助けの手により一歩前進
放課後活動の聖歌隊の練習時、フィン先輩がヨナスの世話を買って出てくれていた。僕が付き添うと進言したが、部外者が居ていい気持ちになる生徒は少なくないと言われたからだ。聞いては居たが、聖歌隊は閉鎖的で途中入隊の例はほぼ無い。
それに比べると演劇の方は随分と解放的だ。人が足りないと関係の無い生徒まで借り出されるのは日常茶飯事だった。こんな僕でも何度かそれに駆り出された事があった。
この日の昼休みも定位置になってしまった場所でフィン先輩に報告をしていた。今は主に聖歌隊の練習でのヨナスの様子と、部屋での様子の情報交換だ。時に代わり映えのない報告の内容だったが、事態が膠着してしまっていてあまり良くない状態であることは確かだ。
「僕は歌うのが好きでね。故郷の教会で毎週歌うのが楽しみだったんだ」
「規定外の相談はお金取りますよ」
「君の家お金持ちじゃなかった?」
「家はそうですけど、僕自身一銭も稼いでいないのに先日散財してしまったんです」
「意外だ、浪費ぐせがあったとは」
「好きに受け取ってください」
「でも生徒同士での金銭の授受は校則違反だよ」
「知っています」
今ヨナスは何度目かの事情聴取を受けている。もう学校はヨナスが授業に出ないことに対して関与しないという態度を取ることを決めたようだった。それもそのはず、学校は未だに犯人探しに躍起になっていて、聖歌隊員もヨナスの組の生徒も余すことなく全員が事情聴取されていた。
僕としては犯人探し自体はヨナスにとって重要なことではないと思っていた。
「話は戻るけど、僕は歌うことを望んでこの学校へ入学したんだ。そういう生徒は多いんだ、故郷では誰よりも秀でていた。歌に聖力を僅かにでも乗せることができた僕らは、故郷では何かともてはやされたんだよ。いずれはラドシュカか、イゼルシュカか。トーテシュカになれるかもしれないと、故郷の教会の神祇官に言われるんだ。特別な自分に舞い上がって、きっとヨナスがいなければ、特別がたくさんいるんだ程度で済んでたんだろうけど、でもヨナスはどこの誰よりも頭いくつも抜いて特別だったんだ」
「羨望の対象になれこそ、嫉妬の対象にするのはおかしいでしょう」
「彼が普通の生徒ならね」
「ヨナスは、普通の生徒です」
「まともに会話できていなかったというのに?」
「それは受取手の決めることです、僕はあれが普通だと思っています」
「それはヨナスにとっての普通だよね。千差万別とは言っても、加減がある。現にヨナスは誰にも馴染まなかった。君たちにだってそうじゃないか。甲斐甲斐しく彼の様子を気にして、話しかけていると言うのに」
少し怒気を孕んだ声色に、僕は様子を伺うことしかできなかった。こんなことを考えていたのかと、僕は驚きを隠すのに必死だった。フィン先輩はいつも穏やかで、彼の言う暗い感情をどこに押し込めているのか気になっていた。
でもその実すぐ側にそれはいて、彼は大人だから上手に隠すことができていただけだった。
「歌うこと以外どうでもいい子だと思っていたんだ」
「そうじゃないですよ」
「そう、みたいだね。でも犯人を庇っているんだと学校側は思っているけど、ベンヤミン、君はどう思っている?僕としては本人、本当にどうでもいいと思っているようにしか見えないけど」
「あれは本当にわからないんだと思います。犯人を見ていないんじゃなくって、見なかったんです。誰だろうと関係なかったんです。ヨナスはどうすれば自分に必要以上の危害が加わらないかを知っていると思うんです」
「それはお家の?」
「はい。ただじっと、待つんです。終わるのを……、目も耳も心も全て閉ざして」
想像は容易かった。母親が何時間も悲鳴のようにヨナスを否定し続けるその姿は、手紙を読めば誰にだって想像できた。ヨナスは見ないこと、聞かないこと、口に出さないことで自分の心を守っているのだ。
