それはあまりにも不可侵領域にあり
ルカから先日負ったあの身体中の怪我について、明日話すからと言われてもう1週間以上が経った。3日は僕を避けていたが、僕がルカを待つと言う態度を理解してくれたのか、今では忘れたように以前の通りだった。
あれから傷は増えていないようで、僕は安心している。自分で傷付けるのはもちろん、他人に傷つけられるのは痛々しいを越して、自分まで痛くなる。
というのを僕は懲りずにパオルに相談している。今日はヨナスもいる。
「お前はなぁ、そう言うのはもっと別のやつがいるだろうが」
「フィン先輩ですか?」
「名前を出すな、名前を」
「どこまで苦手なんですか」
「どこまでもいけすかねぇからな」
「そうですか。で、話を戻します」
「戻すな。戻すな」
「タイミングをすっかり逃してしまったんですが、どうしたらいいでしょうか」
「知らねぇよ。聞きゃあいいだろうが。こないだの話聞かせて欲しいって」
「それができたら、苦労していませんよ」
なぜフィン先輩に相談しないかと言うと、彼の表情についての話は一切相談していなかったからだ。この事案に報告義務はないので、問題はない。ただ、ルカが僕ら以外に知られたく無いのではと思ったからだ。
「いいじゃないですか、3人で考えましょうよ」
「実質2人じゃねぇか」
ヨナスは横で首を傾げている。
「ヨナス、いいですか。ルカのあの表情が無い理由を僕はどうしても聞かなくちゃいけないんです。どうしてもなんです、わかりますよね」
ヨナスは頷く。
「巻き込んでやるなよ」
「連帯責任です」
「使い方間違ってねぇか?」
「なので、2人きりになる時間が作りたいんです」
「ん?俺らを使って聞き出すとかじゃねぇの?」
「何言ってるんです。流石にそれはダメでしょう。僕が尻込みしないように、どうしたら上手く聞き出せるかを相談したいんですよ」
「もう正面切って聞くしかねぇだろ」
ヨナスも頷く。
「正面切ってですか?どうやってです。彼の口が上手いの知ってますよね。感情的になってくれたらこちらにも分がありますけど、冷静に来られたら僕負けますよ」
「でもそれ、お前にしかできねぇだろう?」
「わかってますよ、僕が成すべきことだって。わかってますけど、作戦ぐらい一緒に立てましょうよ」
「いつになく気弱だな」
「元々こういう性格なんです」
そう、僕は慄いていたのだ。待つなんて大見得を切ったはいいが、その実どう切り出していいか見当がつかなかったのだ。タイミングを逃してしまったなんて言い訳だ、みすみす逃したのだ。
正直僕が抱えるにはルカは重すぎる。失敗すればルカは今度こそ確実に、命を絶ってしまうだろうという確信があった。結局ああだこうだと、パオルに文句を言われながら話し合ったが、彼と上手に向き合う方法は見つからなかった。
放課後のルカとの時間はここ最近のらりくらりと逃げられていて、この日はどうにか部屋に留めることができた。相変わらずの無表情のまま大きく嫌そうにため息をついて、諦めたように席についた。
「最近僕を仲間はずれにして、何やら仲良しみたいだね」
「そんなことはないですけど、あるのかな」
「別にいいけど」
「あのですね、ルカ」
「なに?」
僕は水の中で溺れてしまっているように、口からは大量の空気が出て行くだけで呼吸もままならなくなる。どうしてこうもこの話題に触れることを恐れてしまうのか、僕自身にも原因がわからない。ルカは手を伸ばして僕を触る。冷たい細い指が僕の腕に触れる。布越しだが、その体温を直で感じれるような感触だった。
「取って食べたりはしないよ」
ふと伸ばされた腕の袖口から見えた包帯は、いつか見た場所にあったままだった。あの後に付けられた他の傷はほとんどわからないくらいになっているのに。ルカが自分の腕を傷つけたのは、あれよりも前だというのに。やっと出た言葉はパクパクと魚のように不恰好だった。
「その傷、なんで、もう治っててもいい頃ですよね」
僕はおかしいと思い、ルカに了承を得ず包帯を解いた。ルカは抵抗せずに、なすがまま包帯を解かれた。その傷は治るどころか、綺麗な傷のままだった。パカリと開かれた傷口から、新しい血が小さな血溜まりを作っていく。
「どうして?」
「どうしてって?」
「なんで治ってないんです?」
