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同室になる3人

 まずは一番年上のパオルの所から行くことにした。

 部屋の前に行くまで、フィン先輩は既に懐かしいと、キョロキョロとしていた。


 パオルの部屋の前に着くと、先導してくれていたフィン先輩が急に立ち止まった。それから後ろにいる僕にも分かりやすく大きく息を吸って、大きく息を吐くいた。まるで僕よりも緊張しているように見える。

 深呼吸をさらに3度ほど繰り返して、フィン先輩は勢いよく扉をノックした。中からの返事を待たず、これまた勢いよく扉を開けた。


挿絵(By みてみん)


「やあ、引っ越しの準備は終わったかな?」


 部屋にはパオルしかおらず、フィン先輩をじっとりと睨みるけると、荷物の方へ視線を移動させた。


「これが終わっていないように見えるのか?」


 ピリピリした空気が伝わって来る。このふたりは仲が悪いのだろうか。

 フィン先輩はパオルの様子を気にもとめず、入り口に立ちすくむ僕を部屋へ招き入れた。


「この子が今日から君と同室になるベンヤミンだよ」

「ベンヤミンです、パオル、これからよろしくお願いします」


 差し出した手をぞんざいに握り返し、パオルは荷物をひょいと抱えた。てっきり握手してもらえないと思っていた僕は、意外と好感触なのではないだろうかと少しだけ浮かれた。


 パオルもあまり荷物が多くない。カバンが2つと教科書、それからシーツと枕カバー。

 僕は括られた教科書を抱えた。

 フィン先輩は怪我をしていない手を荷物に伸ばすが、パオルに制止され空回った手は行き場をなくしていた。

 そして、役員寮に向かう道中フィン先輩は距離を取って先導した。


「パオルはフィン先輩と仲が良くないのですか?」

「早速聞くのはそれか」


 パオルはフィン先輩の背中をじっと見つめて、その視線を移すことなく続けた。


「そうだな」

「僕はフィン先輩を好ましく思っています」

「俺には関係ないね」

「素直に感情を表してくれるパオルも、好ましいです。それに握手し返してくれました」


 チラリと僕の方に視線を寄越したが、意味がわかっていないといった顔をしている。卑屈な物言いをする予定はなかったが、どうしてかカマをかけてみたくなったのだ。


「そうかよ」


 パオルはまたまっすぐフィン先輩を凝視したまま返事をした。きっと明日、ここでどんな会話をしたか聞けば覚えてないと言いそうだった。


 心ここに在らずといった顔は、ただ仲が悪いと言うだけではないことを表しているようだった。

 最初にフィン先輩が、フィン先輩とパオルの仲が悪いという忠告を僕にしていないということは、パオルの抱える問題の核心からは遠いのだろう。それともそれが核心で、まだ僕自身がそれを知るには早いということだろうか。

 これはフィン先輩を暴いてしまうことになるのだろうか。しかし、今の二人の距離からパオルの核心がそこにあるのかもしれないと、どうしても邪推してしまう。


「パオル、あなたが強く望むなら来年は6年生になれますよ」

「……………」

「僕はそのためにあなたと同室になるんです」


 成績不良、素行不良の原因を早急に探して対処すれば、彼が留年する謂れはないはずだ。そもそも、もう1年留年だなんて学校側が許すとは到底思えない。パオルの立場的に神祇官でもクォルになるしか道がないというのは明らかだ。

 このままいけば楔の神殿で聖力を搾り取られながら、過酷な労働を負わされるのは目に見えている。どうにか真っ当な形でパオルを6年生に進級させて、7年生になってもらわなくてはならない。

