だんだんと気づいていく
相談料は出世払いということになり、ヨナスはルカの後見人にあれこれ相談した。彼はとても親身にヨナスの話をしっかりと聞いてくれた。
提示された解決策は、ソス以上トルテルプを持った神祇官の養子に入る、卒業までなあなあで過ごす、ジャデルシャーゼの店長にヨナスの後見人になってもらう、という僕らでも提示できそうなものだった。それでもその中身は到底僕らでは対処できないものばかりで、尊敬の一言に尽きた。
「僕は養子に一票かな。中央神殿での後ろ盾はどの道必要だし、結構養子縁組してる神祇官は多いよ」
「僕は卒業まで宥めすかして過ごすほうが良いと思います。今回は突発的な来訪でしたが、そもそもヨナスの生家からは遠いですし」
「俺はジャデルシャーゼに預けるのが一番だと思うぜ。姉さんたちみたいに年齢と共に聖力が消えちまうこともあるだろうし、そん時に下手に神祇官の養子になってんのは怖くねぇか?それに、オレはヨナスがなんと言おうと離した方がいいと思う」
僕たちの意見はてんでバラバラで、ルカはどれにも賛同できるがどれも得策とは思えないと言った。当のヨナスは自分がこれから問題なく歌い続けるための選択をしなければならないと言う重責に、どの意見にもフラフラと意思を寄せた。
「あたしはどうしたらいいのかしら」
「流石にそれは自分で決めないとダメだと思うよ。解決案は提示してあるんだから」
「意地悪ね。おっかなびっくりで親切だったフィンはどこに行ったのかしら」
「それを言うなら僕だって、おどおどした可愛げのあったヨナスはどこに行ったか聞きたいよ」
「ヨナス、フィン先輩そんな言い合いをしてる場合じゃないです」
「そうだった。今日には決めてもらわないといけないよ。もうあれから1週間だ」
ルカの後見人もとい、調停者に相談してから1週間が経っていた。僕らは毎晩あれこれと知恵を絞り最善策と思われる道を探した。しかし結局弁護士の提示した3択に絞られ、僕らは各々の利点と欠点をそれぞれヨナスに提示した。
しかし、どれも決め手に欠けるようで、ルカもヨナスもどれかの意見に傾くことはなかった。
「ヨナスは親に自分が歌う姿を見てもらったことねぇのか?」
「あるわよ。街の教会で歌ってたのよ。兄も一緒だったけど、あたしはその頃から1人で歌うことが多かったから」
「そうか、じゃあヨナスの歌を聞くことには抵抗はねぇな」
「どう言うことですか?」
「そもそもヨナスが歌うことに抵抗があるなら、聞かせるのは無理難題だがそうじゃねえなら問題ねぇなって思ったんだよ」
「そういうことか、でも校内であの姿で歌わせるのは難しいところがあるよ」
「前に演劇部の部室の講堂使ってたじゃねぇか。あそこをもう一度使わせてもらえねぇかと思ってな」
「君たちそんなことしてたのかい?」
「ご存知かと思ってました」
「知らない態度を取らないといけないの、様式美だよ」
「そうでしたか。すみません」
どこで誰が見てたり聞いてたりする訳ではないのに、フィン先輩はちょくちょくこういった様式美を大事にした。多分次年度から正式に役員となる僕の手本となるようにしているのだと思った。
「親から逃げるのも手だと思うが、ルカもオレも立ち向かいたくても立ち向かうことすらできねぇから、お前くらいは立ち向かってもいい気がしてきた」
「でも怖いわ。またあなた達に何をするかわからないもの」
「まあ僕ら満身創痍ですしね」
「僕は、ヨナスが怖いと思うなら逃げていいと思う。でもヨナスが怖くないなら立ち向かった方が後悔しない。僕はきっとそう遠くない将来に後悔すると思う。泣いて縋って愛してって言うだけ言えばよかったって。頭ではわかってるんだよ。それはどこまでも意味のない事なんだって。でも万が一に縋ってしまってるんだ」
「そうね。あたしは父と母から逃げたくないわ。」
その後も僕らは散々話し合い、ヨナスが歌う姿をご両親に見てもらうことに決めた。もちろん各所に相談してからのことだったが、演劇部の部長各位は二つ返事で了承してくれて、神祇官達も賛同してくれた。
「僕は今からでも中止にしたい気持ちでいっぱいです」
