スプリット
終と話している間に、ぼくは大きな三角屋根の、黒い建物を見つけていた。公共施設かな、ホテルかな。なんてふと気になったけれど、彼女の過去に耳を傾けるうち忘れ去っていた。よもや、道を引き返したぼくらを再度迎えてくれたそいつが、彼女の自宅だったとは。屋根周りだけ見れば、お伽噺のお城のような、と形容しても大げさではない。けれども実物に近づくにつれて、近代的な設備の整っていそうな、堅牢でモダンな印象を抱かせる建物だった。
「この建物、全部!? 部屋とかじゃなくて!? 終の家、ここが!?」
「はーい。オカネモチでーす」
そっけなく、終はすこし冗談めかしてそう言った。
「上がって、いらっしゃい、紅世くん、ようこそ。わが家へ!」
気恥ずかしそうに眉を顰め、不敵に笑う終は、あまりに可愛らしかった。ぼくは見とれ、そのまましばらく玄関の両開き扉の前で両足をそろえたままだった。
中に入ると、ため息が漏れた。玄関のすぐ先はリビングで、建物の半分は使っているであろう超巨大空間が広がっていた。天井は、ゆうに建物4階分ぐらいの高さまでの吹き抜けになっていた。床は明るい木目で、バスケの試合ができそうな面積だった。実際、全体をよくよく俯瞰してみると、その部屋は、広さで言えば学校の体育館のようだった。ただし、部屋のど真ん中に盛り土、小さな木が植えてある。モダンな幾何学模様の調度品や照明が、点々と、しかしバランスよく上品なセンスで並べられている。こんなの、高級ホテルのラウンジと言われても納得してしまいそうだ。
「あのさ、ぼく、場違いすぎる場所に来ちゃった気がするんだけど」
「そんなことないよ。ほら、見てて」
目をやると、なんと。終はその場で、両手を枕にして床に寝転がってしまった。両足だけで器用に制服のソックスを脱ぎ捨て、素足になり、大の字に体を広げている。
「わーっ!」
さらに、叫んだ。悪戯っぽく笑いながら。天井に、壁に反響して、こだまする声が遅れてぼくの耳に届いた。まるでこの家のあちこちに終が住んでいるみたいだ。
「紅世くんも、やってみなよ」
「い……いや、遠慮しておくよ。それよりさ」
たしかに、今日という日のあまりにもあんまりな密度を振り返れば、体を休めたいのはやまやまではあった。あったが、初めてお邪魔した他人の家で、玄関先で寝っ転がるほど、ぼくは不躾な奴ではないはずだ。それに、さっきからチラチラと目に飛び込んできて、ぼくの注意を引き続けている光景が、そこにはあった。終のセーラー服の、上着の裾。意外と短いのだ。終は両手を枕にしているので、自然と持ち上がり……。
「終、ごめん、おへそ見えてる」
きょとんとした顔でぼくを見て、言葉の意味に気が付いてから、終は声も出さず飛び起きて、両手で上着の裾を引っ張った。それからしばらく、彼女は目を合わせてくれなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
終の家は奇妙な作りだった。外から見ればホテルのように巨大なのに、部屋はたったの3つしかない。建物の容積の大半をリビングが占めていて、そのリビングはぼくの実家がすっぽり収まる広さなのだ。
スリッパの音と、キッチンカーのガラガラという車輪の音があまりに長い時間響いたあと、倉庫から戻ってきた終とカートが、リビングのど真ん中の木のすぐ横のソファに腰かけるぼくの前で、停車した。
「わざわざ指摘することじゃないんだよ」
「え、なんのこと」
「わたしの……見えてたって、それが何、って思うよ。気にしないでほしいよ。わたしまで、なんか変な意識しちゃうんだよ」
しばらくぶりに口を開いたかと思ったら、さっきの話題か。ぼくは平謝りするしかなかった。
「ごめん、ほんとに。でもさ、あの、かわいかった」
「いいんだってば、いい加減にしないと……キレるぞ……内海紅世……」
そう言って、笑みを浮かべつつ握りこぶしを振り上げる終。どこまでも可愛らしかった。ぼくはまだまだ彼女をいじりたい気持ちにさせられたが、この辺で切り上げたほうがよさそうだった。
「縦長じゃないの、気にしてるんだよ」
ぼそりと、終はそう呟き。ぼくはぼくで、それを聴いて、なぜか恥ずかしくなった。共感性羞恥とかいうやつか、あるいは、ぼくの行動の愚かさが招いた、その結果ゆえか。その場に漂うわりとしょうもなく尚且つどうしようもない空気を一瞬で吹き飛ばしてしまうため、ぼくはキッチンカーの2段目に手を突っ込んだ。
「へえ、これが……。全然違うね、サリカの持ってたやつとは」
「最新型なんだってさ。よく、わかんないんだけどね」
スキーや海水浴で使うような、分厚いゴーグルと、グローブ。そしてそれらにケーブルでつながれた、太い金属製のベルト。それで全部らしかった。こうやって身に着けるの、と、終はぼくの手を取り、グローブをはめ、体にベルトを巻き付け、最後はゴーグルをかけてくれた。その過程で、ぼくはいちいちドキドキしてしまっていた。
「なにも見えないよー」
ふふふ、と終の声がした。
次の瞬間、その声が、どこか遠くへ飛び去ってしまうように感じた。
目の前が、真っ白な光に包まれる。
ぼくの意識は、どこか違う世界へ向かっていた。