「治したくないから」
「どうして」
「どうしてばっかり」
ルカはクスクスと声だけで笑う。慣れたといっても奇妙な光景だった。
「答えてはくれないんですか?」
「どうしてだろうね。でも治したくないんだ」
「わかりません、傷が腐ってしまうとか考えないんですか?」
「毎日消毒をしているし、こうやって開いて、治らないようにしているだけだから」
そういって、ルカは傷を横に開くように指で開いた。そこからまたぷっくりと血が滲み、腕を伝う。その奇行は理解に苦しむが、ルカすらその行動を説明できる言葉を持っていないのかもしれない。
「ルカはどうしてそんなに死にたいんです?」
「どうだろう、今はよくわからない」
「大人になるのそんなに怖いんですか?」
「怖いんじゃない。気持ちが悪いんだよ。僕はあれら以上に気持ちの悪い存在なんか知らない」
「あれら?ルカの指す大人って、誰のことを言っているんですか?」
ルカは目を大きく見開いた。ガラス細工のような瞳は、水分を含んでいてぼんやり光る。ガラス玉が落ちてしまうのではと思ったが、やっぱりちゃんとした眼球なのだろう。落ちる気配は全くない。
「ご両親?」
「怖い」
ルカは僕に飛びついてきた。力一杯しがみつかれた背骨は悲鳴をあげそうだ。この細い腕のどこにそんな力があるのか不思議に思った。片足を後ろに下げて踏ん張ろうとすると、踵が滑った。僕は首だけ動かして足元を見ると、血が点々と落ちている。腕の傷は切ったばかりのように開いて、そこから血が垂れているのが目の端に映った。
「ルカ、傷口が開いてます。手当てしますから、離してください」
「怖いんだ」
そう言って僕から離れようとしない。何が怖いのかわからないが、そっと背中を抱きしめ返した。たったひとつ学年が下なだけなのに、随分と細いように思える。骨と皮だけという表現がしっくりくる細さだった。僕も体つきが良い訳ではないが、ここまで折れそうなほどではない。
背中がぎりりと痛む。
顔を押し付けられた胸部が痛くて、そろそろ呼吸もままならなくなりそうだ。どこにこんな力があるのかとまた不思議に思う。
「ルカ、痛いよ」
今度は返事がなかった。
僕は優しくルカの背中を撫でた。背骨がボコボコとしたとしていて、まるで人間みたいだった。背中のミミズ腫れはもう治っているらしく、触っても痛がらない。
全く緩まない腕の力に半ば諦めて、好きにさせることにした。こうして誰かの体温を感じるのは久々だった。ここへくる前、両親に抱きしめられて以来だ。その時は優しく愛情深く抱きしめられて、こんな痛い思いはしなかった。
しばらくすると、ふと力が緩まった。ルカを見ると寝息を立てている。
「ルカ?」
どうしたものかと思案したが、とりあえず腕の傷の治療が先だとくったりと寝ているルカをベッドに横たえた。足元にはそこそこ大きな血溜まりが出来ていた。血が溢れる腕の止血にはと記憶を辿り、処置をした。
腕を縛って抑えていると血が滲まなくなり、どうにか止血は出来たようだと安堵した。
「なんだこれ、またルカか?」
「傷が開いてしまったんです」
「ルカどうした?」
「急に寝てしまったみたいで、とりあえず止血はしました」
「なぁ、それって気絶したんじゃねぇの?」
「気絶?」
「それルカの血だろ?そんだけ血ぃ出したら、気絶すんじゃね?」
「ああ、ってこれ、救護室に連れて言った方がいいですか?」
「ワカンねぇけど、血が止まったんならいいんじゃねえの?」
パオルはテキパキと床に溜まった血を掃除していった。
「で、話せたのか?」
「どうでしょう。確信に迫る前にこれでして」
「かくしんってなんだ、ちょっと待てよ」
パオルは手慣れた様子で辞書を引いていく。数日前から彼の要望もあって、普通に喋るようにしていた。
「かくしん、これか確信に迫る。そうか、怪我じゃしょうがねぇな」
「そうなんです」
「あと、背骨折れるかと思うくらいしがみ付かれました」
「何してんだ?」
「僕にもわかりません。まだ背中痛いです」
「案外力強いんだな。今度腕相撲大会でも開くか」
「最弱王決定戦じゃないですか」
血のついたガーゼなどを片付けていると、パオルが僕の肩を引いて突然上着を脱がせた。
「下のシャツにも染みてんな。救護室連れてった方が良いんじゃね?」
