その手が大事に握るもの
今日の体育の授業は教師の都合で午後に2限分びっしりあり、僕は疲れ果てていて夕食後の充足感も合間ってパオルとの時間に寝こけてしまっていた。
パオルとフィン先輩の2人には何か因縁めいたものがあると、僕は常々確信しいた。特に深入りする予定も、何かあったか聞き出す予定もなかったが、気にならないといえば嘘になる。パオルが常に左手に握っているレザメットも、彼が話すまで聞く気はなかった。しかし、今の状況どう考えても僕は悪くない。起きる機会は僕に訪れなかったのだから。
込み入っていない会話を狙っておきたかったが、この二人にそんな間は無いようだ。寝たふりを決め込むことにしてからもう随分と時間が経っているように思う。
「もうそろそろ、ずっとレザメットを握りしめていなくてもいいと思うんだけど」
「お前には関係ないだろう」
「関係も何も、それは元々僕のじゃないか。いつでもそう握りしめられていると気になって仕方がない」
「これはここに来る前からの癖だし、お前が俺に、これを持たせてんだろうが」
「君のは僕が持っているからね。大事に引き出しに仕舞ってあるよ」
「俺が聞くのもおかしいが、礼拝の時にどうしてんだ?」
「どうもしないよ。あの後、すぐに新しいものを買ったからね」
「じゃあ、俺のレザメットお前が持ってる必要ないだろ」
「君が持ってる必要もないよね。あれは壊れたただのレザメットだからね。それに目に付けば、落ち着かないんじゃない?ただのレザメットで無いのなら余計にさ。でも、そうだね。僕の卒業までには君に返せたらいいね」
「なんだよそれ」
「だって、僕の腕が治ってもそんなだからさ」
「俺は元々こうなんだよ」
本当ならこれは僕が聞いていい話では無い。できるだけ聞かないようにと、他のことを考えるようにしたが、てんで僕の耳は言うことを聞いてくれなかった。フィン先輩の腕の怪我の原因はパオルだったのかと複雑な気持ちになった。心の中で大量に明かされる新情報に、整理が追いつかない。
「腕の怪我だって、君は直接の原因じゃないじゃないか」
「学校は俺1人の責任にしたぜ」
「君が、君を殴っていた奴らの名前を言わないからだ」
「名前なんか知らねえよ」
「僕がちゃんと見ていれば、今でも同じ学年だったはずなのにね」
「別に大した問題じゃねぇよ。今はなんとなくだが授業もわかってきたんだ、2回目も悪かねえ」
「ベンヤミンのおかげだね」
「ああ」
「でも、腕の怪我は僕が割って入ったからだからね。君が直接僕を傷つけていたとしても、それは違うんだ」
「しつけぇな。何度おんなじ事言うんだよ」
「何度でも言うよ。君はわかってないから」
「つっても、お前頭も打って覚えてねぇんだろ?」
「直前のことだけだよ。僕は役員としての責務を全うしただけだよ」
きっと犯人を覚えていないのは確かだろう、けれど今までのことを考えると誰かなんてフィン先輩はきっとわかっているはずだ。パオルが庇うから表沙汰にならなかっただけで、気づかないところで、密かに制裁を加えてる可能性の方が高い。
「でも僕は安心してるんだよ。勝てやしないのに君は喧嘩っ早くていけなかったからね。あれ以来、喧嘩しないでいてくれているのは喜ばしいことだよ」
「別に意味はねぇし、お前何かしただろう」
「何もしていないよ。でも君が僕に怪我を負わせたことで君は役員から見られていると周知されたのかもしれないね」
「そう言うもんか?」
「別に難しいことじゃないよ。言っちゃあなんだけど、君は体の良いストレス発散のおもちゃだったんだよ」
「知ってる。っつうか、最近知った」
「なんだかさみしいよ。僕から手を離したのにね」
「気色悪りぃな」
起き上がって色々とそうじゃない、と言いたいことが山のようにあったが、ぐっとこらえた。第一、フィン先輩がそう思ってくれて構わないという態度なら、僕が割って入るのはおかしい。
きっとフィン先輩はパオルだけでも自分の手でどうにかしたかったのかもしれない。でも学校も他の役員もそれを認めなかった。対面上、パオルはフィン先輩に怪我を負わせたからだ。
「だから、レザメットはまだ返せないよ」
