた。獏の姿になったレムを見ても怖がらないあたり、変わった女なのかもしれない。くくっと笑って、マレカを見ると、彼女の怒りはまだ静まっていないようだった。
「早く戻してくださいっ」
「これのことか?」
左手で水の塊を握りつぶしてみた。びちゃびちゃと床に液体が滴り落ちた。その様子を見たマレカが小さく悲鳴を上げた。
ため息を吐いてから、レムは左手で口を覆い、口の大きさを元に戻した。人に見せるモノじゃないものを見せてしまった。目を少しだけ伏せてから、レムは自分の左手を見る。相変わらずこの手は、きれいじゃない。
「だ、大丈夫なんですか、この人の記憶?」
さっきまで怒っていた奴とは思えないほどの感情の振り幅だ。今マレカは口元に手を当てて少し青ざめている。肩をすくめたレムはマレカに呆れた声で事実を伝える。
「問題ない」
「だって、さっきの、記憶なんですよね。握りつぶして」
「落ち着け」
「し、死んじゃうんですか、この人」
「落ち着けって」
レムに肩を強く掴まれたマレカは目をぱちぱちとはっきりした瞬きをした。落ち着かせるように、レムはマレカをじっと見る。
「お、落ち着けるわけないじゃないですか。人の記憶ですよ?」
「ただの幻惑だ。上手くいくかはわからなかったが」
「げ、幻惑?」
レムの言葉に益々戸惑いを覚えた様子のマレカは首を傾げた。ため息を軽く吐いたレムはマレカに疑問を投げる。
「人の記憶を簡単に出し入れできると思うのか、お前は?」
「だって、それが能力なんですよね?」
「あのなぁ。そこまでできたら、さすがの僕でも国家機密レベルの扱いを受けていると思うんだけど」
「え?」
「相手の一部に触れていて、それで少しでも相手の頭に触れることができれば幻くらい見せることができる。能力の応用だと思ってくれれば良い」
「つ、つまり?」
「死ぬことはないってことだ。安心したか?」
足の力が抜けたのか、マレカが座り込んだ。辛うじて持ち上げていた壺もごろりと床に転がった。大した額の壺ではないが、割れると後片付けが面倒なので、割れなかったことに、レムはほっとした。壺を立て直しながら、今の説明でマレカが疑問を持たなかったことにレムは心の中で安心した。
「それよりお前の攻撃の方が物騒だったよ。さっきの一撃で死んでなきゃいいが。まぁ、とりあえず警備隊に引き渡しておかないと」
レムは立ち上がり、事務所の電話の受話器を取った。
「し、死なないでください」