「まだ言ってる」
「何をするかわからないご両親ですよ」
「素直に来るとも思えねぇけど、来るなら覚悟決めて来んだろうよ」
「それはそうでしょうけど、不安しかないですよ」
「家格が上の奴らが体育の授業で使う、なんて言ったか、防具をつけて挑むか?」
「エレッピルの防具ですか?どうでしょう、余計に怒らせるだけだと思いますけど」
「違いねぇ」
「バカなことばっかり言ってないで、準備手伝って」
いくら演劇部の部室を間借りすると言っても、大量の申請書が必要になった。なんせ演劇部内部だけで完結できた前回とは違い、ヨナスの両親を招くため今回は正式に学校の許可を必要としたからだ。
内容は神祇官やフィン先輩によって秘匿されたが、この場所を借りると言う申請書だけは各所に提出しなければならなかった。
「なんか大掛かりになりましたよね」
「演劇部は漁父の利だって大はしゃぎしてるしいいんじゃないの?」
「それならいいですが」
「ヨナスだって、一層練習に気合が入ってるみたいだからね」
「ヨナスが聞いて欲しいって言うなら、みんな協力してあげたくなるよね。それだけヨナスの存在って大きいんだよ」
どうにか演劇部が部室として使っている講堂を使用できることになり、僕らは急いで準備をした。途中、ルカが普通の講堂じゃダメなのかとフィン先輩に聞いていたが、私用目的で講堂を使うことは許可されないと言われていた。
準備といっても僕らは頭をひねってヨナスのご両親に招待状を出しただけだった。馬鹿丁寧な招待状に僕らは病院で発行してもらった診断書をつけた。半ば脅しのようだが、あの時点で警ら隊へ引き渡されなかっただけ良かったと思ってほしい。
あの事件で神祇官達は怒り心頭だったが、先ほどの誘拐事件でただでさえいまだに警察が出入りしているため、これ以上警察の厄介になるのは避けたかったようだった。そもそも保護者というのもあっただろうが、僕らは彼らを訴える事なく今日まできた。もちろんルカの後見人は学校に抗議すると大騒ぎしたが、フィン先輩が片腕でそれをどうにか阻止した。
点呼前にフィン先輩や演劇部所属の役員と共にほとんど毎日話し合いをした。演劇部所属の役員は張り切っていて、大道具などの仮置き場の申請を一手に引き受けてくれた。おおよその打ち合わせは先日終わり、あとは放課後に現地で最終の打ち合わせをするのみになっている。
この日はフィン先輩も来ない予定だったが、学校側からの通達を知らせにきてくれていた。
「誠に残念なお知らせがあります」
「やっぱりダメでしたか」
「僕とベンヤミンとパオルは当日の参加の許可が降りませんでした」
「僕もですか?」
「そうなんだよね。僕も勿論聞き直したよ。でも認められないの一点張り」
「俺とお前はまだ怪我が治ってねぇからどうなるかなとは思ってたが、ベンヤミンはなんでだ?」
「ルカは認められたんですよね」
「ルカだけね。彼はご両親と直接対峙していないからかもしれない」
「ああ、直接標的になる可能性が少ないからですね」
「そうだと思うよ。それにルカは後見人が参加することになってるのも大きいのかもしれない」
「来ていただけるんですね」
「ウキウキしてたよ。文化祭の時に来れなかったのが相当悔しかったらしいね」
「相変わらず仲良しですね」
「ベンヤミンの目は節穴かな?」
フィン先輩はどこか諦めの目をした。一方的に気に入られているだけかと思いきや、最近のフィン先輩は満更でもないように見える。調停者という道を選んだのかもしれない。
「ルカ1人で大丈夫か?」
「あの2人は仲だけは良いですから、パオルとヨナスよりは心配は少ないと思います」
「そうは言うがな、文化祭の時大変だったんだぞ。打ち合わせして学校に戻ってまたあっちに行って、準備させて。あんにゃろう、あれだけ意思の疎通が大変だったってのによ。今はなんだ!いらねぇ事までペラペラと」
「そうそう、聖歌隊の方でもクラスの方でもずっとあのヨナスみたいだね。驚いちゃって誰も何も言えないんだって、まぁそうだよね」
「僕らだって驚いたんですから、僕ら以上の驚きでしょうね」
