まるやか世界にて
ことの顛末をフィン先輩の手紙に書いたところ、1ヶ月後になぜかティルマン様から分厚い返信があった。どうやらアルヌルフの処遇はティルマン様が所属する支部が受け持つことになったらしい。直接関わることはないそうだが、どうしても心配なら彼の近況を教えることはできるとあった。
調停者のことについて詳しく知らなかったのだが、どういった組織編成になっているのかしっかり書かれていた。きっと僕らの卒業後を心配したものでもあったのだろう。調停者以外の組織のことも細かく書かれていた。
アルヌルフは聖力でも魔力でもなく、杭支という力を持っていて、これは“聖力が竜気に当てられ変容したもの”だそうだ。母親の胎内にいる時に竜害に遭うか、竜骸を体内に取り込んでしまうかで変容する。魔力を持つ国では竜骸を浄化しなくとも聖力のように杭支に変容しないそうだ。確かに、竜護の国には楔の神殿はないと聞く。
そういえば、アルヌルフの継父の再婚のきっかけが竜害だった。
そこから領民が調べられ、僅かにでも聖力を持つ約半数が杭支へ変容していたらしい。解体後に食糧として近隣に流通した際、不手際で浄化されていない竜の肉を食べてしまったのではないかという結論に至ったようだ。
杭支になったからといって別段特に何もないのだが、ただ、死んだ時に円環の中へ入ることができない。肉体から離れた魂は精神と共に崩れ去るのだ。ただそれだけだ。杭支を知っているのも魂が崩れ去ることを知っているのも神祇官だけなので、混乱は生じない。
ただ、生きながらにして楔と同化するとその魂は円環の中に入ることができる。楔を強化することができるため、建国当時はこの方法が幾度か使われたことがあるらしい。
アルヌルフのように高い聖力があるように見えていた人は特に杭支としても高い力を持っている。彼の考えが改められなければ、早晩、楔と同化することになるのだろう。それが良いことなのか悪いことなのかわからない。年老いてから楔と同化する方が長生きはできるが、アルヌルフ自身、得たいものをずっと得られず苦しむだけだ。
今日の僕は待機組のため、恒例のルカとの面談は許可を取ってヴィロット寮で行うことになった。まだ1年と経っていないのに、ルカは仕切りに久しぶりだと言って、あちこち観ながら懐かしんでいた。特にルカは1階と屋上しか使ったことがなかったため、僕の部屋まで珍しそうに眺めていた。
僕もエハネット寮を出入りするようになれば懐かしい気持ちになるのだろうかと、不思議な気持ちになった。
「それで、僕の穴は埋まったかって?」
「埋まってはないと思うんですけど、小さくなったのではないかと思って」
「小さくはなってないかな。なんだろう。網みたいなのができた気がする」
「網、ですか?」
「そう。それ以上は広がらない感じになってて、網目がだんだん細かくなっていってるんだよね。感覚的にだけど」
「別のもので穴が埋まったって感じなんでしょうか」
「さあ。見せてあげられるもんじゃないしね」
ルカは大袈裟にくるくると表情を変える。いつものように繋いでいた手をルカは自分の胸に持っていった。
「まだ向こうは見えるけど、ただポッカリと開いてないって見せてあげたいよ」
「見えてますよ。きっとあの時、ルカが笑った時から少しずつ網ができていたんです。ルカが笑って、怒って、そんなルカの感情と僕らの目に映るルカが同じになった時からだと思うんです。作物に興味を持って、畑を作って、すっかり肌が日に焼けて、後輩とも仲良くて、友達もたくさんできて、ちゃんと見えてます。大丈夫ですよ」
「そっか」
ルカはとても綺麗に笑った。
ルカがこんなに綺麗に笑えるようになるまでどれだけの苦悩があったかアルヌルフは知らない。ヨナスにしたってそうだ。
自分ばかり可哀想だと思っているうちは変われない。何人もの神祇官がこれから彼に関わるだろうが、彼は変わることができるのだろうか。最終的に楔と同化することになったとしても、それは本当に今なのだろうか。
「僕もああなってたかもね」
「フィン先輩はどうにかして掬い上げましたよ」
