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選びたい場所

 翌日の放課後、聖歌隊の練習は休みで、パオルの追試もなく僕らは珍しく3人で部屋にいた。本当はいつものように夜支度中に伝えようと思ったが、丁度いいと話をすることにした。

 事のあらましをヨナスに伝えたが、ヨナスは首をかしげるだけで首を縦にも横にも振らなかった。この微妙な反応に僕たち3人は辟易した。彼は今考えることすら拒絶しているのかもしれない。それほどあの事件がヨナスの心に負担をかけてしまったのだと思うと、やるせ無い気持ちになった。


挿絵(By みてみん)


「ヨナス、よく聞いてください。もう一度言います。ヨナスが歌いたい歌を自由に歌える場所があるんです。でも一度歌を聞いてもらいに行かなくてはいけません。一緒にそこに行って歌ってもらえませんか?」


 既に5度目の説明だが、ヨナスは言っている意味がわからないのかどうなのか、首を横にかしげるだけだった。


「言っている意味はわかりますか?」


 これには首を縦に振るので、何を言っているのかは理解できているはずだ。


「もしかして、行きたく無いんですか?」


 この問いには首を傾げた。


「本当にわからないんじゃねぇのか?」

「ねえ、もしかして、今までヨナスは一度も自分で何かを決めたことが無いの?」


 ヨナスはじっとルカを見つめて、小さく首を傾げた。


「そんなことってあるんですか?」

「無いとは言い切れないよね?」

「でも、こうありますよね、どっちのお菓子がいいとか、どっちの服を着ようとかそう言う些細なこととか」

「あの手紙からすると、あの手紙に書かれたあれ以来そんな些細なことすら許されていたとは思えないんだけど」


 僕は少しだけ想像して、ゾッとした。この学校へだって、ヨナスが自分で決めて入学したわけではない。聖力が高ければ学校に行くことは義務だが、どこの学校へ行くかは自分で選ぶことができる。僕で言えば家から通える学校もあったが、わざわざ遠くのアハテにある全寮制のこの学校を選んだ。

 ヨナスの場合、中央神殿の神祇官が両親と面談しているので確実にアハテのこの学校にというのは決まっていたのだろう。元々教会で歌っていたというし、ソロを歌わせることも考えられていたかもしれない。これだけでもヨナスの前に選択肢が並んだことがなかったことが窺い知れる。

 そもそも学校という場所にこれという選択肢というものはほとんど無いが、それでも僕らは選択を重ねて生きている。目の前に並べられたものをただただ消化し、日々繰り返しているヨナスは、夢の中でしか歌いたい歌すら歌えないのだ。ルカはヨナスのそばへ寄り、小さな手を差し出して、髪を梳いた。


「よくわからないならよくわからないで良いけど、ヨナスは歌うの好きだよね」


 ヨナスは頷いた。


「ドレスとかスカートとか、そういうの好きだよね」


 驚いた顔をしたヨナスは、顔を真っ赤にして身を固くした。ルカはそれでもヨナスの髪を梳き続ける。


「そうだなぁ、赤いドレスとか似合いそうだよね。色白いし。赤いドレスって好き?」


 驚いた顔で顔を真っ赤にしたまま、ヨナスはゆっくりと頷いた。


「聖歌より流行歌の方が好き?」


 またヨナスは頷いた。


「これで決まりだよ。ベンヤミン、次の休息日用に外出届けを出さないと」

「無理矢理頷かせたように思うんですが」

「いいの。こういうのはその場の勢いなんだから」

「ヨナス、それで良いんですか?」


 しかしこの問いには首を傾げた。


「だーかーらー、そういう聞き方がいけないんだって。好きなことを重ねていくんだよ。やりたいことしたいことなんて、その先にあるんだから。それに今まで選ぶことをしなかったヨナスには、選択肢っていうものは未知の存在なんだから」