「学校側は犯人を見つけたとしてどうするんでしょう」
「放校処分だと息巻いているよ」
「閉じ込めなんてそんなに珍しい話ではないのに」
「そうだね。でも相手が悪かった」
そうしてどうにかしろと言う学校が舌の根も乾かぬ内に、その原因をどんどん作っていく。特別扱いするからこうなるというのがわからないんだろうか。ただでさえヨナスの歌も聖力も特別なのだ。
学校は神の前では皆平等と謳っても、ヨナスは特別が存在することを知らしめる道具にしてしまっている。
「今この時間が大いにヨナスのストレスになっていると思うんです」
「それを思って何度か掛け合ったけど、無駄骨だったよ。学校側も意固地になっているんだ」
ヨナスのストレスのおかげで、僕の睡眠時間は減っていた。
なんとか寝る時間を確保したかったが、どの時間も削れず確保が難しい。まだ日中にあくびをする程度で済んでいるが、長期化すると体にも思考にも影響が出そうだ。ルカもパオルも毎回ついていくことはないんだと、言っていたがどうしても心配が勝る。
それになんだかんだ言って、僕らはヨナスの歌声の中毒患者だった。文句を言いながら僕ら3人は毎晩ヨナスの歌を聴きに屋上へ上がっていった。これでは本当にヨナスは第五の神ユマカの眷属、奏の神ワズオムではないか。
ワズオムの歌の虜になった人々は言葉も寝食を忘れ、ただワズオムの歌を聞いていたため、マハネ神とユマカ神の怒りにより声を取り上げられ楽器を通してしか音楽を奏でることができなくなったという話が聖書にある。
「ここからが本題なんだけど、役員の1人が見回りの巡回図を作ってくれてね」
「巡回図?」
「これを見ればどの時間にどこを見回っているかが一目瞭然なんだよ。神祇官によって時間や順路にバラつきがあるけど、明日なら確実だよ。どうする?」
「どうするも何も、頂いていいんですか?」
「君たちのために作ったものだからね。決行するなら後押しするよ」
「ぜひ、ありがとうございます」
小さく折り畳まれた地図を大事に手渡してくれる。今役員はフィン先輩を除いて学校側の横暴に義憤を抱く生徒のケアに大忙しだ。それなのに騒動の中心であるヨナスのために巡回図を作ってくれるなんて、と僕はありがたくそれを受け取った。
開くと事細かに書かれている。きっとこれは数人の叡智の集合体だろう。まとめたのは1人かもしれないが、神祇官の巡回に同行した役員が協力してくれたのだと見てわかる。
「でも、どうして」
「ヨナスのファンはアンチよりも多いんだ。それにほぼ毎晩彼の歌声を聴けるのはありがたいけど、それがストレスからくるものだと知ると痛々しくてね」
「ありがとうございます」
「必ずパオルを連れて行くこと、いいね」
「はい、わかってます。前回で大体の街並みは把握しました」
「健闘を祈るよ」
フィン先輩のくれた巡回図は事細かに書いてあった。正門や裏門も通らずに学校の敷地外へ出る方法まで詳細に書かれている。これは僕以外には見せてはダメだと、この巡回図自体秘密にしなければと心に決めた。
注釈に下見は怪しまれるので厳禁と書かれている。
「ということなので、パオル申し訳ないけれど明日決行します」
「別に構わねぇが、一晩で見つけられるのか?」
「見つけないとダメなんですよ。なので明日は補講はフィン先輩の手回しで休講になりました。授業が終わったら仮眠をとっておいてください。僕も寝ます」
パオルは僕の頭をポンと撫でた。
「良かったな」
「はい」
「なので、今日は明日の分まで進めましょう」
「はぁ?」
「冗談ですよ。でも、随分と読めるようになりましたね」
「お前のおか…
バタンと勢いよく開かれた扉の向こうには、顔に傷を作ったルカが立っていた。痛々しい傷だが、表情のせいか痛がっているようには見えない。
「え?何?どうしたんですか」
「なんでもなくはないけど、ベンヤミンのせいだと言ってもこの傷は治らないだろう?」
「僕のせい?」