「またフィンを信奉してる。やめなって」
「アルヌルフを助けることができたのかはずっと思ってますけど、僕がいなくともフィン先輩はルカもヨナスもパオルも手放す気はなかったと思いますよ」
「周りをうまく巻き込むことができるって点では、フィンは確かに正しい手を使ったのかな。早い段階で自分では無理だと見切りをつけて、できそうな人に委ねたんだから。でも、彼は、無理だったと思うよ。上手に隠してた。誰も気づかなかった。学校側が何も言わなかったのもアレだけど、学校側は同じ資料を役員が持ってると思ってたんでしょ?そりゃ不干渉が基本だから、あれ以上の干渉はしてこないよね」
「今となっては、学校側の対応はある程度は理解できるんですけど、せめて口頭での確認は欲しかったですね。6年の役員はこの度のことで学校側ともう少し連携が取れないかと交渉すると言ってます」
「学校側が最低限の干渉って建前を貫いてくれたから、ヨナスはジャデルシャーゼで歌うことができたし、パオルが内職できてるんだけどね。その辺りの匙加減は難しいね」
「確かにそうですね。ある意味僕ら役員への信頼と捉えることもできますね」
難しい話に飽きたとばかりに、ルカはベッドに倒れ込んだ。僕もそのままベッドに倒れた。
「ベンヤミンはアルヌルフにどうなって欲しいと思ってた?」
「初期に気づけていてもどうにもならなかったと今はわかります。ですが、あの頃の何も知らない僕がイタズラの犯人が彼だと知ったら彼は更生できると方々に働きかけていたでしょうね。僕はルカたちが自分自身を見つけることができた手伝いができたことに誇りを持っているんです。だからきっと、彼もそうなると信じたでしょう。もしかしたら、今より悪い結果になっていたかもしれません」
「つまり、元の素養の問題で、気づく気づかないは関係なかったってこと?」
「そうですよ。恙なく神祇官になるための手助けをするのが役員の仕事ですから、なる気がないアルヌルフの手助けはできなかったと思うんです。手を掴んでくれたら必死に引き上げることができますけど、逃げ回る手を掴む気にもなりません」
「そりゃ、アルヌルフは我慢ならなかっただろうね」
「どういう意味ですか?」
「彼はベンヤミンの特別になりたかったんだよ。ベンヤミンなら自分を特別にしてくれるって」
ひどく顔を歪めて叫ぶアルヌルフを思い出した。
「やめましょう、この話は。アルヌルフの処遇は僕らではどうしようもありません。罪と向き合って罰を受けなければならないのですから」
ルカはつまらなそうな顔をして目を閉じた。しばらくすると寝息が聞こえて、夕食までそのままにした。
次の日、ルカからどう聞いたのか、ヨナスがすごい剣幕で役員室に乗り込んできた。あまりの怒りようで役員室にいた全員が唖然とした。僕は慌ててヨナスを連れて外へ出ると、ヨナスはさらに怒りを強めた。
「なぜ特別はあたしたちだと言わなかったの」
「意味がわかりません。ちゃんと順を追って怒ってください」
「ベンヤミンは、あの子に、誰も特別じゃないと言ったそうじゃないの」
僕はさっぱりわからずに、しばらく何もいえなかった。
「言っている意味がわからないんですが」
「わからないの?あたしたちと担当した1年生が同じって言ったのよ?」
「そ、そんなこと言ってませんよ!」
僕は全身を使って否定した。ヨナスは眉間に皺を寄せている。
「だって、僕に依存するなって言ったのはヨナスたちじゃないですか。僕の方こそ特別にはなれないんだと、酷く落ち込んだんですよ?」
「それとこれとは話が違うでしょ!依存と特別は違うのよ」
ヨナスは大きくため息をついた。どこともなく歩いているが、どうやらヨナスの練習場に向かっているように思う。
「僕には違いがわかりません。アルヌルフの言う特別はどう考えても依存じゃないですか」
ヨナスは立ち止まって大きく目を見開き口を抑え、次に罰の悪そうな顔をした。僕は話の行き違いについて検討がついた。
「アルヌルフの話をしていたのね」
「そうです」
昨日のルカとの会話をかいつまんでヨナスに話した。どこでどう勘違いしたのかはわからなかったが、つい聞かれてもいないことまで喋ってしまった。
