トモダチ
いつだったか、終が言った。寂しさって、とても大切なものだよ、スルメみたいによく噛んで、味わってみれば、そんなに悪いものじゃない、必要な栄養かもしれないって、思えたりもするんだよね、わたしスルメきらい。
その言葉を、そのまま、目の前の寂しがりやな男子に送ってみた。なんの気はなしに、つい。
「ときに、うるせえよ彼女もちに余裕たっぷり寂しさの価値なんか語られたくねーんだよ、と言わせてもらおうか」
「なんのキャラですか」
「ふむ。そこが問題なんだ。オレはついひと月前までこんなキャラじゃなかった。中学デビューしよう、イケメン目指して頑張ろう、イメチェンしてみようと一念発起して、メガネをかけることにした。髪も伸ばした。ワックスをかけた」
ああ、なるほど。事情が呑み込めてきた。
「紅世! 覚えてねーのか! オレだよ! 恩田だよ!」
「あっ」
思い出した。彼の顔をまじまじ眺めてみると、そこにいるのは確かに。小学校卒業以来、そういえば見かけなかった同級生、恩田十郎太だった。
記憶の中の彼は丸坊主で、視力はばっちりで、剣道部のエースだった。やや無骨で、少しばかり田舎者な印象を抱かせる、けれどいかにもいい奴そうに目を細めて、いつもゲハハハと笑っていた。
「あれからずいぶん長い月日が流れたもんね……人って変わるもんだね」
彼はメガネをくいッと持ち上げ、つぶやくように言った。
「年月! こっちのセリフだ。あんなかわいい女子とどこで知り合って。どんな汚い手を使ってお近づきになりやがった。おまえがそこまで落ちぶれてしまうなんて、時の流れってやつは残酷だな」
茶番に付き合ってられないや、と、ぼくは終のあとを追いかけることにした。
◆ ◆ ◆ ◆
電車に揺られること、20分ぐらいだろうか。これでもまだ半分だった。残りの20分、この沈黙が続くのかと思うと、つらい。辛すぎる。しかし、そんなぼくの心の声を読み取ったかの如く、すぐ隣に座る終が口を開いた。
「紅世くん、念のためいうけど、わたしたち、別に……恋……こいびと、とか、そういうんじゃないんだよ、すくなくとも、その、ええと今のところ」
わかってるよ、とぼくは反射的に返す。ごくりと、終が息をのむ音が聞こえる。ちょっと乱暴な返事だった。
「でも……そうだな、友だちではあるんじゃないかって、ぼくは勝手に思ってる」
「ともだち? うーん」
ええっ。友だちですらない?
ショックだった。いくら何でも、ぼくは腹の底で思っている願望に対して100歩ぐらいは譲ったつもりで、友だちという概念を絞り出したのに、そこにすら、至っていないって言いたいのだろうか。
ひどいよ、終。
「恋人よりも、友だちのほうがはるかに大切だって、そんなことを言う人もいたなあって、そういえば」
おいおい。話が脱線してきたぞ。一緒に登下校したいんだだって友達なんだからさ、というメインラインの話題を死守しなければ。ぼくは次の言葉を探す。終は、しかし時間を与えてくれなかった。
「思い出したよ。こみちって子。きみも知ってると思うんだよ、宮宇地こみちちゃん」
知らない名前だった。その名の主を記憶の中に探ろうとしたら、十中八九終の術中にはまってしまうのが分かり切っていたので、誰? と即応するも、終は目をそらして、沈黙する。あくまで僕に思い出させたいらしい。
「思い出したくないかな。わたしは、時々思い出すんだよ。すごく大事なことだって、思わない? 紅世くん。きみは、まだ、あの事、終わってないって、知ってるはずだよ。逃げちゃったら、たぶん、だめなんだよ」
いやに、真剣なトーンだった。逃げる?
確かに僕は、なんとなーく嫌な茶番劇から逃げてきたばかりだったけど。逃げる?
思い出せなかった。宮宇地だっけ。
「わたしのこと、いじめてた子」
……思い出すもなにも。忘れてすらいなかった。
そして、ごめんよ終、ぼくは確かに逃げていたかもしれない。
終に出会ってからというもの、できる限り、あの日のことは話題にしなかった。彼女に嫌な記憶を思い出させたくなかった、というのは、たぶん僕自身への言い訳だろう。本当ならば、ぼくは聞かなきゃいけないのだ。終があの日なぜあんな目にあっていたのか、彼女の長い髪を引っ張り上げ、魔物のような形相でてーんせい、てーんせい、と連呼していた女子たち――ぼくに言わせればクズな連中――が、どんな理由があってあんな行いをできたのか。
「学校にね、来てないんだよ、ずっと」