 それができれば僕は、はじめから役付きの役員になることができるはずだ。


 結局僕は彼らとは同じ穴の狢なのだ。

 僕自身にも問題があり、それを解決しなければならない。


 一足早く寮内に戻ったように見えたが、部屋にはフィン先輩はいなかった。

 部屋の説明をする前に、パオルは僕とは反対の位置の窓側に荷物を置いた。僕もそれに倣って、教科書を机の上に置く。


「あのやろう、逃げやがったか」

「仲が悪いのなら、別に構わないでしょう?」

「ああ?」


 がなる声が鼓膜に響く。

 なぜか不思議と怖いとは思わなかった。肝が座ったと言えばそうだろう。

 フィン先輩の一挙手一投足がこんなにパオルの感情を揺さぶるのなら、そう怖い人ではないのではないのかもしれない。


「仲が悪いのなら、別に構わないでしょう?と言ったんです」

「うるせえ、聞こえてる」

「そうですか」

「お前、さっきからなんなんだ」


 パオルは大きな音を立たせてクローゼットを閉めた。機密性の良い上等なクローゼットのため、乱暴に閉めても大きな音という程度の音しか出ない。


「さっきから?」

「さっきのあれだよ、留年がどうたら、あのクソがどうたら」


 耳に入っていなかったと思っていたが、ちゃんと聞いていたようだ。これに食いついたということは、やはりパオルの抱える問題に、フィン先輩が一枚噛んでいるのだろう。


「留年の件は力になれるかもしれないということと、フィン先輩の件は2人の距離を測っただけです」

「はぁ?十分に離れただろう」


挿絵(By みてみん)


 よく閃めきの表現に、雷に打たれたようなとあるが、まさに今それを体感している。

……つまり、僕は唐突に彼を理解した。

 この人は多分貧民街の出身で、もしかすると入学するまでに知識を与えられたことがないのではないだろうか。だから僕らが当たり前に使う婉曲表現や言葉のままでない言葉を理解できていないのだと。

 ぼんやりと幼い頃見た街の路地裏にいた子供を思い出した。彼らはギョロリとした瞳で、父と手を繋いだ僕を見ていた。


 すっかり忘れていたそんな折に見た彼らの存在が、パオルを通して色濃く思い出された。


「実際の距離の話ではないです、心の距離の話です」

「はぁ?心の距離だ?んなもん見えんのかよ」

「そうですね、今僕とパオル、あなたは物質的…実際こうして手が触れることができるほど近いですが、心の距離は遠いですよね」


 僕は手を伸ばして、パオルに触れるか触れないかの位置で止める。パオルはその手をじっと見てから僕の顔を、多分初めて正面から見た。


「今日初めて言葉を交わし…話しましたし、自己紹介をしてからもまだほんの少しの時間しか経っていない。だからあなたは僕に心を許していない。もちろん、僕もあなたに心を許していない」


 パオルは眉間の皺を深めて首を傾げる。


「はあ?俺もお前も何か悪いことをしたか?許さないといけねぇことなんてなかったぞ」


これは……、骨が折れる……、会話にならないぞ!!


「仲良くなっていないということです」


 どうにかため息を呑み込むことができたが、もしかしたら僕の機微を見透かされているのかもしれないと思うと、冷や汗が出てくる。


「いや、俺はお前に謝ることがあった、最初に言っておくべきことを俺は言ってなかった。俺はバカだからお前たちが何言ってるのか半分もワカらねぇんだ。あと、あいつと仲が悪いのは、お前と俺と仲が良くなってねぇから話せねぇ」


