その声はずっと遠くてよく聞こえない
アルヌルフは僕との接見を強く希望しているらしいが、学校側の判断でそれは叶っていない。
そしてなぜだか僕は次の外出日の前日、授業が終わってからすぐにアルヌルフの故郷へ夜行列車で向かうようにと通達があった。パオルを連れて行くようにとあり、ここへ来て学校からのパオルへの信頼が上がっているようでおかしく思えた。確かにパオルは見かけや口調によらず努力家で面倒見が良い。
そして何と汽車賃も全て学校持ちで、なんたる待遇と訝しんだ。
「何か裏があんのかねぇ」
「裏ですか」
「ヨナスとの同室もそうだが、この件も全く説明がねぇんだろ?」
「確かにそうですが、裏があるとして、僕らに何をさせたいのでしょう」
フィン先輩がいたならすぐに答えをくれただろうかと、どうしようもないことを考えてしまった。
「あいつが言ってて、そんときゃ意味がわかんなかったが、お前はあれだ。首輪なんだと」
「ルカとヨナスのですか?」
聖力の測定は定期的に行われている。誰がいつなどは時に決まっておらず、突然日時を知らされるのだ。僕は年に1度の測定で入学当初から多少上向き傾向だがそれほど上がっていない。僕の周りで言うなら無理矢理十段階評価に当てはめるなら、入学基準を1とすると、僕は5くらいだろう。パオルは4で、ルカが7、ヨナスは10だ。元々ルカは僕と同じくらいだったはずで、それが7まで急激に上がったのだ。
数字として可視化はされていないので、おおよその見当なのだが、遠く外れてはいないはずだ。それでいうとリーヌスは1で、ウーヴェは3、エゴンは6になるだろう。アルヌルフは反省房に入ってから測定していたが、どうしてか測定不能だったらしい。
竜護の国などの国民は聖力がないが、彼らは無いという測定結果となる。僅かにでもあればそのように結果が出る。測定不能というのは今まで見たことがないと神祇官は動揺していた。聖殿へ報告すると、記録には残っているようようだった。どのような人物だったかは教えてもらえず、そうこうしている内にこのような状況となったのだった。
ルカの7というのはルカの学年で言えば5人もいないだろうし、ヨナスの10はこの学校でただ1人だ。だから今代のハビャは既にヨナスを囲おうとしている。
「僕がルカとヨナスの首輪になれるんでしょうか」
「さあな、でもあの2人を聖殿に留め置けるのはお前くれぇのもんだしな」
「そんなことはないですよ。ただ、今そのような立場にあるだけで、卒業する頃に僕はお役御免です」
「あのアホの言うことを間に受けてんじゃねぇ。依存をやめて自立しろってだけで、縁が切れとは言われてねぇだろう。そう結論出たんじゃなかったか?」
「そうですけど、ヨナスもルカも、パオルも以前と違ってちゃんと同室やクラスメイトと仲良くやれてるじゃないですか」
パオルは髪をかき上げながら大きくため息をついた。
最近ため息をつかれることが大き気がする。
「俺が言えたことじゃねぇが、考えなしに脳天気だった頃の方が気楽そうに見えたぞ」
「考えることが多いんです。アルヌルフのこともそうです。僕は何をどう間違えたのか。彼のご両親に会うことで僕は何を知らなければならないのか。もし僕が彼に早く気づいていれば、彼はあのようなことにはなっていなかったし、ヤギも死なずウーヴェが酷く混乱することもなかったのではないか。ルカやヨナスが怪我をすることもなかったのではないか。僕が刺されず家族に手間をかけさせることも無かったのではないか。ずっと後悔です。できたかもしれないことばかり考えてしまうんです。それにルカやヨナスやパオルのことも考えてしまうんです。もうちょっと上手くやることはできなかったのだろうかと。脳天気に楽天的にどうにかなると思っていた結果がこれなんです」
「考えるようになったのはいいことなんじゃねぇか?」
「いいことなんですか?でもさっきは……」