「聖歌隊の方は歌ってる時間の方が長いから良いんだけど、クラスの方がね。一層腫れ物に触るみたいな扱いみたいだよ」
「まあ本人もそれがわかっててやってるでしょうし、あの性格ですから時間が解決してくれるように思います」
あれからヨナスはもう隠したりせずに、素のヨナスでいる。事情を知る神祇官達は混乱を避けるために全神祇官、職員に彼と言うものを丁寧に解説したらしい。そこまでヨナスは学校にとって、神殿にとって大切な存在で、ルカの時とは大違いだと僕は内心腹を立てていた。
「何かあったら、すぐに逃げるんですよ」
「わかってるわ。心配性ね」
「心配もしますよ。もう2度とあんな目にはあって欲しくないんです」
「優しい人。でも逃げたく無いあたしの気持ちもわかってね」
「いや、それだけは承伏しかねるよ。次の機会だってどうにか作るから、絶対に危険だと感じたらすぐに逃げることだけは約束して」
「困ったわね。でもそうね。あなた達がいないんじゃ、あたしに何かあった時にルカが出てくるわね。あの子に怪我はさせたくないわ、ただでさえいっぱい怪我、してるんだから」
当日ヨナスは高らかに公開礼拝で歌い上げた。
何かを吹っ切ったような歌声は、ますます澄んだ、天の覇者をも落としてしまうのではないかという歌声になっていた。僕らの心配は他所に、ヨナスはにこやかに演劇部の部室である旧講堂へと向かった。
気が気じゃ無い僕らは何も手がつかず、ヨナスとルカの帰りを待つしかできなかった。確かにご両親以外のことで何も心配することはなかった。
演劇部の協力体制は前回以上で、奏者も一週間という短い期間の間、練習時間をそれだけに割いてくれた。
衣装班もあの夜の再現を希望するヨナスとルカに協力的で、これまた見事に仕上がることは期待できた。ご両親も神祇官と調停者が同席するとあれば、そう易々と手を出せるものではないと思うが、どうしても不安が残った。
戻ってきたルカとヨナスに駆け寄った僕らはすぐに2人がどこも負傷していないことを確認した。2人は呆れたように笑って、僕らを安心させた。
「大人しいものだったよ」
「最後まで聞いてたわよね」
「最後の曲が終わったらさっさと帰っちゃったんだよね」
「そうなのよ。追いかけたんだけど、追いつかなかったわ。だいぶ履き慣れたとはいえ、ヒールの高い靴はまだ歩くのがやっとなのよね」
「でもドレスきれいだったよ」
「どっちにしようか迷ったの、でもやっぱりパオルが作ってくれた白いドレスがいいって思ったの。流石にユマカ祭の時みたいに羽は付けなかったわよ。でも、父も母もどう思ったのかわからずじまいだわ」
いまいち要領を得ないルカとヨナスの説明は僕らの疑問符を増やすだけだった。
数日後にルカの後見人からの手紙が僕宛に届いてた。内容はヨナスのご両親のことについてで、彼らの当日の様子が書かれていた。
時間通りに駅に現れたご両親を学校まで連れてくる道中、ルカの後見人はラドシュカの調停者として僕らの怪我について説明したらしい。ご両親は淡々と話を聞いていて、治療に掛かったお金を払うと申し出たそうだ。頭に血が上っていたとはいえ、僕らから聞いていたご両親の姿との落差に驚いたと書かれていた。
学校に着いてからは神祇官に引き渡し、演劇部の講堂に案内されるとすぐに演奏が始まった。これは事前にヨナスとご両親を引き合わせることがないようにという、作戦だった。
2曲賛美歌を歌った後に、2曲お店で歌う曲を歌ったようで、その様子をご両親はただ黙ってじっと聞いていて、演奏後、神祇官と少しだけ話をしてヨナスが言っていたように直ぐに学校を後にしたということだ。神祇官との会話は息子をよろしくという簡単なもので、神祇官も調停者もあっけに取られたらしい。
学内でも屈強と呼ばれる大道具班が暴れるのを見越して待機していたらしいが、暴れるそぶりを見せない彼らに拍子抜けしたらしい。それもそうだ、僕らも拍子抜けした。
「自分の両親ながら、何考えてるのかさっぱりわからないわ。結局認めるのか認めないのか、どうなのよ」
「僕はある意味認めたということなんでしょうね。まぁ、ヨナスの歌を聴いて心を動かされない人はいません」
