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幸せを大事に思うように

 誘拐された生徒が帰って来ても、学校全体は騒然としたままだった。誘拐について軽々しく口にするなと口酸っぱく言われたにも関わらず、絶えず生徒は噂話に花を咲かせた。

 2人目に誘拐された生徒は、入院先から帰ってこずそのまま学校を辞めた。聖力が綺麗さっぱりとなくなったことが原因だと、役員会で報告された。見舞いに行った演劇部員は誰1人彼と会うことはできず、彼は警察の事情聴取もほぼほぼ答えずに実家に帰った。

 3人目はどうにか取り繕ってはいるが、あまり平常では無いようでこちらは規定値の半分以下の聖力になってしまったこともあって近々普通学校に転校するらしい。ルカはどこ吹く風か、あの夜以来以前とかわりない様子だ。努めてそうしているのかも知れないし、幼少時から似たような事があって慣れてしまっているのかもしれない。


「全員が全員相当酷い仕打ち受けたみたいだね」

「どこまで知っているんですか」

「ルカが一手に引き受けようとしたところくらいまでかな」

「後悔を自己犠牲で精算しようとした?でもルカは体は無事だって」

「怪我はしていないって意味だろうね」


 流石の僕でも、彼らとの付き合いが長くなると、見たくない深淵の姿形をぼんやりとわかってきていた。綺麗なものばかり見ていたいと、綺麗なものしか見たくないとはもう言えないところまできていて、それとどう向き合わなくてはいけないかということが、僕のジレンマでもあった。


 役員室には珍しく僕ら2人だけで、本来ならユマカ祭が終われば僕はここへの立ち入りはできなくなっているはずだったが、例年以上に人手が足りないため書類整理など雑用を手伝っている。


「3人目の生徒は気丈だよ。神々への信仰心を取り戻せたら戻ってくるって言ってる」

「聖力を取り戻すことは本当に可能なんでしょうか」

「どうだろう。彼らは神々の救いを求めてしまって、それが叶わないことに絶望したんだ。僕はとても難しいことだと思ってる」

「ルカは神々へ期待することも救いも求めなかったんでしょうか」

「信仰心の帰属がどこにあるのか僕にはわからないよ。でもルカの聖力は以前のままということは、その信仰心は揺らいでいないってことだからね」

「ルカの信仰の形を見ていると、彼らにも希望はあると思うんです。いつかこの事件と自分の心の折り合いを見つけ、それこそが神々が作ったありようだと気付けたら、また聖力が戻るのではないかと思うんです」

「楽観主義だね」

「よく言われます」


 入れ替わり立ち替わり役員が資料を探しに出入りしたが、僕らには一切気を留める様子はなかった。それだけ忙しいのだ。探して資料を確認したものを戻すのも僕の仕事だった。中身を見ないように所定の位置に収める。

 フィン先輩は今日も今日とて報告書を書いている。


「ただ見目が美しいだけだなのに、どうしてあんな酷い目に遭わなければならなかったのでしょうか」

「彼らが自分の欲を満たすことしか考えていないからだよ」

「欲、ですか?」

「僕らにだってあるだろう。君は役員になりたいという欲を持ってる」

「同列に語って欲しくはないです」

「同列だよ。そこに善悪が掛かってくるだけだからね。もしかしたら、本人としては微塵も悪とは思っていないのかもしれない」

「そんな…」

「だって君の姿に唾を吐く人間は、その唾を悪だとは思ってないんじゃないかな?」

「異教の姿だから……。でも異教相手だからって唾を吐いて良いのですか?」

「彼らにとっての善は異教を断罪することだとすると、彼らにとっての悪ではないよね」

「あっ……」

「そういうことだよ。彼らは心を神々に委ねようとも自身の善悪の中で生きてるんだから」

「まあ、でもルカは心配だよね。詳しい話は僕は聞けなかったけど2人の様子からどれだけ凄惨なことをされたかわかるし、ルカは彼ら以上だったはずだからね」

「ルカは以前と変わりないように見えます」

「見えるだけかもしれないね」

「そう思います」

「ルカをどうしたらいいって、もうここまで来たら君の手には負えないんじゃないかと僕は思うよ。専門の機関にお任せして、心の治療をしていく方が彼のためでもあるし、僕らのためでもあると思うんだ。信仰心と聖力が変わらないからって、心が無事とは限らないからね」


