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一番欲しいものだけ手に入らなくて

 ルカがシーツを割いて首吊りをしようとしたと聞かされた時、血の気が引いた。立っていられなくなり、思わずその場にしゃがみ込んでしまい、知らせをくれた役員に心配をかけてしまった。

 あれから3日目だが、毎日のように通っている。ルカはずっと喋らないし、僕を見てくれはしなかった。僕以外の面会の許可は降りないらしく、パオルもヨナスも日に日に心配の色を濃くしていた。僕としてももう抱えきれないのではないか、僕の独りよがりでルカを苦しめるのではないかと、第三者の力を借りるべきかと悩んでいたところだった。

 朝食後に食堂で呼び止められてのことで、なんとか自分を奮い立たせて教室へ向かった。詳しくはフィン先輩からと言われ、大人しく昼休みを待った。


「そんな、どうして、どうやって」

「僕も初めて知ったけど、腰の高さほどの場所に道具を引っ掛けることができたら、首は吊れるらしいね。彼、死ぬ事に関しては知らないこと無いんじゃないかな。刃物が彼の手元に無かっただけ良かったよ。流石に首でも切られたら助けられない」


 心臓はばくばくと大きな音を耳障りなほど立てているし、また血が下がっているのがわかる。


「ルカは、無事、ですよね」

「もちろん無事だよ。今は呆れ果てた校医の先生が付いてる」

「良かったです」

「良かったって言えるのかな。もういっそマハネ神の身元へ旅立った方が彼のためかもしれない」


 困った顔をして笑うフィン先輩に少しだけ苛立ちを感じた。


「何か知っているんですか?」

「何も知らないよ。知っていると言えば、昨日彼の元に調停者が面会に来たことくらいだよ」

「調停者?なぜですか?」

「そこまでは知らないよ。そもそもそれは越権行為だしね。役員といえど、生徒の全てを知る権利はないんだよ」

「僕は彼について何も知らないんです。どうして彼を調停者が?」

「調停者は2時間ばかり滞在した後、おかしな様子もなく帰って行ったということしか僕も知らない。その後、神祇官が反省房まで送り届けたらしいけど、別段変わった様子は無かったって言ってる。そもそも今のルカの様子そのものがおかしいけどね。どうしたい?って聞くのは酷かな」

「いいえ、ルカに会いに行きます」

「そういうと思ったよ。だけど今回は自主休講の許可は降りなかったよ」

「構いません。今大事なのはルカです」


 僕は急いで救護室に向かった。本当は朝食後、話を聞いてすぐ救護室に行きたかった。でも午前中は授業に出るべきだと判断されたから、詳しく教えられなかったのだろう。

 扉の前で上がった息を整えていると、不意に扉が開いた。


「来ると思った。授業はサボりかな」

「授業より、ルカの方が大切です」

「困ったね。君のように、ちゃんと思ってくれる友人がいると言うのに」[p]

「本当ですよ、心配しすぎて血を吐きそうです」

「勘弁してくれよ。これ以上バカな患者を増やさないでくれ」

「それはルカに言ってください」

「この子は大人の言うことなんか聞きやしないよ。それより、話すんだろう?しばらく席を外すから、血を吐かずに済むようにしっかりと聞いてやるんだね」

「ありがとうございます」


 ルカはいつか見たように、あまり良くない顔色でベッドに横たわっていた。

 胸部が上下に動いているので、呼吸はしっかりしているように見えたので安心した。しかし首元に巻かれた包帯が痛々しかった。きっと包帯の下は酷く肌が変色しているのかもしれない。


挿絵(By みてみん)


「ルカ、今度のは本気で死のうと思ったんですね」

「僕はいつだって本気だったよ」


 さらりと喋ったルカに僕は驚きを隠せなかった。ぎょろりと目が開き、その瞳は僕を凝視した。ルカの無事だけがわかればいいとだけ思っていただけだったので、まさか起きているとは思わなくて思わず仰け反るように驚いてしまった。


「驚きすぎだよ」

「寝ているものだと思っていたので」

「もう寝過ぎなくらい寝た。声もすっかり元通りだしね。見事に死に損なったよ」


 首を圧迫すると、声がどうにかなるのかと、不思議と関心してしまった。しかし救出されてまだそんなに時間が経ってないところから考えると、すぐに発見されて、包帯の下も大して肌が変色していないのかもしれない。