「僕もそう思う。ある意味ね。弁護士からの手紙にもそうあるし」
「ある意味?よくわからないわ」
「ヨナスの親もよくわかんねぇんだろうよ。俺らにしでかした事の大きさと、それを警ら隊に突き出されない代わりにヨナスのやりたいことを認めろって脅迫したんだからな。神祇官に息子をって言ったのがある意味ってところだろうな」
「あけすけだなあ」
「るせえ、間違ってねぇだろう」
「確かに、これを機に過干渉をやめる気はするよ。でも息子であるヨナスはまだ諦められないんだろうね」
あれから数週間、ルカの言う通りパタリと音沙汰がなくなった。あれだけ律儀に毎週欠かさず同じ内容の手紙を送り続けていたにも関わらずだ。
しかし不安は尽きなかった。
僕らは旧講堂の私的利用の報告書を書いていた。さすがに大道具の仮置き場に対しての報告書を演劇部所属の役員にまた任せるのは気が引けたので、そちらも一手に引き受けたため、結構な枚数を処理している。
フィン先輩は良い経験だと、調停者に関係する報告書しか書かないと言った。
「調停者は養子の準備を進めたほうがいいだろうって言ってるね」
「どなたか目ぼしい神祇官を見つけたんでしょうか?」
「よりどりみどりって言ってるよ。ヨナスの聖力と歌声は喉から手が出るほど欲しいだろうね」
「あちらはこう、はっきりした数字的なものを把握してるんでしょうか」
「ハビャシュカがヨナスを迎え入れたいって宣言したっぽいんだよね」
「中央神殿にですか?」
「ぽいってだけで、まだわからないよ。あの人曰く、ずっと上の方から手放すことのないようにってお達しがあったっていう話みたい」
「ハビャシュカが仰るなら、ヨナスの聖力が消えるなんてことはないってことなんでしょうか?」
「わからなけど、候補者と近々面談するかもしれないね。でもあまり手垢をつけたくないって言ってもいたから、このまま様子見かな」
報告書を書き終えたところでフィン先輩に確認してもらう。9枚中3枚に不備があったようで、書き直しだ。
「でもまあ一難去ったんじゃない?」
「難に事欠かなくて嬉しい限りです」
「言うようになったね」
大人もきれいなばかりじゃないし、汚いばかりでもない。大人だって何かを悩んだりしているのだ。ヨナスの両親を通してそれが垣間見れた気がした。
ヨナスの一件も収束し、僕らは再び安穏とした日常生活に戻っていた。
ルカの後見人は、すっかりヨナスのファンになったようで水曜日に午後から休みを取って、毎週遥々汽車に乗って来ているそうだ。酔狂がすぎるとヨナスは笑っている。勿論、学校にお赴き、フィン先輩と面会している様子もあった。上手に隠してはいるが、どうやら本格的にフィン先輩は調停者になるための進路について、あれこれ考えているのではないかと思う。
そんな中、パオルに手紙が届いた。パオルに手紙が届いたのはそれが初めてのことで、その手紙の主はパオルをこの学校へ入学させた神祇官だった。パオルが先日送った手紙の返事で、パオルは喜びを体全身で表していた。聖書を読み終えたら手紙を出すと言う目標に、彼は毎日頑張っていたのだ。
書き溜めた手紙に書きたいことは膨大で、取捨選択してどうにか封筒に入る厚さの手紙になった。そもそも便箋の枚数に限りがあった。
内容は感謝から始まり学校のことや僕達のことを書いたらしく、僕達のことに関してはいちいち許可を求めた。ルカは特に興味がない様子を見せたが、ヨナスは手紙の下書きにわざわざ添削までしていた。フィン先輩に至ってはどこから手紙を書くことを嗅ぎつけたのか、パオルに自分のことは書かないのかとしつこく聞いていた。
「結局パオルは僕のことについて書いたと思うかい?」
「どうでしょう。でもパオルのここでの生活はフィン先輩無くては書けないものだと思いますけど」
「最近パオルはいやに知識をつけてきたからね。上手に書いてしまうかもしれない」
「あまりしつこくすると、また怒られますよ」
開封の儀式という言い方が似合いそうな様子で、朝に手紙を受け取ったパオルだったが、日課を終わらせた後に手紙を読むのだと言い、その通り今日やると決めていた課題を全て終わらせた。
