それままるで羽化のよう
「ルカ、について、いたい」
「ダメです、給金は発生していませんが立派な仕事です」
「ヨナスがここに残れば、ルカはヨナスの心配もしなくてはいけなくなります」
「でも」
「大丈夫です。僕もパオルも、フィン先輩もいます」
乳母に会ってから、もう8日もルカは体調を崩していた。高熱と微熱を繰り返していて、心因性のものではないかと言うことだった。微熱の時に、どうにかちょこちょこと食事はできていたが、時折吐き戻していて元々痩せていたのに、骨と皮だけになってしまっている。
それに上手く眠れていないようで、眠いと言いながらぼんや視線を宙に彷徨わせている。唯一ヨナスが歌えば寝付くことができるようなので、それがわかってからヨナスはちょこちょこ部屋に帰ってきては歌っているようだった。
「ヨナスが歌ってくれたおかげで、今はよく寝ています。だから、ちゃんと周りに迷惑をかけないように、僕たちはやることはちゃんとやりましょう」
「わかった」
ヨナスは渋々ジャデルシャーゼへ行った。まさか誰もここまで熱が続くとは思っていなかったので、僕らはとても動揺していた。事情を知ってか、今回ばかりは救護の先生は嫌な顔一つせずに日に一度、往診に来てくれた。
後2日続けば近くの医院に入院することが決まっていて、それまでに熱が下がらないものかと神に祈った。特にパオルは目に見えて心配していて、甲斐甲斐しく世話をしている。
「まだ熱が下がらない?」
「はい」
「困ったね、今までの疲れが出てるんだろうけど」
「何か進展はありましたか?」
「いいや、学校に対しても、調停者に対しても、彼に対しても、一切の返事は来ていないよ。で、君の言っていたことだけど、まるっきり見当外れだったみたいだね」
「そうですか。それはそれで良かったんですが」
「ルカの父親の代から手を出した事業も上手く行っているみたいだし、新しい母親も何か怨恨を持っているなんてのもなかったみたいだね。ルカの母親も普通に問題なく出戻っているみたいだから、外的要因があるわけではないみたいだよ。まあ、でも手切れ金に莫大な金額を提示しているくらいだから、お金に困っていることはないとは思ったけど」
「そうなんですね。でも心因的に何かを攻撃してしまうとか、あるじゃないですか」
「継母は前妻との子供を憎むから、継母に迎合して父親も、というやつ?」
「そうです」
「どうだろうね。心情的なものは直接本人に聞かないとわからないね」
ルカに降りかかるありとあらゆる件が、返事のない手紙と面会を拒否されることに起因しているようだった。この中途半端な状態をいつまで続ければいいのだろうかと、頭が痛くなる。
「でも、わざわざありがとうございます。まさか調べていただけるとは思っていませんでした」
「調べたのは僕じゃないからいいんだけどね、あっちも気になってたみたいだし。そりゃ気になるよね。ここまで自分の子供に無関心にそれも邪険に扱うなんて人としておかしいと思うし、乳母の件もあるしね」
聞くに乳母は調停者に、いかに自分はるかを可愛がっていていたか、愛情を注いていたか、今の状況が可哀想で慰めたいと涙ながらに語ったというのだから、騙されても仕方がないと思った。ルカとの面会もそれを貫き通してくれればよかったものの、やはりルカ憎しなのだろうか、本人を目の前にして本心を隠してはくれなかった。
「やっぱり直談判しに行くしかないかな。このままだと考査も危ういしね」
「解決しないと熱は下がらないんでしょうか」
「そんな簡単なものだといいね」
年に三度の定期考査まで残り僅かとなっていた。いくら普段勉強しなくてもそれなりの点数が取れるルカであっても、ここまでずっと寝たきりとなっては支障をきたすだろう。それに、入院となってしまえば考査を受けることはできない。今の所、特待生が学校に残る唯一の手段なので、なんとしても受けなければならない。学校に残ること。それが唯一のルカの望みなのだから。
「ルカはこんなだけど、少し次の考査が楽しみなんだ」
「パオルですか」
「教師から、授業態度が変わったと報告を受けててね」
「意味がわかってくれば、興味も湧いてきますしね」
「その話を本人がいる前でするか?」
「いるからするんだよ」
「お前最近なんだよ。俺に構いすぎじゃねぇか?」
「どうだろうね」
