手を振って
ハンドライトを手に、いつも通り、鬱蒼とした茂みの中の細い小路を進んで、小さな明かりを見つける。山間にぽつりぽつりと並ぶ小さな民家はどれも真っ暗だったが、その家だけは眠りについていない様子だった。それが我が家だと気付いたとき、急に不安に襲われた。
玄関を開けると、すぐにリビング。
母さんがテーブルについていた。
振り返って僕の顔を見据えるその目は赤かった。
「ただいま」
返事はない。内心ほっとした。
リビングを通らず、まっすぐ階段へ。
足をかける。
「グーちゃん、あたし何にも聞かないからね」
振り返る。その呼び方、赤ちゃんみたいだ、いい加減やめてよ。言えない、今日に限って。
不意に背中に温度を感じる。
抱きしめられていた。
「なんにも、聞かないからね。でも」
母の嗚咽を聞いたのは、ひょっとしたら生まれて初めてかもしれない。
でも? その続きは、なかった。母さんはそのまま恥ずかしそうに、おやすみ、とだけ呟き、そそくさと自室へ戻っていき。
ぼくはただ立ち尽くしていた。
部屋に戻って横になる。ここ数日の出来事を振り返っていた。初めてのことばっかりだ。いじめを目撃したのも、女の子の手を取ったのも、ましてや告白なんてしたのも。
人から……好きだ、なんて言われたのも。
頭がぐるぐるしていた。朝がくるまで、この混沌がぼくを苛み続けるような気がした。
気づくと拳を握っていて、手を開くと汗がにじんだ。
そしてぼくは、なぜだろう、少し笑ってしまった。瞬間、終の言葉を思い出す。
あたしが好きなのは――
「世界、かあ」
◆ ◆ ◆ ◆
さらにまた日は流れて、気づけば目の前にゴールデンウィークが待ち構えていた。
互いの気持ちを打ち明けてから、ぼくらの関係は……たいして変わってはいなかった。相変わらずぼくは、どうやって彼女の気を引いて、笑ってくれないかなって、そればかり考え、言葉を探し続けた。
その努力とはほとんど無関係に、終は気まぐれに微笑み、そっけないリアクションをしたかと思えば、ぼくにとっては割とどうでもいい、雲の形がペンギンみたいだとか、この花は去年咲いてなかったよね、とか、そんな話題を振る。ぼくのリアクションの薄さにめげず、彼女は結構のめり込んで長々と空想を語った。
「今日はこんなとこ。語り足りないけど、時間だよ。続きは、また明日だよ。じゃあね」
僕は笑って、彼女に手を振る。終は少し眉をひそめて、少し顎を突き出し、小さく笑い、手を振り返す。どこかさみしげに。
そう。
僕らはべつに恋人同士じゃない。その証拠に、同じ駅で降りるくせに、登下校をともにすることは、あの日以来一度もなかった。ただ、互いに好きだと言いあっただけの仲だった。
不思議だとは思わなかった。恋人だとかそうじゃないとか、当時の僕にとっては――そして彼女にもきっと――未だよくわからない、手の届かない、大人の世界だったんじゃないだろうか。
「おい、そこの君」
ただ、彼女の去った静寂の余韻が、たしかに僕には痛かった。その痛みを嫌ってはいなかった。終が僕の中に確かに残した傷のように思えて、なんだか愛おしいとすら思えた。
「話しかけてくれ!」
僕の感じている寂しさと同じようなものを、終も感じてくれているだろうか。いつも、少し気になっていた。
「頼むさみしいんだ! 寂しくてさみしくて死にそうなんだ! どうか俺に話しかけて」
「うるせーよ! 誰だおまえ!」
僕ははっと己の口を押えた。ホワイトノイズ化していたその声が実在する人間のものだと気が付いたのもあり、自分が随分乱暴な言葉遣いをしていたのを少しばかり恥じていたのも、またあり。
誰に対してでもなく、ぼくは謝罪の言葉を述べた。
「すみません、少し上の空だったもので」
見ると。教室の片隅に、丸メガネをかけた男子がいた。メガネをくいっと上げるしぐさをしながら、クールで知的っぽい装いを、単に装っただけであることがまる分かりだった。
彼はそのクールな流し目から、大粒の涙をぽろぽろこぼしながら懇願するように言った。
「フッ……気が付いたようだな。では、改めて。コホン」
咳払いして、大きく息を吸い込んで、立ち上がって、長身の同級生は声を張り上げた。
「ぼっちは……イヤなんだ。うわぁあぁぁぁーーーっ」
はじめまして、作者です。と、いうわけで。
まだお話は動き出したばかりで、ある意味何も起きていないのですが。
読後感はいかがでしょうか。
もしいただけたら、ものっすごいモチベになるので、良ければ感想書いてってネ!