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何も持たない無力な僕ら

 突然ルカが行方不明になってから丸2日が経った。校内のあらゆる場所を探した僕らだったが、とうとう丸2日見つからないままだった。死なないと約束していたが、どこかで死んでいるのではないかと僕らは必死になって探した。

 何の前触れも無かったが、彼は常に死にたがりで、きっかけなんて些細なものだけで良いように思えた。それが悪いものでも良いものでも構わない。

 しかし、僕との約束を守って死んでいないと言う思いだけは捨てられなかった。それに、ルカは自分の死を誇示したいのではないかと考えたからだ。両親に、僕たちに、自分は子供のまま大人になることなく死んでやったぞと。


「本当に、あのバカどこに行きやがったんだ」

「足取りが全く掴めないなんて」

「学校の外っていうことはねぇんだよな」

「無いとは言い切れませんけど、そうなるともう手も足も出せません」


 事の起こりは2日前、ヨナスの練習室にルカが現れないところから、彼の行方はわからなくなっていた。夕食の時に点呼があるので、食後までは確実に学校内にいたことだけはわかっている。

 いつでもふらりとヨナスの練習中にいつの間にか現れていて、所定の位置に座って聴くというのがいつもの様子だったらしい。行けない日は前もってヨナスに知らせていたらしく、その日は何の音沙汰もなく来なかったようでヨナスも心配したらしい。部屋に戻ってもルカがいないので、僕らに相談しそれからすぐに点呼となり役員に事の次第を知らせた。

 またかといった態度で捜索隊が編成されて、今度は正式に僕らも混ざりルカを捜索した。消灯時間を過ぎてからは神祇官たちが探してくれたが、結局丸2日見つかっていない。


「明日ルカの後見人がこっちに来るって、ご両親も何も知らないみたい」

「そうですか。警ら隊には知らせたんでしょうか」

「致し方ないと言った様子だけどね」

「本当にどこに行ったんでしょうか」

「死んでないと良いんだけどね」


 本当になんの前触れもなかったのか、僕らはそれぞれ呼び出されて事情聴取された。でも僕らには本当に答えられることは一つもなくて、特に僕は彼をほんの上澄みしか知らないでいることに改めて気づかされて酷く落ち込んでいた。

 僕よりもヨナスの落ち込みようは酷くて、今日はどうしても歌えないとお店を休むと言った。以前も同じようなことがあったが、その時には無理にでも行かせた。

ルカは部屋に居たし、僕らも体調が悪いだけだと今のような遣る瀬無い不安に駆られることは無かった。

 しかし今回は事情が違ったし、ヨナスは練習すら満足にできて居ない様子だったので、僕らは神祇官に相談して、無理強いをしないことにしたのだった。


「本当に、何も知らない?」

「知らないも何も、僕らはいつも通り過ごしていたんです。そもそも何か知ってたら、今頃ここにルカがいますよ」

「そうだよねー、ほんとどこに行ったんだろう」


 間延びした声色とは裏腹に、フィン先輩は疲労の色を濃くしていた。未だ例の写真に関連したあれこれで役員たちはただでさえ忙しくしているのだ。神祇官たちは半ば諦めた様子の中、僕たちは授業の時間以外をすべて捜索に使っていた。

 しかし、点呼以降はそれは認められず、僕たちは見つけられないことに日に日に苛立ちを隠せなくなっていた。


 フィン先輩はどうやらヨナスの送迎係もやっているようで、この日もヨナスと一緒に戻ってきた。もしかしたらルカがふらりと戻ってきてヨナスの練習場所で以前のように座っている気がするらしい。