「お見事です」

「難しいことじゃ無いよ」

「やっと理解できました」


 ルカの身体は相変わらず包帯が痛々しく巻かれている。これだけ人の心を慮れる彼に、一体誰がこんなことをしたのだろうか。疑問よりも苦しさが前に出てくる。ヨナスもルカの腕を不安そうに眺めている。


「い…いた、い?」


 僕もルカもパオルも自分の耳を疑った。

 僕らは3人で目を合わせて、それが聞き違いでないことを確認した。あれ以来口を閉ざしていたヨナスが喋ったのだ。たどたどしいその言葉は、紛れもなくヨナスの言葉で思わずルカと一緒にヨナスを抱きしめてしまった。


挿絵(By みてみん)


「痛い痛い」


 痛がるルカの声に我に返り飛び退いた。


「ごめんなさい、あまりに嬉しくて」

「治ってきてるとは言え、さすがに痛いよ」

「ヨナス、また声が聞けて嬉しいです」


 ヨナスは俯いたまま、コクリと頷いた。


「早速フィン先輩に報告して外出届け出してきます。ヨナスの分も出しておきますね」


 僕は慌てて部屋を飛び出した。

 まだ時間的に事務室は開いている。善は急げだ。


 届けを出して部屋へ戻る途中フィン先輩に遭遇できた。


「ちょうど伺おうかと思っていました」

「そう、僕も行こうと思っていたところだよ」

「そう言えば、今日はどうして聖歌隊の練習休みになったんですか?」

「それを言いに行こうと思っていたんだ」


 辺りをキョロキョロ見回すフィン先輩は、突然僕の腕をつかんで寮に入っていった。僕らの部屋の前まで来ると、じっと立ち止まって僕の顔を凝視した。


「言いにくいけれど、昨日の夜中こっちの寮に誰かが忍び込んだんだよ」

「え?」

「君たち疲れてぐっすりだったみたいだからね。逆に気づかなくてよかったけど、神祇官が何人も来たり、一般寮の宿直の教師が来たりして、結構な大騒ぎだったんだよ」

「全く気づかなかったです」


 確かに僕らは疲れていた。仮眠は取っていたし、点呼前に戻ってこれはしたが日常とはかけ離れた出来事とあまりの緊張に僕とパオルはとても疲れていた。それにルカは夜になると怪我が熱を持つと言って、その前日から痛み止めを飲んで寝ているのでこちらも起きなかったのだろう。もちろんヨナスは言わずもがなだ。


「でもどうして」

「亡魂の正体暴いたりってことらしい」

「ヨナスと確信してですか?」

「近からず遠からずといったところかな」

「あわよくばヨナスであれと」

「正解」

「それが聖歌隊の誰かだったわけですね」

「ご名答」


 頭がクラクラする。先日のヨナスの事件からまだ日も浅いのに、またしてもこれか。


「幸い、ヨナスの夢遊病の時間とはズレていたから安心して良いよ」

「でもよく見つけましたね。張っていたんですか?」

「ああ、これが言いにくい本題なんだけど、実は業を煮やした学校側に燻り出せと仰せつかってね」

「え?」

「役員総動員で、聖歌隊の中だけにうまく広がるように噂を流したんだ。例の亡魂は歌も歌うってね」

「なにやってるんですか」


 僕が呆れたという表情を見せると、顔を伏せて大きなため息をついた。ヨナスの担当である僕に話さなかったことが後ろめたいという様子だ。僕としてはそんなことよりも、学校側がヨナスの負担になることを進んでやっていることに呆れていた。


「本当にそう思う、けど賭けだったんだけどね。これで何も起こらなければクラスメイトだと言うことになるからね。それで、まんまと罠にかかってくれたという訳さ」

「かち合ったらどうするつもりだったんです?」

「別になんともないよ、夢遊病の症状の出るおおよその時間は把握していたからね。君たちに渡した神祇官の見回りの情報、あれはこれのおこぼれだったんだよ」

「そ、そうなんですね」


 こちらがあれこれ画策したところで、結局は手の内だ。それだけ彼らにあらゆる方向から見守られているということだろう。全て一人でどうにか解決しなさいと言いながら、随分と甘やかされたものだ。