「なんつったら良いか……、ベンヤミン、お前の目下の憂慮はその肌や髪や目の色だった。それ以外は些事だったんだよ。んで、今はそれが逆になってんだ。その色が以前よりお前の中で気にならなくなってきて、周りに目が向くようになってきたって証なんだよ。きっとこれは役員内で周知されていて、学校側に報告される」
一連の学校側からの説明の無さの答えが見えそうな気がした。僕が何に頭を使わなくてはならないかを導こうとしているのだろうか。
「確かに貢献者は上位のトルテルプへの登竜門ではありますが……」
「期待されてんだよ」
「期待ですか……」
時に考えがまとまらぬまま、アルヌルフが生まれた街に着いた。書かれた地図と住所を頼りに探すとすぐに家が見つかった。
街の外れの小さなぼろ小屋だった。それなりに大きな街で、縫製工場が主力となっているラド領の街なのにと不思議に思う。こういう主力産業のある街では貧民街ができにくい。廃材を寄せ集めてなんとか家の形を作っているといったその家はなんとも不釣り合いに見えた。
周りには似たような建物がいくつかあったが、どれも人が住んでいるようには見えなかった。周囲には家畜場や堆肥場などがあるようで臭いがきつい。このようなところに住まなければならないのであれば、アルヌルフが奨学金枠なのが理解できた。
訪ねると彼のご両親にすぐに会うことができた。そこで聞いた話は学校での彼と大きく違うもので、僕は終始耳を疑うことになった。
「突然の訪問をお許しください」
「いいえ、手紙が来ておりましたから。また何かしてしまったのですね」
僕らは学校から預かった封書をご両親に渡した。すぐにそれを開けて中身を改めると母親は突然泣き崩れた。そこそこ厚い封書だった。中身は聞かされていなかったが、彼が行ったイタズラとその被害が書かれていたのだろう。
これを僕に届けさせることに何か意味があるのだろうか。
父親は不安そうな目で僕らを見ている。僕らもまた被害者なのではないか。自分達を糾弾しにきたのではないかと思っているのだろうか。
「彼の罪は彼だけのものです。眷属神エトニエはマハネ神に魂に因る全ての業ははじまりこそ無垢だが円環の中に囚われたため罪を背負い続けなければならないのだと諭しています。それでもマハネ神は供物を捧げたとして罪全てが虚に還るのだと反論します。魂は肉体に宿るもので、肉体こそあなた方と縁があるものですが、魂は彼だけのものなのです。ですから、僕らはあなた方ご両親を責めるつもりでここにきたわけではないのです」
「ですが、その魂を導けなかったのは親の罪でもあるのです」
まともなご両親に見えた。この受け答えができるだけでそれなりに高い教養を持っているのがわかる。実際、国全体で見ると識字率は5割に満たないのだ。日常的によく使う文字や数字などの簡単なものであれば9割を超えるが、聖書を読むことができるレベルの識字率となると途端に低くなる。
それだけの教養があるのにも関わらず、どうしてこのような粗末な家に住まなくてはならないのか甚だ疑問だった。
「糾弾でないとしたら、息子がこの地で何をしたのかを知りに来られたのでしょうか」
「きっとそうなのだと思います。僕らはただここへ赴くようにと言われるまま訪ねたのです」
「なぜあなた方だったのかを伺っても?」
思わず僕たちは顔を見合わせてしまった。言うべきか言わないべきか悩んだ。
「俺はこいつの旅のお供だから、アルヌルフとは関係はねぇ」
「えっと、アルヌルフは神々から与えられた彼の新しい名です。僕は、彼を担当する監視役と言いますか、学校においての導き役と言いますか、そのような立場で、彼を止めることができたはずの唯一でした」
喋れば喋るほど申し訳なくなってくる。アルヌルフがあのような蛮行に出た原因は僕が気付かなかったからだ。思わず刺された背中に手をやってしまった。
それを父親は目ざとく気づいたようで、途端に青い顔をした。その様子に母親も顔を青くして、椅子から立ち上がりその場で五息のレーディフをした。