「なあ、誘拐されたとかじゃねぇよな」

「誘拐ですか?」

「人さらいって俺の街じゃよくあったんだよ。綺麗な子供とか特に狙われてた。俺の知ってる奴も何人か街から消えてたぜ。綺麗だったり可愛かったりした子だった」

「でもわざわざ学校に忍び込んでまで誘拐しないでしょう」

「普通はな。でもあいつのあの見た目だからなー……、大金出しても欲しいって奴は山のようにいそうじゃねぇか」

「そういえば、例の写真ってルカのもあったんですよね」

「回収できなかった街の方で出回ってた写真!」

「その中にルカがいたとしたら」

「そっちの線は全く考えていなかった。お手柄だよパオル。そうだよ。ヨナスの練習室は聖堂のすぐ裏手で門扉からも近いじゃないか」


 フィン先輩は慌てた様子で宿直の教師に報告しに行った。ルカがいなくなってからは毎日宿直の教師が泊まっていた。今日の今日でどうにかなるとは思えなかったが、それでもあしたの朝一で何か対策が立てられるかもしれないとわずかな希望が見えた気がした。


「パオルは機転が利きますよね」

「きてん?ちょっと待てよ」


 そう言っていつものように辞書で調べる。


「ああ、そうか。んなこたねぇよ」

「いつも助けられています」

「お前らとオレと見てきたもんが違うんだよ。おれはお前らよりちょっとだけ、薄暗い汚ねぇもんが身近にあったってだけだ」


 翌日には誘拐されたという線が濃くなったとして、校内に警ら隊が入ってきた。改めてクラスメイトから、僕ら同室の生徒、はてまた文化祭で関わった演劇部員までくまなく事情聴取された。どうやら燃やしたと言われていた例の写真は何かあった時のためにと神祇官の元で一枚ずつ残されていた。

 その中にルカの写真も複数枚あり、僕らは媒体化されたルカを客観的に初めて見て、改めて彼がどれだけ飛び抜けて見目が美しい存在なのか目の当たりにした。すぐさま写真の売買をした犯人も事情聴取されたが、売った人間をいちいち覚えていないと言われて捜査は難航した。

 子供の僕らは何一つ手も足も出せなかった。守られた箱庭で右往左往していることしかできない自分が歯痒かった。


「縁を切ったからって、やっぱりご両親は非協力的みたい」

「そうでしょうね」

「後見人は方々に協力を要請しているみたいだけど、進展ないみたいだね」

「せめて生きているという確証さえあれば良いんですけど」

「生きているのか、死んでいるのか、それすらもわからないのは辛いね」

「ルカが死にたがりでなければ、死んでいるって選択肢は外せたんですけどね」

「ほんとそうだよ」


 安易にルカが死んでいるとは思いたくなかったが、どうしても彼が卒業までは死なないという言葉を信じるには今の僕の心はすっかり弱くなっていた。無事であって欲しいと望みながら、彼がいなくなって8日が過ぎようとしていた。

 僕らは苛立ちと不安をだんだん心の中に溜められなくなってきていた。ちょっとしたことですぐ言い合いをしてしまうようになってしまっていて、僕は自分の心を平静に保つのに必死になっていた。


「こんなにすぐに慣れちまうもんだとは思わなかった」

「日常を守って、ルカが帰ってきやすいようにしておかないといけないと思うんです。ヨナスだって、なんだかんだで木曜日からちゃんと練習に行ったじゃないですか」

「そうだけどよ」

「慣れたんじゃないんです。普通にしようと努力しているんです。僕だってできたら街に行ってルカの名前を叫びながら探して回りたいですよ。でもちゃんと警ら隊も、ルカの後見人もちゃんと動いてくれているんです。僕たちはただただ待つしかないんです」

「わかってるけど、わかってるけどよ」


 実体験として誘拐を間近に感じてきたパオルは、僕らとはまた違った焦りや心配があるのだろう。


「一つ聞きたかったんですが、パオルのいた街で誘拐された子供はどうなったんですか?」

「ん?さあな。売られたんだろうけど、幸せにやってれば良いがな。そういえば、そうだな、あそこにいた時にはそれが日常だったし、一人いなくなったくらいじゃ誰も何も騒ぎはしなかったな。そこにいた時はヤベェ街だなんて思ったことなかったけどな」


 子供が一人いなくなっても誰も気にしなかった街で育った、文字もろくに読めなかった子供は、粒粒辛苦の賜物ですでに聖書を読み終えていた。ルカの教科書を借りて勉強するパオルは、物凄い速さで様々なものを吸収していた。

