1.
目の前で誰か倒れている時、どうすべきか。
そんな問いを問われたことは無いが、鍵山レムは食材を抱えた大きな紙袋を抱えたまま直面していた。
日が暮れはじめ、あちこちランプが灯されるような時間に、行き倒れている人がいるとすれば、大抵良いことではないことをレムは知っている。
ましてや、それなりの美しい女の子だとすれば。
眉根を寄せてレムは女の子の傍に屈み、少女をじっと観察した。月の光のように透き通った金色の長い髪、筋の通った鼻筋、色白な肌。黒色のローブが体を覆っているが、そのローブを見ただけでも、レムの給料ではとても手が届かないものだと一目でわかる程度には高そうだった。
貴族か、あるいはそれに近い富裕層だろうか。
だが、富裕層であればこんなところで行き倒れることは無いはず。身なりがそれなりに整っているところを見ると、盗人のようにも見えない。見たことがあるようで、ないような顔立ちの少女は固く目を閉じたまま、ぴくりとも動かない。
建物が積み重ねられたこの国では自分の家や店に日が入る時間は短いし、夜に近づけば近づくほど、気温は下がる。ましてやレムが事務所を構える中級階層では、冬とも春とも言えないこの時期に、一晩宿なしで外にいたまま気を失っていれば凍死してもおかしくない。息を深く吐いてから、傍らに紙袋を置き、レムは軽く少女の肩を揺さぶった。
「おーい、こんなところで寝てると死ぬぞ」
小さなうめき声をあげて身を小さく捩るが、目を覚ます気配はない。しばらく様子を見てみたが、気を失ったままだ。さすがに事務所の目の前で凍死されては奇妙な噂が立ってしまう。
頭を軽く掻いて、レムは立ち上がり、再び少女を見下ろし、観察した。怪我をしている様子はないが、ローブは少しだけ薄汚れていた。どこかから逃げ出して来たのだろうか、靴を履いていない。冷たい路地を走り回ったのか、指先だけ少し赤くなってしまっている。訳アリの脱走者。そんな言葉が脳裏に浮かび、思わず眉根を寄せた。再び軽くため息をつき、レムは事務所の中に荷物を入れてから、少女を抱きかかえて部屋の中に入れた。
アンティークショップで見つけた革張りのソファに少女を寝かせ、手近な毛布を掛ける。だいぶくたびれているせいか、クッション性が弱くなってしまっているがこれは諦めてもらうしかない。
「どうしたもんかね」
ため息と共に吐き出した言葉をその場に残して、レムは買ってきたものを冷蔵庫に適当に詰めた。
こういう時はコーヒーを飲んで落ち着きたい。レムは水を入れたやかんに火をかけた。お湯を沸かしている間、レムは目を瞑ってキッチンに腰を掛ける。これまで仕事をしてきて、事務所前に人が倒れていたことは無かった。それだけに珍事なのだが、それだけで片付けられない何かをレムは心のどこかで感じていた。
沸かした湯を使い、レムはゆっくりとマグカップにコーヒーを淹れる。ふんわりと漂った芳醇な香りは、レムの頭脳を軽く刺激してくれた。それを楽しみながら、少女が横になっているソファの向かいに座った。
手元のコーヒーの他に、テーブルの上にはクッキーを用意した。昨日近くの店で買ったクッキーは、レムの最近のお気に入りの一つだ。ジャムを挟んだクッキーを口に放り込む。疲れた脳にゆっくりと糖分を入れるように、クッキーを味わっていると、少女の瞼がゆっくりと上がった。
瞼の向こうから現れたのは、白色の絵の具の中に、少しだけ青色を混ぜたような瞳だった。少女は何度かはっきりと瞬きを繰り返してから、辺りを伺うように目を動かした。しばらくしてレムを見つけると、小さな悲鳴と共に少女は飛び起きた。
「あー、言っておくけど、君が僕の事務所に行き倒れていたから、部屋に入れただけ。人命救助っていうやつだから。神に誓って、何もしてない」
なんでこんなに言い訳がましいことを言っているかはわからないが、レムは頬を指で掻いた。
「……あなたは誰?」