幸福論
現れたのは、見知らぬ少女。ではなく、終だった。考えてみれば、ぼくは中学の制服を着た彼女しか知らない。いつもより少しだけ短いひざ丈ぐらいのワンピースに、カーディガンって言うんだろうか、レースの花柄が合わせてある。
「悩んだんだけど、ベージュで適当にまとめちゃった……んだよ」
そう言ってから、気がついたように終は、おはよう、とにっこり笑う。
まるでデートの待ち合わせみたいだな、という自身の発想に恥ずかしくなり、視線を逸らしながら。そしてこの機会を与えてくれた十郎太に、心から感謝を捧げながら。
「めちゃくちゃかわいい」
意図せず、くぐもった声が出てしまった。それを聴いて、終は髪を抑えながら顔を背けてしまった。
ゴールデンウィークの初日。捜査本部などという謎の部活が謎に学校から承認されてしまった暁には、と、早速最初の活動が行われる運びとなっていた。
ぼくらは、他の部員2人、と特別ゲスト1人との待ち合わせ場所である十壱河へと向かうべく、電車に乗り込む。
「楽しみだね、何して遊ぼっか」
ぼくは不用意な発言をした。
「遊びに行くわけじゃ、ないはずなんだよ……」
ぼくらの目的は——少なくとも建前上は——匡生世界協会の重要人物だという、神子の捜索だった。
「でもさ、十三京、楽しみじゃない」
終は慌て気味に視線を泳がせ、観念して、うん、と呟く。
十三京市は、少なくともぼくらの住まうこの国では1、2を争う大都市のはずだった。かつてトウキョウと呼ばれていた街の跡地……というか地平線まで続く廃墟群のど真ん中に、部分的に廃墟を再利用して、新しく建設された街だという。
「こんなお洒落してる時点で、もう遊ぶ気まんまんなの、バレバレだったかな。ばかだなあ、わたし」
「めちゃくちゃかわいい」
ぼくが二度目に語彙のなさを披露すると、さっきと同様に、終は顔を背けてしまう。そして、
「やっぱり、わたしなんか挙動不審になってる気がするんだよ」
そう言ってこちらを振り向く終は、怯える小動物を思わせた。少しだけ潤んだ眼で、引きつった笑いを浮かべて。
「ひと月で、ふたりの人から、好きだ、なんて、言われるなんて、想像したことある?」
もちろん想像なんかしたことはない。ぼくにはそんな経験、この先も無さそうだし……。終にこんな顔をさせた犯人の一人はもちろん、このぼくで。そして、もう一人は。
「本気にしてるの? あの、こみちちゃんの言葉」
終はええっ、と小さく呻き、彼女の上体が少しだけ、跳ね上がった。
「……なんで、嘘だと思うの?」
「信用できない、なんか、あの子」
だって、終にあんなことしてたんだぜ。好きの反対は無関心だとか、愛憎入り混じる複雑な感情だとか、そんな風に世の中では言われてるのかも、だけれど。
「わたしは、分かるよ。きっと本気だよ。紅世くんが言ってくれた言葉とは、少しだけ、込められたものが、違うと思うけど」
ぼくの言葉と違う。そりゃそうだ。ぼくはのは本気で、衝動的に漏れてしまったものなのだから。こみちの言葉は……勝手な印象だけど、独りよがりな、自分だけの世界で育んだ、歪な感情のように、ぼくには思えた。まあ、ぼくは二人の過去について、終から聞かされた話以外、何も知らないに等しいんだけどさ。
「でも誠実さは……たぶん、同じぐらいだよ」
ぼくは何も返さなかった。沈黙が流れる。これは苦しい。何か話題を変えなきゃ、と思っていると、終は突然、クスリと笑って言った。
「ねえ、わたし、こみちちゃんの恋人になるべきかな? それとも、きみと付き合うべきなのかな?」
……おいおい。
にやけ顔を隠そうともせずにそんなこと言われたって、揶揄われているのがまる分かりで、悲しいやら、嬉しいやらだった。
「ぼくにそんなこと聞いたって、答えは決まってると思うけど」
軽く突き放すように、わざとらしく冷淡に、ぼくは応えた。
「そんなことないよ、きっと紅世くんは、わたしがどんな選択をすればみんなが幸せか、真面目に考えてくれると思うんだよ、自分のことは、度外視で」
すごいこと喋ってるな、いまのぼく等は。まるで大人になったような気がした。こんな会話を交わすことになるなんて、終に出会うまで思いもしなかったな。
ただ、大人っぽくなり切れていないとでもいえばいいのか、終の言葉の、ある部分が、ぼくには引っ掛かった。
「みんなの、幸せ? 終の幸せじゃなくて?」