たくさんの人に支えられて
演劇部が二つ返事で請け負ってくれたのはいいが、大問題が勃発した。聖歌隊員とヨナスのクラスメイト以外では、ヨナス狂信者が予想以上に多かったのだ。
内密にとお願いしたはずだったが、次の日に返事を聞きに言った時には演劇部全体に広ががっていて、衣装班は総出でヨナスの衣装作りをすることに決まっていた。更にドレスのデザイン画も10枚以上仕上がっており、どのドレスがヨナスに似合うのかという論争が繰り広げられていた。
「ヨナス、嫌かもしれないけど選んでくれませんか?」
僕は3枚のデザイン画をヨナスの前に並べた。どうにか演劇部の部長と僕が話し合っている最中に、演劇部内でこの3枚まで絞れたらしいが、見事にこれ以上は意見が割れたらしい。
ヨナスはそのデザイン画を顔をほころばせながらじっと見つめた。その様子はまるで食べきれないお菓子を目の前に並べられた子供のようで、僕までつられて頬を緩めた。僕はどのデザインのドレスも、ヨナスにとても似合うと思った。
でも、あの髪飾りには…
「でも、赤が似合うのはこのデザインですよね」
うっかりついて出た言葉に、思わず手で口を覆ってしまった。
「あ…か?」
「ごめんなさいヨナス、なんでもないんです」
首を傾げたままこちらをじっと見つめるヨナスに根負けした。
「実は前々からヨナスには赤が似合うと思っていたんです。ルカも言っていましたが……、特にそれに意味はないんです。だから、気にせずに選んでください。是非とも選ぶのを練習してください」
自分の口の軽さを呪った。もうこれではヨナスの頭の中は、”自分は赤が似合う”でいっぱいだろう。
「赤…」
艶っぽいしっとりした唇から紡がれる音は、それだけで音楽のように思えた。裏路地の店で一度歌ってからというもの、ヨナスはその艶っぽさを隠さなくなっていた。
「こ、これが…いい、ぼ、僕…も、赤が好きっ…赤が好きだから」
翌日の放課後、演劇部の衣装班にそのことを伝えた。ヨナス本人が決めたとあれば、誰も文句は言わなかった。若干誘導してしまったという後ろめたい気持ちにはなったが、あくまでヨナスが決めたというのを押し通した。
どこからか調達された布地は素人の僕から見ても高級そうな布地で、衣装班は余計に気合が入り衣装はものの2週間で完成した。その高級そうな布地の出どころが気になったが、誰もそのことに触れないように僕を誘導したので触れないでおくことにした。
その間、ヨナスは裏路地の店の伴奏者から流行歌の譜面を貸してもらい、それを写す作業と練習に忙しそうだった。パオルの勉強時間に写しをしているものだから、ルカまでいてなんとも珍しい光景だと不思議な感覚に見舞われた。
そのお陰か、夢遊病は間に一度起こっただけで、すっかり鳴りを潜めていた。
演劇部に所属するクラスメイトから朝一番に完成の知らせを聞いた僕は、放課後にフィン先輩と合流するなりすぐに報告した。役員とはいえ、どうも演劇部から聖歌隊へ情報が入りにくいようで、放課後なのにあのフィン先輩が知らなかったのだから驚いた。
この日はフィン先輩と例の店で打ち合わせをする日だったため、僕とフィン先輩は放課後私服に着替えて外出している。
「本当に作っちゃったんだ」
「それよりも僕は、布地の出どころが気になります」
「あれ?言ってなかったっけ?」
「聞いてませんよ」
「君から出た話だったと思ったけど、違ったかな。ヨナスの愛好会があるって話してたじゃない、その会員を見つけて取引を持ちかけたんだよ」
「布地と引き換えに、ヨナスの了承も取らずにレコードの約束をしたんですか?」
「そうやって言われるとかなりの語弊があるなぁ……。僕らが持ちかけたのは、聖歌隊のレコードだよ。もちろん、ヨナスのソロも入入れる予定だけどね。元々学校側も、今の休息日の礼拝に来る街の人の多さに何か対処したいと考えていたみたいだしね。そもそも、布地そのものを要求した訳じゃないし、ヨナス個人への援助ではなく聖歌隊への援助を要求したんだ。学校側も許可をくれたよ。聖歌隊を応援している会が街にあって、援助を申し出てるって」
「順番がまるで逆です」
フィン先輩は不思議そうな顔をして僕を見る。疑問や疑念があるのは僕の方だと不可解な気持ちになる。
「どうして、終着点は一緒じゃないか、問題ないよ」