 縫い物も続けているようで、文化祭の伝手で手に入れた余り布などで髪飾りや装飾品を見よう見まねで作っている。売り物とほとんど遜色ないように見えるそれらは、完成したら路地裏の店に持っていくと言っていた。

 それもここ8日すっかり何も手をつけていない様子だ。集中できる限り勉強だけはしているようだが、ルカの教科書を使っているためどうしても気になってしまうのだろう。


 この休息日に街へ出てルカを探そうと思っていたが、外出禁止が言い渡され、役員にもどうにもできなかった。生徒たちの苛立ちがルカに集中して、役員は総出でその対応に当たっていたりする。

 事の発端が写真だということもあり、罰則を受けていた生徒は身の安全のために反省房で過ごす期間が伸びたりなどしていることも忙しい原因の一つだ。特にフィン先輩は学校とルカの後見人の仲立ち役になっているため疲労困憊の体に鞭打って走り回っている。


「もう10日になる。諦めた方が良いのかもしれない。ルカの後見人も半ば諦めで、管理している財産をどうするかご両親に掛け合うそうだ」

「もうですか、早くないですか?」

「もしルカが死んでいた場合、遡って行方不明になった10日前が死んだ日になるんだって。死亡した際の委託管理財産の処理は14日以内に書類を作ってしかるべき相続先を決めなければならなくて、あっちも方々手を尽くしてる状態だよ。糸口も見えないのだから、しょうがないんだけど」

「そんな……」

「彼には今後ろ盾がないんだ。確かに彼は生活に困らないくらいのお金を持っているけれど、書類上は孤児で後見人も血が繋がっていない調停者だ。純粋な気持ちで彼を見つけたい人は僕ら子供しかいないんだ。わかるよね」

「でも」

「どうしようもないんだ」


 僕はどうしたら良いかわからなかった。

 どうして自分はまだ子供なのだろうかと、どこにぶつけて良いかわからない苛立ちをどんどんお腹に溜め込んだ。溜め込むだけ溜め込まれた苛立ちは出口の見えないまま、僕は日常へ溶け込むしかなかった。


 二人目が居なくなったと騒ぎになったのは、ルカがいなくなってから10日目だった。ユマカ祭の演劇公演の午後の部で主役をやっていた生徒だった。彼はいつものように元講堂の演劇部部室で練習を終えて寮に帰る途中、忘れ物があると言って1人でどこかへ行ったきり姿を消した。どこに忘れ物をしたのかは誰も聞いていなかった。彼はルカとはまた違った綺麗な生徒で、女性役が似合っていた。


「とりあえず、ルカの後見人に待ったをかけたよ」

「完全にあの写真が原因でしょうね。演劇部員の演者の写真は群を抜いて多かったのでしょう?」

「そうみたいだね。こうなると神祇官に写真に写っている生徒を秘密裏に呼び出してもらって注意喚起してもらわないと」

「周知させないんですか?」

「生徒の中に手引きをする者がいないとは限らないし、神祇官以外の教職員も信用できない」

「案外四面楚歌ですね」

「情報が少なすぎるからね。だけど、神祇官だけは信用できるのは大きいよ。まぁでも僕らにできるのは精々警戒を強めることくらいだね」

「ヨナスが、心配ですね」

「彼は大丈夫だと思うけど。実際見るともさっとしてるし、歌っている時とのギャップが激しいからね」


 路地裏の店の店主も警戒してか、今週も店に来なくていいとわざわざ伝えに来てくれた。街でも随分噂になっているようで、街の子供は外で遊ばないようにとキツく親に言われていると言っていた。街ではまだ誘拐された子供はいないらしい。

そして次の週にまた一人生徒が拐われた。生徒は必ず3人以上が一緒になって行動することが義務付けられていたが、どれだけ警戒しようと隙は生まれるものらしい。

 今度も演劇部員の演者で、学年的に主役ではなかったがルカに負けずと劣らず見目の美しい生徒だった。彼は通し稽古中に忽然を姿を消した。舞台袖で自分の出番を一人で待っている間のことだった。