「自分を見て欲しい人から見てもらえないジレンマの結果なのかしら」
「どうなんでしょうか。同室になるまで、僕は数度しか彼と言葉を交わしたことがなかったのに」
「そんな事はどうでもいいのよ。アルヌルフにとってベンヤミン、あなたしかいなかったということだもの」
「僕しか?」
「ありのままの姿を見て、心の闇と寂しさに気づいて欲しかったんでしょうね。だから、役員用の書類を改竄したんだわ」
「買い被られていたんですね、とんだ理想の押し付けです」
「それをベンヤミンが言うかしら」
「言いますよ、僕はヨナスの前では心のままに喋るんです」
「めんどくさいわね」
ルカがヨナスにどう漏らしたのかわかりかけた。勘違いじゃない。僕がアルヌルフと同じことをしてしまったのだ。
「アルヌルフは自分の監視を担当する役員なら誰でもよかったんです。たまたま僕で、僕の容姿がこうだったために拗れましたが、自分を特別にしてくれるなら誰でもよかったんです。僕はたまたまフィン先輩の後釜に収まって3人と同室になりましたが、それが誰でも執着したり依存したりしません。3人だからで、フィン先輩だからです。誰でもよかったわけじゃありません」
「それをちゃんとルカに言ってあげないさいよ」
「わかりました」
それから暫くルカから避けられたが、どうにか次の週にはルカを捕まえて伝えることができた。逃げるルカが面白くて静観していたかったが、ルカと急いで話さなくてはいけない話ができたのだ。
「ウーヴェの件ですが、ルカが助言を与えてくれたのだと聞きました」
「偶然ね。ぼんやりと菜園を眺めてたんだよ。すっかり痩せて変わっちゃってたから最初、ウーヴェだとわからなかったからつい話しちゃったんだ」
「ヤギが死んでしまった事は悲しい事だし、苗も半分以上ダメになってしまって、育ったけど花芽がつかなかったり実らなかったりして悔しい思いをしたけど失くしたからこそ、どれだけそれが大事なものかよくよく分かったっていう話をね、したんだよ。もっとも考えなしにだらだらと喋ってたし、他のことも喋ったし。でも要約するとこんな感じかな」
「ありがとうございます。でも、きっと同じことを僕が言っても彼には響かなかったと思います。いや、違いますね。僕とか僕じゃないとかじゃなくて、同じ立場のルカの言葉だから響いたんです」
ルカが綺麗に笑う。
「そうだ。なんか結局酪農部と園芸部が一緒くたになるっぽいんだよね」
「堆肥と除草の件でですか?」
「そう。次の年からなんだけど、農園部になるかもだって」
それから話は昔の学校についてとなって、許可取りの際に何かの役に立てばと読んでいた過去の記録についての話になった。記録では学校が動物の飼育を許可した例はいくらでもあった。保護動物から、家畜の引き取りまで、そのどれもはしっかりと天寿を全うしていると記録にあった。
「へぇ。ヤギだけじゃないんだ」
「家畜では牛が一番大きいですね。鶏は多い時で100羽居たそうですよ」
「どこに養鶏場とか作ってたんだろう」
「今ヤギの飼育場になっている所ですね。あそこ取り壊しては作りを繰り返してるみたいです」
「意地でも大ぴらには家畜を飼育しないっていう気概を感じるね」
「直近でも7年前の牛が最後のようですからね」
「じゃあパオルやフィンはギリギリ牛飼ってたの知ってるのかな」
「どうでしょう。一頭だけだったので、酪農部なんてものはなくて、当時の役員が持ち回りで世話をしていたようですし」
不意に会話のない時間が流れた。去年、ルカの邸に行くまではこの時間が不安でいっぱいだったが、今ではすっかり気にならなくなっている。
いつものように繋いでいるルカの手は、あちこちに治りかけの傷があ流。もうビスクドールの手とは程遠口なったその手が僕の手を強く握り返した。
「あのね。ベンヤミン。僕ね、ベンヤミンに言いたいことができたんだ」
「何ですか?改まって」
真剣な顔をこちらに向けたかと思うと、ニヤッと笑った。
「僕、大人になろうと思う」
「ふへ?」