「知ったのは3日前だったんだ。初めて両親から僕に手紙が来たんだ、僕は次の夏休みには家に帰ることができるのかと喜んだよ。でも知らない間に両親は離婚してて、父親は再婚してた。もうすぐ1歳になる弟がいるんだって。昨日調停者が来て、両親共に親権を放棄して、一生食うに困らない額のお金と住む家をあげるから、もう他人として生きなさいって、どうせ神祇官にもなれやしないんだからって……、大人って汚いよね」


 僕の頭はどうにかなってしまったのか、ことの重大さだけ理解して話が半分もわからないまま頷くことしかできなかった。


「そうだね」

「手紙は二枚入ってて、片方は母親からで、片方は父親からだった。母親からは、パパに全て任せましたって書いてあった。本当にそれだけ。本当にその一文だけしか書かれていなかったよ。父親からは、調停者に全て任せたって書いてあった。離婚と、調停者のことだけ。母親より長かったけど、2人で一枚の便箋を使えばいいのにって。調停者が来なくたって、これだけで僕に何が起こったかわかっちゃったよ。だから、読んだ瞬間、思わず破いちゃった。あれだけひどい手紙だと思った、ヨナスの手紙が可愛く見えるよね」


 何を言っても陳腐な言葉になると思った。ただ僕はルカの話に頷くしかできない。なんたる無力か。


「あの手紙は偏執的だけど、愛があったと思うんだ」

「そうだね」

「僕さ、母親からも父親からも初めて手紙をもらったんだ。でもあれは母親の字でも父親の字でも無いと思うんだ。なんでかな、なんとなくなんだけどね。長期休暇に帰省の許可がずっと降りなかった訳だよ。両親が学校に多額の寄付金を出して、僕を返らせないようにしてたんだ。ああ、そう言えば僕は嘘をついていたね、僕は帰りたくなかったんじゃなくて、帰ることができなかったんだよ」


 ルカの瞳は僕と天井を行き来していた。天井を向くときはどこか後ろめたい気持ちがある時のようだった。別にそれは嘘では無いように思えたが、ルカにとっては重要なことだったようだ。


「ここからは、調停者から聞いた話だけどね、母親は産後の肥立ちが悪かったみたいで、僕は乳母に育てられてたんだって。父親は母親とは結婚したくてしたわけじゃ無いから、とにかく男の子さえ産んでくれればって思ってたみたい。でも僕は母親によく似ててね、父親は僕の顔を見るのも嫌だったみたい。遊んでもらった記憶も、抱っこしてもらった記憶も、手を繋いでもらった記憶も無いんだ。僕は物心つくまで”ママとパパ”というものがよくわかってなかったみたいなんだ。何せ4歳の誕生日まで”ママとパパ”の顔すらわかってなかったんだから。4歳の誕生日はそれは豪勢に祝われたんだ、隣に座る大人は誰だろうっていうのが最初の記憶だよ。あの引きつった笑い顔は目に焼き付いてる。親だと知って、僕は彼らに媚を売り始めた。愛されたかったから。でも母親は僕に一切興味を示さなかった。憎しみも愛情もなく、ただただ無関心だった。いつでも会話は、そう、という返答だけだった。何を聞いても、何を言っても、母親はそれ以外の言葉は僕に話してくれなかった。どれだけ媚を売っても、構われようとしても、僕がそこに存在していないように扱われたよ。父親はまあ僕が勉強することだけは興味を持ってくれていたかな。本だけは際限なく買い与えてくれたし、家庭教師も一流の人を雇ってくれていたね。それでも家庭教師や家令や侍従としか会話していなかったと思う」

「だから、本気になって勉強しなくても成績が上位なんですね」


 ルカの成績の良さの謎が解けた。僕らのずっと先をすでに履修済みなのだ。父親の愛が欲しいがために。


「昔取った杵柄ってやつだね。父親は僕が話しかけると、後にしなさいって絶対言うんだけど、後なんて来た試しがなかったな。それでも乳母や女中は僕を可愛がってくれていたと思うよ。だから僕は彼らに媚を売り出した。彼らは僕をかわいそうな子供だと常々言っていたよ。でも彼らはだんだん僕を疎みはじめた、給金以上に働かせるのかってね。彼らの優しさには賃金が発生するんだと知ったよ。僕は恐ろしいと思ったんだ。僕が読んだ本には愛は無償だと書いてあったから、現実の大人の愛は、打算の上に成り立っていたんだ。絶望したね。いい子にしていればいつか”パパとママ”に愛してもらえると思っていたんだ。ねえ、ベンヤミン、僕が好き?」


 僕は布団の中に手を入れて、ルカの手を探した。すぐにルカの細い指に辿り着いた。布団の中にあったので、僕よりもずっと暖かい手をしている。指先を撫でると、すぐに指を絡めてきた。