「もういいよ。捨てさえしなけりゃ好きにしろ」
「あれはこの学校に入学させてくれた神祇官がくれたもんだからな」
「そうなんだ。大事なものだったんだね」
「別に辛気臭い話じゃねぇよ。そもそも俺の家はそんなもん買う余裕なんかねぇからな。あったら食い物か酒に変わっちまう」
「大事に預かっておくよ。と言うことだけど、僕らの関係わかったかな。ベンヤミン」
やっぱり気づいていたか。バツの悪い思いをしながらのっそりと起き上がった。
パオルの顔を見るに、どうやらパオルも僕が起きていたことに気づいていたようだ。
「知っていたなら、途中で声をかけるか、起こしてください。フィン先輩は僕に用があって来たのでしょう?」
「ごめんね、パオルが嫌がらずに僕とおしゃべりしてくれるなんて滅多とないからね」
「もう2度とねぇよ」
「ごめんなさいパオル。起きる機会を逃してしまいました。聞くつもりは本当になかったんです」
「別にいいさ。このアホが聞かせたかったんだろう。どうせいつか、俺か、こいつかからか聞いてた話だ」
話してくれる気があったのかと驚いた。どこまでかはわからなかったが、その信頼を嬉しく思った。
「用事はルカの話だけど、パオルは知ってるのかい?」
「ルカが粗方話をしていましたから、大丈夫だと思います」
「それならここで話をしても大丈夫だね」
「ルカには?」
「君に判断を任せるよ。どうもこうも本人の手が出せないところで話が動いていているからね」
フィン先輩は困った顔をして肩をすくめたが、僕とパオルに緊張が走った。
「それでだ。学校側も弁護士ではなくご両親と話がしたいという、書状を何度送ったそうだ。ご両親に退学させたいという意向があれば、学校は彼をここにとどめておくことはできないからね。ただ、ルカはパオルのように学費がいらない生徒ではないからね。いくら高額な寄付金を以前に納めたからといって、それはあくまで寄付金で学費ではないそうだ。ここに残る場合それらはきちんと支払って貰えるのかどうかも、聞きたかったみたいだね。何通か送って、やっと一通返って来たかと思えば、調停者に一任しています、の一言だけだったらしい」
ひらひらと取り出した手紙は学校宛のもので、見事にその一文しか書かれていなかった。
「で、なんで僕がこのことを知っているかと言うと、学校に呼び出されて呆れ果てた調停者が僕を捕まえて以上のことを全て説明したからなんだけどね」
「愚痴を聞かされたってことですか?」
「有り体に言うとね。そこでこの手紙も渡されたんだよ。渡されても困るんだけどね。でも彼、大変みたいなんだよ。保護者としての書類すら目を通さないサインをしない自分に一任すると言って譲らないって。調停者だって万能じゃ無いのにね。それで、後見人を探すことにしたんだけど、こちらも難航しているみたいなんだ。親戚一同、ルカの父親が怖いみたいで首を縦に振らないそうだ」
「でもそんな話、僕らではどうにもできないじゃないですか」
「そう、それが一番の問題点だよ。学費がいるけど、ルカに渡されたお金は弁護士にもルカにも手が出せない。ルカが未成年だからだ。名目上ルカのお金だけど、その管理者は親権を放棄すると主張していたとしても今のところ、ルカのご両親だからね。だからルカのお金の使用を許諾するサインが欲しいんだけど、当然ながらご両親にしてもらえない。後見人も立てられない」
「ご両親はルカをクォルにさせて、ルカのお金だけどご両親のお金をルカと共に寄付して離婚の印象を良くしようと考えてるようにしか見えないんですけど」
「実際そうなんじゃない?調停者もそういってたし」
「じゃあ、旨味しかないじゃないですか。神祇官もルカを学校に留める理由がなくなったわけで、つまり、僕はルカに自主退学を勧めなければならないってことですか?」
「待って待って、話が飛躍しすぎてる。そうじゃ無いよ。ちょっと違うけどパオルと同じ立場になってもらおうかと思ってね」
「どういうことです?」
「学費を免除してもらおうって話だよ」
「そんなことができるんですか?」