「それに援助の収支はどう報告するんです」
「言っただろ、何人かの神祇官に目星をつけているって。どうにでもなるさ」
僕は唖然とした。
聖職者の顔をしてさらりと悪事を悪びれもせず、当たり前のことのように話すフィン先輩に驚きを隠せなかった。
「それがどなたかを聞いても?」
「権限があって無いようなクォルでは無いということだけ教えておくよ」
「大人の世界の汚さを見た気がします。大人になりたく無いルカの気持ちが少しわかりました」
「困ったね、これくらいのこと大したことではないんだけどね。それにしても今代の統括役はすごいだろ、仕事が早くて良いと思わないかい。まあでもそうやって言う君も、似たり寄ったりじゃない?こそこそと嗅ぎ回ってたの知ってるよ、ルカには大見得切ってたけど」
バレないように細心の注意を払ってこれだ。フィン先輩、もとい役員には本当に頭が上がらない。
「情報の対価を要求されそうだったので」
僕は少しだけ嘘をついた。人のことなんて言えないのは確かだ。実のところ、自分の情報収取能力がどれほどのものかを確かめたい気持ちがあった。それに大ぴらに僕が知っているということを、誰にも知られたくなかったというのもある。
それもパオルに懺悔してしまっているので、結局僕は随分と自分に甘いのかもしれない。
「流石にそこまでがめつくないよ。でも、役員になりたいのだったら、これくらいのこと考えて実行できるようにならないと」
「難易度が高すぎます」
「慣れだよ。だって僕らは一人ではないからね。正式に役員になればわかるだろうけど、僕らは役員という集合体でひとつなんだよ。知らなくても関与してなくても動かなくてはいけない場面は多いし、いちいち状況把握なんてしている間はないし、そう動けそう行動しろと言われるままに動かなくてはいけないし、逆もあるよ。自分が誰にも何も知らせずにただ指示を出すこととか。ね」
「そういうものですか」
「そういうものだよ。実際僕は、君と話をして、知恵をいくつかしか出していないしね。後肉体労働!そう言えば、ずっと気になっていたんだけど、その服パオルの?」
「そうです、一張羅をお借りしています」
「見事にぶかぶかだね、うん、彼に任せて良かったよ」
パオルか僕かのどちらかが、フィン先輩との同行を許可された。しかし、僕は是非ともパオルにと言ったが今までにないくらい拒否されたので、諦めるしかなかった。まだそんなにフィン先輩と行動するのが嫌なのかと釈然としなかったが、あまり負担を強いるのはどうかと思い泣く泣く諦めた。
例の店、ジャデルシャーゼは明るい時間に見ると路地裏にある民家に見える。時間になると立て看板は表に出すようだが、掛け看板はない。
「新顔だな」
「初めまして、この度の総責任者です、本当ならもっと早く訪ねて来るべきでしたが、遅くなり申し訳ありません。そして、この度のこと、快くお受けしていただいけたこと感謝し尽くせません、ありがとうございます」
フィン先輩は深々と5息のレーディフをする。僕も同じように5息のレーディフをすると店長は恐縮したように、不恰好な3息のレーディフを返してくれた。幼い頃からレーディフの練習をしていないと4息以上は本当に難しい。僕も5息のレーディフの合格を家庭教師にもらったのはこの学校に入る直前だったと思う。
ちなみにパオルは4息のレーディフの合格をまだもらっていない。
テーブルに案内された僕らはすぐに本題に入り、店主にヨナスの歌う曜日が少なくなったことなど、学校と役員が話し合って決めた事を伝えた。店主は何やら神妙な顔をして深く頷いた。
「じゃあこっちの要望は問題ないってことだな」
「概ねはそうですが、こちらからもいくつか提案があります」
「彼がソロを歌う日はカニャとユリュと休息日の礼拝に決まりました、こちらで歌わせていただく曜日はソールにして頂けないでしょうか」
「そりゃいつでもかまわねぇよ、うちは特に誰がいつ歌うかも決めてねぇくらいだしな」
「それと、夕方は学校近くまでと、早朝は学校までの送迎をお願いできないでしょうか」
「送迎か。朝はいいとして、夕方ってのがちと痛いな。こっちは開店準備の真っ最中だからな。一番忙しい時間だ」
「あら、じゃあ、あたしたちが迎えに行くわよ。歌わなくていいならその日の声出し練習もそんなにしなくていいもの」