 誰もそんな白昼堂々、それも大勢の生徒がいる中で拐われたとは誰も思わなかった。彼はあまり体の強い生徒ではなく、はじめはいつものようにどこかで休んでいるのだと思われていた。

 彼の行方が分からなくなったと発覚したのは夕食の点呼の時で、ルカや二人目と同様捜索隊が結成され、日付が変わる頃まで捜索が行われた。しかし見つ蹴ることはできなかった。ルカは違うのだが、毎週ロシェの日に生徒が拐われると、方々で噂になった。


「最悪な状態だな。この厳重警戒の中、誘拐できるもんか?」

「生徒が一人になる瞬間を確実に狙っていますよね」

「あんだけ大勢がわらわらいる演劇部の練習中に行方不明とか、どうしろって言うんだよ」

「これ本当に外部の人の仕業なんでしょうか」

「生徒か教職員の中にいるってのか?」

「そうじゃないと色々とおかしんですよ」

「そうだがな、もし犯人がいたとして誘拐の目的はなんだよ」

「それが一番の謎ですよ」


 今の時点で3人が誘拐されている状態だ。どの生徒もルカを筆頭に見目が麗しい生徒だ。2人目の後から学校内に常時警ら隊が校内を巡回しているし、神祇官達の巡回も朝から晩まで行われている。

 この状態からどうやって3人目を誘拐したのか、いくら1人だったとしても大勢の生徒がいる場所で起こっているため、正直教職員を疑う他ない。


「ベンヤミンはルカと懇意にしてた教師知ってる?」

「授業を担当していない教師なので直接は知りませんが、ルカに怪我をさせた教師ですよね」

「僕はその教師が怪しいと思うんだけど」

「安直に疑いますね。当直に当たる教師はもれなく全員事情聴取受けたじゃないですか。警ら隊の怒号を聞いた生徒もいるという噂ですよ。そん状態で嘘をつき通せるものですか?そもそもここはユマカの学校ですよ。ミスネアの宣言しているのに?」

「教職員はミスネアの宣言はしていないんだよ」

「じゃあ教職員は秩序に反したことができるんですね」

「そうなるね」


 フィン先輩は大きくため息をつくとその場にしゃがみ込んだ。


「相当疲れていますね」

「そりゃあ疲れるよ。不安がる生徒は多いんだ。あっちこっちでいざこざが起こってるよ」

「授業中にも起こってましたね。でもどうしてルカ以外の2人はロシェの日だったんでしょうか」

「そんなの犯人に聞きなよ」


 大きなあくびをして、注意散漫といった様子を見せるフィン先輩の目の下には大きな隈ができていた。目に見えて学校全体が疲労していた。写真が撮られた生徒は少ないとはいえ、彼らをどうにか守ろうと紛糾する生徒達は疲労の色をにじませていた。


「その写真に役員は入っていなかったんですか?」

「どうして?」

「もうこの際、おとり作戦でもしたらどうかと思ったんですけど」

「僕も学校側に進言したよ。でもダメだって危険だって一蹴されたよ」

「それもそうですね」

「学校に内緒でやりたい所だけど、君は賛成のようだね」

「賛成というか、もうそれしか手段がない気がしているだけで……。子供だけでは危なくないですか?」

「協力してくれる権力を持った大人か……犯人が例の教師だと目星をつけているといえばいける気がするんだよね……」

「悪い顔してますね」


 その後のことは全部がフィン先輩からの伝聞だ。

 なんと協力の要請先はルカの弁護士だったらしく、どうにか保護者枠と職業枠でロシェの日に学校内に入っていたらしい。フィン先輩は聖歌隊の練習の後、自然な様子で1人になりそこに現れたのは例の教師だった。まさかフィン先輩本人が囮になるとは思っていなかったので、パオルと一緒にたいそう驚いた。