 ルカを手放すことを考えなければいけないのだろうか。今のまま。今のままでどうにかならないのだろうか。


「外部から惺々者が何人か来週から来るんだ。僕もだけど、君たちも惺々治療を受けてもらうからね。授業は受けさせる方向でって話だったんだけど、結構な人数を見てもらうから授業中に各々呼び出しを食らうと思うよ。って、聞いてる?」

「え、はい。聞いています」

「やっぱり当事者じゃなくても必要みたいだね」


 僕の顔を覗きにきただけのフィン先輩の手を僕は思わず掴んでしまった。初めて触れたフィン先輩の手は、とても冷たくて、その冷たさになぜかそれが悪いことのように思えた。


「フィン先輩もですか」

「もちろんそうだよ」


 フィン先輩は優しくてを解いて、席に戻った。


「やっぱり聞いていなかったね。様子見だけどこのまま喧伝が酷いようなら、全校生徒っていうこともあるかもしれないね」

「僕は、どこかおかしいでしょうか」

「どうした、ベンヤミン」

「不安なんです。手放してしまうことが、目が届かなくなってしまうことが」

「別に、惺々者ろ君の本来の役割が同じでも、君が用済みって話でもないし、今、部屋割りを変えるなんてこともないよ。ちゃんと君たちの部屋に帰ってくるし、今までと変わらない生活を遅れるはずだよ。ルカ場合、元々の不安も多いから、君の精神衛生上の負担を軽くするためという判断なんだし。ルカのご両親の話の時のことを僕らは反省しているんだ。取り返しがつかなくなっては遅い」

「フィン先輩もそうやって大人になっていくんですね」


 言ったその場で後悔した。これじゃまるでルカだ。


「すみません、失言でした」

「ルカに当てられてるね。あまり良くない傾向だ。あのひどい頃に影響を受けなかったのに、今になって受けるということは、ベンヤミンも惺々治療を受けないとね。このままだと、部屋替えを考えなければいけなくなるよ」


 フィン先輩は困った顔をして、午後の授業に遅れるよと言い残して僕を立たせてから足早に役員室を出て行った。

 僕は言いようのない不安に駆られて、その場を動くことができなかった。そしてすっかり午後の授業をサボってしまい、放課後のルカと話す時間になってもその場を動くことができなかった。

 役員たちは僕に来るのが早いと言っていつものように資料を放置して役目を果たしに行くが、多分僕が午後の授業をサボったことはお見通しだろう。


 頭の中でずっと同じことばかりをぐるぐると考えてしまっている。ルカたちを拐って酷いことをしたのは大人だ。でも僕たちに協力してくれてルカたちを助けてくれたのもまた大人なのだ。

 良い大人と悪い大人がいるのはわかっている。良い子供と悪い子供だっている。大人も子供も関係なく人として善人と悪人がいる。パオルがここに来る前にしてきたことは僕の価値観からすると悪になる。でもパオルが生きるためには仕方のないことだった。ヨナスだって、ご両親から見ればヨナスは悪い子供なのだろう。そして僕も隣国の異教徒の姿をしているため、敬虔な信徒にとって僕の姿はまさしく悪になるのだろう。

 

 この状態でルカに会えるかと言ったら、不安しかない。

 それでも僕は、約束だけは守らなければと、重い腰を上げて自室に帰った。バツが悪くてルカとどう顔を合わせていいかわからなかった。うまく誘導できればルカは読書の体勢に入ってくれるかもしれないと、どうしようもない逃げの考えばかりが頭を巡らせながら役員寮に戻った。

 この時間は普段ならヨナスは聖歌隊の練習に、パオルは図書室にいるはずだった。しかし、なぜかヨナスがユマカ祭の日に着ていた白いドレスを着て部屋にいた。


「どう、したんですか?」

「ルカ、だけ、このドレス、で歌う所、見て、なかった、から」

「そうですけど、練習は良いんですか?」

「いいの!無事に帰ってきたお祝いだって!ベンヤミンも混ぜてあげるんだから文句言わない!」

「ありがとうございます。でもパオルはいいんですか?」

「誘ったけど、戻れたら戻るとしか聞いてないよ」


 ルカは特設会場と言わんばかりに、どこからか持ってきた木箱を部屋に並べていた。そしてどこから借りてきたのか携帯用の蓄音機まで用意していて、ルカは慣れた手つきでレコードをかけた。