 だから自由にやりなさいと言われている気になる。


「以上で僕からの話は終わりだよ、君からの話は部屋に入ってからにしようか。デバガメもいるみたいだしね」


 扉を開けると、慌てた様子のルカが自分の椅子に座っていた。それでも慌てているのは動作だけで、その表情は相変わらずのビスクドールのような無表情だ。


「聞いての通りだよ」

「なんのこと?」

「まぁ良いよ。君は昨晩の一部始終を知っているだろうからね」


 すっかり僕らと同じで熟睡していたかと思いきや、そうではなかったようだ。もしかすると薬を飲んだって、どれだけ眠くとも疲れていようとも、睡眠が浅いことは変わらないのかも知れない。


「それで、ベンヤミンは僕に何の用があったの?」

「そうでした。ヨナスの了承を得られた体裁は整ったので、先ほど外出届を出してきました」

「体裁という含みについて聞いてもいいかな?」

「言葉の通りです。明確な質問には首をかしげるだけなので、数珠繋ぎでそういうことにしました」

「そうか……。なら仕方がないね」


 フィン先輩の察しの良さは本当にありがたかった。痛い所を突かれるかと思ったが、それ以上の言及は無かった。説明する途中、ルカが視線を送って来たがこれが総意なので僕はその視線を無視することにした。