「言葉のあやだよ」
「ルカ、誰にやられた?」
「誰でもいいだろ?」
「よくないです!」
思いの外大きな声が出て僕自身も驚いてしまった。ヨナスの件があってすぐだ、心配しないほうがおかしいと自分自身に言い訳する。
「びっくりした。声大きいよ」
「すみません。自分でも驚きました」
「で、どうした。それ、リンチか」
「リンチじゃないし、言いたくない」
「頑なですね」
「僕にだって知られたくないことのひとつやふたつはあるんだ」
「僕は君について知らないことだらけですよ」
ルカは僕に向き合って、優しく頰を撫でた。細い指と、少しだけ低い体温を頰に感じる。その白い肌はまるで透き通るようで、僕の色とは大違いだ。
「悪かったよ、気が立ってた」
「こっちこそごめんなさい、良かったら手当させてください」
「うん」
ルカを椅子に座らせて、勝手知ったルカの机から消毒薬と包帯なんかを取り出す。おもむろに脱いだルカの全身は傷だらけだ。これでよく顔が歪まないなと関心してしまった。
頰から目にかけての腫れて内出血しているのか赤紫色になって、何度も叩かれたように見える。首を強く締めた後も見える。腕は踏まれたのか、こちらも赤紫色に腫れ上がっている。
背中は幾重にも重なったミミズ腫れが痛々しく何箇所か小さく出血している。手首と足に縛られたような跡が見える。足自体もあちこち内出血だらけだ。
「これで聞くなって、拷問です」
「ヨナスの夢遊病が治ったら教えるよ」
「ルカは、本当にヨナスが大事なんですね」
「だって、天使だもん」
「前も言ってましたね」
「あの歌声に僕の心は救われたんだ」
「そう、なんですね」
僕は勝手に流れ出てくる涙を必死に止めようと唇を噛んだが、ボロボロと雨のように落ちてしまった。視界はすっかりぼやけ、手当どころではない。
「あとはオレが代わってやるから、お前は顔を洗ってこい」
「ごめんなさい、ルカ。ありがとうございます、パオル」
僕はパオルにその後の手当てを任せて顔を洗いに行った。ルカは僕のせいではないとは言ったが、あの様子だと十中八九僕が起因だろう。きっとヨナスの件が片付くまで、絶対に教えてくれはしないのだろう。ルカはそういう人だ。
口は悪いけどいつでも僕らを気遣ってくれている、僕らを見てくれている。ああ神様、僕は僕自身を助けてくれとはもう祈りません。どうかどうか、彼らを救う力をお与えください。
僕はどこにいるのかわからない神に、止まらない涙をぬぐいながら必死に祈った。
予定通り僕らは仮眠を取り、夕飯を食べた。学校から出るのは時間的にまだ見回りが無いので問題はない。帰りは帰りで考えようと、お得意の楽観視をすることにした。それでも制服を着てはいないので見つかれば怪しまれる。
「流石にブカブカなのはおかしくないですか?」
「お前の服は小綺麗すぎていけねぇし、そんなもんだ。こないだでわかっただろ?」
「そうかもしれませんが、もしお店が見つかってご挨拶するのにこんな格好は…」
「こんな服で悪かったな、それでも俺の一張羅だよ」
前回の教訓から、今度はもっと目立つことになるとパオルの服を借りた。ブカブカは子供なら珍しくないと言うが、そんなものなのだろうか。記憶を辿るが、つい最近のことなのにさっぱりと思い出せない。姿を見ていないのか、僕自身そうやって見ていなかったのか。
街に出ると随分と賑わっていて、お酒とタバコ、美味しそうな料理の匂いがあちこちから漂ってきた。休息日の昼までは見ることのできない光景だった。僕は本当に軽く考えていた。
歌えるようなお店なら、どこかしらから音楽が聞こえてくるだろうと。しかし、思った以上の喧騒でそれどころではない。歌声ひとつ、ミュロリオの音ひとつ聞こえてこない。
「この時間はいつでもこんなに騒がしいのですか?」
「まだマシな時間だ。酒が進めばもっと騒がしくなる」