「どうか椅子に座られてください。これは僕への罰なのです」
「なんとお詫びして良いか」
聖書が読めるほどの教養があり、五息のレーディフを不格好ながらできるご両親が僕の色が気にならないほど動揺しているのだとわかった。本来なら僕のような色を持った相手に絶対に五息のレーディフなどしない。むしろお互いに一息のレーディフをすることはあっても一方的な二息のレーディフすらすることはないだろう。
もしくはご両親の今の立場がそうさせるかだ。どうしてこのような場所に住み、僕のような色を持った相手に五息のレーディフをすることを厭わないのか。僕はそれを聞かなければならないのだろう。
「彼が入学前に何をしたのか、聞かせていただけないでしょうか」
ぽつりぽつりとご両親は顔を見合わせながら喋り始めた。
父親を早くに亡くし、今の父親は再婚相手で6歳の頃にやってきたというところまではアルヌルフから聞いていた。
「息子が7歳の時に娘が、10歳の時に息子が生まれたのです。最初はよく面倒を見てくれました。お兄ちゃんになるのだと張り切って、とても可愛がっていたんです」
思い返せば、アルヌルフが7歳の頃、妹がまだ母親のお腹の中にいる頃から問題行動を繰り返していたように思うと言った。
「突然美味しいお茶を貰ってきたと言って私たちに振舞ってくれたんです。お兄ちゃんになることを張り切っていた息子は近所でも評判で、よく滋養に良い食材などを貰うことがあったんです。ですが、そのお茶を飲んで流産しかけました。誰がそのお茶を息子に与えたのかという疑問はありましたが、本当にそのお茶は美味しく、たまたまだとその時は気にも留めなかったのです」
「娘が生まれるまではそれだけでした。娘が生まれてからは寝返りを打てないはずの娘がうつ伏せで寝てると何度も言いにきてくれてその度に誉めていたんです」
ようやっとおかしさに気がついたのはアルヌルフが11歳の時で、妹が登れないはずの場所から落ちたことだったと言った。
「あの日、縫製工場まで娘が落ちたことを知らせに来たのです。街の大人のほとんどが縫製工場に勤めていますから。子供は近所の年寄りに預けます。大体7、8人を預かっていて、多少は目の届かないところはありますが、10歳を過ぎた子たちも幼い子たちをよく面倒見ますし、私も亡くなった夫もそうやって育ちました」
「ここでは珍しいことではありません。全員に職があり、そうやって持ちつ持たれつでこの街は貧民街がないのです。私は近くのソス領から来まして、ここでも教師をやっております。私は子供たちの誰もを分け隔てなく愛してきました」
「聖書の内容を熟知されていたのは、教師だったからなんですね」
「はい。今はまだ直接子供達に接する機会から離れておりますが、いずれまた教壇に立てる日が来ると信頼を取り戻すために切磋琢磨しております」
アルヌルフは父親に性的虐待をされているのだと触れ回っていたというのだ。それだけではない。父親は実の子にも虐待しており、アルヌルフによって引き起こされた怪我などが全て父親の加虐によるものだとしたのだ。それに、元いたソス領からは村八分になり追い出されたと言い、更にはその原因が生徒に性的虐待をしたからだというものだった。
「事実無根なのです。ここへ来たのは、妻との見合いがきっかけでした。私がいた村でその年に落竜があり、村が解体され親類を頼って散り散りなったのです。私は教師でしたので、空きがなければ職がありません。運よく近くのラド領の街に教師の空きがあると聞きすがる気持ちで来たのです。ですが職はあれど家も家族もないため、妻との見合いを勧められました。妻も夫を亡くして子育てとの両立に苦悩しているとあり、快く迎えてくれたのです」
父親はチラリと母親を見た。
「息子はとても喜んでいました。父親ができると。2歳の頃に前の夫は亡くなったのですが、父親がいないことでとても大変な苦労をかけました。教師という尊敬される職でしたので、教えて貰いたいことを毎日私に話してくれたのです。ですから、息子の気持ちを無視して再婚したのではないのです」