僕は慌ててシャツも脱ぐと、ルカが腕を回していた場所を中心に手のひらほどが赤くなっている。
「結構染みてますね」
「漬けてきてやるから、着替えてろ」
パオルが戻ってくると、ルカをおぶってもらい救護室に連れて行った。どうやら校医とルカと顔なじみなようで、何が起こったか伝えると呆れた顔をして大きくため息をついた。
「またか、ここのところきていないと思ったがそう簡単に、来なくはならないか。で、血は止まっているんだろう?」
「はい、止血はできています、でも床に大きな血だまりと、僕の背中がこれだけ染みるほど血を流してしまっています」
両手で輪っかを作ると、また校医は大きなため息をついた。
校医は棚から一枚の羊皮紙を取り出すと聖水に浸し、その端をルカの口に咥えさせた。医療系の呪符の書かれた羊皮紙なのだろう。
「朝には回復してるだろう。一晩預かるよ」
「お世話になります」
せっかく巻いた包帯は取られ患部を改められた。
僕らがここに居ては邪魔だという空気がひしひしと伝わり、夕食の予鈴も鳴ったことでパオルと共に救護室を後にした。
「呪符の記号は覚えられる気がしねぇ」
「神祇官の使う呪符はたかが知れてますから、丸々覚えてしまえば良いんですよ。僕だって、どうしてキノレルとザルゲモが反発しないのかいまだに理解できませんし」
「あー、カウラ神とネソワ神の眷属は基本反発すっからな」
僕らの心配をよそに、一晩救護室で過ごしたルカは、翌日ケロっとした顔をして礼拝の後帰ってきた。そして僕ら全員を一人ずつキツく抱きしめた後、特に何も言わずにそのまま授業の道具を持って朝食に向かった。
残された僕らは大いに首を傾げて、特に何も言わずにルカを追って朝食に向かった。
寮から出る時に掲示板を確認すると、昼休みにいつものところでとフィン先輩からの呼び出しが書かれていた。礼拝の前には書かれていなかったはずだ。何か急用でもあるのだろうか。
いつもの場所へ行くと、フィン先輩は腕つりの三角巾が外れていて、怪我をしていた腕を振って迎えてくれた。
「腕、治ったんですね」
「激しく動かすことはまだできないみたいだけど、ようやっと昨日からあの不自由な生活から解放されたよ」
僕は白状するようにフィン先輩に事の次第を伝えた。あらましは校医に聞いていたようで特に驚いた様子はない。続けて今朝のルカの様子も伝える。
「結局何がしたかったのかわかりませんでした」
「それは昨日から散々だったね」
「そっちはまぁ良いんです。良くはないですけど。問題はルカが抱きついてくる方ですよ。ヨナスに対してというのは度々見る機会はあったんですが、僕やパオルには今まで一切ありませんでしたから」
「見た目と言動からは想像し難い、距離の近い子だよね。それにしても随分と懐かれたもんだね」
「そういう問題ですか?」
「自慢じゃないの?ルカはすぐ僕に対して悪態付いて逃げるんだよね。それも最初から、割と打ち解けた今でもね。」
確かに、ルカはフィン先輩に対してそういう態度を取りがちだ。僕がフィン先輩かといるから寄ってくるというだけで、普段は寄り付きもしないらしい。
「以前何かあったんですか?」
「あったと言えばあったかな。無かったと言えば無かったけれど……。そうだねぇ、まずは僕が考えるあれこれを聞いてもらわないとね」
「あれこれですか?」
「それから、僕とルカに何があったのか。まず僕にとって、死とはそもそもどこからか与えられるもので、自分からそれを手にすることは無いものだと信じて疑うことはなかったんだよ。善はもとより人に備わっており、信仰の下、それに溺れず日々を過ごしていくものだと、これも信じて疑わなかった。父も母も貧しくとも人を疑ったり妬んだりしなかったし、自身も兄弟もそうであれと育てられた。ネーレの朝には教会に行き、日々を感謝し平穏に過ごせるように、何にも惑わされるようにと祈った。それが当たり前だった」
「僕もそうです、そういうものでしょう?」
「そうだね。マハネ神もユマカ神も絶対だ。でもルカは、彼はそういうものとは違うところにいるんだ」
「違うところですか?」