こちらを覗いていた彼女たちの助け舟はありがたいものだった。
「そうね、そうしましょうよ」
「なら大丈夫か」
「よろしくお願いします」
「ふふふ、よくってよ」
1人が美しい5息のレーディフを見せてくれた。そして、くつくつと鳥さえずりのように笑いながら、僕たちについて耳打ちし合いながら、また奥へと引っ込んでいった。
「これが1番のお願いですが、どうか給金を渡さないでください」
「どういう事だ?働いたなら給料を払うのが当たり前だろ?」
「あくまで学校は、生徒の労働を認めないという事でした」
「なるほどな、学校としても前例を作りたくないのか」
「そうです。なので現物支給なども原則禁止だそうです」
「ドレスなんかはどうすんだ?1着はそっちで用意しろとは言ったが、1着だけなんて可哀想だろう」
「その1着は今製作中です。とは言ってもあとは微調整くらいのものらしいですが」
「早いこったな」
「せっかくならヨナスのために拵えたもので歌って欲しかったので、我らが演劇部に頼んだんです。まだ実物は見ていませんが、良いものが出来たと鼻高々でしたよ」
「そりゃ楽しみだ」
「2着目以降も、こちらで用意する予定ではいます。何とか融通を利かせられるように、手を打っている最中です」
「お前さんらと話をしていると、役人と話してる気分になるな。でもまあ、こちらとしては得ばかり話だが、それで大丈夫なのか?」
「こちらのわがままを受け入れてもらったのです。あまりお店の負担にならないように、最善を尽くしますので」
「ガキが、んな事考えるなヨナスのあの歌声なら、店の売り上げも伸びる。絶対に伸びる、だから気にするな。給料を払わないなんて、こっちが申し訳なく思うくらいだからな」
僕らを遠くから観察するのに飽きたのか、とうとう彼女たちは椅子を持ってきて店長の隣に座った。
「今日はヨナス連れてきてないのね」
「今日は外出日では無いので、僕らも特例中の特例です」
「また歌ってもらおうと思ってたのに」
「あいつも上で、呼びにくるの待ってんのよ。残念がるんじゃない」
「そうなの、あれ以来ひどいんだから。毎日ヨナスの話ばかりするのよ」
まさかと、僕は背中に嫌な汗をかく。2人は嫌そうな顔はしていないが、ヨナスとはそういう存在なのだ。
「わからないではないのよ。あたしも耳に残ってて、早く本物の声を聞きたいもの」
「店長が毎週聞きに行ってる理由わかるわ。あたしたちも通おうかって言ってるのよ」
「睡魔に勝てるんのか?」
「あら、あの歌声のためならきっと頑張れるわよ」
ほっとする。ちゃんと受け入れてもらえそうだ。それに可愛がってもくれそうだ。よかった。
「そういやあ、なんて言ったか、夜にうろつくやつが酷いのか?」
「いいえ、そちらは落ち着いています。楽譜を写すのが楽しいようで回数もかなり減っているんです。だから、今がチャンスとばかりに、このまま良い方向へいくことができればと思っているんです」
「酷くなってねぇなら良かったよ」
それから送迎のための待ち合わせ場所や時間を決めて、僕たちはお店を後にした。店主は暗くなったからと、前のように表通りまで送ってくれて、僕らに気をつけて帰るように何度も繰り返し注意した。
「良いご店主だね」
「きっとヨナスを大切に扱ってくれます。でも、お店で仮眠を取らせてもらえるとはいえ、なかなかにおかしな生活になりますね」
「いつも起きる時間に帰ってきて寝るってことになるからね。まあでも、何とか昼休みの自主練時間には根性で起きるんじゃないかな?」
「起きそうですね」
「慣れるまでは大変だろうけど、慣れたら大丈夫だよ。なんせ彼は、点呼後にすぐに寝てカウラの時がくる前に起きちゃうからね」
学校へ戻ると、ソスの神祇官が心配そうな顔をして僕らを待っていた。そんなに心配するなら、同行すれば良いのにとこっそりとフィン先輩が悪態づいたが、僕はすっかり返事をし損ねてしまった。
次の休息日に出来上がったヨナスのドレスの試着会が行われた。場所はもちろん演劇部の部室で、ヨナス見たさに衣装班以外の部員もぞろぞろと集まっていた。珍しくパオルも参加すると言ってついてきていて、見事に同室の全員が演劇部の部室に集まっているという摩訶不思議な状況になっていた。