「事が私たちだけで収まるのであれば、懇切丁寧に説明して回ればよかったのですが、こともあろうか、妻の縫製工場に火をつけたのです。息子は私がいうのもなんですが、とても頭の良い子です。カウラの威光の篤いある日に、出荷前の布めがけて火をつけました。幸いにもすぐに気がつく事ができ燃え広がる前に消されたようですが、出荷する予定の布地は全てダメになり、その倉庫も一部が燃えて建て直しを余儀なくされたのです」
大きな負債を背負ったためこのような場所に住んでいるのだとようやっと合点がいった。一生かかっても返し切ることができないほどの負債だろう。きっと弟妹も一生をかけて返し続けなければならない。
この度のことで、アルヌルフはもう神祇官にはなれない事は既に決まっている。今は反省房にいるが、今後どうなるかは僕らには多分知らされないだろう。ここへ戻る事はできるのだろうか。
「私たちはそれを望みません。息子を手放すことができた代わりに大きな負債を受け入れたのです。本来ならば実の子2人を連れて出身地へ戻ることも考えました。ですが、止めることのできなかった私たちの罪なのです。娘と息子にいらぬ負債を多少背負わせることになりますが、それでも生きている限りは返済し続けようと妻と決めたのです」
この日はこの街に泊まることになっていた。指定された宿場へ行くと、すぐに部屋に案内された。初めて宿場というところに来たが、1階は食堂になっていてそこで宿泊の受付も行った。パオルがいうにそういうものらしい。
「飯は自腹か」
「出しますよ」
「いいって、結構稼げてんだから。なんなら奢ってやろうか?」
食堂では奇異な視線を浴びた。パオルが臨戦体制に入ったところで、強面の男性がどかりと空いた椅子に座った。
「何しに来たか聞いていいか?」
「ご丁寧にありがとうございます。僕らは学校からの依頼でえっと、前の名前を知らないのですが、アルヌルフの報告書をご両親に届けに来たのです」
「アルヌルフなんて大層な名前を貰ったのか。この街じゃ誰も神祇官になれるなんざ思ってなかった」
「そうですね。その通り彼は神祇官にはなれません」
それを皮切りに食堂にいた大人たちは口々に、アルヌルフが何をどうしたかを話した。どのように自分達が騙されて、どのように小馬鹿にされてきたか。どれだけ甚大な被害が出たか。
「酷えのはあれだな。父親になったガンッツェだな。再婚したばかりに職も失いかけた。もう誰も噂を信じちゃいねぇが、子供がネフージェの話を一度信じちまっててまだガンッツェを怖がってんだ」
「言うことを聞かなかったら爪を剥ぐってやつだろ」
「なんだそれ、俺が聞いたのは気に入った子供を犯すってやつだったぞ」
「うちは実際ネフージェが半裸で夜中に助けてくれと駆け込んできたから、ガンッツェには酷いことをしてしまった」
「うちはガンッツェが弟に熱湯をかけて酒場へ行ってしまったから助けてくれって駆け込まれたことがある」
全ては狂言で、弟に熱湯をかけたのはアルヌルフ本人だった。放火事件までアルヌルフはかわいそうかわいそうと街中の人の注目を浴びていた。
母親の愛を一身に受けていたアルヌルフはそれを得られなくなったことによる暴走なのだと僕は結論づけることにした。それ以上彼について考えたくなかったからだ。僕とは真逆に思えたということもある。
部屋に戻って呪符を取り替えようと服を脱ぐと、パオルは僕の包帯を見て驚いた。傷に反して広範囲に巻いているので驚くのは仕方がないのはわかるが、驚き過ぎのように思った。
「まだ包帯が取れねぇのか?」
「まだ呪符のおかげで塞がっているだけのようなんです。なので、まだしばらくは毎日呪符を取り替えないといけないんですよ」
いつもは1人で問題なく巻けていたが、この日は疲れが溜まっているのかうまく包帯を巻けずにいるとパオルが手伝ってくれる。
「痛みはもうねぇんだよな」