裏路地の呑み屋街をぐるりと一周する間に、子供だからと何度か難癖をつけられそうになった。パオルの機転によりうまく回避できたが、到底僕一人では無理だっただろう。途中で空いた酒瓶に水を入れて何をするのだろうかと思っていたが、良い小道具になってくれていた。
父親に酒を買いに行かされて帰っている途中、と言うのはなんとも良い逃げの口実になるようだった。そしてこの闇夜とホブニ石の灯は肌の色を誤魔化してくれているようで、二人共黒い髪だったこともありパオルと兄弟に見えるらしい。
僕らも持っているが、すれ違う人みんなロロア石を持っている。これがあればエンゾザから守られると言われている石で、この国でしか採れない希少な石だ。みんな成人男性の親指の先ほどの大きさのロロア石を腰にぶら下げている。
人の頭より大きなものを採取できれば一生食べるのに困らないと言われている。一攫千金を目指して鉱山に入る人は少なくないし、僕が勘違いしたように子供が入れられることもあると聞く。
「あんだ?ガキが何してる。エンゾザが出るぞ」
「親父の使いだよ。この酒瓶が見えねぇのかよ」
「弟のお守りと親父の使いなんて、大変だな坊主」
「だははは。ちんまいの、兄貴に迷惑かけるなよ」
このやりとりを酔っ払いの集団ごとに行っているため、そろそろ僕はげんなりしてきたのに、パオルはなんともない顔をしている。
「兄弟ですって、僕たち似ているように見えるんですね」
「さあな、ホブニ石の灯だし、酔っ払いの言うことだ、まあ気にすんな」
「僕は嬉しいですよ」
「嬉しいのかよ。意味わかんねぇ」
「そのままの意味ですよ」
「そうかよ」
「それに今回のことも、僕はとても嬉しく思っているんです。だから感謝してもし足りません」
「そりゃお互い様だ、それに俺もお前らに何かしてやりたい」
「でも、僕にはそれに対して対価があります」
「たいか、ああ、何か別のとこから貰えるのか。気にするな、そんなこと抜きに俺はお前に最初に貰っちまってるからな」
少しずつ理解して貰える言葉が増えているのを実感した。成長し続ける彼を見て、僕にも何かができるという自信がついた。もっとも彼が休まずに勉強しているからだ。だけどその足がかりを作れたことを誇りに思える。
「ダメだな、もう一周するか」
「そうですね、まだ時間はあります」
「だがあんまり遅い時間になると、もっと危ないのが増えるからな」
「そうですよね、もう一周してダメだったら機会を改めるか、作戦を練り直しましょう」
付かず離れず歩く僕たちは必死に耳を澄ませた。またの機会なんてそうそう訪れないだろうし、今日も誰にも見つかることなく部屋まで戻ることができるのかさえも危うい。そうなれば二度と抜け出すことは叶わない。
そもそも無事にここから帰ることができるかも問題だ。突然パオルが立ち止まり、僕はそれにぶつかってしまった。
「なんか聞こえねぇか」
「本当に?」
「ああ、まだ1本奥だ」
パオルの誘導に着いて行くと、確かに音楽らしきものが聞こえる。僕らが求める店であってくれと願いながら、その音を辿った。
だんだんにホブニ石の灯の光から遠のいて不安が募るが、目の前を歩くパオルの背中はとても安心感を与えてくれた。
珍しくポケットから出された手には、レザメットが巻かれている。それはいつものことではあるが、今は殊更痛々しい程に強く握られていて、パオルも緊張しているのだなと見て取れた。
こんな日でも彼は片時もそれを手放したりしない。
しばらく行くと、ホブニ石の灯もない路地にポツンと明るい光があった。音はその店からしているようで、景気の良い華やかな音楽や笑い声が聞こえてきた。
「ここだな」
「ここですね」
「どうするんだ?」
「子供が入って大丈夫な店でもないですしね。また明るい時間に来ることにしましょう」
「そうだな。酒飲みの時間を邪魔しちゃ悪りぃしな」