「開けるのが勿体ねぇ」
「開けないと読めませんよ」
「僕が開けて読んであげようか」
「それだけはやめろ。ベンヤミン、灯貸してくれるか。ちょっと隣の部屋行って読んでくる、ルカが邪魔をするからな!」
「良いですけど、ここで読んでもルカは揶揄うだけで邪魔しませんよ」
どうも気恥ずかしいらしく、宛名と差出人を裏返しながら往復するだけでその先へはちっとも進まず、ルカという言い訳を見つけて別室で読むことにしたようだ。確かにこの部屋では落ち着いて読むことはできないと思う。
ヨナスはまだ自主練から帰ってきていないが、ルカはヨナスの歌よりもパオルに届いた手紙に興味があるようで、無表情なのに目がぎらついている。
「手紙出したのも来たのも初めてなのかな」
「それは無いんじゃ…とも言えないですね」
「そうは言っても僕も事務報告的なこと以外の手紙って、来たことないんだけどね」
「僕もルカの件で出す以前には、そういった手紙は来たことなかったですね」
「あたしはファンレターいっぱい貰うわよ」
早々に練習を切り上げて帰って来たヨナスは、ふふんと自慢げに箱いっぱいの手紙を見せた。どうやらヨナスもパオルの手紙が気になっているようだ。
お店で金品の授受は固く禁じられた苦肉の策として、ヨナス愛好者たちは手紙だけはと渡していた。勿論店主の検閲をしっかりと受けたものだけがヨナスの手に渡されている。
「でも便箋と封筒の現物かその代金くらいは貰ってもいいんじゃないの?結構な頻度で返事書いてない?」
「返事が欲しい人ばかりじゃないのよね。だから返事を書くのってほんの一握りなのよ。結構な頻度で返事を書いているように見えて、あたしが遅筆なだけだったりするのよ……でもね、どこの誰だかわからない手紙の方が多いの。いつも見てます、素敵な歌声ですってそれだけの手紙も多いわ。自分がどこの誰でもいいけど、ちゃんと見てるし聞いてるって言うのを伝えたいだけなんだと思うの。それって素敵だと思わない?あたしはとても嬉しいの」
「なんとなくわかります」
「僕はちっともわからないや。見てるよ聞いてるよ好きだよって僕が言ってるってわかって欲しいよ。まだまだ子供なのね」
「大人になんてなりたくないからいいんだよ」
「そうだったわね」
ヨナスとルカはまるで姉と弟のようだった。
ヨナスが今のヨナスになってすっかり関係が変わってしまうように思えたが、相変わらず2人の仲はとても良い。最近特に何をするにもキャッキャと、可愛い声を出して戯れあっているのをよく見かける。
「パオル遅くない?」
「そうですね。そろそろ点呼ですし呼びに行きましょうか」
「感動して泣いてるんじゃないのかしら」
「泣いてたら呼んでよ!からかうから!」
「呼びませんよ」
隣の部屋をノックしても返事はなかった。恐る恐る開けると、そこにはうなだれたパオルがいた。足元には手紙が落ちている。
便箋の枚数は2枚で、繰り返し何度読んだとしてもとっくの昔に読み終えて戻って来ていなければおかしい枚数だった。
「どうしたんですか?とりあえず戻りましょう、そろそろ点呼の時間ですよ」
僕は何も言わないパオルの手を掴んで部屋へ戻った。勿論足元に落ちた手紙は拾った。部屋に戻ったと同時に点呼番の役員が来て、いつも通りに事務的に点呼を済ませて去っていった。パオルはどかりとベッドに腰掛けると、ばたりと体を倒した。
「お袋が親父に殺されて、親父は今塀の中だってさ」
「手紙、拝見してもいいですか?」
パオルは返事をしなかったので、無言の肯定と受け取って血の気が引き、手が震えるのをどうにか抑えて手紙を読んだ。
手紙は元気でやっていることを嬉しく思うから始まって、幾度も手紙を出そうか思案したと言う懺悔、パオルの両親の話、そしてパオルからの手紙でもう知らせても大丈夫だろうと思ったと締められていた。
弟妹はご両親が生きていた頃は通いで教会に来ていて、今は教会併設の孤児院にいるあった。簡単に書いてあるが、どの言葉もパオルを心の底から気遣っているような暖かい手紙だった。