「痛いですよ」
「はぁ?」
「痛いに決まってるじゃないですか。歩くたびに響きますし、できれば笑いたくないですし、運動もしたくないですけど、多少痛いくらいは動かないとお腹の中でおかしな感じにくっついてしまうそうです。でもあまりに痛いほど動くと今度は呪符が効かないほどまた傷が開いてしまうそうなんです」
「なるほど。無理して動かねぇように痛みを残してるってことか」
「そうです。そんな無鉄砲に見えますか?」
「この年齢の男子なんてそんなもんだろう。そもそも信用がねぇんだ」
「そう言われると理解できます」
次の日駅に向かうとアルヌルフのご両親が待っていた。
「烏滸がましいとは思ったのですが、どうしても息子がどうなるか聞かせていただけないでしょうか」
「はっきりとは分かりませんし、僕らに今後聞かされるかは分かりませんが、アルヌルフの聖力について測定不能という結果が出ています。それがどういった状態なのかまだわからないのです。ハビャをも凌ぐ聖力を持っているということなのか、聖力でも魔力でもない何か別のものを持っているのかわからない状態です。それによって彼の今後が決まります。学校に問い合わせをいただければもしかしたら解答を得られるかもしれません」
明らかに落胆の色が見える。僕らは本当に何もわからないし、知らされていないのだ。
「本当にわからないのです。僕らからお知らせできる確証もないのです」
「分かりました。街の神祇官が力があるのは確かだと言っていたのはこのことだったのでしょう。てっきり入学を許されたので、聖力をもっているばかり」
「面会できるか分かりませんが、何か伝えることがあればお聞きします」
ご両親は顔を見合わせて、特に母親は目に涙を浮かべた。
「どんなことをしたとしても、親として息災を願わない日はないと伝えてください」
帰りの汽車の中で僕はご両親からの伝言を反芻していた。
「僕は常にいい子でいなくちゃと思っていました」
パオルは面倒臭そうに教科書を閉じて顔をこちらに向けた。ため息を吐かれていないだけマシだろう。
「確かにお前さんとは真逆だな」
「なぜ母親からの愛情を得たかったのにも関わらず、あんな方法を選んだのでしょうか」
「そりゃ、あれだ。単なる試し行動ってやつだ」
「試練の一つのことですか?」
「似たようなもんだが、ちょっと違うな。分割されちまった愛情のどれだけが自分のものかを知りたかったんだろう」
「分かりません」
「だろうな。うちの父親も最初はそんな感じだったんだろうなって」
「俺が生まれて母親は俺にかかりきりになっちまう。それが面白くなかったんだろう」
「自信がなくなってきました」
「最初にこれだけしんどい事案やってれば、あとはこれよりマシって思うだろ」
パオルは思い切り頭をぐしゃぐしゃに掻いた。クルクルとした髪の毛が余計にクルクルになる。
「あいつにとってのアルヌルフが俺たちってことか。お前は試されてんだよ。学校に。あいつはお前に押し付けたが、それはある意味正解だったんだ。適材適所。結局神祇官つっても相談役になっちまうが、有事の際は本来の神祇官の仕事もするわけだからな。学校側も反対しないわけだ」
「フィン先輩の聖力がどれほどだったか知っているんですか?」
「同じ学年だったしな。その頃は学年で一番だった」
そう公表されるということは頭ひとつ抜けているということだ。僕の学年では2人が頭ひとつ抜けている。巡礼により聖力が上がるが、元々勢力が高ければそれだけ巡礼が優遇される。
きっと僕が巡礼を許されるのは10年以上先のことだろう。
学校に戻ると僕はすぐに報告書を書き上げた。汽車の中でほとんど書き上げていたものを清書しただけなので、帰った次の日には提出できた。そしてそれから3日後にアルヌルフとの面会が決まった。
「僕の故郷に行ったと聞きました。随分と面白い話が聞けたのではないですか?」
「面白くはありませんでした。大きな愛と敬虔さによって自ら罪を償うご両親をなんとも痛ましいと思った限りです」