「それからはもう知っての通りの大騒ぎ」

「また腕の骨折れるし、なかなか口を割らないしで大変だったんだから」

「まさかフィン先輩もだったなんて知りませんでした」

「ルカが入学してくるずっと前だよ。嫌な視線を送ってくる教師だなって思ってたんだ。二人きりになるように仕向けられたこともあったけど、昔からこんな性格だったからね。上手に交わしていたのを思い出したんだよ。まあでも、協力してくれる大人を思いつかなきゃ、無理だったね。かなりあの人にこっぴどく叱られたけど」

「そりゃそうでしょう。大人ってルカの後見人1人だったんでしょう?」

「まさか。あの人の監督域の調停者全員動員してくれたよ。学校を上手いこと誤魔化すのには骨が折れたけどね」

「あの教師が犯人だと思ってたから、僕も十分に休養をとって体調を万全にして挑んだし。一番身に染みたのは警ら隊からの説教だけどね」

「もう十分に叱られた後なんですね」

「学校側はパオルの件で僕がこういう手段に出る可能性が高いってわかってたのに僕を警戒しなかったことをとても後悔してるみたいだけどね」

「その腕を見るとそうなるでしょうね」

「正直、この短期間で二回も同じところを骨折するともう慣れたもんだけどね」

「そういう問題じゃないです」

「まあでも、パオルには悪いことしたと思ってるよ」

「あんな青い顔のパオルは初めて見ましたよ」

「折を見て、謝らないとね」


 ルカ達3人はどこかに売られていく寸前だったらしい。

 大人は”どこか”を知った上で、僕たちには明らかにしなかった。学校からほど近い、教師の住まう家の地下室でルカ達は発見された。特に目立った外傷はなかったと聞いた僕らは心の底から大きく安堵した。犯人の教師の犯行動機はいたって単純なものだった。

 ルカがつれなくなり、2人目も3人目の生徒も第二第三のルカになってくれなかったと言う理由だ。5人集めれば高値で売れたそうだが、その教師が校内を自由に歩けるのは毎週ロシェの日で、その時にしか誘拐の機会がなかったのだと言っていた。

 つまりは一方的な復讐だった。事情聴取という名の尋問をされたはずだが、よく口を割らなかったと関心した。


「別に入院するほどじゃなかったと思うんだよ」

「でもルカの場合3週間以上も監禁されてた訳ですし」

「まあね。ご飯は1日に1回だったし、なかなかに辛かったけどね」

「無事に戻ってきて本当によかった」

「お、おか、えり」

「その顔を見るに、パオルも心配してくれてたんだ。嬉しいな」

「当たり前だろう」

「捜索隊にも巡回にも許可される範囲で混ざってましたよ」

「ばか。それ言うな!」

「いいじゃないですか。心配をしたことには変わりないんですから」

「ああ、そうだよ。もう居ても立ってもいられないくらい心配したよ」

「あはは照れてる。おかしいの。でも本当に嬉しいな。僕はずっと君たちのことを考えてたから。心配してくれてなかったらどうしようって、帰ってこなくて良いって思われてたらどうしようって」

「んなこと思わねぇよ。戻ってきて心底安心した」

「そうだね。良かった。心配してくれて。戻ってきて良かった」

「つ、つら、かった、ね」


 ルカはヨナスに思い切り抱きついて、全身でヨナスを堪能した。それを見た僕はやっと日常がここに戻ってきたのだと、肩の力が抜けた。


「何が一番辛かったって、ヨナスの歌が聞けなかったことだよ」

「今回は酷いことされてなかったみたいですね」

「あー……売り物だって、言ってたからね。なんかあの写真はああいう人の界隈で人気みたいだね」

「考えたくない」

「もう僕なんか最初の頃は諦めてたよ。助けが来るなんて思わなかったよ。でも2人目が来たところで、僕だけじゃないからもしかしたらって希望を持った。諦めないでくれてありがとう」