「ヨナス、お店で歌う試験をする事を了承したという事でいいね」


 ヨナスはフィン先輩をじっと見つめながら、首を横に傾げた。


「こういう質問にはずっとこの調子なんです」

「なるほど」

「ルカからの流行歌が好きかとかドレスが好きかの問いに頷いたので、強行突破することにしました」

「誘導とも取れなくはないけど、とりあえず行くことに拒否感があるようには見えないね。じゃあ、僕からも一つ質問させてもらおうかな」


 どんな質問をするのかと一瞬戸惑ったが、フィン先輩が意地の悪い質問をするとは思えなかった。


「聖歌隊が好き?」


 ヨナスはフィン先輩から視線を逸らさずに大きく頷いた。フィン先輩はヨナスの頭を撫でて笑った。


「ありがとうヨナス」


 椅子から立ち上がり、フィン先輩は一つ背伸びをした。


「さて、ヨナスは聖歌隊を好きだと言ってくれたし、頑張ろうかな」


 そういって鼻歌交じりに僕らの部屋を後にした。


「あれ、なんだったの?」

「さあ、でも、機嫌良かったですよね」

「あの人もああなるんだね」


 フィン先輩も頑張ってくれているんだ、僕が一番頑張らないでどうすると気合いを入れ直した。


 次の週の休息日兼外出日に予定通り、ヨナスを連れて例の店へ行った。もちろんパオルも同行していて、僕以上にその店への道順を覚えていて驚いた。


「僕思ってたんですけど、パオルって地頭が良いですよね」

「何だそりゃ」

「あれやこれやらと、何かにつけて覚えるの早くないですか?」

「早いか?まあ元々が空っぽだったからな」


 店に着くと、店主は今か今かと待ち構えていた。


「はじめまして、いつも聞かせていただいています!今朝も聞かせていただきました!!」

「なに?店長、ちょーうける」

「それじゃ、ただの愛好家じゃないの、恥ずかしい」

「とりあえず、奥にどうぞ」


 促されて入ると、前回訪れた時とガラリと印象が違った。明るい店内は、相変わらず煙草と酒の匂いが染み付いていたが、こざっぱりとした綺麗な印象になっていた。


「その子が来るからって、大掃除したのよ」

「バカヤロウ、バラすな」


 本物だと大騒ぎする店主と店員にヨナスについて説明した。


「ご存知とは思いますが、彼がヨナスです。退っ引きならない事情で、喋ることができませんが、歌うことはできます。流行歌も今日のためにも、練習してきたんです」


 ヨナスは大きく頷く。


「歌えんなら、喋れねぇのは別にかまわねぇよ。しかし難儀だな、ここで歌ったくらいでどうにかなるのか?」

「そう期待するしかありません」

「うちで歌ってもらうのは良いとして、いくつか条件を出すがそれでも良いか?」

「歌を聞かなくて良いんですか?」

「実力はわかってるからな、はじめは前座で客が少ない頃に歌う感じなら問題ないだろうよ」

「それで、条件とは何でしょうか?」


 横でヨナスが歌う必要がないと知って、あからさまに落胆していた。どれだけ歌うことが好きなのかと思ったが、ヨナスにはそれしか無いのだったと思い出した。終始あんな調子だったが、この日をどれだけ楽しみにしていたかこの時初めて知って、ルカに心の底から感謝した。

 パオルはヨナス後ろから肩を支えて前に押し出した。


「すまねえ店長、こいつに歌わせてやってくんね?ここで歌えるの楽しみにしてたみたいでさ」

「朝からあれだけ歌って、まだ歌い足りねぇのか?」

「僕からもお願いします」


 僕らはコメツキバッタのように、3人で頭を下げた。ヨナスが僕の服の裾を掴んでいて、その手が震えているのがわかった。この店の人たちはヨナスを否定しないと言う思いを込めて、その手を辿って強く握った。


「そりゃ、かまわねぇが。おい。あいつ起こしてきてくれ」

「あのバカ、本当に寝てるの?歌うかもしれないって言っておいたのに」


 店員がパタパタと二階に駆け上がると、上から怒鳴り合いが聞こえた。それが聞こえる度にヨナスはビクつき、僕の手を強く握った。しばらくすると欠伸しながら楽譜を持った寝間着姿の男が降りてきた。

 寝巻きの隙間から空いた手でお腹をボリボリと掻いている。先日見た印象とは大きく違うその様子に、音楽を嗜む人とはこのように普段の様子と大きく隔たるものなのだろうかと唖然とした。


「ヨナスってどいつだ?」

「真ん中の子だよ」

「歌えんのか?」

「上等な歌を歌います」

「何お前、保護者?」

「寮の同室です」

「そう、で何なら歌える?」


 寝間着姿はヨナスの足元に楽譜をぞんざいにばら撒いた。ヨナスはそれに食いつくように、僕から手を離ししゃがみ込んで自分が歌える曲をその中から探した。3枚の楽譜を寝間着姿に手渡すと、寝間着姿はニヤリとしてミュロリオの前に座った。ヨナスもそれに倣い、吸い寄せられるように舞台へ上がった。

 それからミュロリオの伴奏に合わせてヨナスは歌った。なんというか、とても艶やかだと思った。屋上で聞く歌とも違う。彼が心から楽しんで歌うと、このような音になるのかと僕らは驚いた。

 もちろん、練習している様子は聞いたが、それともまた違う。聖堂で聞く彼の賛美歌は、とても清廉で荘厳でそれこそルカの言うワズオムに愛された天使そのものの歌声だった。それがどうだ、今は地に足のついた人の子が艶やかに艶かしく歌っていたのだ。[p]


「ルカに聞かせてやりてぇな」

「ええ」


 そう返事をしたが、僕はもっと大勢の人に彼の歌を聞いて貰いたいと思った。目を細めて、腰を揺らし、まるで本物の色っぽい歌手のようで辺りからお酒や煙草の匂いがしてきそうだった。どうして神様はヨナスを女の子としてこの世に誕生させてくれなかったのだろうか。