あまりにも驚きすぎて、変な声が出てしまった。変な声にルカもびっくりしたようで、目をまんまるくしている。
「すみません、ちょっとびっくりしました」
「理由はいっぱいあるけど、一番はウーヴェと話をしたから、かな」
「何を話したか、詳しく聞いていいですか?」
「喋ってもいいんだろうか」
「大方の事情は把握しているので、多分問題ないと思います。ルカが話しても良いと思った部分だけかいつまんでもらっても大丈夫ですよ」
ルカは少しだけ考える様子を見せると、ぽつりぽつりと話してくれた。
「ウーヴェもずっとずっと死にたいって思ってたんだって、もちろん僕とは違う理由でね。命の上に命が成り立っていることが恐ろしくて仕方がないんだって。だからその一年生に話したんだよ、命あるものすべて命の上に成り立ってるって。今はちょっと割愛するけど、本に書いてある通りを説明したんだよ。植物の栄養になるものも命が根源だって言う話を。それで、自分で言ってて、自分で気が付いたんだ。僕を成り立たせた命すら僕は無駄にしてしまおうとしているのかって。そう思うと、急にずっとなんてバカなことを考えていたんだろうって思ったんだ」
どこか遠くを見ながら、ルカは真剣な顔をしている。ゆっくり大きく息を吸う。
これは決意表明なんだと思った。
「確かにその一年生の言う通り、これからの命は糧にはしないけどそれまでってあるじゃん。その命たちを無駄にしていいのかなって」
「哲学ですね」
「あまり好まれない考えだろうけどね」
「僕には円環と均衡を主とした考えだと思えますが」
「ベンヤミンならそう言ってくれると思った。だからね、僕は命をつなぐために大人になって何かをしようって思ったんだよ。何かはまだ決まってないけどね。もしかしたら菜園を荒れ果てさせてただただ聖力を奉納するだけの神祇官になって無為に過ごしてしまうかもしれないけど」
「大丈夫ですよ。ルカは結構面倒見が良いことを僕は知っています」
この頃ようやっと一連の騒動で浮き足立っていた学校の雰囲気が落ち着いていた。しばらくは回収しきれなかったイタズラの残骸が猛威を奮っていたが、それも無くなってしばらく経つ。
1年生が一丸となって回収に尽力してくれたのも早期に落ち着いた要因である。エゴンが言い出して、最初は仲間内の数名から始まったことが学年全体に広がったのだ。本人に聞けば、次に被害が大きかったのは酪農部と園芸部だったから、傍観者ではいられなかったようだ。ちなみに一番被害が大きかったのは僕のようで、酷く心配された。
その過程でリーヌスが喋ったというのを聞いた。喋ったと言うのは少し語弊があるかもしれないが、回収作業中にイタズラに掛かりそうになった同級生に大声で危険を知らせたそうだ。リーヌス本人も感嘆符のような声ではなく発語としての声が出たことに驚いていたらしいが、これをきっかけに話せるようになるといいなと思っている。
そして僕はようやっとヴェンツェル先輩と同室に戻った。学校側もあまり役員が監視役に深入りすることがよくないことだと理解したようで、ヴェンツェル先輩もフィン先輩とパオルの事例で気付くべきだったと悪態をついていた。
これが結構フィン先輩を信奉する役員の中でパオルは恨まれていて、いかに今どれだけ真面目になっていようと、目の敵になっている。足を引っ張るなどのことをする様子はないが、パオルの行動に懐疑的だ。仕方がないといえばそうなのだが、フィン先輩がパオルを猫可愛がりしているのを見れば、考えが変わるだろうかと想像だけしておくことにしている。
学年末の考査の前に僕が担当したウーヴェとエゴンとリーヌスについて報告書をまとめた。アルヌルフについてもまとめるべきかと思ったが、ヴェンツェル先輩はどちらでも良いと言った。すでに他の役員の先輩によってまとめて資料のひとつとなっているようで、それに継ぎ足す形になると言われた。
どうしようかと3人の報告書をまとめている間に考えて、やめることにした。故郷へ行ったこと、面会したことなどはすでに報告書を提出しているので新たに何かまとめなければならないことがないからだ。