「手を繋ぐと、相手の気持ちがわかるんだ」

「僕の気持ちがわかりますか?」

「できれば口に出して言ってほしいな」

「少し照れるんです」

「そう」

「少しだけ、心の準備をさせてください」


僕は大きく息を吸い込んでからゆっくり吐き、また息を吸い込んだ。


「僕はルカが好きですよ、かわいそうなんて思ってもいません。だって君には友人がいるんですから」

「パオルとヨナス?ああ、悪いことしたな。一度死んで、生き返って、最初に頭に浮かんだのはベンヤミンと、ヨナスと、パオルだったよ」

「嬉しいです」

「ああ、でも死んでしまいたかったな」


 そう言うルカに、そんな事言わないでとは言えなかった。今のルカに責任が取れても、この先のルカに責任は取れない。卒業してしまえば、こうして四六時中そばにいることなど叶いやしないのだ。


「話が随分と逸れたけど、それくらいからかな、死に癖がついたんだ。自分の首を自分で締めるところからはじめたと思うな。自分の手じゃ死ねないって残念に思ったよ。圧倒的に力がそもそも足りないんだ。ちっとも苦しくすらならない。刃物は触らせてもらえる年齢になっても触らせてはもらえなかったな。鉛筆もいつでも綺麗に削られていたね。監視されてたんだろうね。死のうとするといつでも邪魔が入った。一応後継者だったからだろうね。もう違うけどね。ベンヤミンと手を繋いで、伝わるんだと思ったらいてもたってもいられなかったんだ」


 ルカは気だるそうに繋いでないもう一方の手を出して、宙に伸ばした。


「手を取って真正面から僕はあなた達を愛してるって、言いに行こうと思ったんだ。でも、もう愛してるのかわからなくなった」

「愛さなくていいと思いますよ。愛って両者から投げ合うから減らないんです。片方から投げるばかりだと減る一方じゃないですか。だから、今ルカは愛が減ってる状態なんですよ。減りすぎて、血がなくなった時のように貧血になってるんです。貧血なら聖水と呪符で回復しますけど、愛は無理なんですよ。もう少し死ぬのやめてみましょう。愛が充填されてから決めても遅くないです」

「僕が死んだら、ベンヤミン悲しい?」

「とても」


 僕はルカの手を強く握った。ルカも同じように僕の手を強く握り返す。彼を明るい場所へ引き上げるには、どれだけの愛で彼を満たせばいいのだろうか。途方も無い提案だったかもしれない。でも今の僕にはこれしか言うことができなかった。


 ルカは救護室への入院も含め、僕らの部屋に帰って来たのは反省房入りしてから10日が経ってからだった。罰則に日数は無いのだが、聖書丸々一冊の書き写しが今回ルカに与えられた罰則なので、それが終わらない限りは出てこれない。

 フィン先輩に聞くに、とてつもなく早い方だと言う。僕もそう思う。他にやることは無いとはいえ、丸々一冊を書き写すのだ。早々終わるものではない。それに、あらゆる方面からの事情を鑑みて、簡単なお決まりの定型分だけの反省文で済んだらしい。


 今週いっぱいは自室謹慎なので、ルカはまだ授業には出ていない。なので、この昼休みのフィン先輩との報告会にルカが現れることはないため、安心して報告と相談することができていた。


「酷い生徒だと一ヶ月は出てこれないんじゃないかな」

「授業についていけなくなりますよね」

「パオルで知ってるだろうけど、そのための手厚い補講体制だからね」

「なるほど」


 とはいっても、パオル本人はなんだかんだまだ反省房に入ったことはない。全校生徒合わせて900人弱で、年に10人入った年が創立以来一番多いと言うので、この罰則がいかに重いかがわかる。


「部屋に戻ってからルカの様子はどう?」

「怖いくらいに以前と何も変わっていませんよ」

「それなら良かった。表面上だけでも繕えているなら、当面は大丈夫だろうね」

「それで、学校としてはどうすることになったんですか?」

「本人の意思を尊重する形に落ち着きそうだよ。体良く厄介払いしたい教師面々は、調停者の言う学校を辞めてくれて構わないに賛同してるけどね。流石神祇官達は哀れな子羊論を唱えてるよ。でもまぁ、神祇官達はルカの聖力をクォルで飼い潰すのは勿体無いって思っているのが透けて見えるけどね」