 僕ではどうしようもない、何かに悔やむ気持ちばかり大きくなった。


「ひとつ聞いていいかしら」

「なんでしょう」

「あたしもあっちの子も半端者なのよ。未分化ってわかる?」

「わかります」

「親に男になれって言われて、でも女の子になりたくって、どっちつかずになっちゃった半端者なの。ヨナスも、そうなのかしら?」

「わかりませんが、その条件は満たしています。ヨナスは声変わりを迎えていないようですし、何よりワズオムに愛されているんです」

「未分化にはよくあることよね。あたしは半端者になった時に聖力が消えちゃったのよ。あっちの子は少しだけあるみたいだけど、クォルだったかしら、それに掠るか掠らないくらい」

「何歳だっけ?」


 あっちの子と呼ばれた店員も会話に混ざってきた。


「15歳です」

「じゃあ、分化終わってないといけない年齢だわね。もしかすると、分化しなかったんじゃないの?それなら聖力がなくなってないのわかるし」

「分化してないとかあるんですか」

「うーん、どうだろう。分化できなかったら死んじゃうけど、死なない子もいるんじゃないの?」


 店主も店員も、誰もがヨナスの歌を大変喜んでくれた。寝間着姿の伴奏者もすっかりヨナスを気に入ったようで、ヨナスが喋れないのを気にする様子はなく、彼ら独自の会話法をすでに見つけていた。ここで歌えることが、ヨナスにとって良い方向へ向かえば良いと神に感謝した。


 その日にはフィン先輩には報告できず、次の日の昼休みにいつもの場所で報告した。


「3曲で済んだの?」

「済みませんよ、伴奏者の人が面白がってあれこれ歌わせるんです。結局10曲くらいは歌ったんじゃ無いでしょうか。途中からは曲の切れ目もよくわからなくなっていたので曖昧ですが」

「で、条件というのは?」

「週に一回歌わせる代わりに、週に一回教会で歌わせるのを辞めろ、とのことです」

「まぁ妥当だろうね」

「ヨナスがちゃんと学校まで帰ってこれるとは思えませんし、送り迎え人員がいると思います」

「それは想定済みだよ、こちらで協力してくれそうな神祇官を何人か見繕ってある。それにしても、店主がいい人そうでよかった」

「ヨナスが歌い出してから皆勤賞らしいですよ。密かに街にヨナスの愛好会があるみたいですし」

「あるんじゃないかとは噂になってたけど、本当にあるんだ」

「嘆願してレコードを作ろうかって話になっているみたいです」

「じゃあ余計に太い繋がりができたって喜んでるわけだ」

「そうみたいですね」

「老婆心もここまでくると楽天家に負けるね」

「でもその内、その楽天的な考えで身を滅ぼすんだよ」


 こうしてフィン先輩と昼休みに報告をしている最中にルカが混ざることがここ最近多くなった。特に授業に復帰してからはほぼ毎回、僕らを見つけては寄ってくる。だからと言って、時々口を挟む以外特に害はないし、秘密ごとを話すわけではないので好きにさせている。

 今日も今日とて特に僕らの会話にこれ以上混ざろうとはせず、一人でくすくすと無表情を微塵も崩さずに笑った。


「なんにせよ、うまくいきそうでよかったよ。こっちはこっちで色々あってね、今役員としても聖歌隊員としてもてんてこ舞いだよ」

「役員寮へ侵入した生徒の学校側の採決が下されたんですか?」

「処分以外はこっちに丸投げときた」

「それは酷い」

「おかげで彼の担当になった役員と聖歌隊の隊長はあちらこちらを奔走しているよ。まぁでも、僕らの嘆願によってあまりに特別扱いしすぎたと学校側も猛省してるようだし、これからはうまく回りそうだよ。とは言ってもこれからが大変なんだけどね」