道しるべになるものをメモしておこうとは話して、立ち去ろうとした時上から大量の水が降ってきた。2人して全身びしょ濡れになり、思わず立ち往生していると、店の扉が勢い良く開いた。
「強運というかなんというか」
「僕は今日、神のおぼしめしという言葉を初めて体感しました」
そして僕らはその場で神へ祈り感謝した。
学校において、この祈りというのはあらゆる場面で行われた。特にパオルは何かにつけてよく祈りの姿勢を取る。普段、僕らは男なので、全ての神父、ルクト神へ祈るのだが、簡易的なものだけなら人差し指と中指で菱形を作り額より上へ上げて祈る。正式には膝をつかないように腰を落として下を向いて頭上で菱形を作る。
女性は全ての神の母、ハウエ神へ祈るので親指と人差し指で楕円を作る。
ルカは面倒臭いと言うが、なんだかんだで祈りの姿勢を取っている姿を見る。僕もその一人だが、ヨナスは自分が祈りの姿勢を取っている回数よりも祈りの姿勢を取られている回数の方が多いように思う。
「すまねぇ、大丈夫か?」
「あ、はい、大丈…くしゅんっ」
「大丈夫じゃねぇな、まあ入れや、兄貴の方も」
店内へ入ると、染み付いたお酒とタバコの匂いに軽くむせそうになった。パオルは馴染みのある匂いなのか、全く気にしていない様子だ。慌てた店員がタオルを大量に持ってきて、僕たちを大げさに拭いた。そしてどこからか店主が甘い匂いを立てた、熱々のミルクを持ってきてくれた。
「すまねぇな、こんな時間にこんなところ歩いてるなんて思わなくってよ。ところで、お前らなんでこんなところを歩いてんだ?ガキがうろつくにゃ、ちと遅い時間だろう」
「え、っと、僕たち、こんな格好していますがユマカの生徒です」
「あ?あそこは厳しい門限とかあるんだろう?」
「ありますが、その、ちょっと問題を解決しなくてはいけないので、校則違反をしているんです」
「どう言うことだ?」
店長は怪訝な目を僕らに向ける。ユマカの生徒だと信じていない様子だ。どうしたら信じてもらえるのか考える。きっと店長は良い人だ。ヨナスを預けても良いと直感でわかった。
「実は、ここのようなお店を探していて、是非とも僕たちのお願いを聞いて欲しくて……、本当は後日訪ねる予定だったんですが、今日は探すだけの予定だったんです。ご存知かわかりませんが、休息日の礼拝で聖歌隊のソロを歌う生徒がいます、その生徒がある問題を抱えていて僕たちはその生徒の問題を解決したいとこうして校則違反をしているんです」
店長は目を丸くして驚いているように見える。
「知ってるも何も、この街にいてそいつを知らない奴はいねぇさ、ましてやこんな歌を扱ってる店の店主だからな知らない訳がねぇ」
「ご存知なら話が早いです、単刀直入にお話しします。その生徒は女性の格好をしたいという欲求から夜な夜な女性の格好をして徘徊しては、屋上で歌を歌っています。その生徒はそもそも、そのような性癖をご両親に咎められ聖力が高いにもかかわらず、神祇官が面談の末ようやっとユマカの生徒になれたのです。学校に入ったことでその性質がご両親の望む形に矯正されたか確認する全く同じ内容の手紙が、毎週届いてもいます。それも原因の一旦となり、夢遊病といって自覚のない状態で徘徊をしているのです。学校中に奇怪な噂が流れ、その生徒の立場は悪くなる一方なんです。その噂を突き止めようとする生徒もいて、学校全体が浮き足立っている状態になっています。本人に自覚がない以上、どう扱っていいのか答えが出ていません。その噂の収束のため、彼の宿願を成就させたいと考えてこうして訪ねさせていただきました」
一気に捲し立ているように話してしまって、話し終えた瞬間に後悔した。あまり色よい答えが出て来ないような顔をしている。
「おっと、ちょっと待て、ちょっと待て。どうしてお前らはいつでもそう難しい言葉で話すんだつまりは何が言いてんだ?」
何を話したいかは用意していたが、どう話すかは考えていなかった。視界の端でパオルが呆れた顔をしているのが見える。