「大きな愛?面白いことを言いますね。あの人たちは僕を愛してなんかいませんでした。愛していたら気付いたはずです。母が僕を愛していたら新しい父親なんか迎えなかったし、妹と弟も作らなかった。結局僕はいらなかったんですよ。死んだ父を愛してなんかいなかった」
「それは違います。帰りの汽車に乗るために駅へ行った時に、ご両親はわざわざ伝言を伝えるためだけに待っていてくれたんです。息災を願わない日はないと伝えてくれと言われました」
「生きて罪を償えということでしょう。労役で賠償金を賄えということでしょう。残った娘と息子にできるかぎり苦労をさせたくないという話です」
ひねくれすぎていると呆れた。どうしてこうもひねくれた考え方ができるのか理解できない。
「僕にはどうしてそういう結論に至るのか分かりません。ご両親は本当にアルヌルフを愛して大事にしていたことが、少し話しただけでも分かりました。新しいお父様もアルヌルフを大事にしていました。疑いの余地がないほどに。愛していなかったらすぐに気付いたはずです」
「愛していなかったからすぐに気づくことができなかったんです」
僕はご両親から見たアルヌルフの話を聞かせた。しかしそれがどうしたという顔をして僕の言いたいことをわかってもらえなかった。
「ひとつ抜け落ちてますね。最初に新しい父親に会った時にどれだけ本当の父親が好きか聞かせたんです。えらく感動してました。僕には意味がわからなかった。母は覚えてないはずなのに、よく話を聞かせていたから知っているように覚えてしまっているんだと言いましたが、僕はあの人に嫌味を言ったつもりだったんです。お呼びではないと。だけど、あの人は母と再婚した」
言葉で示しても気付いてくれないなら、もう実力行使か外堀を埋めるしかないどんどん行動がエスカレートしたようだ。
「僕と真逆すぎて、やっぱりどれだけアルヌルフの話を聞いても理解できません」
「だから、あなたをとても憎らしく思ってしまったのかもしれません。僕が問題児として扱われるのはわかっていたので、事前に調べました。役員のこと、どういう扱いをされるか。僕ら奨学生は一般の生徒より入寮が1日早いんです。忙しなく入学式の準備をしている役員室に入るのは簡単でした。僕の調査票を探して、僕はここでみんなから愛される存在になるのだと、全てを捨てなければならなかったので、不要な箇所を書き換えました」
「役員室にあるのは写しなので、書き換えたところで原本を持っている学校側は騙せなかったというわけですね」
「あれだけの人数の調査票の全て書き写すなんてするはずがないと思っていました。誤算もいいところです」
「あなたが僕の担当というのはすぐに気がつきました。そこで原本が別にあることを気づいたらよかったのですが、僕はとても焦ってしまって、考えが及びませんでした」
「どうしてあんなイタズラをしたのでしょう。イタズラでは済まないこともしましたよね」
「あなたの噂を聞きました。開校以来の問題児を更生したと。すぐ分かりました。だってその色でしょう?行ったならわかると思いますが、あの街にはあなたのような人はいないんです。珍しくって、本当にいるんだって驚きました。僕はこの学校に来て、国という概念を理解したんです。父から国というものがあって、独自の宗教と民族が暮らしていると聞いて、知ってはいました。だからとても興味深かった。それが僕を担当する役員だなんて、とても感動したんです。きっと理解してもらえる。わかってもらえる。唯一をくれる。でも期待はずれでした。そうでしょう?あなたは疎外されず友人がたくさんいた。意味がわかりませんでした。きっとあなたは僕と同じだと思ったんです。僕なら理解してあげられると期待したんです」
ここまで一気にしゃべると大きく息を吐いた。つまらなそうな不思議そうな顔をして僕を見る。