「ルカの場合は優秀者の権利を使うんだ、これにはいくつもの条件があるんだけど、多分基本的には問題はないはず。聖力は僕が知ってる限りでは条件を満たしてるし、成績も申し分ない。でも、卒業後10年間は巡礼ができないし、配属先で学び、尽くすことって言うのがね」
「死にたがりでしょって、一蹴されるのが目に見えます」
「そうなんだよ。とりあえず今年度分の猶予があるから、それまでに自殺騒ぎを起こさなければ認めると言う流れまで持って言ったよ」
「ありがとうございます。お疲れ様でした」
「もうほんと、君たちは僕を個人的にねぎらえばいいと思うんだよ」
もう負い目を感じなくていいんですと声を掛けたかった。でもそれはフィン先輩がそう感じることであり僕が言うことでは無いと知っているので、何も言うことができなかった。
「好きでやってんだろ、見返りを求めてどうする、奉仕の心で尽くすんだろお前ら役員は」
ああああああああああああ、パオルうううううう、空気読みませんよね!知ってました!パオルはそういう人ですよね!!僕が焦っている横で、当のフィン先輩は神妙な面持ちをしていた。
「見返りとか、奉仕とかちょっと前まで意味わかんねぇ事言うなって怒鳴って喧嘩ふっかけきてたのに……、人の成長って素晴らしいね」
そう言って少し涙ぐんだのを僕は見逃さなかった。茶化してはいるが、本当に嬉しいのだ。
「本当に感謝してもしきれない。ありがとうベンヤミン」
「なんでお前が礼を言うんだよ」
「いえ、努力したのはパオルです」
「僕が褒めて喜んでくれれば、頭をかいぐりながら褒めるんだけどね」
「うるせえ、褒める前にオレの話を聞けよ。なんでテメェが礼を言うんだ。ってか用が済んだらさっさと帰れ」
「またパオルはそんなこと言って、本当は嬉しいんじゃないんですか?」
「そうだね。今日はとても素直みたいだから褒めても噛まれないだろうね」
「噛まねえから人の話を聞くか帰るかしろよ」
「うん、うん、僕はとても嬉しいよ。パオル、あの日の君が僕を見る目は忘れたことがなかったけど、随分と丸くなったし、賢くもなった。あの日の僕の選択が間違っていなかったと、証明してくれてありがとう」
「ウルセェよ。なんだよ、お前は」
「僕はただのしがない役員だよ。そして、君たちと友人になりたかったけど、直接膝を交えることができないただの臆病者さ」
そう言ってフィン先輩は席を立ち、部屋を後にした。それと入れ違いに練習を終えたヨナスとそれについて行っていたルカも戻って来た。
「なんかフィン嬉しそうだったけど、何かあったの?」
「知らねぇよ」
「だそうです」
ルカは少々不服そうだったが、話題を変えるとすぐに忘れてしまった。
日を跨いで一通りフィン先輩からの話をルカに伝えると、神妙な顔をしたように見えた。日を跨いだのはいくつか理由があったが、一番の理由はどこまでをどう話すか迷ったためだ。
全てを一度で話すには、ルカというより僕の負担の方が大きかった。全てをまだ咀嚼しきれていないし、全てを知ったルカに対して僕がどう接していいかわからなかったからだ。
「なんとなくは弁護士に話を聞いていたよ、なんか自分の親ながらめちゃくちゃだよね。結局親権を手放したいのか、手放したくないのか、意味がわからないよね」
「それで、在学中は死のうとするのを我慢して欲しいんです。いや、そもそも、死んで欲しくは無いんですけど…」
言葉を選びすぎて、自分でも何を言っているのかよくわからくなってしまっている。ルカのギョロリとしたガラス玉のような眼は、僕の考えることが見透かされているようにも思う。何も言わないルカからは、感情がさっぱり読めない。
「僕はね、今も大人になるまでに死にたいと思ってるよ」
「どうしてもですか?」
「あんな気持ち悪いものになるのも嫌だし、ベンヤミンやパオルがあんなものになるのも見たくない。僕は早く色んな事を学んで大人になりたいと思っていますよ。何も無い僕が、ただただ庇護されるのは心苦しいんです」
「じゃあ、一緒に死のうよ」
「どうしてそうなるんです‼︎」
ルカの考えることがさっぱりわからない。どこをどうすると今のが死に直結してしまうのだろうか。これが死にたがりの最たるものなのだろうか。