 ヨナスは舞台上でニコニコしている。

 あれだけ不安の中戻ってきたのに、何とも贅沢な時間が待っていた。


「ルカとベンヤミンのために歌うわ」


 そう言って、ヨナスは歌いだした。吃らないヨナスに驚いているかと思えば、ルカの様子は変わっておらずしっかりとヨナスの方を向いて聴いていた。

 ユマカ祭の夜を思い出した。街の熱気とお酒とタバコの匂い、人々のざわめき。あれからヨナスとバレてしまったのではないかと実のところ不安だったが、誘拐事件が起こりすっかり誰もが忘れているようだった。

 砂糖菓子のように甘く笑うヨナスは、次々とルカの掛けるレコードに合わせて歌っていく。慣れた手つきでレコードをかけるルカは得意げにこちらを見る。

 あの時歌った歌を全て歌い終わると、僕らは力一杯拍手をして感想を次々にヨナスへ送った。ただし、アンコール曲は今日は歌わないようだ。


「あたしね、こうして歌えるようになってとっても幸せなの。歌うことが元々好きだったけど、もっともっと好きになったわ。自分のためだけに歌っていたけど、大切な人のために歌うのってこんなに幸せなことだとは知らなかったの。だから、ありがとう。ベンヤミン、ルカ、そしてパオル」


 いつの間にかパオルも帰ってきていた。黙って扉にもたれて立っていた。


「帰ったなら言ってください」

「1曲目の途中から居たんだがな。ルカは気づいてたよな」

「扉開いたの気づかないベンヤミンが鈍いんだよ」

「遅れたのは悪かったが、俺なんかが返却期限守んねぇと次がねぇからな。しっかし、何で最近図書が混んでんだ?」

「ああ、そろそろ卒業論文の時期だからですかね。フィン先輩もこれから大変なんじゃないですか?」


 フィン先輩が調停者になるのなら卒業論文は必要なくなるなと、ふと頭を過った。もうフィン先輩にも決めなくてはならない時間が迫っているのだと気づいた。僕らにかまけてばかりのフィン先輩も、そろそろ僕らではなく自分と向き合わなくてはいけない。