「それでも、数としては一般教師に勝りますからね。良かったです」


 果たしてよかったのかとふと思った。ルカの信仰心はどこからきているのだろうか。ご両親への盲信が消えた今、同時に聖力も低くなってやしないだろうか。


「そう、ルカ本人は学校に残りたいと希望していてね。なんだか意外だったと思ったんだよ」

「意外ですか?」

「死ぬにしてもこんな所にいるより、1人になった方が確実じゃないかと思ったんだけどね」


 そういえばそうだと、今更ながらに納得した。最近のルカを思うと意外に思ってしまうが、最初の頃のルカを思うと不思議はない。親の気まぐれに振り回され続けたルカの、もう何にも振り回されたくないという最後の矜持なのかもしれない。


「とりあえずしばらくは死なないと約束してくれました」

「しばらくは、か。1人で死ぬのが寂しいからとか言い出さないことを祈るよ」

「まさか」


 そのまさかはあまり当てにならないことに気づいた。彼はそういう性質なのだ。僕が約束したものが享受できないとあれば、すぐにマハネ神の元へ行くことを選ぶだろう。


「そうそう、ヨナスの様子はどう?あれからこっち、ソロをやる後輩指導が大変で、あまり目をかけれていないんだよ」

「ヨナスですか?そういえば、最近吃りが減ってきてるように思います。それと、昨日は戻ってきたルカと一緒に寝ていました」

「今日はカウラの時が来る前に起きなくていいからね。僕らはヨナスに嫉妬する以前に、その過酷さに舌を巻いているよ。そうは言っても僕らは持ち回りだからね、それでもカウラの時の前に起きるのは辛かった。毎日のことだから、慣れの問題だろうけど」

「そうでしょうね。ソロを歌わない日でも、ヨナスはカウラの時の前に起きて朝練に行っているみたいですよ」

「うわあ、尊敬通り越して呆れるね。でもどこで歌っているんだろう」

「習慣でしょうから眼が覚めるのでしょうね、薪割り小屋で歌ってるみたいですよ。ヨナスの意に介さなさは本当に驚きます、あんなことがあった場所なのに」

「こうなってくると、本気で興味が無かった説が有力になるね」


 僕とフィン先輩は目を合わせて笑った。

 普通の生徒なら、騙されて閉じ込められて怪我をした場所なんて2度と近寄りたくないと思うはずだ。それなのに、練習にちょうど良い場所を教えてもらったと、まだ盲目的に信用しているのかもしれない。全ての悪も何もかも、善行の上の掛け違いだとか思ってそうだと、木らはヨナスに対する考え方を改めた。


「昨日はそれをルカに教えたので、一緒に点呼後にすぐに寝て今日はカウラの時の前に起きたみたいです」

「すっかり健康的だ」

「すっかりと言えば、あれから本当に夢遊病が治っていますね」

「やっぱりしっかり着飾って週に一度でも歌えれば違うんだろうね。それに嫌がらせも無くなっているしね。まあ、問題はご両親だけど」

「あれからずっと、手紙は僕が事務室に定期的に取りに行っています。一応目に付かないように保管をしてはあります」

「ご両親が一番厄介だよね」

「だからって、僕にはどうすることもできませんよ」

「もういっそ、それだけ仲が良いんだったら、ルカにヨナスを引き取ってもらうという手もあるよね」

「そんな適当な」

「それだと、みんな幸せだろうなと思っただけだよ」


 でもヨナスもいつかルカを置いて大人になる。ヨナスだけじゃない、僕も、パオルも、フィン先輩も。誰か誰でもいい、ルカが満たされるくらい愛を与えられる人がいないものか。


「お前じゃダメなの?」

「僕ですか?」

「そう、お前」

「僕に何ができるでしょうか」

「できる、できないって話じゃねぇと思うぞ。俺もよく分かんねぇけどよ」

「そもそも、愛ってなんでしょう」

「さあな、言っちゃあなんだが、俺もヨナスもまともな親の愛は知らねぇからな」

「お前が一番知ってんじゃねぇの?」

「……、どうでしょう」


 昨日もそうだったがルカはヨナスにべったりで、この時間もヨナスの練習について行っている。邪魔しないようにと口すっぱく言ったが、聴いてるだけだと言い張り、ヨナスも構わないというので諦めた。彼ら2人の時間に割って入るのはなんだか気が引けたので、僕はそこに混ざることはしなかった。

 なんというか、空気が違うのだ。愛が欲しい子供と、愛がいらない子供。そう見える。


「俺はな、生きるにしがみついてんだよな、こうカッコ悪く」

「かっこ悪いんですか?」

「死なねぇために、殺し以外はなんでもやったってことだよ」

「でもそのお陰で、僕はパオルと会えましたし、パオルも聖書が読めるようになりました」

「別に俺は神様っていうのを信じちゃいないんだけど、最近はそうだな信じてもいいって思えてきた」

「神様っているんでしょうか」

「さあなって、お前がそれを言うのか?まあでも、実態がねぇもんだしな、こうふわっとぼんやりとこう、心に寄り添ってるような。なんていうんだこういうの、ちょっと待てよ、最近調べた言葉に納得行くもんがあったんだ」