「それはよかったです。でも閉じ込めの犯人はまだわかってなんですよね?」

「それはもう犯人探しをしないことになったんだよ」

「まさか学校側の判断で?」

「まさか、統括役が東奔西走して学校側と色々と取引したんだよ。お陰で僕らてんてこ舞いさ」

「取引ですか、それはそれは」


 僕は思わず祈りの姿勢を取った。

 役員は玄関にある応接ソファーに募って、あれだこれだと毎晩点呼過ぎても話し合っていたのを知っていた。ヨナスの夢遊病について行く時も話し合いが続いている日もあって、彼らがぞろぞろと屋上へ付いてくる時もあった。

 ヨナスの歌で心は回復しても、連日の夜中過ぎまでの話し合いはさぞかし大変だろうかと思った。


「ごめんね。君らには不干渉を決め込んでもらって」

「それは別に、ヨナスに対して問題ないのでいいんですけど」


 フィン先輩は一枚の紙を広げた。それには日付と名前がぎっしりと書かれている。


「公開日にヨナスが歌うのは今までと変わらないとして、カニャとユリュにだけヨナスが歌うことになったんだよ。お陰で聖歌隊員兼役員は不眠不休でこれを作り上げることになった訳さ。自分達の嘆願を認めてやるんだから、後のことは自分達でどうにか都合つけろってもう丸投げだよ」

「心中お察しします。それにしても見事ですねこれ、全員が順番にソロに当たるように組んでありますね」

「本当に大変だったよ、歌える技量がある生徒から順に組んでいくのとか、もう論争に次ぐ論争でさ。平等ってなんだろうね。ヨナスが編入する前はそもそもソロなんて年に数度の祭事でしかなかったのにとか思っちゃって、もうその頃に戻そうとか言っちゃったり、でも結局公開礼拝はヨナスのソロを今更外すわけにはいかないから、やっぱりそこで不平等って言う声が上がるんだよ。でもそれを言う生徒に、それだけの実力があるのかと問えばそうじゃなかったりするんだよね。だから絶対に公開礼拝のソロはヨナスではないといけない訳だし、実力主義なんだって言っても自分が一番だった世界からここへ来ている子が多いからね。僕もそうだけど、ヨナスの特別を認めることができるまで相当な時間がかかるよね」


 遠い目をしてとうとうと語るフィン先輩に少しばかりの恐怖を覚えた。


「疲れてますね」


 フィン先輩ははっとして、愚痴を吐露してしまったことを後悔するような仕草をした。


「ああ、ごめん僕らの話はいいんだ」

「では、特にどの曜日でも構わないんですね。できれば休息日の前日だとありがたかったんですけどね、完全に授業休んじゃいますからね」

「それはこちらで融通を利かせよう。こっちの都合がいいのはカニャ、ソール、ユリュ、ネーレだね」

「そういうものは全てお任せします」


 フィン先輩は広げていた紙を元あったように折りたたんで、状箱に戻す。僕としてはどのみち授業に影響が出るなと思いながら、ヨナスの時間割を思い出そうとしていた。


「ところで、あの事件の犯人は誰だったの?本当は役員はわかっているんだよね」

「ルカ、それならさっき、わからないからで終了だったじゃないですか」

「聞いてどうするの?」

「別に興味本位。ベンヤミンは気にならないの?」

「気になりませんね。もし役員だけが把握していたとして、学校側に引き渡されていないのは何か理由があるからでしょうし、役員からの何らかの処分は受けたんでしょうから、僕がこれ以上関与する話では無いですからね」

「信じられない」


 ルカはわざとらしく、大きく声を出してため息を吐いた。


「ルカはとりあえず、放っておきましょう、それよりも今はヨナスの話です。ドレスの類もこちらで準備しなければいけません。当てが無いことは無いんですが、演劇部にご助力いただいても構いませんか?」