 パオルは本人の言うようなバカではないと感じた。本当にバカなら、こうして自身の状態を他者に話すことができるのだろうか。


「もしかすると仲良くなってもその話をするかはわかんねえ。だいたい、あのヤロウも俺と仲良くしたいとは思ってなねぇだろうしな」


 あの清廉潔白と名高いフィン先輩が態度を変える相手だ。感情を見せずに誰にでも平等に接する様子は僕でも知っている。

 本当に2人は仲が悪いで片付けてしまっても良いのだろうか。


「どうでしょう。僕はフィン先輩じゃないので分かりませんが、他の生徒とは態度が違うように見えます」

「そうかよ」


 そこではたと、まだ後2人迎えに行かなければならないことを思い出した。ここで長々と話をしている時間は僕にはないのだ。


 パオルに後2人迎えに行くことを告げると、手をぱたぱたとさせて追い払われた。

 慌てて寮の外へ出ると、フィン先輩が待っていた。


「少し話せたみたいだね」

「骨が折れます」


 フィン先輩は肩をすくめて、また困ったように笑った。


「骨折を心配されるよ」


 次はヨナスの部屋へ向かったが、そこには誰もいなかった。荷物こそまとめられていたが、当の本人の姿がどこにも無い。

 当然同室の生徒の姿もなく、所在を尋ねようにも尋ねる相手がいなかった。


「お手洗いにでも行っているのでしょうか」

「逃げた…かな?」

「逃げた?」

「彼はとても臆病なんだ」

「探しますか?」

「どうしたもんだかね」


 2人して手をこまねいていると、シンとした部屋に遠くから歌声が響いてきた。よく響く透き通るような歌声は、音を立てなければ学校中のどこにいても聞こえそうなほど真っ直ぐに耳に届いた。

 それだけ件の彼は特別な歌声を持っていた。


「ヨナスには、歌わずに隠れているという選択肢は無いようだ」


 その歌声を辿っていくと、立入禁止の屋上へ向かう階段の下にたどり着いた。隠れるにはうってつけの場所だ。

 彼は驚いたような顔をして僕らを見て、慌てて口を抑えた。彼にとって歌というものは呼吸をするのと同義なのかもしれない。

 バツが悪いのか、顔を背けて小さくなってしまっている。


「初めましてヨナス、今日から同室になるベンヤミンです」


 座っているヨナスを起こそうと手を差し出したが、小さく固まったまま動こうとしない。

 フィン先輩を見てみると、すでにこれも課題と言わんばかりに傍観を決め込む様子だ。


「ヨナス、今の部屋が気に入っているのなら部屋替えをしなくて良いように掛け合います。この部屋替えが不服なら、役員と学校にあなたから意見してください。ヨナス、僕はあなたを必要としていますが、あなたが僕を必要としないなら仕方がありません」


 フィン先輩を振り返ると、説得しろとばかりに身動きひとつ表情ひとつ変えない。しかし、これ以上どうしろというのだろうか。ヨナスは返事どころか顔をあげることすらしない。

 この手の色が恐ろしいのだろうか。入学した当初、僕を見て息を呑んだ生徒を見かけることは多かった。それだけ僕は異質な存在だ。

 神々から愛されるヨナスと僕は相入れることができないのかもしれない。


「フィン先輩このままでは埒があきません。強硬手段に出ても構わないでしょうか?」


 フィン先輩の返事はない。僕の一存で動いてしまって構わないということだろう。


「部屋にあった荷物は、新しい部屋へ移動させます。忘れ物がないかの確認だけお願いしますね。もし、元の部屋へ戻りたいというのであれば、新しい部屋から申し立てを行ってください」


 そう矢継ぎ早に言って、僕はフィン先輩を連れてヨナスの元の部屋へ戻った。荷物はカバン3つに箱が一つ、それに括られた教科書とノートが一山。

 これくらい荷物があるのが普通だろうが、1人ではせいぜい箱とノートとカバンを1つ持つのが精一杯だろう。

 フィン先輩も腕を怪我しているのでカバン1つ持つのがやっとだろう。そうは言っても残りは枕とシーツとカバンが1つだ。どうにかして持ってくるだろうし、嫌ならまたひと晩ここで過ごせばいいだけの話だ。


「そんなに持って大丈夫かい?」

「たいした距離ではないので大丈夫です」


挿絵(By みてみん)


 箱を抱えると思った以上に重くて、その様子にフィン先輩それ見ろと大笑いする。


「あははは、箱の1つは楽譜だろうと思ったよ」

「彼は1人で僕ら聖歌隊員の、ゆうに10倍歌っているからね」

「カバンを2つの方が運びやすいんじゃないかな?」


そう言われてカバンを2つ、左右の肩に掛け教科書の山を持った。

随分と持ちやすくはあるが、あの小ぶりながらも重い箱を持ってくることができるんだろうかと不安になった。


「ヨナスが助けを求めてくるなら、手伝ってあげればいいんじゃなかな」

「自主的には動くなということですか?」

「彼はあの調子だからね、それもまた彼に課せられた課題の1つだよ」

「それはもはや、生活を送っていくのに問題があるんじゃないですか?」

「おかしなことを言うね、だから彼は君と同室になろうとしているんじゃいか」


 僕は驚いていた。

 腹の底から驚いていた。

 素行不良の問題児の3人の更生をする、と言うのが僕に課せられた課題だ。素行不良と問題児という言葉を額面通り受け取っていた。そういう意味での素行不良と問題児という意味合いもあるのかと、愕然とした。