 そう言ってパオルはごそごそとノートを漁る。


 神々について時々考える。信仰心が聖力の源だというが、パオルは神々の名前すらろくに知らなかった。ルカは信仰心というものの欠片すら見えない。特にヨナスは誰よりも聖力が高いのに、聖歌よりも俗歌の方を好んでいる。信仰心とはなんなのだろうか。そう日々よく考えるようになった。

 神々からの恩恵を受けるには信仰しなければならない。中途半端に信仰を捨てたために竜害に見舞われて国としての形態を保てなくなった国があることを聞いたことがある。竜から国を守る結界を維持するのは聖力を持った神祇官で、その神祇官の聖力は信仰心と比例する。


「これだ、よすが」


 パオルの声で我に帰る。

 課題をこなすのが早くなってきたパオルは、ここのところ教科書や拾ってきた新聞を時々読んでいるのを目にすることが増えてきた。


「僕は縁を神の導きだと思ってます。でもその後のことは僕らに委ねられていると思うんです。与えられた環境の中でどれだけ恭順し敬虔になれるか。神々からの恩恵に報いるための信仰だと甘言に唆されず、自分本位にならずにいられるか。」

「難しいこと考えてんのな。俺にしちゃ、信仰心ずば抜けてるように見えるぞ」

「これは信仰に入るんでしょうか」

「それが信仰じゃなけりゃ、俺には信仰なんざてが届かねぇ」

「頭でっかちの戯言ですよ」

「礼拝の時の神祇官の説教と変わんねぇよ。ってことは、向いてんだよ」

「信仰とは思考と、レスレンデカ・エトヴィン・ハビャシュカが言葉を残してますね」

「あー、ちょっと待てよ。130年前のハビャシュカだったか。歴代一、本を書いて残してんだよな。精霊王クチュクチェシェーレネが近代で唯一加護を与えたんだよな」

「そうです。精霊王クチュクチェシェーレネは建国から200年とレスレンデカ・エトヴィン・ハビャシュカの代にしか現れていません。レスレンデカは精霊王クチュクチェシェーレネが彼に与えた加護のことです」

「レスレンデカってどんな加護なんだ?」

「レスレンデカは竜王エギザムがまだ王だった頃の言葉で、人の子の喜びとの対話のことです。ずっと精霊王クチュクチェシェーレネとレスレンデカ・エトヴィン・ハビャシュカはおしゃべりしてたんじゃないですか?」

「途中から適当になったな。でもよ、俺がこう努力できる切っ掛けを与えてくれたのはやっぱり神様って存在のお陰だと思うんだよ。俺をこの学校に来れたのも俺に聖力があったからだからな」


 パオルと僕は祈りの姿勢を取った。パオルにつられて僕の祈りの姿勢を取る回数が多くなっている気がする。


「元気かな」

「あなたを保護した神祇官ですか?聖書読み終わったら、その神祇官に手紙を出しましょう」

「先が長げぇな」

「ちょこちょこ書きたいことをメモしておくといいですよ。いざ書こうってなった時に迷いません」

「お前もよく手紙書いてるよな」

「僕はいつでも迷って、何一つ書けずに終わっています。どうしてもダメですね」

「俺たちの事は書かねぇのか?」

「あまり良くないのでは?面白おかしく話して欲しくはないでしょう?」

「面白おかしくなんて書く必要あんのか?別にこういうルームメイトがいます。毎日充実していますだけでいいんじゃねぇの?俺も多分そんなことしか書けねぇし、それしか書かねぇと思う」

「僕だって、そうですけど。すみません、言い訳です。ただ筆が重いんです」


 そうだ、何を書いていいかわからないなんて嘘だ。僕からの手紙を読んだ両親がどう思うかばかりが気になって仕方がないのだ。もし読まれなかったらどうしよう、もし返信がなかったらどうしようと思うと、どうしても筆が進まない。

 ルカとは違い、僕は僕自身の意思で長期休暇も学校に残っている。残っても文句を言われないのは、両親が入学時、進級時に寄付金を納めてくれているからだというのはわかっている。

 会いたくないのか、会えないのか、帰りたくないのか、帰れないのか、まだ答えは出ていない。

イラスト協力:pizza様 https://www.pixiv.net/users/3014926

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