敵がいなけりゃ
「八つの眼を持つ深紅の甲龍よ。我が前に御身の姿を現し給え、大地を焦がせ! 焼き尽くせ!」
ぼくは震えていた。映画館でしか聞けないような、その凛とした声の主は終だった。終のジョブはサモナーで、今まさにマップ兵器級、最強クラスの召喚獣を呼び出し、ぼくの築いた資産価値9000万ゴールド越えの防御陣地を、全ユニットどころかすべての建造物ごと……灰燼に帰すべく、攻撃を繰り出すところだった。
まあ少なくとも、ぼくら四人の中では多少のずれはあるにせよ、そういう“設定”が共有されていた。
そして、終の演技力はすさまじかった。ぼくの個人的なひいき目を差し引いても、その場にいる全員が気持ちを持っていかれるような、真に迫るアツさが、震えるか細い喉から搾りだされるのだった。
「すごい。満点あげるネ……」
寒川さんも圧倒された様子だ。
「やった!」
終はゲームマスターからの演技力評価で得たボーナスとともに、ゲーム開始からこのかた一度も戦わなかった僕がせっせとため込んだ全財産を吹き飛ばした。
しかし、ぼくは拍手を送るほかなかった。遅れて、賞賛の音が他の二人からも響く。
「あれ、あたし、なんか、いまさら照れくさく……なってきたよ。あっあっ」
ぼくらはテーブルトークRPGで遊んでいた。陣地構築要素もある結構複雑なゲームだった。そして、演技力がゲームを左右するってのは、ちょっと変わってる。
例のビデオゲーム機は、そのまま段ボールに仕舞い込まれ、今もまだ部屋の片隅に放置されている。皆まるで禁忌のようにアレの話題は口にしなかった。そりゃそうだろう、十郎太がぽろっと口にしたその価値が――シンプルに恐ろしかったのだ。
「うぁぁぁぐっぐぎゃあぁあああ!!」
次の犠牲者は彼、十郎太だった。終の償還した甲龍は主の命令に従わず、手当たり次第世界のすべてを焼き尽くそうと飛び回っている。おいおい、どうなるんだこれ。そして、それはそれとして、こいつはこいつで、死ぬ演技上手すぎないか。
「次、紅世くんだよ」
ぽんと肩を叩かれた。
どうやら、ぼくも年貢の納め時のようだ。辞世の句を詠む時がきたようだ。
「うっ……死ぬ!」
腹に力を入れ、リアリティを込めた……つもりだったが、寒川さんは爆笑している。
そうして冬部終無双……もとい、寒川さん秘蔵のTRPG「アフタードリィ・クラフト」の第3ゲームは幕を閉じる。勝者には寒川さんの抱擁という栄誉が与えられた。えっ? たしか僕が最初のゲームでつまらない堅実すぎる勝利を収めたときは、あんなご褒美なかった気がするのだが。
「うわあ、やらかいネ」
ぼくは目をそらした。
そらした先で十郎太の充血しきった赤い瞳とこんにちわをした。
◆ ◆ ◆ ◆
気が付いたときは、朝日が昇っていた。なんとぼくは初めて訪れた女子の部屋でいきなり一夜を明かしてしまったのだ。しかも複数人の男女とともに。うち一人は意中の相手で。ベランダに出て悶々としていると、ガラッと戸が開いて、寒川さんが現れた。
「何してんの、紅世」
髪が濡れている。そう、彼女はさっきまでシャワーを浴びていたのだ。なんというか、たぶん僕ら二人は彼女にとって男という扱いをされてないのだろうか。しかも、タンクトップにダボッとしたショーツという、ぼくの目には下着と大差ない格好で現れた。
「寒川さん、なんかごめん、こんな人数で押しかけて、しかも一晩中」
「めっちゃ楽しかったネ!! また来てよ、いつでも歓迎するから」
気さくすぎるだろう。
「あとさ、サリカでいい。そう呼んでよ。あたしはずっと紅世って呼んでたっしょ」
寒川さん……もとい、サリカはベランダの縁にしゃがみ、片手を口に運び……タバコを吸う仕草をした。少し寂しそうなその姿を見て、彼女がどんな人物なのか、ぼくは今更気になりだした。
「パパがいつもここで吸ってたナ」
「そういえば、ご家族は?」
「もうすぐ帰ってくるよ、二人とも。だから、そろそろお開きだネ、楽しい時間はあっという間だ」
少しばかりの沈黙の後、立ち上がって、柵に身をもたれ、彼女は言った。
「早く転生したいなって、思ってたんだよネ。あのゲーム、楽しかったでしょ。ああいう世界に行きたいんだ」
転生。その言葉が、ぼくの背筋をゆっくりなぞった。風はぬるかったけれど、身震いがした。
「でも、まだ早いかなって、今日は思えたネ。ねえ、ほんとにお願いなんだけど」
ぼくは思い出した。彼女が押し入れの奥から取り出したゲームのパッケージ。その裏面に大きく描かれたロゴマーク。
”匡生世界協会”
その名を知らぬ者はいない、巨大団体だ。もとは宗教法人だったらしいけど、いまやエンタメ、学会、財団、そして政治の世界に進出している。
「また、あの子つれてきてほしいナ。冬部さん……終ちゃん」
「へっ?」