「彼はいつでも死を望んでいるし、彼は人の善は何か対価がある上に成り立っていると考えてる。彼は妬むことは無かったけれど、常に人を疑っているんだよ。そして、彼は何より惑わす存在だったよ。まるで彼はエンゾザだと、僕は思ってしまった」
それは最大の蔑称だ。僕は一気に頭に血が昇る思いがしたが、顔に出ないように必死に静かに深く息を吐いた。
「僕の知っているルカはそうではありません」
「確かに彼も少しずつ変わってきているね」
遠くで午後の授業を知らせる予鈴が鳴る。
辺りでは忙しなく教室へ向かう生徒の喧騒が聞こえた。僕らもそれに倣って教室へ行かなくてはと、腰を上げたがフィン先輩に腕を引かれてその場に留まることになった。
「午後の授業は自主休講してしまおう」
「え?そんな簡単に…」
「もう少し僕は君と話をしなくてはいけないからね、それに授業中なら邪魔は入らない。君は僕が彼をエンゾザと呼称してしまった言い訳を聞かなくてはいけないんだ」
フィン先輩は僕をある場所へ誘った。
そこは嫌でもよく知った場所で、人気の無い薪割り小屋だった。フィン先輩は真新しい鍵をポケットから取り出し、鍵を開けた。買い足された薪が増えたのだろう、以前より積み上げられているように見える。
これだけあって、節約が言い渡されてもエナヨカウラが来るまで持つかもたないかなのだから、薪というのは燃費が悪い。
「カウラの石を各部屋になんて、薪何年分の費用が必要だか」
「気を生やすのは神祇官頼りじゃないですか。人件費の方が安いのはどうなんでしょう」
「クォルってそんなもんだからね。だから僕らはここで勉強してナザ以上になるんだよ」
僕とフィン先輩が神祇官になる理由が随分と違うと驚いた。
「まぁ、君は違うんだろうけど、大抵僕みたいな家の子はそんなもんだよ」
座れそうな場所を見つけて、木屑を払うとフィン先輩はその上に雑に座った。
「ここは先日まで悪いことに使われて居た場所だったんだ、知ってるよね」
「はい」
「僕とルカの出会いもここだったんだよ。でもその時は丁度薪割りの季節でね、たまたま僕は罰則監視の当番に当たっていたんだけど、その日は授業の関係で、少し早く来てしまってね。丁度あっちの奥辺りかな、ルカが上級生に全裸にされていたんだ。僕は丁度その時、罰則の生徒に渡す鉈を持っていてね。思わずなりふり構わず振り回したよ」
「大丈夫だったんですか?」
「本人曰く未遂だって言ってたけど、どうだかね。僕の乱心ぶりに驚いてその上級生達は逃げていったよ。それから、彼に少しだけ懐かれた。綺麗で賢い後輩が懐いてくれていることに、僕は少しだけ優越感を持っていたんだ。でもね、僕の友人達はすぐに彼の虜になってしまったんだ。ここって女っ気無いでしょ?」
「でも」
彼は男子生徒ですよね、と続けたかった言葉はフィン先輩によって遮られた。そういう趣味趣向があるのは理解できるが、こう手当たり次第となると理解に苦しむ。
「不思議だよね。ルカも受け入れちゃうんだもん、びっくりしたよ。問い詰めれば僕の友達だからって言うんだよ。もう意味がわからないよね。彼そもそも死にたがりでしょ?友達の1人が彼に言ったんだよ。一緒にマハネ神のところへ行こうって。そりゃ乗り気になるよね」
「どうなったんですか?」
「2人とも未遂で終わったよ。ルカの首を絞めて気を失ったところで我に返って助けを求めたなんて、お粗末な結果なんだけどね。ルカが目が覚めた時にたまたま僕がそばに居たんだけど、彼、起きるなり僕の手を取って首に当てて今度こそって言ったんだ。もう恐ろしくなったね」
フィン先輩はポロポロと涙を流してた。袖でゴシゴシと拭うと、目元が擦れたか赤くなっていた。
「ごめんね、ちょっと当時の気分になってしまったよ。君に話をする覚悟はできていたつもりだけど、本当に、本当に恐ろしかったんだ。僕の祖父母はどちらもまだ健在でね、死というものを身近に体感したのが本当に初めてだったんだ。今もまだあの細い首の感触を容易に思い出せる」
フィン先輩は自分の両手を見つめながら震えた。
「ルカは、どうしてそんなことを」
「理由は聞いてないよ。いや、聞くことができなかったと言った方がいいね。それ以来僕は出来うる限り彼を避けたんだから」
「でも僕が知ってる限りでは、ルカがフィン先輩を避けているように見えましたけど」
