素晴らしき今日の始まり
終というものがありながら。
ぼくは何を血迷ったんだろう。
九王町の駅のホームで、今にも土砂降りを食らいそうな空模様を見つめながら、ぼくは自分が何をやっているのか分からなくなっていた。
「雨降っちゃうかナ」
ぼくの横にはサリカがいて、電車を待っている。デートが始まるのだ。デート。1週間前、サリカはその単語を口にした。そのすぐ後、慌てて『冗談、冗談、買い物に付き合ってほしくてサ』なんてはぐらかされたけど、どう考えてもあの時の目は本気だった。
……ぼくのことを、サリカが?
「買い物って言ってたけど……何、買うの」
「へっ」
サリカは素っ頓狂な声を出した。覚えていないのだろうか。
普段は両サイドで縛っている髪の毛を、今日は降ろしている。日の光に当たると薄いブラウンに輝く、セミロングのストレート。サリカは可愛らしい子だ。絶世の美女というわけじゃないけど、多くの人がうらやむレベルで、十分もてるはずの子だった。
「ああそう、そうだネ、買い物買い物……ええっと」
顎に指をあてている。
「あのね、画材と、それから、えっとネ」
「あ、言いにくいものだったらべつに答えなくても……」
サリカは不敵に、にやりと笑った。
「そうだネ、言いにくいものだヨ」
なんだろう。気にはなったけれど、答えなくていいといった手前教えてもらうわけにもいかない。ぼくが別の話題を探し始めると、アナウンスとともに電車が滑り込んでくる。休日のそこそこ込み合った社内にふたりで入り込む。
「ねえねえ、合宿どこ行きたい?」
吊革に両手をかけ、体をだらりとリラックスさせ、サリカが先に聞いてきた。
「うん、合宿?」
「ほら、捜査本部の……えっ知らないの」
初耳だった。大方十郎太の発案で、思いついた本人がサリカ以外の部員に通達を忘れ去っているためだろう。そのパターンが可能性としては一番濃厚だ。
「海か、山か、街か! どれがいいかナー、海山街」
なぜか指を折って行先を思案するサリカの仕草を見て、ぼくは笑ってしまった。可笑しかった、というよりも。
「サリカ、なんだかすごく元気になった気がするよ。初めて会ったときは、ちょっと悲し気だなって、実は思ってたんだ」
悲し気というのは、オブラートに包んだ言い回しだ。サリカはあの頃も明るく振舞っていたけれど、ぼくは彼女の瞳に光が差していないように見えた。虚ろな目をしていたよ、なんて言われたら、本人は驚くかもしれない。
自覚のない、絶望。
そういう風に見えた。
けれど、今のサリカは。
「あははは、何それ。紅世はいろいろ勘ぐりすぎ、考えすぎなんだヨ。変わってないネ、あたしは何にも」
わざとらしく、そう言いながら腹を抱えて笑う。笑った後、遠くを見つめて、何かに気が付いたように、静かになる。
「嘘ついたネ、ごめん」
「べつに、謝らなくても」
「好きだよ、あたし紅世が好き」
固まってしまった。電車の中だ。人がいっぱいいる。
その見ず知らずの人たちの話し声が途切れる。聴かれた。周りに。
「人を好きになったって、自覚したら、自分のことも好きになれた。この世界のことも、好きになれそうって思った」
ぼくは何も答えられない。周りの目を気にしている。気にしている自分を、恥じている。ただそれしかできなかった。
「サイコーだネ、恋って。あたし、可愛いでしょ、すくなくとも、前よりは」
「ま、前から、可愛いよ」
「恋する乙女はかわいいネー」
そう言って、ぼくの頭を撫でまわす。めちゃくちゃだ。ぼくが可愛がられてどうする。
◆ ◆ ◆ ◆
双河駅ホームに降り立つと、風が強い。湖がよく見えた。
「ね、お昼にしよ! お腹すいたァー」
改札を出てすぐ、サリカはそう言った。商店街はあったけど、随分さびれていて、まばらに飲食店があるだけだった。たしかに、昼食をとることはできそうだけど。
買い物なんて、しに来る場所じゃないよな。
その指摘は、口には出さなかった。
「ここで待ち合わせても良かったのに、わざわざ九王町まで来てくれて、ありがとネ」
ぼくらの乗った電車は、ぼくの家のある五湖橋を通り過ぎてここまで来た。サリカを迎えに、彼女の家の最寄り駅まで足を運んだのだ。無駄足だとは思わなかった。彼女の気持ちに最大限応えたいと、ぼくは思っていた。
最大限、か。
いつだったか、終もそんな言い回しをしていた。
ぼくの気持ちに、最大限、答えようとしてくれた。
彼女の言葉を思い出す。
終は、嫌みなく、偽りなく、着飾らず、自分の感情を素直に吐露してくれた。一番好きな相手まで、教えてくれたのだ。
それが、彼女の最大限だったのだろう。
なら、ぼくにも同じことをする義務があるんじゃないのか。
ぼくは決意を固め、サリカを見つめた。