3人は次年度からもしかすると手が離れることになるかもしれないと言われた。ウーヴェとリーヌスはもしかしたらとは言われたが、エゴンは確実に役員全体で見守るようになるらしい。
「エゴンを役員に勧誘するのはいつになるでしょうか」
「3年の学年末か、4年に上がってから5年と6年に役員をする形あたりじゃないかな」
「決定事項なんですね」
「今回の彼の統率具合を見るとね。よく信頼されているし、面倒見も良い。あとは成績だけだと思うけど、ゆっくりと上向きでもあるし、成績と役員への勧誘はまた別の話だからね」
それから数名、役員に勧誘したい1年生の名前を教えてもらった。考査が終われば3年生の役員への勧誘が始まるらしい。
学年末の考査が終わり、長期休暇を目前にした頃、フィン先輩から今度こそ本人からの手紙の返事が届いた。内容は僕たちを心配するもので、ティルマン様から返事を禁止されていて、この度許可が降りたらしい。
僕はティルマン様からの手紙の返事も書いていて、それに対しての返事はなかったけれど、今フィン先輩がどのような立場でティルマン様と接しているかなどが書かれていた。
日々課題をこなす中、ティルマン様のところで雑用係をしているそうで、目をかけている調停者候補なので手を出すな状態らしい。確かにフィン先輩なら引く手数多だろう。実際ほとんどの課題で好成績を修めているらしく、人好きのする様子からどこの支部もフィン先輩を欲しがるのはわかる。
あと2年この生活を続けると、巡礼もどき(と書かれている)と言う名の14か所を巡る実習があるらしい。それまでにティルマン様はフィン先輩が自分のところの所属の調停者であるという実績を作ってしまいたいそうだ。迷惑この上ないと書かれていたが、どこか誇らしげな気がした。
それを4人で集まった時につい漏らしてしまうと3人は顔を見合わせて笑った。
「あら、今度はちゃんとフィンから返事が来たのね」
「ティルマン様に禁止されてたみたいです」
「ティルマンも結構気にしてたわよ。厳しすぎていないかって」
「知ってたんですか?」
「そりゃ、お店に来た時にお喋りくらいするわ」
ルカとパオルは知っていたようで、バツの悪そうな顔をする。
書かれてはいなかったが、読み回しても問題のない書き方のされた手紙だったため、僕は3人に手紙を見せた。
「フィンって案外図々しいね。また働かせてほしいって」
「あら、そんなこと言って嬉しそうよ?」
「金は大事だからな」
「パオルが言うと重いなあ」
「ベンヤミンお前、俺のこと余す事なく報告するんじゃねぇよ」
「パオルが手紙を書かないからですよ。良かったじゃないですかすごく褒めてますよ」
とは言っても大したことは書いていない。事実を簡単に羅列しただけの本当に報告程度のものだ。底辺だった成績が今どうなっているか。どれだけパオルの作ったものが売れているかを書いただけだ。
ルカにしてもヨナスにしても詳しくは書いていない。ただ、園芸部と酪農部についてもう少し詳しく知りたいという記載があったので、次に書く手紙か、会ったときに詳しく話そうと思っている。
「フィン先輩からの手紙もそうですが、兄の結婚式への参加について相談したく集まってもらいました」
「何、改まって」
「考査前に参加はどちらでも良いという手紙が来たんですが、僕は参加する旨を認めた手紙を返信しました」
「あら、行くのね」
「行きます。絶対に行きたいです」
「それで、俺たちにどうしろってんだ?」
どう背中を押してほしいのかと聞いてくれているように聞こえた。
「結婚式はソドゥナーバで行うので参加できるんですが、晩餐会は家でやるので遠慮させてもらうと返事はしたんですが、その、道中一緒にいてもらえませんか?」
「理由を聞いても良いかしら?」
「一番は僕がまた醜態を見せるかもしれないというものですが、参列者に僕に対しての使用人の様子を見せたくないんです。晩餐会に参加するような参列者は僕に対して理解があるとは思うんですが、きっと彼らは見えないところで僕に何かするでしょう」