「ああ、あれか、神々や精霊王についてとか、結界についてとかそういうの調べてまとめるやつか」

「パオルも来年やるんですから、そろそろ題材を考えてもいいんじゃないですか?」

「そんなのしなくちゃ卒業できないんだ」


 ルカはヨナスの着替えを手伝いながら、こちらの話に入ってきた。


「それを持ってどこの支部に行くかが決まるんですよ」

「もちろん7年生にならないならいら、ないんですけどね」

「一応7年生が終わった後、5年はクォルよろしく、関係各所にいなきゃなんねぇからな」

「へえ。絶対僕はクォルなんて耐えられそうもない」

「仕方ねぇよ。タダで通わせてもらってるからな、それ分は返さねぇと」

「その後はどうするの?聖衣作るところに配属してもらうの?」

「できればそうなれたらいいと思ってる」

「そうなんだ」


 ルカはいかにも驚いていますといった声色で、どうして驚くのか不思議に思った。


「ルカは、神祇官以外に何か将来したいことがあるんですか?」

「将来なんか来るなんて考えたこともないからなあ」

「考えてもいいんじゃないですか?」

「ぼんやりとヨナスの歌を聴きいていられるなら、良いよね」

「ヨナスは多分中央神殿に配属になると思うので、いくらルカでもとても頑張らないといけないと思います」

「気合い入れて大人にならなくちゃいけないじゃないか」

「良いじゃないですか。ヨナスの為に大人になるのも」

「そんなんで良いの?」

「むしろ何がダメなのか逆に聞きたいです」

「時間が経てば勝手に大人になるもんじゃねぇのか?」

「なんか僕が考えてた大人の感じと違う」

「ルカは大人っていう存在に夢を見過ぎなんですよ。きっと、だからその理想に当てはまらない存在絵を気持ちが悪いと思ってしまうのではないですか?」

「どうなんだろう?そうなのかな?」


 僕は思わず、ヨナスとパオルと目を合わせてしまった。ヨナスもパオルも僕も大人と子供の違いなんて年齢としか思っていないのだ。


「答えは急ぎませんよ、まだまだルカが大人になるまでには時間がありますから」

「でもフィンもパオルも、すぐに大人になってしまう」

「年齢を基準として考えるか、一人前を大人って考えるかどうかってところはあると思うがな」

「18歳でも子供かもしれないってこと?」

「人の親になったところで、ガキみたいな頭のやついっぱいいるしな。現にオレの父親なんかその代表だよ。金持ちのガキみてぇに癇癪起こしちゃ、金もってこい酒もってこいって喚いてたからな。それはお前の言う汚い大人かもしれねぇが、今のオレにとっちゃあただのデカいガキにしか思えねぇよ。ただ体がでかくてあの頃は立派な大人に見えてたけどな」


 そこまで言うと、パオルは少しだけスッキリした顔をして大きく息を吐いた。


「僕の父親は僕の母親のために事業を拡大したんだって聞いてます。初めは絹糸の貿易の仲介役だったらしいんです、だから動機なんてそんなもので良いんですよ」

「ベンヤミンは商家の出なんだ」

「そうですよ。隣8国の人が出入りしていましたね」

「すごい。この国もそうだけど神聖国って閉鎖的なのに、竜護の国とも交易があったってこと?」

「そうですよ。ハビャはあまり良い顔をされないようですけど、父は気にしませんでしたね。それよりこの国にない珍しいものを求めることばかり考える人です。この国のものもあちらに輸出する仲介をしたりと忙しそうですよ」


 ヨナスはすっかり着替え終わり、化粧も落とし、いつも通りぼんやりとこちらの話を聞いている。

 そういえば、諸々の事件のせいですっかり忘れていたが、ヨナスの口調が流暢になるのはどうしてなのだろうか。和気藹々とした中でその話題を出すのは気が引けた。


「ベンヤミンは、聖力が高くなければ家を継ぎたかった?」

「家を継ぐのは上の兄2人ですし、きっと僕は別の道を歩んでいたと思います」


 3人が心配そうな顔を僕に向け、慌てて釈明をした。


「両親も兄達も僕を厄介者にしてはいませんよ。僕自身と周りが僕を厄介者扱いするんです。僕の家族以外の親戚とか、使用人とかですね。兄2人はとても優しいですよ。僕をいつだって兄と同じ色の弟のように扱ってくれましたし」

「お兄さんいるようには見えないけど」

「でも末っ子感はあるな」

「兄2人と言っても10歳以上年が離れていますからね」


 自分から家のことを話したのは初めてだった。自分でも驚くほどするりと出てきた家族の話に、自分自身驚きを隠せなかった。他人の話ばかり聞いて自分の話を一切しないというのはどうかと思うというところあった。単純に機会が無かっただけと言ってしまえばそれまでだが、僕自身そこまで口に出したい話題でも無かったのだ。

 それがどうだ、するりと出てきてしまっている。僕自身も彼らのおかげで少しずつ何かが変わっているのだろうか。


「僕はヨナスに兄と妹がいるのが驚いた」

「一人っ子っぽいもんな」

「あの手紙の感じから言うと、もうヨナスに並々ならぬ愛情を一心に注いでる感じがするよ」

「そ、そう、かな?」

「なんで今ヨナス照れたんですか?照れるところじゃないですよね?」

「そう、なの?」

「僕は最近弟ができたよ!!顔も名前も知らないけどね!!!」

「知ってる」

「知ってます」

「しっ……てるよ」

「うちはちょっと年の離れたのが下に4人居るぜ」

「何となくわかります。案外世話焼きなのはそこからですかね」

「わかる」

「わか…る」

「ヨナスもかよ。一応俺を世話してくれた神祇官に任せてるから、大丈夫だとは思うが」


 この時間を愛おしいと思った。


「予…鈴が、鳴る、よ」


 そうヨナスが言い終わると同時に遠くで夕食の予鈴が鳴る。僕らはこの幸せな時間を名残惜しく思いながら、寄り添い合いながら食堂へ向かった。

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