フィン先輩はここ最近、屈託の無い笑顔をよく僕たちに向けるようになっていた。逃げるから追われるのではないかと思いながら、思うだけにしたのは僕よりもフィン先輩の方が何枚も上手だったからだ。ちょっと前までのパオルではないので、勝てない喧嘩は売りはしないのだ。
ここのところ、ルカに関しての諸々に進展する気配が全くないので、フィン先輩は余裕を持って生活できているようだった。その余裕部分がこうして僕らをつっつきにくるというなんとも、もう少し有意義に使えばいいのに、ひとこと言いたくなるような使い方をしている。
パオルは一足早く、普段の勉強を休んで考査の勉強に励んでいた。とは言っても、試験範囲と思わしき部分の教科書を読めるようになると言うものだが。それでも去年のテストを解いてみると、暗記ものはそれなりの点数が取れて、晴れて補講対象から外れるのではないかと僕は思っている。
フィン先輩は横からちゃちゃを入れるようにしてパオルの勉強を見ている。学年が下の僕では到底できない芸当だ。もちろん教科書を読む手助けはできるが、僕はルカのように先の先まで履修してはいない。
「僕はねこう見えて敬虔なんだ。そうありたいと言う自分がそこにあって、それに向けて必死になっている。誰かが僕と同じ方向を向いていたら、自然と仲間に見えてくるんだよ」
「突然なんだ?」
「さっきの答え」
熱でうなされるルカの汗を拭き取りながら、耳をそばだてた。
「あれ、ヨナスは?」
「起きた?ヨナスはお店に行っていますよ」
「そうか、今日はソールか」
「そうですよ。水飲みますか?何か食べれそうですか?」
「食欲ないけど、何か食べなくちゃだよね。体が重い、汗で気持ち悪い」
ルカはおおよそ3時間ほど寝て、起きてを繰り返している。今夜ヨナスはいないので、もう寝付くことはできないかもしれない。
「でも少し気分はいいんだ」
「僕が何か食べるものを貰ってこよう」
「お願いします」
「大丈夫か?お前死ぬのか?」
「そればっかりだね、パオルは、別に構いやしないけど、今はまだちょっと死ねないかな。今死んだら思うツボだからね、ちょっと悔しいし」
息を荒くしながら喋るルカは、いつも通りを振舞おうとしている。神々はどうして彼にこんな仕打ちを与えるのだろうか、彼なら乗り越えられる試練だと言うのだろうかという思いばかりが頭を巡る。
フィン先輩が戻ってくるまでにと、ルカのために常に沸かされているお湯を使って清拭した。腕も背中も以前に増して随分と骨が目立っている。
「ああ、気持ちがいい」
「そうですか、よかった」
拭き終わるとまたパタンとベッドに横になる。もはや体を起こしているだけでも辛いのかもしれない。
「パオルって体温低かったよね、ちょっとだけ手を握っててくれない?」
「いいぞ」
濡らしたタオルがありますよと、つい口から出そうになったがどうにか飲み込んだ。多分ルカは人恋しいのだ。ヨナスがいないからどうにか理由をつけてそばに人がいて欲しいのだ。
「熱いな」
「そりゃ熱出てるからね。ああ冷たい、気持ちがいい」
その様子を見ながら、ルカが頼れるのは僕らだけなのではないかと背筋が凍った。調停者は懇意にはしてくれているが、あくまでも仕事としてだ。
「一足飛びで卒業して後見人にでも立候補できれば良かったんだけどね」
「また無謀な事を考えているんですか?」
「なんとかしてあげたくなるよね。ルカ、食べられそう?」
ふとこういう時に、先日のフィン先輩の言った言葉を思い出した。どちらが本心だろうと思うと同時に、どちらも本心なのだろうという結論にしか達しなかった。
フィン先輩は慣れた手つきでミルク粥をルカに食べさせる。
餌付けしているようで楽しいと、何度かかって出てくれている。これだけ深い愛情を注がれても、ルカの穴はがらんどうなのだろうか。一生それを抱えて生きて行かなければならないのだろうか。
「ごめんもう無理」
「水ちょうだい」
小ぶりの器の三分の一も食べていない。だからと言って無理やり食べると吐いてしまう。僕らにできることは何もなさすぎて嫌になる。それと同時に腹立たしくもあった。
僕は先日からルカの両親宛に手紙を書いている、ルカの今の様子、置かれている立場、読まれているかはわからない。でも出さずにはいられなかった。フィン先輩は苦い顔をしていたが、どうにか学校からの許可を取ってきてもらえた。