 それはそうか、ヨナスはある意味では優等生なのだ。


「やっと理解ができたと言った顔だね」

「彼は、うまく他人とコミュニケーションが取れないのですね」

「それだけではないけど、それが主だった理由だね」

「彼はそもそも身の置き所が定まっていないんだよ。それなのに自身の不安定さとは裏腹に、才能は評価され注目を浴びれば浴びるほど、彼を取り巻く環境は悪化しているんだ」


 それ以上はどう話していいかわからないと言ったように、フィン先輩は何度かこちらを伺いながら口をどう開いていいか思案していた。

 仮に彼を取り巻く環境というものが彼に危害を加えるものならば、どうして加害者をどうにかするということをしないのだろうか?どんな理由があるにせよ、敬虔をモットーとする僕らにはあってはならないことだ。

 それを役員が言及できないということは、全ての原因がヨナスにあると、ヨナスに責任と原因を押し付けているとしか思えない。


「そうだね、役員は加害者を容認してはいなよ。できるだけ関わりを持たないように、蓋をするように指導しているんだ」


少しだけ考え込んだフィン先輩は僕の顔をじっと見て、困ったように笑う。


「でも毎朝ヨナスの声を聞かなければいけなくて、でもそれは僕たち役員にはどうしようもないんだ。もちろん、ヨナスへの指導も行ったよ。でも彼はずっと頑なに俯いたまま、顔もあげず返事もしないんだ。それでも唯一、僕には僅かにでも心を許してくれていると思っているけど、それでもはい、いいえとそれに付加する一言二言が続く程度なんだ」

「この役目はフィン先輩じゃダメだったんですか?」


 フィン先輩はまた押し黙り、今度は早足でずっと僕の前へ進んで言った。

それに追いつくように早く歩いたが、そろそろ荷物が重さを増してきていた。随分と離れてしまうと、フィン先輩はこちらを振り向いた。


「僕もまた、そういう彼らの1人なんだよ。でも君は、誰よりもヨナスの見方じゃないといけないよ」


 フィン先輩の表情は僕からは全くわからなかった。

 この距離こそがフィン先輩とヨナスの距離で、ヨナスを表立って責めることのできない気持ちの表れだと思うと僕の気持ちもどこへ置けばいいのかわからなくなった。僕は何も言えなくなり、その距離を保ったまま寮へ向かった。


 部屋に着くとフィン先輩はすでに僕とは視線の合いにくい隣の位置に置いていた。なんとなく会話しにくい空気だった。フィン先輩の言葉がぐるぐると頭の中でこだました。階段下でヨナスに言葉を投げなかったのもそれが原因なのだろうか、と1つ疑念がよぎるとあれもこれもと邪推してしまっていた。

 パオルは部屋におらず、ひとつ杞憂を避けられたと安堵した。


「心配をかけるね、確かに僕は彼の才能に嫉妬しているけど、分別はあるつもりだよ。だからと言って、四六時中一緒にいれるほど聖賢ではないんだ」

「その気持ちはよくわかります。僕も僕自身の肌や髪や目の色に対して、そう思うことが多いです。でもそれを仕方がないこととして、諦めきれなくて苦しいのです」

「でも君は、それに耐えるような強い心をすでに有しているじゃないか、だから君はそれ以上を求めているんだろう?」


 ハッとした。

 恐る恐る薄目で振り返っている気持ちだったが、他人にはそう見えるのかと。先輩というだけで、役員というだけで、とても遠い高い位置の人達だと勝手に思っていたが、少しだけ身近に感じることができた。手を必死になって伸ばしたところで到底届かないと感じていたけれど、伸ばせば届くのかもしれないと、少しだけ気が楽になった。


