怪物
デッキから少し身を乗り出して、海面に白く泡を立てる飛沫を眺める。最近妙に船に縁があるな、なんて思いつつ、身を翻して、フェリーの柵にもたれかかる。船尾側のデッキはちょうど日陰になっていて、風が気持ちよかった。
サリカと付き合い始めて、もう数週間が経過していた。ぼくは捜査本部の皆と、合宿の目的地へと向かう船上にいた。
空が、青い。
「あ」
気まずそうな声がした。見ると、階段から登ってきたらしい宮宇地こみちが立っていた。両手にドリンクのカップを持っている。
「……どうも」
彼女はそう言って、言ったそばから目を逸らした。ぼくは気後れしつつも、一応挨拶を返す。
「ども……どーも!」
こみち……ちゃん、か。
勿論、ぼくは彼女に対して全く良い印象を持っていない。はっきり言えば嫌っていた。しかし。
「ちょっと話でもしない」
それを聴いたこみちが、びくっと跳ねあがったかのように見えた。
「サリカさんとは、一緒じゃないんですか」
「いやあ、あいつは」
言いふらしたつもりは無かったけれど、サリカとの関係は今や部員全員にとって周知の事実の様子だった。学校ではできるだけ、二人とも今まで通りに振舞っていたはずだけど……。やはり誤魔化せないらしい。
「船酔いしちゃってさ、部屋で横になってるよ」
「そうですか」
ずず、と飲み物が音を立てる。ストローを軽く吸ったままぼくの顔をまじまじと眺めるこみち。警戒されている様子だった。ぼくだって、警戒していた。
「私になにか?」
「なんでもないよ、ただ話してみたかった」
こみちは目を丸くして固まった後、さっきの倍ぐらいぴょこんと跳ねた。
「嫌われていると思ってましたが」
「うん、嫌いなつもりだった」
ぼくはいつだって正直だ。そんなぼくを好きだと言ってくれた人がいる。その事実が、行動力に信じられないぐらいバフをかけている、そんな気がした。
「頭の整理がしたいんだ。ぼくは混乱してるんだ」
首を傾げ、いぶかしげに見上げつつも、こみちは片手の飲み物をぼくに差し出す。
「どうぞ」
「あれ、いいの。誰かに渡すんじゃないの」
「いえ、二つとも私のです」
「そっか……」
受け取ってストローに吸い付くと、まるでシャーベットを吸っているようで、中身は恐ろしく冷たかった。微妙に甘い気がするが、冷たすぎて味が判然としない。
「混乱してるって、どういう意味ですか」
そうだ、そうだった。
「神子を見つけたあの日から、ぼくらは……いや、少なくとも僕は、協会のことを本気で憎んでる、人殺し集団だって思ってる」
こみちの顔が曇る。目線が鋭くなる。
「でも、サリカや十郎太はそんなに動じてないっていうか、アレを目撃して、目をつけられてしまった以上、協会に協力するしかないって、腹をくくってるみたいに見える。終は……協会への態度が、そんなに変わってない。知ってたのかな、協会があんな事をやってるって」
こみちはまたあの冷気の塊を軽く吸って、それから少し肩を落としてこう言った。
「ようするに、みんなの反応が気に食わないんですか」
「気に食わないっていうか、分からない、理解できない……のかな」
ぼくはまた空を見上げた。理解できない、といえば。終と出会った日のことを思い出す。
薄汚い言葉を投げつける集団。涙を流す終。
終はなぜ、こみちを許したのだろう。それを口に出そうとして、すぐに飲み込む。今はまず、協会の話だ。
「ひとつだけ、いいですか」
こみちの顔を見る。少しほほ笑んでいた。こうして見ると、可愛い気のある、どこにでもいそうな普通の少女だった。あの日の悪魔のような振る舞いが、まるで嘘のようだった。
「スミは、望んで旅立ったんです。協会が強制したわけじゃありません。そういう意味では、神子様は
……私たちは」
にこりと、さらに可愛らしく笑う。
「人殺しだなんて呼ばれる筋合いは、ないんじゃないですか」
ぼくはそれを見て、少し背筋が寒くなる。
少なくとも、だとしても、協会の後押しがなかったら、あんな風にお膳立てされなかったら、あのスミという子はまだ、この世にいられたかもしれないのに。
「罪の意識とかは、ないんだね」
少し沈黙するこみち。眉間に少ししわが寄る。斜め下へ視線が動く。意外な反応だった。
「いえ」
「だったら」
今すぐあんな事はやめろ。
転生したら素晴らしい世界が待っているなんて、宣伝はやめろ。
世の中をめちゃくちゃにするな。
これ以上犠牲者を増やすな。
言葉が頭を駆け巡る。
それを抑えるのに必死で、口がうごかない。先に喋ったのはこみちだった。
「でも、救う事はできるんです」
ぼくは息をのんだ。空には雲一つないのに。世界に、影が差していくような気がした。
「私たちは罪を犯しています。それは認めます。でも、でも」
ますます、頭が混乱してきた。こみちはいつも、どこか淡々と、余裕のある喋り方をしていた。終に土下座して見せたあの時でさえ、どこか演技めいたそつなさが見え隠れしていた。
「でも、私たちが罪を犯したから、スミは救われました」
でも、今目の前にいる少女からは、そんな余裕は見て取れなかった。相変わらずの作り笑い。しかし取り繕いながら、その目は赤くなっていた。
「私は、そう信じています」