早ければ明日返事が届くだろうが、きっと読まれもしていないのだろう。ヨナスのご両親では無いが、しつこく何度も読んでもらえるまで送ろうと決めていた。
しかし、虚しさだけが胸に広がっていく。胸に穴が空いていたら、こんな気持ちにはならないのだろうか。
事態は急展開を迎えた。なぜか僕の手紙にルカの父親からすぐに返事があったのだ。慌ててフィン先輩から調停者に知らせると、とても驚いてすぐに駆けつけてくれた。どうやら僕の父親の事業は、ルカの父親と取引があるらしく、たまたま見た差出人の名前で気づいたようだった。ルカでは無いが、大人って汚いなと心底思った。
返事の内容はこうだ。
「調停者に任せてある。
調停者への委任状を制作した。
親権を放棄する手続きをする書類を申請した。」
残りは僕の父への媚びへつらいで、むしろこちらの方が多くの文字が書かれていた。調停者は頭が痛いと言い、ルカの入院手続きのための書類をいくつか学校に提出して帰って行った。
「なんともあっけない」
「早く気づいていれば…」
「いやあ、普通知らないし、気づかないし」
「つくづく大人って汚いなって実感しましたよ」
「奇遇だね、僕も同じこと思ってたよ。でもだからと言って、子供が綺麗な存在かといえば、そうでは無いんだよね。だってヨナスに嫌がらせをしていたのは、紛れもない子供だからね。もしかしたら大人と子供で分けられるものでもないのかもしれない。だからね。不思議とお金で動いてるかもしれない調停者を僕は、汚く感じないんだよ」
「悪くない大人も大勢いるんですよね」
「僕らはそういう大人になれればいいんだよ」
「はい」
これをルカに報告するか僕たちは頭を悩ました。言えば負担は軽くなるかもしれないが、落胆はするだろう。嘘だけは彼につきたくはなかった。でも僕たちが見つけた拙い答えは、ルカに教えたいと思った。
「聞いたよ」
「誰にです」
「事務員、さっき来た」
「ああ…」
「どうも熱が下がらないので、やっぱり明日から入院らしいよ。どのみちここじゃ、衰弱死だろうからね」
「どこまで聞いたんです?」
「順当に行けば来週には僕は孤児になって、調停者が臨時の後見人になるってところと。ベンヤミンのお家がうちと関係があったってところかな」
「余計なところまで話を聞いたんですね」
「よかったじゃ無いの、言いにくいことだし」
「そうですけど」
「ごめん、ちょっとしんどい」
「ごめんなさい。寝てください」
なぜ臨時の後見人かというと、7年生になれば僕ら生徒はアハテの神祇官見習いになるからだ。配属先の神殿長が生徒の後見人となるからだ。そこから僕らはただの神祇官になるか、調停者、裁定者、監査者など専門職に就くか分けられる。精力がなくとも能力があればこういった専門職に就くことができて、クォルとは一線が引かれる。
ことの次第を聞けばケロっと熱が下がるものかと思えば、そうは行かず結局それから1週間ほど入院した。帰ってきた今でもまだ微熱が続くと万全な様子ではなかったが、意地でもテストは受けるそうだ。
ルカが入院してからの展開は目を見張るもので、週明けには親権が放棄されていて、全てのあれこれは臨時の後見人である調停者に委ねられた。ルカ名義の預金は、一生食べるに困らない以上の額が本当にあったらしく、調停者は横領したいと冗談めいて言っていた。
これでルカの学校の一連の問題は解消されたのだが、本人がいままでにないやる気を見せていて、考査で上位を取ると息巻いている。聖水と呪符によってある程度体調が良くなってからは、ほぼ一日中勉強漬けだったらしい。
「確かに、家庭教師にはゆうに6年生分まで習っていたけど部分的に忘れていたり、習っていなかったりするしね」
「無理しなくても良くなったんだから、無理しないほうがいいと思いますけど」
「意地かな」
ふとまたルカが笑った気がした。幻覚なのか、実際笑ったのか僕以外の証人がいれば信じられるのに。
「なに1人で百面相してるの、僕に対する嫌味?」
「さっきルカが笑った気がしたんですけど、気のせいなのか実際に笑ったのかわからなくて」
「まぁ前にも表情出た時あったんでしょ?気長にやろうよ」
「それはそうですけど」
「勉強しないといけないけど、帰ってくるだけで疲れたな。それにヨナスにも会いたい」
「もう立派なヨナス中毒者ですね」
「そりゃそうだよ。1週間だよ、1週間ヨナスの歌聞いてないんだ」