「もう一度、ヨナスを迎えに行ってきます。フィン先輩はここで休んでいてください」


 そう言いながら、一目散に駆けった。止められるのではないかと思ったからだ。フィン先輩は呆れているかもしれない。ぐちゃぐちゃと言い訳をありったけ並べていると、キョロキョロと当たりを伺いながらシーツをかぶった危なっかしい足取りのヨナスがこちらに近づいてきた。

 まだ僕には気づいていないようだった。もしかすると、一瞬のことだったから僕の顔をまだわかっていないのかもしれない。

 僕はもう一度、やり直すことにした。


「はじめましてヨナス、僕は君と同室になるベンヤミンです。荷物を持つのを手伝います、この箱を持ちますよ」

「………………」

「喋ることが苦手なら、喋らなくていいですよ。僕は喋ることは苦手ではないけれど、歌うことは得意じゃないんです。賛美歌の授業は1人で歌わされる時以外口パクですし、ミサの時はもちろん口パクなんです。入学当初はこれでも頑張って歌っていたんですよ。でも周りが怪訝な顔をするんです」


 だから歌わなくていい理由にはならないし、努力すればそれなりにはなったかもしれない。歌えるけど喋らない彼にはどう響いたかはわからないけれど、どこかへ逃げてしまったりしゃがみこんでシーツに隠れてしまったりすることはなかった。

 大きな瞳をこちらに向けて不思議そうな顔をしている。少なくとも、彼に危害を加えている生徒とは違うということだけでも理解してもらえただろうか。そもそも、こうして荷物を抱えて引越しをしてくれているんだ、好意的に捉えてもらえていると思って構わないのかもしれない。


「案内します、こっちです」


 僕はヨナスを連れて部屋へ戻った。フィン先輩はいなくなっていて、ポツンと荷物だけが置かれていた。


「勝手にそこに置いてごめんなさい、他の場所がよかったですか?」


 ヨナスは首を横に振った。


「こ…ここ…っで…いい」


 わずかに裏返りながらも、消え入りそうな声は、歌声から想像していた声からはかけ離れすぎていた。内心驚いていることをおくびにも出さないように気をつけながら、僕はヨナスの目の前に手を差し出した。


「これからよろしくお願いします、ヨナス」


 わずかに期待した返事は無かったが、恐る恐る差し出した手で握り返してくれた。僕は心の底から嬉しいという感情が湧き出してきた。

 いつの間にか部屋の外から眺めていたフィン先輩に気づいた。ヨナスも気づいたのか、慌てて僕の手を振り解くとクローゼットの陰に逃げてしまった。フィン先輩はその様子に肩をすくめると、困ったような笑顔を僕に向けた。


「いい感じにまとまったようだね、さてそろそろルカの所へ行こうか」


 ルカの部屋へ向かうと、既に引越しの荷物はまとまっているようで、今か今かと待ちわびている様子だった。その荷物は僕と同じくらい少なく、おおよそ人手がいるようには思えなかった。

