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君を気にしない日など

 自縄自縛という言葉はあるけれど、実践する奴は初めて見た。両手を自ら縛り上げアイマスクをしたまま器用に眠る十郎太をしり目に、ソファベッドで横になる終の前に立った。両手を胸で組み、まるで……棺桶にでも入れられてしまいそうなポーズ。けれど、きれいだった。

 もっと近くで見たいな。

 膝立ちになって、彼女の顔にそっと近づく。長いまつげ。小さな鼻先。艶やかな頬。

 おいおい。これはまずいぞ。

 そして、少しとがり気味の、唇。

 ぼくは凝視し続ける。これはまずい、と理性が後ろ髪を引いても、つくづく己の願望に正直だった。きっと、それは確信が……自信があったからだろう。彼女の合意なしに唇を奪うなんて、まず起こらない。そんな行為をやりたいとは微塵も思わないし、そんな勇気すらない奴だ。自分のことはよく知っている。

 だけど、言い訳は通じないかな。

 焦りが再び沸いたころ、終が目を開け、次いで、見開かれた。驚いているのは僕も一緒だった。


「おはよう?」


 上ずった声で、終がまず僕にそう言った。


「あ……あの、鼻毛出てないかなって」


「わたし出てる?」


「僕がのほうが出てないかなって、その……見てもらおうかなって……」


まったく非合理的な言い訳だった。因果を超越していた。


「出てないと、思うけど」


「あー……そう、ありがとう」


 たまらず噴き出して、ぷはは、とのけ反って終は笑う。おっこんないいリアクションは見たことないぞ……やったね……。


「85点だよ」


 やったね……過去最高得点だ、ウレシーイナ。ぼくは心で涙を流した。うれし涙だ、断じて。

 背後で大きな音がして、ぼくはがばっと身を起こした。


「はいはい、ごめんネ邪魔して。ごちソーサま」


 見るからに腹を立てた、笑顔の寒川さ……サリカがそこにいた。



   ◆ ◆ ◆ ◆



 サリカに電話を借りて、家に留守電を入れ、お礼を言ってから。

 筋肉痛でまともに歩けない十郎太の肩を担ぎながら、ぼくは汗だくになって道を行く。

 終が手伝おうとしてくれたけど、それを丁寧に断りつつ。ぼくがもし歩けなくなった時に、それは頼むよ、と付け加えて。


「ひょっとして……紅世くん、わたしが他の……いや、うん、なんでもないよ」


 その洞察は最も限りなく正解に近かったけれど、嫉妬心を晒すことの恥ずかしさが勝り、ぼくは努めて涼しい顔をした。


 駅が見えてきた。九王町(くおうちょう)駅。このあたりは、ぼくと終の家がある五湖橋(いごばし)駅と比べたら大都会といえる。なにしろ駅前にファミレスがあるのだ。コンビニだって2軒もある。多少歩けば、ドラッグストアやカラオケ屋なんかもあるらしい。

 すごい凄すぎる。田舎者の僕なんかは気後れして長居は無用とばかりに逃げ出したい気持ちが湧いてくる。なんてのはまあ、冗談だけど。

 見上げると、ぼくらと同い年ぐらいの集団が談笑している。

 はっと我に返り、ぼくは呟く


「土曜日でよかった」


 どこか高揚した気分で、学校に行く気にはとてもなれなかった。ぼくらは改札で切符にスタンプを押して、ホームへ向かう。ちょうど電車が入ってくる。まあ、名前こそ昔の名残で電車と呼ばれているけれど、実際には内燃機関で動いている。


「ここまででいい」


 電車の座席に抱えていた彼を下すなり、十郎太はそうボソッとつぶやいた。十郎太の帰るべき駅はぼくらとは反対方向だったので、そのまま電車から降りようと背を向けると。


「紅世よ、例のブツ……必ず、かならず取り戻すんだ」


「いやいや、あれはサリカの物だろ」


 終がクスクスと笑う。


「そんなにゲーム好きなんだ?」


 ……いやいや、十郎太の場合は意味が違う。きっと。


「ふたりとも、今度遊びにおいでよ、わたしの家」

 

 ぼくはわが耳を疑った。それは二重の意味で、だったかもしれない。


「いろいろ、置いてあるんだよ、ほんとは。あんまり人に言わないけど……」


 驚愕は続く。家に誘われたというこの上なく素晴らしい事実の上に、その対象に十郎太も含むというとんでもなく抵抗のあるファクターの上に、さらにさらに。

 ひょっとして終の家は……とんでもないお金持ち?

 ビデオゲームは実際、相当に高価な娯楽だ。ぼくの記憶にある限り、ぼくがそれに触れた経験は一度だけ。大昔、両親に連れて行ってもらった遊園地で遊んだことがあるぐらいだった。


「わたしは、全然やらないからね、せっかくあるのに、勿体ないと思うし。サリカも誘って、さ」


 ぼくの気持ちをその場に置き去りにして、電車は動き出す。


「あっ!」


「あっあっ」


 反対だったのに。降り損ねた。

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