ルカが調停者、もとい臨時の後見人同伴のもと、退院して来たのはちょうど授業が終わった頃で、たまたま事務室に用があった僕と鉢合わせしたのだ。
「ルカ退院したって?」
「うるさい、練習はどうしたの」
「君のところの調停者に呼び出されたんだよ。彼なんなのもう、書類全部片付いたのにどうも窓口だと勘違いしてる」
「何かまだあるの?」
「ルカの退院の報告と、後見人の報酬で懐が潤ってる話して帰った。元ご両親からも別途支払われて、二重取りらしい。」
「何してんのあの人。報酬の書類にサインなんかしなきゃよかった」
「個人的にフィン先輩を気に入ってるんですかね。その内調停者にならないかって勧誘されますよ」
「悪くは無い話だけど、また一から学び直しは家計的に苦しいかな」
「誰もお金で困ってるんだね」
「ここに何もなく入学するような、下流家庭の子供はそうだろうね」
「訳ありは確かにお金があるか、全く無いかのどちらかですね」
ままならないものだという言葉は、こう言う時使うのだとしっくり来た。
「奨学金制度とかいっぱいあるじゃないですか。現役調停者の後ろ盾があればきっと大丈夫ですよ」
「そうだね。誘われたら考えてみるよ。ところでルカ、何か心境の変化はあった?」
「全く、何が変わったのかこっちが聞きたいくらいだよ」
「確かにここ数週間のゴタゴタを除けばなんら変わりはないですね」
「両親がただの生みの親になったってだけだしね。若干清々したくらいかな」
「寂しいとか無い?」
「ここへ来るまでもあの人達に愛情というものをかけてもらったことはないし、むしろもう誰にも媚びたりしなくていいんだって思うと気が楽かも」
「それはいいことだ。きっと熱が下がって全快になるころにはもっと実感するよ」
練習に戻ると言ってフィン先輩は走って戻って行った。
「あの人もなんだか変わったね」
「僕もそう思ってたところです」
「すごいねベンヤミンは、どんどん僕らを明るいところへ連れて行ってくれる」
「ルカに対しては僕と言うよりは、僕の父親の立場が、ですけどね」
「それでも君の力だよ、君が僕の父親に手紙を書いてくれなかったら、路頭に迷っていたかもしれない。おかげで早急に家に手紙を書かなくてはいけなくなりましたけどね」
「返事は来たの?」
「来ましたよ。それはもう分厚いのが」
僕は身振り手振りで、ルカに手紙の厚さを教えた。
「向こうは僕が手紙を出せるようになるまで待っていたそうです。それと、ルカのお父上のことは任せろとのことです。何をどう任せろなのか書いてないところが怖いんですけど、仕事のことですし僕は関与できないですから、僕が口を出せることなんてないんですけどね」
「寂しい?関われなくて」
「いいえ、全く。僕と言う存在は世間では疎まれますからね、見た目は一番大事です」
「でも僕は好きだよ。ねえ、抱きしめてもらっていい?」
「構いませんよ」
ルカの細い体は、やはり熱っぽくしっとりとしていた。
「安心する」
「それは嬉しいです」
じんわりと身体中に広がるルカの体温を感じながら、僕も心底安心していた。彼を脅かすものはもう無いのだと。
翌週から始まった定期考査は恙無く終了し、さらに次の週には結果が張り出された。僕といえば、パオルとルカに触発されて勉強時間が増えたというのに、相変わらずどの教科も15位以内をウロウロとしていて、この上位15人はそうそう人員の入れ替えが無いのだろうと改めて思った。
そして、パオルの結果はいち早く僕の耳に届いていた。なんといくつかの教科で張り出しに名前が載り、上位50位以内に入ったのだ。万年最下位だったパオルに、大健闘以上の言葉が無い。
ルカは宣言通りどの教科も5位以内に入り、ヨナスは丁度中程より少し下を維持していた。
「体調が万全だったら、1位を取れた教科だってあったはずなんだよ」
「それでもすごいと思うけどね、だいたい20位以下とそれ以上は雲泥の差があるじゃありませんか」
「そうだけどね」
「そこから一気に5位内に入ったんですから、十分すごいですよ」
「そうかな」
「そうですよ。でももう無理しないで下さいね。まだ微熱は続いているんですから」
平熱に戻りつつあるルカの体温だったが、少し無理をするとすぐ熱が上がった。考査中はなんとか気力で持ちこたえたが、終わった途端、高熱で丸一日寝込んだ。それでも以前よりは眠りに就くまでの時間が短くなったようで、睡眠時間はしっかり取れていると言っている。