「すみません、えっと、どこから?」
「つまりはそいつが女の変装して、寮内をうろつくから、亡魂だのなんだのって生徒の間で噂されてて、正体を暴こうとする奴らがいたりして困ってるんだ。親もそいつが女の格好するのをよく思ってなくて、そいつを否定する言葉ばっかり並べた手紙を、飽きもせず毎週欠かさず送ってくるんだよ」
「つうことは、なんだ。ここでその子に女の格好して歌わせてやって欲しいってことか」
「そうです、お願いできませんか?」
「もちろん、ここで歌うだけの力が無けりゃ、断ってくれて構わねぇ。聞くだけでも頼めねぇか」
「お願いします」
僕たちは深々と頭を下げた。
「賛美歌を歌うみたいに歌われちゃ、かなわねぇが聞くだけなら」
「あらやだ、そう言って、タダで聞きたいだけじゃないの?店長彼のこと好きだものね」
店員と思われる女の人が奥から出てくる。色鮮やかなドレスが目に眩しい。
「そうよ、眠いからって今まで行ったことがなかったのに、その子が歌ってるの聞いてから毎週律儀に通ってるじゃない」
「おいこら、バラすな」
「あたし、聞きたいわ、このお店に連れてきてくれるの?」
「は、はい」
それからあれこれと質問されながら、ヨナス自身のこと、ご両親のこと、学校のことをパオルと共に繰り返し説明した。店主は僕らの友情にとても感動して、最終的には是非にと言ってくれた。
次の外出日の午後から連れてくると約束をしてから店主に表通りまで送ってもらった。それから例の巡回図のおかげで神祇官の気配すら感じることなく無事に点呼前に戻ってくることができたのだ。
点呼後に軽く報告してほしいというフィン先輩を招いて報告をする。
「それから店の店主が慌てて僕らを店の中に引っ張り込んだんです、タオルで全身拭かれました。まだお店は開店前で、歌手の方が練習していたんです。お店の開店時間は表通りに近い酒場の酔いが回ってきた頃と言っていましたが、僕らがお邪魔した時間から考えて、多分ラドスの刻くらいだと思います」
例の巡回図のおかげで神祇官の気配すら感じることなく無事に点呼前に戻ってくることができたのだ。
点呼後に軽く報告してほしいというフィン先輩を招いて報告をする。
「もしかしたら明確な開店時間は無いのかもしれないね。その日の気分と一番乗りのお客で開店時間が決まるのかもしれない」
「確かに、そんな雰囲気でした」
僕にはわからない世界だった。子供だからと言うわけでは無い、きっと住んでいる世界が違うのだ。
僕の周りでは演奏を聴きながら食事やお酒を嗜むと言う習慣は無いし、もしあっても演奏家を招いての午餐会や晩餐会だった。
「店主はこんな時間に子供がウロウロとしてと、大変ご立腹でしたが訳を話すと驚いていました」
「なんて言ったんだい?」
「別に大したことは言っていませんよ。事実をですね、かいつまんでお話ししました。教会でソロで歌ってる生徒を知っているかから始めて、その生徒が女性の格好をして歌いたいと切望しているで締めました」
「端的だね」
「ちゃんと他に色々と説明しましたよ、ヨナスに対する嫌がらせの件などは言いませんでしたけど」
「それを応援してやりたいって話をすると、いたく感動していましたね。実のところ、パオルが一番熱く説明してくれました。僕が説明するとどうも堅苦しくて理解しにくいみたいなんです」
「なるほど、彼はいろんな面で役に立ったんだね」
「迷惑かと思ったのですが、本当にありがたかったです」
そう言って本人を向くと、ふてくされた顔をして辞書片手に聖書を読んでいる。どうもフィン先輩とは意地でも会話したくないらしい。そのフィン先輩はこの状態に慣れてしまっているのか、特にそれに対する反応はない。
「話は戻りますが、一応ヨナスのご両親の話と夢遊病の話はしています」
「それを話すなら、嫌がらせの件も話しても良さそうなのにどうして?」