 助け出されたというルカに会えたのは3日後で、学校に戻ってきてからだった。病院直行で、その後事情聴取されてからの解放だった。何度も学校に掛け合ったが、外出の許可は降りずに、パオルは脱走するかなんて物騒なことを言っていたが、どうにかそれは僕とヨナスで止めた。


「それにしても僕もなかなか苛烈な人生を送ってるよね」

「本当に」


 視界の端でパオルが苛烈について調べているのが見える。じわりと日常が戻ってきたことを実感する。


「でも神様って本当にいるんだと思ったよ。聖力の割にそんなに僕は信心深くないのにね。ヨナスの歌を毎日近くで聞いてたからかな」

「ご、ご利益?」

「一番心配かけたよね。ありがとうヨナス」


 でも本当に神様がいるのなら、ルカをこんな目に合わせないで欲しかった。ルカなら越えられる試練だったとでもいうのだろうか。僕に神の声は届かない。


 ルカは点呼後に僕を1人別室に呼び出した。あれ以来掃除をしていなかったこの部屋は少しだけ埃っぽかった。弱くなってしまった灯がぼんやりと僕らの輪郭だけを照らしている。


「抱きしめてもらっていい?」


ルカは気恥ずかしそうに、それでいて心許ないといった声色で言った。


「いいよ。僕でいいの?」

「ベンヤミンがいい」


挿絵(By みてみん)


 椅子に座るルカの小さい頭を抱きかかえる。確かに生きているルカがそこにいた。僕はルカが生きていることが何よりも嬉しく思った。


「体は無事だけど、もう心はボロボロだよ」

「何か言われたんですか?」

「演劇部の人が来るまで、いかに僕という存在がいらないのかをずっと喋ってた。感情が顔に現れないっていうのも気持ち悪いって、罵っていたね。だから親にも誰にも、自分にも捨てられたんだって、誰も探しになんかこない、助けにもこないって。ちゃんと助けてもらったのに、体空いた穴がもっと大きくなった気がするんだ。今だって、抱きしめられているのに虚しい。こんな虚しい気持ち、ヨナスにもパオルにも知られたくないんだ」


 10日間ずっと自分が誰にも必要無いと言われ続ける恐怖を肌で感じた。僕の存在もそうなのだ、だからここでこうして誰かに必要とされたくて必死にあがいている。大人になればもっと誰かの役に立てるし、誰かに必要とされると信じて疑っていない。僕の過去という存在が、僕の口に蓋をしていて、ルカを慰める上っ面な言葉すら出てこなかった。


「これほど死んでしまいたいと思ったことは無いよ。入れ替わり立ち替わり大人が来て僕を吟味するんだ。体を弄って、そしてあれこれと僕を評価していく。演劇部の人も同じことされるのかと思ってたら、彼らは違うんだって鼻で笑ってた。どうして同じように苦しませてくれないのかって思ったよ。でも、それを思った瞬間もう僕は自分で自分が嫌になった。パオルじゃないけど、僕はずっと心の中で神に祈ったよ。僕だけでいい。苦しみも何もかも僕だけでいいからって」


 ルカの白い肌はより一層白くあり、体温が下がる。どれだけの恐怖がルカに襲ったのかと思うと、心臓が大きく軋みいから何かが逆流しそうな嫌悪を感じた。おかげで僕の口からようやっと枷が外れた。


「僕はその辛さをルカと共有してあげたかった」

「だめだよ。辛いよ。これ。こんなこと言っておいてなんだけど、ヨナスが無事で良かったって思ってるんだ。次に来るのはヨナスだと思ってたんだよ。ヨナスの練習室、門扉から近いじゃん」

「ルカがどんなに自分を責めようと、僕はルカが戻って来てくれて嬉しいです。でも僕はルカがこんな目に合うような罪や咎を持っているとは思っていません」


 僕は力一杯抱きしめた。ルカは痛いと文句を言ったが、同じくらいの力で僕を抱きしめ返した。背中に回る細い腕は、小刻みに震えていてどうして彼ばかりにこんなに辛い試練をお与えになるのかと神々を恨んだ。

イラスト協力:pizza様 https://www.pixiv.net/users/3014926

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