 フィン先輩は片腕を怪我しているとはいえ、もう片腕は空いている。僕も両腕とも十二分に荷物が持てるほど空いている。


「手伝いはいらないと言っておいたんだ」

「君たち三人といきなり会わせるより、こうして仲介が居るところで合わせたかったんだよ」

「フィンはいつでもそうやって優位に立とうとする」

「ルカ、彼が君たちと同室になるベンヤミンだ」


 フィン先輩はルカの言葉を受け流して、僕を紹介した。

 フィン先輩はまだこの部屋に入ってから、ルカと目すら合わせていない。ルカは僕のことなど目もくれず、フィン先輩を穴があくほど見つめているのに、だ。


「ベンヤミン、彼がルカだよ」

「ルカ、今日から同室になるベンヤミンです、これからよろしくお願いします」

「君があのベンヤミンか、フィンから粗方君のことは聞いているよ。フィンはしきりに君なら大丈夫だと言っていたんだ」


初めて僕を見たその瞳は澄んだ湖の奥深くの色をしていた。キラキラと光るまつ毛がより一層、その青を引き立てていた。

そして、どこかで彼を見たことがあると気がついた。どこだったかはすぐに思い出すことはできなかったが、その姿をどこか近しいところで見た記憶があった。


「まじまじと見て、何か珍しい?」

「綺麗な瞳の色をしていますね」

「みんなそう言うよ」

「僕もそんな色だったらよかったと思います」

「別段珍しくもない色なのに?」

「だからです」


 ルカは目を大きく見開き僕を凝視した。

 そこで初めて僕を真正面からちゃんと見たのかもしれない。物珍しいのか、僕から目をそらさずにじっと見つめている。助け舟を求めてフィン先輩を見ると、こちらはこの様子に大変驚いているようだった。

 僕の視線に気づいたフィン先輩は我に返り、ルカの肩をポンと叩いた。


「安心しなよ、彼は大丈夫だ。」

「…………」


 僕は何のことだかさっぱりわからなかった。

 何か二人は視線だけでやり取りをして、ルカがくるりとこちらを向いたと思ったら、すぐに元のように不フィン先輩に向き直った。


「わかったよ、大人しく従う。彼は本当にお墨付きなんだね。でもきっと9度目の部屋替えもすぐにあるよ」


 その言葉に次は無いのだとつい言ってしまいそうになった。9度目は彼に訪れることはなく、放校処分になるのだ。そうならないため、そうさせないため、僕は彼と同室になる。

 期限は次の夏季休暇、学年が変わるまでだ。


「きっと大丈夫だよ」


 ルカは急に僕の方を振り向いた。その表情は怒りを表しているのか、悲しみを表しているのかわからなかった。僕はそのどちらにも取れそうで取れない表情をビスクドールのようだと感じた。

 まるで見る人の気分と角度によってガラリと表情を変えるそれのように見えるルカの表情は、よくよく見ると”無”でしかない。


「きっとすぐに僕と別室になるさ」

「そうならないように、頑張ります。僕は僕のために、君の同室になるんです。だから、君は君の自由に振舞っていいですし、どう思ってくれてもかまいません。僕なりに君と仲良くなって、君の抱える問題を一緒に解決できたらと思っています」

「僕の抱える問題を?」

「そうです」

「これでも僕は、僕自身が問題を抱えているとは一つも思ったことはないんだけどね。僕は僕自身の心に忠実に生きているだけだし、それに感化されるのは君たちの責任だと思ってる」


挿絵(By みてみん)


 ルカは生白い手を僕の手に伸ばす。陶器を思わせる白いその手は、まるで血が通わず冷たいように思えたが、僕よりも少し体温が低い程度で、固くもなければ普通の感触の手だった。僕の手の甲をなぞるだけで引かれたが、その手に焼けたような熱を持たせた。

 フィン先輩は僕を試すような様子で伺っている。


「その通り、感化されるのは君の責任じゃない。僕らの信仰心の弱さが問題だ」


堰を切ったように紡がれた言葉は、僕の耳に深く残りさっきのフィン先輩の言葉を思い出した。


「そろそろ戻らないと、夕飯を食べ損ねてしまうかもしれない」


 そうフィン先輩は言って、ルカの小さな旅行鞄を持った。それに続いて僕は括られてまとめられた教科書等を抱え、ルカは残りの荷物を持った。

僅かな道中、誰も口を開くことはなかった。


 部屋へ着くと既にヨナスとパオルは食堂へ行ってしまっているようで、誰もいなかった。ルカは辺りを見回して、誰も使っていない僕が荷物をおいた場所から一番遠い場所へ荷物を置いた。


「薄情だと悲観した方がいい?」

「君がそれを薄情だと思わなければ、悲観しなくとも構わないよ」

「そう」


 ルカの表情はどっちとも取れない表情で、人として美しい造形をしているだけに、その表情は全く読み取ることができなかった。いずれ彼のビスクドールのような表情を見分けることができるのだろうか。


イラスト協力:pizza様 https://www.pixiv.net/users/3014926

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