「ヨナスが現状、問題視していないからです。もちろんストレスの要因のひとつでしょうけど。それよりもあの毎週送られて来る手紙の方が問題だと思うんです。今は僕をていのいい預所だと、事務員が僕を見るたびに渡してくるのでそのまま預かっています」
「それはまた問題だけど、とりあえず聞かなかったことにするよ」
「そうしてもらえると僕も事務員も助かります。ともかくそんな特殊なことですから、理由は明確である方がいいと思って、ある程度隠さずに話をしました。それに同情も引けますし」
「でも、喋らないことに言及されたらどうするの?」
「元々口が重いで通します、特殊な家庭環境で歌えるけど喋れないでもいいと思いますし。そこはヨナスをお店に連れて行った時に、臨機応変に対応します。最悪嫌がらせの件もお話ししなくてはいけないでしょうけど、あまり品位を落とすことを学外で口外したくないというのもあります」
「確かにそれは一理あるけど、そんな学校だということは割と周知されているし、気にするところではないけどね」
「そうですけど、前述の通りでもありますし、ひとまずはこれでいこうと思います。そもそも知らない人の前では喋らないですし、自由な格好で歌えればその内喋れるようになるんじゃないかとは思っています?」
「随分楽天的な答えだね」
「性分なんです」
「それで、次の休息日にヨナスを連れて行くんだね」
「はい、ヨナスが了承してくれればですけど……、夢遊病の件、ヨナス本人は知らないことですから、どう説明したものかと悩んでます」
当のヨナスは夢の中だ。彼は一度寝てしまうとどれだけ揺すろうが何しようと起きない。
ルカは僕らの報告に話半分と言ったところで、本を読みながら時々会話に参加してきた。
「もし行かないって言われたらどうするの?夢遊病の件とか本人に話すの?」
「もちろん話しますよ」
「酷なことだと思わないの?」
「ヨナスは向き合うべきだと思うんです、ひとつでもふたつでも向き合えるものから」
「ベンヤミンは本当に向き合えると思うの?」
「もちろんです」
「ベンヤミンは向き合えた人なんだね」
「残念ながら僕は絶賛向き合っている最中です」
僕は最大限見栄を張って胸を叩いた。痛いところをつかれたと思った。向き合っている最中なんて大嘘もいいところだ。向き合う自信をつけるために、彼らを利用している。
この恥じ入りが露見しないように、必死に繕った。
「まあでも、今の様子だとそれすら意に介さない気もするけどね」
「でもこればかりは自分のことじゃないか」
「今までの嫌がらせも、先だっての閉じ込めも彼自身のことだよ」
「そうだけど」
「大丈夫と信じましょう。だって信じないと先へ進めないじゃないですか」
見ないようにしていたが、どうしてもルカの姿が目に入ってしまい、その痛々しさに顔を歪めてしまう。なまじ肌が白いだけ、それはとても目立つ。
「ベンヤミン?」
フィン先輩も僕の視線の先に気づいて納得する。
「ごめんなさいルカ、やっぱり気になって仕方ないです」
ルカの身体のあちこちに、痛々しく包帯が巻かれている。ガーゼの端から青くなった肌も生々しく見えている。見ているこっちが痛くなりそうだが、ルカは飄々としているようにしか見えない。
「終わってからでいいって言ったじゃん。そもそも言及しなくていいよ。おかげで授業もサボれて気楽でいいんだ。ヨナスも独り占めできるし」
「言っておくけどルカ、僕が君にその傷の原因を聞かないのはベンヤミンの顔を立ててだ。放校処分ものだよ」
「誰が?」
「君に怪我をさせた奴だよ」
「そう、放校処分か」
「本当にリンチではないと信じていいんだね」
「それだけは、ミスネア神に誓って」
ルカは大げさに祈りの姿勢を取る。彼は神を信じているのだろうか、と言う疑問が頭をよぎった。
イラスト協力:pizza様 https://www.pixiv.net/users/3014926