「あそこは仕立てまでするの?」

「仕立ての家の子が年に一人二人は入ってくるようで、衣装の管理や新たな製作は演劇部内で行なっているようです」

「詳しいね、ベンヤミンはどこにも所属していなかったよね?」

「あそこはエギザムの鎮魂祭や聖霊祭り、父母神祭なんかは人手がいくらあっても足りないので、何度かお手伝いしました」

「不思議と人数いるのにいつも人手不足だよね。公演回数が多いのが原因かな」

「場所と人員を変えて1日5公演ですからね、それに道具の管理がとても厳しいんです」

「演者どころか、裏方もてんてこ舞いですよ」

「なるほど、役者も分散するから問題が起きにくいのか」

「演劇部と聖歌隊仲が悪いからですよ。情報交換くらいしましょうよ」

「一理あるけど、代々続くこの溝は僕らが少々努力しても一朝一夕じゃ埋まらないね。それは置いておいて、ドレスの件は、聖歌隊員の僕が役員として動くよりそっちで動いてもらった方が後腐れはなさそうだね」

「じゃあ、明日にでも早速回答がもらえるように動いてみます。布代はどこから調達しましょう」

「流石にそこはこちらで代表者と話をつけておいた方が話が早いかな……、役員の間で手を回すか…」

「とにかくそこは、お願いします」

「しかし、気が重い、役員の顔がちゃんとできるだろうか」

「そこまでなんですね」


 善は急げと、昼休みも早々にフィン先輩とルカと別れ、演劇部所属のクラスメイトの元へ急いだ。一応回答は衣装班に聞いてからと言うことになったが、きっと良い返事が聞けると意気揚々だった。

 こんなに親密な様子でクラスメイトと喋ったのは初めてだなと、よくわからない感慨にふけっていた。もしかすると壁を作ったのは僕だけだったのかもしれないと、嫌なものに気づいてしまいそうになった。


 夕食後、パオルの勉強の邪魔をしているとわかっていたが、どうしても誰かに聞いてもらいたくなった。とうとう申し訳無さよりも、懺悔したい気持ちが勝ち、僕はパオルを習ってレザメットを手に握りしめて、懺悔をはじめた。


「ルカには悪いんですが、実は僕、どっちの犯人も知ってるんです」

「ん?ああ、そうなのか?」


 パオルは真剣に聞くと言った様子で椅子ごとこちらを向いてくれる。


「いきなりどうした、そもそも何でオレに言う?ルカが気にしてるならルカに言ってやれば良いだろう?」

「ルカには言いません。絶対に、パオルに言うのは懺悔です」

「それこそ懺悔室でしろよ。あいつとか喜んで聞くぞ」

「フィン先輩に僕が知っていることを知られたくないんです。それにあそこは筒抜けなんです。学校側は犯人を知りません。役員が隠匿…隠しているんです」

「また面倒な」


 ルカは怪我をして帰ってきて以来、ヨナスの自主練について行っているため、この時間に部屋に居ることはなくなっていた。なので、安心してルカやヨナスに聞かせたくない話をすることができた。


「ヨナスを閉じ込めたのは同じ組の生徒で、聖歌隊員の4人です。練習に良い場所があるからと、昼休みにヨナスを薪割り小屋に連れて行ったんです」

「ん?その時からずっと閉じ込められてたってことか?午後の授業はどうした」

「それが他の生徒も教師も気づかなかったと言うんです」

「意味がわからねぇ、出席取るじゃねぇか」

「杜撰にも程がありますよね。誰も気に留めなかったと言うんです。ヨナスは歌以外に興味がないって言いますけど、ヨナスの歌にしか興味がないのは誰なんでしょうね」


 いつでも教室の隅があてがわれるヨナスは、その存在を誰の目にも写さずただぼんやりと授業を受けていた。想像は容易いが、その扱いに怒りすら覚えるが、それも今回のことで都合が良いとどうでも良くなった。


「蛮行の原因は嫌がらせの延長です」

「ちょっと待て、蛮行な」


 パオルは手慣れた手つきで辞書を引く、その姿を見るとなんだか落ち着く気がした。パラパラとめくられる紙の音は耳触りがとても良かった。それは僕にとって何よりも慣れ親しんだ音だった。