「先日もお話しましたが、詳しい話はそんな感じで来週から歌うことになりました」
ヨナスは静かに頷いた。見事出来上がったドレスは、残るは微調整だけらしいがどうやらその必要は無いように見える。
「ドレスどうです?きつかったりしませんか?」
「だい、じょう、ぶ」
「よく似合ってますよ」
なぜか緊張すると言う衣装班は、採寸すらも僕らに任せて、今もこうして試着も僕ら任せで遠巻きにしている。恐れ多くて無理ですと縮こまる彼らは、なんとも不可解だった。それもヨナスがひとりぼっちになる要因のひとつなのだろう。
僕はとっておきとばかりに、大事にしまっておいたヨナスへの贈り物を取り出した。
「ヨナスにと思って用意していました、あの店で歌えることが決まったら渡そうと思っていたんです。お祝いと言ったら、良いんでしょうか。ぜひ開けて見てください」
包み紙を丁寧に開いて、大事に綺麗に折りたたむ。その動作にむず痒さが増してくる。やっと箱に手をかけて開ける。目をパチクリさせて、僕とそれを交互に何度も見るヨナスに、喜んでもらえたと安堵した。
「先日赤が似合うと言ったのは、それもあったからです。髪飾りなのでぜひつけてください」
ヨナスは箱をこちらに差し出した。
「つけ、つけて」
潤んだ瞳に、上気した頰、艶やかな唇、それにこのドレス姿だ。もうどこからどう見ても女の子にしか見えない。なんとなく気恥ずかしくて、それを躊躇ってしまった。
ルカが覗き込むようにして髪飾りを見ている。
「よくわからない三文芝居見せられてる気分なんだけど」
「ごめんなさい。うちに女性は母親と母親より年上の使用人しかいなかったから、こういうの免疫ないんです」
「いや、相手ヨナスだし」
「頭ではわかってますが、視覚的に無理なんです」
ルカは僕の様子を面白がって、手を貸そうとはしなかった。僕は勇気を振り絞って、ヨナスから髪飾りを受け取る。髪の毛はルカによってまとめられて、それらしくなっている。
場所を見極めながらつけると、やはりよく似合っていた。柔らかなブロンドをより一層映えさせていて、だからといって見劣りしない。あの時の勘が正しかったのだと、誇らしくなった。
「思った通りです」
「まあ見事に化けるもんだね」
「ベンヤミンが赤に拘った理由がわかるな」
「僕も赤が似合うって言った!」
「ね、似合いますよね。それぞれ似合う色があるんですよ。ルカは青が似合うと思います、パオルは紫、フィン先輩は緑」
「じゃあベンヤミンは白が似合うな」
「白、ですか?」
「わかるわ、それ」
「ぼ、僕、も……」
「ヨナスまで……。考えてもみませんでした、白ですか」
思っても見なかった似合う色に僕は驚いていた。僕と一緒で、特に意味のない思いつきだろうが、何と無く嬉しかった。
ヨナスは借りて来た姿見で、自分の姿を見て喜んでいる。よほど嬉しいらしく、思わず口ずさんでしまっていた。今日ばかりは注意しないでおこうと、その様子を嬉しい気持ちになりながら眺めた。
演劇部員はその鼻歌さえも聴き逃しはしないという熱意のこもった様子で、最新の注意を払いながら耳をそばだてている。
その様子を見て嬉しくなった、彼は別の意味でルカと同じように感情が見えなかった。歌うこと以外何にも興味が無いように見せて、今以上に心に負担をかけないようにあらゆるものを拒絶していたのかもしれない。
「ヨナス、嬉しそうだね」
「よかったです」
「天使ってああやって笑ってるんだろうね」
そう言うルカの顔は見まごうことなく綻んでいた。
僕もパオルも驚きを隠せず、口を大きく開けたまま視線を合わせて、今見たものが現実なのか確認しあった。そしてすぐにルカの肩を掴んで鏡の前まで押した。
ヨナスは本格的に歌うことに夢中になっていて、思いつくまま歌っている。
「ルカ、見てください。笑ってますよ。初めて見ましたけど、そんな素敵な顔をして笑えるんですね」
「はあ?前々から思ってたけど、何なのそれ、人形だとか何とか、僕はいつでもちゃんと笑ってるし怒ってるよ」
「お前、それ本気で言ってんのか?」
「パオルまでなんだよ」
「お前、顔、本当に人形みたいに眉ひとつ動いてねぇんだぞ」
「知らなかったんですか?」
「ちょっと待って、何言ってんの?だってあの時だって怒ってたでしょ?…ちゃんと笑ってたり……。ごめんちょっと出てくる、一人にしてもらえる?」