「なぜイタズラをしたかでしたね。あなたがいつ気づくか見てたんです。いや、誰でも良かったんです。僕を理解する模倣犯でも出てきたら良かったんですけど、ここにはいい子ちゃんばかりでそんな生徒はいなかった。だんだんつまらなくなって、誰か死なないかなって思ったんです。でも流石に人を殺すのはダメだって我慢してヤギだけにしたんです。だって、臭いんですよ。1年生の練習場所って、あそこからすぐのところで、園芸部の肥料の匂いも漂ってきて本当に臭かったんです。でもやっぱり、僕が直接何かするより、僕が仕掛けた罠に誰かがかかってそれを後から知る方が楽しかったな。火をつけた時もそうです。火をつけたらどうなるんだろうと軽く思ったんです。縫製工場なので、燃え広がったらいっぱい人が死ぬんじゃないか、もしかしたら街ごと燃えちゃうんじゃないかってワクワクしたんですけど、すぐに消されてしまってとても残念でした」
「わかりません。どうして人が死ぬことをそんな軽く言えるんですか?」
「どうせ、また生まれてくるんでしょう?じゃあいいじゃないですか。魂は損なわれない。神々は平等に僕らを円環に導いてまた生を与える」
話を聞いている途中から冷や汗が出てきて、目の前がだんだん暗くなっていくように感じながら、どうにか言葉を捻り出そうとしたが、どうしてもうまく出てこなくなってきていた。
「特にあなたの友人のヨナスとルカ、愛されて当然というあの様子が気に入りませんでした。あの歌声もあの容姿も秀でて衆目を集める。羨ましすぎて2人のことを思うとどうやって不幸にしてやろうか、引きずり落としてやろうかとばかり考えてしまいます。死なせるなんて勿体無いと思うくら不幸にしてやりたいと、うずうずしています。でも不幸にならなかった。あなたが死ねば不幸になると思ったんですけど、結局死にませんでしたし。本当にあなたは僕に期待を裏切ってばかりです」
「ヨナスと、ルカは、ようやっとああなれたんです。僕が去年担当したのは彼らです。彼らは自身の問題と見つめ合って、悩んで考えて苦しんでどうにか今のようになったんです。君なんかちっとも不幸じゃない。彼らに比べたら、今僕が受け持っている生徒と比べてもちっとも不幸じゃない。君はただ満足できないだけなんですよ。あれだけ愛されていたのに。あれだけのものを持っていたのに。全て捨てたのは君なんですよ」
顔を真っ赤にしてアルヌルフは椅子から立ち上がる。ガタンと大きな音を立てて椅子が倒れると神祇官が慌てた様子で部屋に入ってきた。
「出てけ!お前なんかいらない!僕には必要ない!お前に僕は理解できない!!」
そう叫びながらアルヌルフはテーブルを何度も両手で叩いた。
神祇官が僕の顔色が悪いことにすぐに気がつき、支えるように僕を立たせて足早に退室した。僕たちが部屋から出ても、アルヌルフはずっと叫んでいた。
「あなたなら理解できるとずっと言っていたのです」
「僕に彼を理解できないことはわかっていたんですよね?」
「現実を直視することは大事なことです。これで彼はもう誰にも期待することはないでしょう」
神祇官は僕をヴィロット寮まで送ってくれた。お礼を言うと、困った顔をした。確かにことこれに関してはもう僕の手を離れているので、僕がお礼を言われなければいけない立場なのだろう。でも結果は散々だったが僕も彼と話をしたかったし、機会が作れるように掛け合っただろう。
彼がどうなるかきっと僕も誰も知ることはないだろう。最後に見る彼の姿があんな姿でとても残念だったが、最初から僕には彼をどうすることもできなかったように思う。じゃあ、誰ならどうにかすることができたのだろうか。
きっとそれは彼の母親だけだろう。ずっと彼だけの母親でいれば彼は満足しただろう。しかし、母親にも母親の人生がある。再婚しなくてもきっとどこかで破綻していただろう。次の依存先を見つけても結局どこかで綻びができて破綻しただろう。
どうすれば彼が望む幸せを手に入れることができるか考えたが、どうにも答えば出なかった。




