だいじなこと
「うーん、しょっぱいなあ」
終はそう繰り返していた。リビングのやや奥まったところで、ぼくらは食卓に着いていた。かなり遅い昼ご飯だった。そして。
「ごめんね、うまくできなかったみたい。今度みんな呼んだとき、リベンジするね」
握りこぶしを作って苦笑いする。
とりあえず、まず味に関しては、ぼくの口にはかなり減塩志向の健康的な食事に感じるのだけど……。
終のお手製の味噌汁を味わう。
「ぼくは味見役ってわけだ」
「うん、そうだよ」
「全然しょっぱくないよ、むしろ足りないぐらいだ」
しかして。
味覚がどうという問題じゃない。ぼくは情報をいただくのだ。終が僕に手料理を振舞ってくれたという事実を、記憶に刻み、歴史に残すのだ。うまいうますぎる。わかめと豆腐。切れ端みたいなネギ。厚さのまばらな油揚げ。ありきたりなんかじゃない、最高の食材だ。
「ね、もういいの、ゲーム。せっかくうちに来たのに」
「ああうん、なんか気分が乗らなくてさ」
気分が乗らない、というのはちょっと事実にそぐわなかった。けれど、せっかく終がセットアップしてくれた最新鋭のビデオゲーム―—アレはVRとかいうらしいけど―—を、起動して3分と経たないうちにギブアップしたのは事実だった。
「嘘。ほんとはすごい引き込まれた。向こうの世界に行ったきり、戻ってこれなくなりそうだった。怖くなったんだ」
つくづく、嘘や隠し事に耐えられないのだな、ぼくは。なんて思いつつそこまで言うと、終は神妙に箸を置き、ぼくを見据えた。
「聞いていいかな。あっちの世界、どれぐらい、本物に感じられた?」
終は驚くわけでもなく、やっぱりね、とばかりに、そう聞いてきた。ぼくは……なぜだろう、図星をつかれたというか、核心に迫られたというか。心を読まれたようで、ぞわっとしていた。
「こっちより、本物だった」
それが正直な感想だった。
「そう。そうなんだよ。わたしもね、同じこと思った。一回だけ、やったことあるんだよ」
静かに、終は言った。
「協会が、作ったんだよ、あのデバイスも、中身のソフトも。転生後の世界。あのゲームは、その再現なんだって。わたしはね」
いやに真剣な表情だった。何かがのどに詰まったような、揺らぎのある、苦し気な顔。ぼくは言おうとした。なんでも話してよ、と。それを遮るように、玄関の方から扉を開く音がした。
「あっ……おかえりなさい!」
振り向くと、初老の女性がいた。
「あらら。これはこれは」
銀髪で、銀縁メガネ。品のいい感じの微笑み。察するに。
「おばあちゃん、紹介するね。お友達……かな、紅世くん」
やっぱり、おばあちゃん。そして、紹介してもらえたのはうれしいんだけど。お友達で、しかも疑問形なのをぼくは、やはり相当気にしてしまう。
◆ ◆ ◆ ◆
『終ったらまあ。かわいい顔して、やる時はやるのね、お年頃だもんねぇ。あっははは』
おばあちゃんの皮肉が、帰り道を行くぼくの心をボディブローのように抉っていた。
終は送っていくと言ってくれたが、ぼくはそれを断り、そろそろ日も落ちてきた山道を、駅へと引き返していた。ポケットからライトを取り出して、灯すわけでもなく、紐をつかんで振り回す。
あまりにも、いろんなことが起こった一日だった。
情報を咀嚼しきれていない。限界だった。
なので、ぼくはスイッチが切れたように、自動的にモノを考える事をやめ、鼻歌を歌い出すのだ。
ピーヒュー、ピー。
気分が楽になってくる。あくびが出た。
そうして、楽しい記憶だけを慎重に、掘り起こせば……
『あい……してます』
こみちという少女の言葉。その記憶が、眠たい頭に冷や水をかけた。
『早く転生したいなって、思ってたんだよネ』
サリカの言葉は、小さなとげのように刺さっていた。
そして。ああ。
思い出してしまう。
初めて招待された、終の家。最高の思い出だったはずなのに。ゲームなんてどうでもいい。楽しかった。暗い話もした気がするけれど、時間を忘れて、いつまでも終のそばにいたいと感じられた。ぼくは疑いなく彼女が大好きなんだ。それを実感できるだけで、何よりの喜びだった。だから。
向き合わなきゃな。見たくないことも、知りたくないことも、何もないはずなんだ。
思い出してしまうなら、それは仕方ない。
帰り際、ぼくはそれを見つけた。終の家のリビング、その天井に、小さなステンドグラスがあった。その中に、よく知っている模様があった。
匡生世界協会。そのエンブレムだった。