失言をしたと後悔したが、もう遅かった。声色からとても不安になってるのがわかったが、それでもルカの顔は眉一つ歪んでいない無表情だった。ルカは部室を出て行ってしまった。
部員たちは僕らの様子などお構いなしで、ヨナスに夢中だ。
「パオル、ヨナスをお願いします。謝らないと……」
僕はパオルの返事を聞く前に、ルカを追いかけて慌てて部室を飛び出した。どこにいるか見当がつかなかった。あれ以来ルカは部屋にいるか、ヨナスと一緒に音楽室にいるかだったからだ。
誰もいない校舎に自分の足音だけが響いて、妙に気味の悪い、居心地の悪い気持ちになった。ルカを追いかけているはずなのに、なぜか何かから逃げているような気持ちになった。
どうしてか足が役員寮の屋上に向かった。しかし、屋上は誰もおらず、ただまだ取り込まれていないシーツが風に靡いていただけだった。
「なんでここにいるの?」
「ルカ」
どこで追い抜いたか、ルカは僕の後から屋上にやってきた。慌ててルカに駆け寄り、傷が増えていないか確認した。
「どこも新しく怪我していないよ」
「それなら、いいんです」
「僕、ひとりにしてって言ったよね」
「でも心配で」
先ほどの何だかよくわからない恐怖心も相まって、涙が出そうになり慌てて口を押さえてそれを阻止した。
「泣いてるの?」
「泣いてません」
「どうして?」
「だから泣いていませんって」
ルカが僕の顔を覗き込む。
「……心配したんです。泣きそうになるくらい怖かったんですよ」
自棄っぱちのような言い回しになってしまったのは仕方がない。泣きそうだと言う事実は、何だかとても恥ずかしいものに思えたからだ。
ビスクドールのような顔は、陶器のようにしか見えない。
小さな傷跡だっていくつもあるし、触れれば柔らかいことは知っているはずなのに、どこか無機質な硬質さを思わせた。
「ここにくる前、鏡を見てた。笑えてたし、怒れてたし、僕は百面相が得意なんだ」
ルカは自分の顔を両手でこねくり回す。
それによってルカの顔は歪み、柔らかい人間の皮膚というものを感じることができた。
「そう、思ってた。これって、僕が見てる僕とベンヤミンたちが見ている僕とじゃ違うってこと?」
「きっと」
「全く自覚なし!僕ってやっぱりおかしかったんだ」
「そんなことないですよ。さっき笑えていたじゃないですか」
「家にいた頃からそうだったのかな」
「どういうことですか?」
「父様も母様も物心がついた頃にはもう僕に触らなかったんだ。せっかく綺麗な顔なのに、生きてるのに人形みたいだったら気持ちが悪いよね」
「どっちが先かはわかりませんよ」
「どういうこと?」
「生まれつきと言うわけではないと思うんです。だって現に僕とパオルはついさっき君の表情というものを見たんですから。原因はどこかに必ずあると思うんです。だから、ゆっくり考えていきましょう」
「楽天家で呑気なんだ」
「そうでもないですよ、全員で明るい方向を向けたらいいと思っているだけです」
手を伸ばすと、柔らかな金糸。そのまま撫で下して、頰に触れる。陶器とは真逆の柔らかい暖かさを手のひらいっぱいで感じた。また鼻の奥がツーンとして、目頭が熱くなるのを感じた。
「なに?」
「柔らかいと思って」
「そりゃ、人形じゃないし」
「そうですね」
「ああ、死にたいなぁ」
「それは困りましたね」
「死んだらもう何も悩まずに済むのに」
「死んだら、ヨナスの歌聞けなくなります。パオルともじゃれあえなくなりますし、フィン先輩と軽口叩き合えなくなりますよ」
「後半二つは未練ないなあ」
「そんな寂しいこと言わないでください。そうだ、これは内緒なんですけど、演劇部にドレス作ってもらう交換条件として、ヨナスの演奏会を行うことになってるんです。どうです?少しは死ぬ気失せましたか?」
「割と」
「それは良かった。戻りましょう。そろそろ夕食の鐘が鳴る頃じゃないですか」
僕は自分が思った以上に思っていることをすぐに口に出してしまうようで、これに関しては猛省するしかない。
なんとなく繋いだ手は、僕より少し小さく、少し冷たくて、柔らかかった。
イラスト協力:pizza様 https://www.pixiv.net/users/3014926