「全員が全員、もう粗方の問題は片付いたけど、この部屋割りもそろそろ解散かな」
「そうなんですか?」
「いや、知らないよ。潮時ってあるじゃん。そもそも学年が違う生徒が複数人で同じ部屋を使ってるなんて、ここくらいだよ。だいたい、役員との更生目的の相部屋は1ヶ月とか2ヶ月が関の山じゃなかった?」
「そう言えばそうですね。でも僕は、できれば今の学年が終わるまではこのままでいたいですよ」
「あの人最近甘々だからね。希望したらすんなり通りそう。確かにまた部屋替えも面倒臭いし、僕もこのままでもいいかも」
「でも問題解決は本当にしたんでしょうか」
「してないの?」
ルカは小首を傾げる。どうやら彼は僕らに気を使って、反応を大袈裟にすることで感情が伝わりやすいようにしてくれていた。
「ヨナスの嫌がらせは沈静化して、幽霊騒動も収まったよ。パオルだってすぐに喧嘩売らなくなったし、成績も驚くくらい上がった。僕だって、当面死ねなくなったし、自分で言うのもどうかと思うけど素行不良具合も改善されてる」
「でも現状が良くなっただけですよね。根本は変わっていない」
「ごめん。パオルじゃ無いけど何言ってるかわからない」
「一時しのぎってことですよ。ヨナスは現状ルカのようにご両親と縁を切れるわけじゃないですし、この先どうしていくかどうなりたいか、どうご両親と折り合うのか……、これは僕が口を出すことではありませんが、いつでも支えられる所にいたいんです。パオルもそうです。やっと読み書きが普通にできるようになってきました。でもここからが問題なんです。彼はこの先何になりたいか、手に職をつけたいと言っていましたが、神祇官の中でも職はたくさんあります。それを探す支えになりたいと思っています。ルカもそうです、ヨナスやパオルのようにお金に困ることはないでしょうけど、それでも僕は君と10年後にまた会いたいと思っているんです」
相変わらず表情は何一つ変わらないが、ルカが驚いているのが手に取るようにわかる。
「確かに僕も短期間で、大人の汚い面をたくさん見てきました。でもそうじゃない大人も多いじゃないですか。君の臨時の後見人だってそうです。だから、大人になることを諦めて欲しくないんです」
「勝手な言い草だね。でもベンヤミンらしくて嫌いじゃないよ」
またルカが笑った。
「ルカ、今笑いましたよ。笑えてましたよ。今度は見間違えじゃない」
「本当に?」
「本当です。自慢したい、誰にすればいいと思います?フィン先輩?パオル?ヨナス?ああ、一番は君のご両親に自慢したいです。こんな綺麗に笑うルカを」
「ペロリと恥ずかしいこと言うんだね。知らなかったよ」
「そうですか?僕は嬉しんです。この嬉しさは何よりルカに伝えたいんです」
彼の微笑みは、ヨナスの歌と同じくらい心が洗われる気がした。天使は彼のような微笑みをするのだろう。
「抱きしめてもいいですか?」
「僕も丁度言おうと思ってた」
お互いに感じる体温に身を委ねる。
最初は明らかにされる肌の色の違いに、心の奥がピリピリと痛んだが、今はもう平気だった。彼と僕のはっきりした境界線は、僕は彼を抱きしめられると言う証に思えた。でもだからこそ彼を真に理解できない、でも理解できないからこそ彼を引っ張り上げてやれるのだと思う。そうありたいと強く願った。
「僕は僕の両親に捨てられてしまったけど、もっと早く捨てられていたらこんながらんどうな気持ちを知らずに済んだかな」
「わかりません。わかりません。けど、僕はルカと出会えて良かったと思っています」
「僕という犠牲の上での出会いかあ」
ルカは思い切り体をのけ反らせた。腕に掛かる重さは軽い。めっきり落ちてしまった体重はまだ戻っていないようだった。ルカという犠牲、という言葉に何か引っかかるものを感じたが、何かははっきりとわからなかった。
「危ないですよ」
「後ろはベッドだから大丈夫だよ」
「そういう問題じゃないです」
埒があかないので、できるだけ姿勢を低くしてルカをベッドの上に落とす。固いベッドは少しだけ軋む音を立てて、ルカを迎え入れた。ベッドに倒れたルカは大の字になって声だけで笑う。
部屋替えした最初の日にの僕は、まるで子供のように彼らと戯れ合うなんて予想もしていなかったことだ。
イラスト協力:pizza様 https://www.pixiv.net/users/3014926