「わかった、続けてくれ」

「彼らは普段から、授業に必要な物を隠したり、制服を濡らしたり、それらを窓から投げ捨てたりしてたんです」

「良くある話だが、どれも3年に上がる頃には落ち着くし、こいつだけってのは無かったと思うが」

「そうですね。だいたいクラスの4、5人がその被害に合いますが、どれも一時的なもので長期的に誰か一人ということはなかなか無いことです。ヨナスの凄いところは、それらに全く関心を示さなかったところです」

「心臓に毛でも生えてんじゃねぇかって思うな。でも普通それで嫌がらせ止めるだろう?虚しくなんねぇのかな」

「さあ、でも目的はヨナスが歌うことを止めることだったんでしょうから、嫌がらせはどんどん激しくなったんです。でもヨナスはそんな嫌がらせは本当にどうでも良かったんですよね。ご実家はもっと辛いところだったんでしょうし」

「ヨナスから歌うことを止めるっていうことはできないんだろうな。それしかねぇんだし」

「そうなんです。歌にしか興味がないんじゃなくて、ヨナスには歌しかないんです。さすがですパオル、どうして今までこれに気づかなかったんでしょう」


 発想の転換とは大事なものだと、今日ここで初めて体感した。僕らは思い違いをしていたのだ。あの手紙から察するにヨナスが歌っている時間以外、本当に自由など無かったのだ。

 ヨナスには歌しか無いのだ、だから他のことを全て犠牲にできるのだ、その心も何もかも。


「良くわかんねぇが良かったな」

「はい、ありがとうございます」

「で、そいつらはどうなったんだ、役員は犯人わかってるってことなんだろ?」

「学校側に引き渡して放校処分などになれば、ヨナスに対しての当たりが今以上強くなるんでは無いかっていう理由で、役員がこっそり罰を与えましたよ」

「どうせ大した罰じゃねぇんだろ」

「結構えげつないみたいですよ、その辺は特に興味が無かったので調べませんでしたが」

「お前の言い方がえげつねぇよ」

「先日役員寮に侵入した生徒は単独犯で、彼は反省房に入ったみたいですね。例の4人は反省房よりえげつないって聞いてますよ」

「一思いに放校処分にしてくれって思ってそうだな」

「同感です」


 反省房は指定されたページ数の聖書の書き写しが終わるまで出ることはできない。低学年はまだ写すだけで済むが、高学年になると原書を写して訳すという特典付きだった。それも100ページやそこいらで終わればまだまだ軽い方で、2巡写すと言う重いものもある。

 授業に遅れ、出て来たときには補習の嵐になるのだ。恐ろしいこの上ない。

 きっと例の4人は反省房に入っていないと言うだけの後者だろう。寝る暇もなく書き写しに精を出しているに違いない。もしかすると、聖歌隊員なので楽譜の書写しかもしれない。


「しかし、ヨナスに憧れても憎む奴の気が知れねぇな」

「そこは学校からの特別扱いが、特に同じクラスで同じ聖歌隊となると、目についたんでしょうね」

「わからねぇ、特別扱いを受けるだけの聖力と歌声じゃねぇか」


 それがいけないのだと、どう説明するか頭をひねったが良い文言が思い浮かばなかった。ふとフィン先輩の顔がよぎったが、パオルに話すことではない。


「そこでそれを納得してしまえる程、僕らはまだ成熟していないんです。これが僕の知る顛末です、これでパオルも運命共同体ですよ、僕とこの秘密を共有しましょうね」


 パオルに精一杯の笑顔で笑いかけると、うなだれながら大きく息を吐いた。きっとパオルは僕の懺悔を重荷には感じないだろう。

 なぜか僕はそう確信したから、パオルに聞いてもらおうと決めたのだ。

イラスト協力:pizza様 https://www.pixiv.net/users/3014926

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