「俺の親父アルコール中毒でさ。俺が物心着いた時からもうずっと酔っ払ってたな。機嫌の良い時は日銭稼ぎに行ってたけど、すぐそれも酒に変えちまっててさ。お袋はずっと内職したり体売ったりして、俺たちを食わせてくれてた。声を出したりしただけで殴られることもあったんだけどさ、そん時もまた声を出すと酷く殴られた。できる限りお袋は守ってくれたけど、金稼ぎに行ってていない時も多かったしな。いっぱしに走れたりできるようになると、食い物盗んでこい、酒盗んでこいって、できなかったらまた殴られたな。目の前でお袋が親父に犯されながら、お前もこうやって男にまた開いてこいって言われたよ。弟と妹が生まれてからは、お袋はそっち守るのに必死でさ。俺はもう気絶するまで殴られるか外で盗み働いてるかのどっちかだったよ」
そこまで一気に話すと、パオルは大きなため息をついた。
「悲しい?」
「わっかんねぇ。手紙一枚じゃなんの実感もねぇな」
僕は言い知れぬ疎外感を感じていた。
「今が幸せなら良いじゃない?今幸せじゃないの?神祇官だって気を利かせて黙っていてくれたんでしょ?」
「んなことはわかってるよ。そうじゃねえよ」
「入学してからずっと手紙一つ出さないんだから、そんなものよ」
「うるせえって」
「ヨナス」
「だって、ベンヤミン。2年もパオルが何も知らなかったなんてあんまりじゃない」
確かにそうだ。今だからこの程度で済んでいるのだ。2年前に彼が知っていたら、自暴自棄になって周囲に当たり散らしたりなど、彼の周り含めどうなっていたかなんて想像もしたくない。
父親が母親を殺したなんていう、三文小説や場末の寸劇で使い果たされたような話であったが、実際に身に降りかかる話だからこそ、不幸の象徴として語られるのだ。
生きて、自分の記憶にある生活があるのだと、疑うことのなかった2年間、母親は他界し、父親は収監され、兄弟たちは悲壮と悲痛の中、生家を離れ暮らしていたのだ。そう2年間、パオルは彼の母親の死を知ることができなかったのは事実だ。
「本当に僕らは親に縁が無いね。幸せな家庭なんて想像もできない。常に子供は親の顔色を窺って生きていかなきゃいけないんだ。ベンヤミンのところだけだよね、ちゃんと親が親らしいの」
そう言われてハッとした。
疎外感の正体はこれだ。だけど親らしい親と言われてもピンとこなかった。幼少期、父はずっと家を空けていたし、母も最低限の親としての責務は全うしていたと思うけど、僕を省みることは少なかった。少なくとも、3歳ごろまでは母と父に何らかの溝があり、それが埋められるまで僕はただの腫れ物だった。
父は帰って来ているとそれ相応の愛情を与えてくれたが、僕はそれをうまく実感できなかった。8歳の誕生日まで父親という存在がうまく理解できなかったからだ。
「比べてっていうのはおかしいけれど、比べるとちゃんと親らしいかもしれません」
「何それ」
「何でしょう。今、違和感があったんですけど、うまく言葉にできないんです」
「ベンヤミンもなんだな。オレたち親に恵まれねぇな」
「僕たちは親を選んで生まれて来るわけじゃないからね」
「つくづく僕らは敬虔な信徒にはなれませんね」
「オレもそれに混ぜるのか?」
ルカはパオルの隣に座り、寝そべるパオルに体を預けた。
「パオルはママのこと好きだった?」
「ワカンねぇ、好きとか嫌いとかそういうこと考えたことなかった」
「オレを生かしてくれる人だった」
「パオルから生きてる音がする。生きててよかったね」
死を望むルカがパオルの生を喜んだことに驚き、どうしてもそれが嬉しく思えた。いつもなら感動した僕は涙を流して喜んだのかもしれなかったが、どうしてか乾いた気持ちがじんわりと胸に広がっていた。
ヨナスはルカとは反対側に座って、優しい歌を歌い出した。賛美歌でも無い、流行りの恋の歌でも無いそれは、優しい子守唄だった。
僕はそれにもどうしてか虚しい気持ちになるだけで、愛想笑いを顔に張り付かせいつもの僕を必死に演じた。
イラスト協力:pizza様 https://www.pixiv.net/users/3014926