「どうしてって、今苦しいんだよね?」
「マハネ神は決して救済神なんかじゃ無いですよ」
「たとえ行き着く先が再びの生であっても、それは僕ではないし、それよりも大人になるより、大人になっていくベンヤミン達を見るよりずっといい」
あの時わかってもらえたと思ったのに、こうも僕の言葉は無力でどうしたらいいのかわからなくなる。
「泣かないでベンヤミン。君が僕を好きなのはわかってるよ。でも全然足りないんだ」
小さい細い手で僕の顔を拭う。いつの間に涙が出ていたのだろうか。
「こうぽっかりと体の真ん中に大きな穴が空いてるんだ」
ルカは体の真ん中をぐるりと楕円を描くように指さした。
「いくらベンヤミンが僕にどれだけ愛を与えてくれたとしても、すり抜けてしまうんだよ。きっと何も響かない。十分すぎるくらい僕は反省房で考えたんだ。時間はいっぱいあったからね」
「ヨナスの歌なら埋まるんですか?」
「慰めにはなるよ」
「その穴は小さくなりませんか」
「どうだろう。可視化できるものではないし、みんなに愛を与えてもらう度に虚しくなる。全て通り過ぎていくのがわかるんだ。調停者は僕に同情的だよ、それも一つの愛だよね。そんな事したってお金にはならないのにね」
「抱きしめても?手を繋いでもダメなんですか?」
「わからないけど、埋まっていく感覚はないんだ。もうダメなんだ。一度大きく空いた穴はそうそう埋まらない。この穴とこの感情と恐怖心を抱えて生きていくくらいなら、早く死んでしまいたいんだ。だって、僕は今が一番幸福なんだから」
「わかりません。幸福ならなぜ死を望むんですか」
「この幸せはいつまでも続かないからだよ」
話は平行線だ。彼の死を享受することが本当は望ましいことなのでは無いかと錯覚する。
「でもそうだね。賭けをしようよ。次は誰にも邪魔されずに死んでみせるから、全力で止めてみせてよ。そうすればもう僕は死ぬなんて言わずに、諦めて大人になるよ」
「そんな生死を賭けにするなんて」
「そんな難しい話じゃ無いと思うけど。ベンヤミンが賭けに勝てば、いいだけだよ」
夕食の予鈴にルカはこれ好機とばかりに、一目散に駆け出して行った。
「なんとも難しい事を賭けにされたね」
「四六時中見張れって事でしょうか」
「さあ、どうだろう。でもこっちに分があると思うけど」
「お願いだから静かにしてくれねぇか、勉強になんねぇ。つかなんでこう連日ここにたむろしてんだよ」
「今僕が昼休みに忙しいからかな」
「すみません何から何まで」
「こればっかりはね、僕ら役員しかできないことだし。管轄外だけど、僕がやりたいっていったことだし」
「せめて隣の部屋使えよ」
「あっちには石置いてないんですよ」
「そうかよ」
フィン先輩は大きなあくびをする。それもそうだ。ここ数日ルカを学校に止めるための書類作りをしているからだ。ルカに自主退学を求める勢力が一般教師に集中していたため、協力が仰げなかったのだ。
親権者の移譲の書類から何から何まで、様式を見つけ出すところからやってくれているのだ。規模が今よりもずっと小さかった頃は、神祇官と役員だけで一般教師も事務員もいなかったらしい。探せば出てくるものだと、役員一同感動しているそうだ。
「例の親権者移譲書類だけど、ご両親がはっきりと親権を放棄していないから、調停者や学校からでは後見人が立てられないみたいなんだ。それで調停者が代理後見人だかなんかで、親権を放棄されていなくても親権義務違反を適用できないか調べてる途中なんだけど、ルカはご両親とすっぱりさっぱり縁を切る気はあるんだよね?」
「明言は避けてますが、今はもう煩わしいと思っているようです」
「じゃあ問題はご両親だけなんだよね。親権放棄の書類一切にサインも目を通すことすらもせずに、全て調停者に任せるが決まり文句になってるみたいだけど、その調停者任せがサインひとつのせいで難航しているっていう……」
「がんじがらめですね、どうしてああもご両親は頑ななんでしょう」
「きっともうご両親も死んで欲しいって思ってるんだろうね。なぁなぁで放置して、死んでしまえば楽だよって、もうあれこれ悩まなくっていいよって、死にたかったんでしょ?どうぞって」