「それは僕が君に彼を委ねたからだよ。そもそも一度避けたところで、僕への信頼は地に落ちたのだろうからね」
フィン先輩は大きく背伸びをした後、大きく息を吐いた。
「これで全部だよ。僕が彼をエンゾザだという理由と、僕が実際に見た彼の話は……。噂はいっぱい知ってるけどね。教師と関係を持っているとか、上級生のペットになってるとか。どれも実際そうだったんだろうけど、今は全部を清算したしたみたいだね」
「清算?」
フィン先輩は、眉尻を下げて困ったと言った顔をする。僕が知らないとは思わなかったようだ。
「口が滑ったというか、君が知らなかったとは思わなかったというか。まぁ、でも、今知らないなら、知らないでいいんじゃないかな。ルカとしても言ってないなら言いたくないか、言わなくてもいいことだと考えたかはわからないけど。どうしても知りたくて、聞かなかったふりができるなら教えるけど、ベンヤミンには難しそうだし。第一、彼はそういう機微に目ざとい」
そこまで言うと、フィン先輩は立ち上がりズボンを払った。僕はなんとなく立ち上がれなかった。
容易く想像できる話だが、名言化されないことに意味があるのだろうか、今ここでフィン先輩を呼び止めて、聞くべきだろうか。ルカにあれだけの怪我を負わせたのが誰かを僕は調べなかった。怖気付いているからだろうか。いや、ルカが話してくれると信じたからだ。
言い訳ばかり並べ立てる。結局、事実として僕は何も行動を起こさなかったのだ。今更フィン先輩に教えてくれなんて言えるわけがない。
響く足音が遠ざかる。遠くで扉の開く音が聞こえて慌ててフィン先輩を追いかけた。
「しばらく外で待つつもりだったけど、もう大丈夫?」
「すみません」
「1人にした方がいいのかなって思ったけど、杞憂だったかな」
「ご配慮ありがとうございます」
フィン先輩の顔を見ると、先輩の方が1人になりたそうだった。
「フィン先輩、その、ご友人はどうなったんですか」
「ああ、彼?ヘオヴェーグの学校へ転校したよ。そこが故郷らしいし。あそこは楔の神殿もあるからね。それに、転校して憑き物が落ちたようにどうしてあんなことをしでかしたのかっていう手紙が届いたよ」
「そうなんですね。よかった」
「全員がそうなんだよ。彼と離れると、なんでもなくなる。どういうことだと思う?」
薪割り小屋は一般寮の裏手の林の更に奥にある。授業が行われている時間、薪割り小屋の管理人くらいしかここにはいない。しかし今日は姿を見ていないと気づいた。フィン先輩が手を回したのだろうか。
「静かですね」
「静かすぎて怖いくらいだ」
フィン先輩は鍵を閉めると、その鍵をポケットに仕舞った。
「言い忘れたけど、ちゃんと今日の午後の授業は出席扱いになるからね」
「そうなんですか?」
「ちゃんと先生方に許可を貰ったよ。こう見えて役員だからね」
「そんなホイホイ許可が貰えるんですか?」
「校医から学校側にルカについて苦情が随分前から渡っていてね。ルカ1人で生徒100人分の治療を施している、どうにかしろってね」
「それはまた」
「昨日の今日で学校から僕らに直接打診があった訳。早急にどうにかしろってね。彼の体の傷、全部筒抜けだしね。だからと言って、彼への傷害行為の犯人をあげたいわけでは無いみたいなんだよね」
「学校側は教師が関与していることを知っているんですね」
内々に片付けろということなのだろう。ある程度の生徒の処分は役員の采配でどうにかできる。学校が動かなければこれ以上ルカに関する学校としての醜聞が増えない。
「そうだよ。と言うことで、僕は言える限りの情報は君に渡したわけだし、頑張ってね。僕は正直もう関わりたく無いし、手に余るんだ」
そう言って大袈裟に両手を上げると、すたこらと僕を置いてフィン先輩は立ち去った。
なんとなく噂についてパオルとルカの会話から予想はできていたし、フィン先輩とも何か確執があるのは薄々わかっていた。他人に投げるには相当勇気がいることだっただろう。
ヨナスの一件で、僕はフィン先輩に認められたと思っていいのかもしれない。随分と時間が経っていたようで、遠くで鐘の鳴る音がする。もう午後の授業も終わる時間だった。
イラスト協力:pizza様 https://www.pixiv.net/users/3014926