そんな使用人辞めさせてしまえば良いとルカ言われたこともあったが、貴族ではないただの裕福な商家に使用人として働きに来てくれるような奇特な人は難があって当たり前なのだ。使用人として働いてくれるだけありがたいと思わなくてはいけない。
他の国と交わることを良しとしない貴族を少なからず見てきたわけで、そういう素地ができているのだから、僕と言う存在や僕を容認する家族を良く思わないのは仕方のないことではあるのだ。
「旅費は出してくれんだろうな」
「はい。家族が特にまだ会えていないヨナスとルカに会いたいそうです」
「ソドゥナーバで結婚式をするってことは、家格はナザ以上ってことかしら?」
「お相手の家格がソスなので、そちらに合わせた形になります。なので、結婚式諸々はお相手の家族が仕切られて、その後の晩餐が兄主体なので僕の家族が仕切るようです」
「だから結婚式だけ出席なんだね」
ルカは少しだけ考えたような顔をしたが、すぐに元の顔になった。ルカは貴族なので、何か思うことがあったのだろう。ヨナスとパオルはそういうもんなのかといった顔をしている。
「2日前の夜行で出発して、昼食会を近くの料理店でするので参加してほしいんです。結婚式の間は、近隣を観光できるようにしてくれるようなので、一緒に行っていただけると、嬉しいんですが」
「いいよ」
「良いわよ」
「行くよ」
二つ返事に僕は少しだけ驚いた。
「あ、ありがとうございます」
ヨナスは眉尻を下げて大きくため息をついた。
「殊勝ね」
「弱虫と詰っていただいて結構です」
「あら、そんな事言ってないわよ。失礼ね。まだベンヤミンには早いと思っただけよ」
「早いですか?」
「道中だって何も思わないわけではないでしょう?だからあたしたちを一緒に呼んだのだろうけど、まだたった1年よ」
そうか、1年経ったのか。でも、なんだか以前の自分に大丈夫だと言い聞かせていた気持ちとずいぶん違う気がする。
「この1年の時間で心の置きようが随分変わったって顔してるね」
「そうですか?そんなわかりやすい顔してましたか?」
「あれか。全員がお前を見舞ったからか?」
「そう、かもしれません」
まさか家族全員が集まるとは思ってもみなかった。場所柄普段しないような話もしたし、パオル経由で聞いた話について僕に色々と聞いてきたため、話題には事欠かな買った。
「きっと20年後には平気になってんな」
「ベンヤミンお得意の20年後」
「僕、そんなにそれ話題に出してましたか?」
「じゃあ、20年後に集まる時にはベンヤミンのところに集まるのね」
「20年後か、もうすっかりおじさんになっちゃってるよね」
「じゃあ、あたしはおばさんになれるように努力するわ」
「その努力の方向性は意味わかんねぇが、まぁ頑張れ」
それから少しして自然と会話が止んでも僕らは一緒にいた。
ルカは最近よく持ち歩いている園芸図鑑を開いたし、ヨナスは新譜の音取りを始めたし、パオルは最近始めたレース編みを始めた。僕はぼんやりと3人を眺めながら、空を見上げた。
長期休暇は去年と同じようにルカの邸にお邪魔することになっている。きっとフィン先輩は数日内に掃除に励むようになるだろう。長期休暇の折り返しの頃に兄の結婚式に4人で赴く。もしかしたら、フィン先輩も一緒に行くと言い出すかもしれない。それからまたルカの邸で新学期まで過ごすのだ。パオルは一足早く学校に戻らなくてはならないかもしれないが、それでも4人でいる時間はまだたっぷりとある。
きっと僕はもう大丈夫だ。自分に言い聞かせる必要はない。
空は青く世界の端っこがどこにあるかなんてどうでもいい。僕らはそんなことを知る必要なんてないし、そんなことを考えて悩むなんて勿体無いことだと知っていればいい。
不安定な境界で揺れる僕らの心はきっとどちらにもたやすく傾くけれど、それでいいのだと今は胸を張れる。だって僕らは心を預けられる唯一と出会ったのだから。僕らの心はもう不幸を振り向かないと言うことだけ知っていればいいのだ。
ああ、なんて世界はまるやかなのだろうか。
イラスト協力:pizza様 https://www.pixiv.net/users/3014926




