10.
焦るなとレムは自分に言い聞かせた。やり方一つ間違えれば、飼い慣らしているアレが暴れだす。感情を一切消したまま、レムは二人の前に立ち止った。
「逃がすつもりじゃないんだな?」
レムは肩をすくめて見せると、スキアはマレカの拘束をあっさり解く。左腕は相当痛めつけられたらしく、マレカは庇うように右手で押さえて膝をついた。
「悪いな」
マレカの顔を見ずに、レムはマレカに言った。
「ど、どうして」
「これは、あんまり見て欲しくなかったんだけどな」
小さく呟いてから、レムは左手でさっと口に覆った。唇の両端がビキビキと割けていくのが分かる。スキアに気づかれる前にレムは俯き、相手の腕を右手で掴んだ。
「な、なにを」
言葉を最後まで言わせることなく、レムはこの小悪党の頭を左手で触れて、頭の中身を取り出すかのように何かを掴む仕草をした。シャボン玉のように透明で、粘度がありそうな、水の塊みたいなものをにゅるんとスキアの頭の中から引き出した。
「ああ、これは本当にマズそうなモノだな」
濁った塊を見て、レムはひどく残念に感じた。これは食べても旨くはない。最悪なものを引き当ててしまった。
左手の人差し指でくるくると小さくまとめるように円を描いて、手のひらサイズにした。
「これ、何かわかるか?」
腕を掴んだままのスキアに訊いたが、あまりにも衝撃的だったのか、スキアは目を大きく見張っていた。
「な、なんだよ、それ」
カタカタと小刻みに震えているところを見ると、スキアという男は本当に元々小心者だったようだ。自分を優位に立たせるために大見得を切っていた、そんなところだろうか。益々小さい男だ。
割けた唇の両端でじんわりと血を味わいながら、左掌で遊ばせている球をスキアにレムは見せてあげた。
「これは、あんたの一番大事な記憶だ」
酷く冷めた声でスキアの耳元で囁くように言ってやった。横目でレムがスキアの様子を見ると、スキアはただ目を丸くしていた。
「は?」
「獏って聞いたことがあるか? もちろん、動物じゃなくてアングラな世界での呼び名の方」
そう言われてスキアはようやく気付いたらしく、スキアの顔色がさっと青白くなった。
「お、おまえ、まさか」
弄びながら、塊を見せるレムを見ながら、スキアは足もカタカタと小刻みに震わせていた。
「この記憶を食べると、本当に記憶を失う。失えば、あんたの精神はどうなると思う?」
「ど、どうって?」
「そこまでは知らないのか。残念だな」
意地悪そうに笑ってやると、スキアは勝手にレムの話を解釈したらしく、意味をなさない言葉を発しながら、捕まっている腕を振りほどこうとした。だが、この状態になったレムの方がスキアよりも力が強い。軽く腕をひねり上げてみると、スキアは顔をしかめることしかできなかった。
「くっそぉぉぉぉぉっ」
自由にさせていたスキアのもう片方の手が懐から伸びてきた。懐にでもしまっていたのか、その手には鈍く光る刃物があった。
「僕を殺したところで、あんたのところに自然に戻るわけじゃない。僕があんたに戻さねぇとこの記憶は無くなる。つまり、死ぬんだよ」
心の中に飼っていたアレが暴れだしているのをレムは感じていた。でもこのままアイツに身を委ねることはさせない。頭の奥を冷静でいさせるため、レムは軽く息を吐いた。
「ば、ばかな。そこまでは」
カチカチと歯を鳴らしながら、スキアは言った。
「やってみるか?」
レムは軽く首をかしげて、スキアが刃物を持っている手を右手でそっと握り直し、レムの額が触れるかどうかの距離に刃物を突き付けさせてやった。
「どうだい?」
「そ、それじゃ、あんたも無事じゃ」