さらりと言ってしまうフィン先輩に僕もパオルも驚いた。
「ちょっと前まで僕も思ってたからね。そんなに死にたいならさっさと1人で死ねばいいのにって」
「な…」
「お前、言っていいことと悪いことがあんだろうが」
「本人には言わないよ。本人に言えるわけないじゃないか。でも四六時中死が隣にあるんだ。そう思ってもおかしく無いよね」
「あいつは俺にはそんなこと言わねぇよ」
「そりゃそうだよ。パオル、君は全身で生を謳歌してる。一分の隙も無いくらいにね。でも僕はダメだ、普通の人なんだよ。ただ少しずつだけ秀でてる普通の人なんだ。せっかくベンヤミンに預けて距離を取ったのに、これじゃあ意味がなかったね。そうだ、あと次の考査で、できれば順位をもう少しあげてもらいたいんだ」
「もう十分くらいの順位ですよね」
「彼の場合あまり生活態度がよろしく無いからね。保険だよ」
さっきまでのはなんだったのか、フィン先輩はペラペラとルカが学校に残るための手段を説明していく。最悪の事態を想定しながら、彼はできうる限りルカを学校に残そうと算段してくれている。
「だってそうでしょ、ルカは学校に残りたいと言ったからね。死ぬにしても生きるにしても、卒業してからだろうけど、義理堅く、10年は生きてくれないかとは思うね」
「ん?どう言うことです?」
「彼、学校に残りたいんでしょ?でも彼は自分のお金を使うことができない。だから特待生制度を使う。特待生制度を使えば卒業後10年は奉仕しなければならない。これ前にも説明したよね?」
「そうですけど、それと死なないのはどうして一緒になるんですか?だって彼ここに残りたいんでしょ?」
こっちに分があるの意味がようやっとわかった。
ルカはいつでもそういう言い方をするのだ。つまりは取りあえず卒業までは子供だから死ぬのはやめるけど、在学中でも何かあったらいつでも死ぬからねということだ。何かはわからないけど、何もなければ死なないということだ。
穴なんか関係ない、幸福感も関係ない、彼は卒業までは幸福でいられると信じている。そもそも今死にたいならそんな話を僕にしないはずだ。それに気づかないなんて、なんという愚鈍。
「なんだこいつ、悶えてるぞ」
「悶えるなんて、言葉を自然に使えるように……。んー、時間を置いて気づいたから恥ずかしんだろうね」
「なんかあったのか?」
「ルカがベンヤミンを揶揄ったんだよ」
「はあ?なんだそりゃ」
「意思疎通をあえて難しくする言葉遊びをして、誤解を引き起こすんだ」
「めんどくせぇ遊びしてんな」
そう恥じ入っているのだ。そろそろ帰ってくるルカとヨナスにどんな顔をして迎えればいいのか頭を抱えた。
「彼はもう十分大人の駆け引きを知っているけどね。二律背反具合に笑ってしまうよ」
その言葉についてつい先日ルカに対して同じようなことを思った気がしたが、なんの話だったか思い出せなかった。そうこうしていると、ヨナスとルカが戻ってきた。フィン先輩は、ルカにも話があると言ってこの時間まで部屋にいたのだ。
「事務連絡ばかりで悪いけど、良かったらご両親に手紙を書いてくれないかな」
「両親に?なんて?」
「親権を早く放棄しろって」
「君が財産を持った孤児になるのが一番手っ取り早いんだ」
「別に構わないけど、また調停者に一任してるっていう返事が来るか、返事が無いかだよ」
「それでも構わないよ。打てる手は打たないとね。最悪僕らがルカの家に乗り込むという手もあるんだけど、どうかな」
「どうかなも何も、どうしてそこまでするの?」
「君のことを恐ろしいと思う反面、やっぱりかわいいからだよ」
フィン先輩は優しい顔をしてルカの頭をひと撫ですると、部屋を出て行った。死ねばいいと言ったフィン先輩、かわいいと言ったフィン先輩、どれが彼の本心なんだろうか。
きっとどれもだ。僕にだって同じような感情がある、なんと感情とはままならないものなのだろうか。
イラスト協力:pizza様 https://www.pixiv.net/users/3014926




