季節外れの部屋替え
世界の端っこは僕らが思っているよりもずっと遠くにあって、僕らでは一生かけても到底見ることができないものだと知っていた。だけど常に僕らは僕らの世界の端っこに立っていて、その境界で揺れ動いている。
それに気づくことができたのはやっぱり彼らと関わることができたからだろう。確かに、紛れもなく僕らは不幸な子供で、しかしその不幸は僕らではどうしようもないものでできていたんだ。
僕らは世界の端っこで常に不幸に落ちるか幸福に留まるかを、どこからか干渉されている。でも真実それは僕らが決めることができたんだ。そして僕らは不幸な子供でいなくていいのだと、気づくことができたんだ。
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季節はすっかり秋を越えて冬が近づいている。部屋の窓から見えている落葉樹は美しく色づいており、もう数日もすれば葉が落ち始めさみしい様子になってしまうだろう。
こんな時期に部屋替えを行う生徒は滅多といない。どう考えても訳ありの様相だ。実際に訳ありだし、後ろ指を刺されていることも知っている。
僕がここで僕の荷物と言えるものはほとんど持っていない。あまり多くの物をここへは持ってきていなかったからだ。同室の生徒達も物が多い方ではないだろうが、自身のスペース最大限を使って私物が置かれている。
僕が運ぶものは主に授業に必要な道具と身の回り品、そして私物の聖書だ。大物は入学時に支給されたシーツだけで、これに寝巻きや下着を包んでしまえば、あとはカバンひとつだけだ。
聖書は入学した時に全員に配布されることは知っていたが、僕は自分のものを持ち込んでいた。
当然配布された聖書やシーツなどは卒業の時に返却しなくてはならないものだった。長年多くの生徒を渡り歩いてきた聖書は書き込みやシミだらけで、革の表紙は色が変わり、柔らかくなっていた。
僕は聖書だけは自分のものでありたかった。家から持って来た些細な身の回り品以外、僕が自分のものと呼べるものはこれしかない。
全て置いて来た。
僕と言う存在があの家と繋がっていることは、あまりいいことではないのだと僕は知っているからだ。僕を生んだ母、僕を育ててくれた父。そして兄たち。僕は僕なりに愛していたし、愛されていたと知っていた。
だから全て置いてきたのだ。
僕を僕として形成するものが、全て僕でなければならないからだ。
季節外れの部屋替えは、僕のわがままから始まった。
泥を塗らずに僕足らしめるあらゆることに報復でしたかった。僕はこんなにも優秀であると僕を指差す全ての人に誇示したかった。だから、この学校の中枢である役員になりたいと嘱望し、場面場面で身の程知らずと指さされようとも主張してきた。
僕の目標である神祇官への第一歩としてはこの学校という場所で役員になることが、目下最優先最重要目標だった。
なんて事のないただの上役であると言うだけの役員だが、成績優秀者で人望も厚いと言う代名詞でもある。目指さないと言う選択肢は僕には無い。
ここに入学できるというだけで、聖力は皆規定値以上なのだからそこから抜きん出る何かがなければならないのだ。
僕の噂を聞きつけた役員は、役員入りを推薦する交換条件として3人の生徒の更生を提示して来た。
それを聞いたのが1週間前。その場で二つ返事をしたはいいがよく考えろと呆れ顔で突き返された。
そして3日前に役員室に呼ばれ、数名の役員の立ち会いのもともう一度説明と確認をされ、再度それを了承しこの部屋替えと相成ったのだった。
特に同室の生徒と懇意にしていたわけでも無かったため、事務的に部屋替えを告げ、儀礼的に別れを惜しんだだけだった。
肌の色が違うと言うだけで、こうも遠巻きにされてしまうのだと改めて身に染みたという思い出だけが残った。彼らは彼らでコミュニティー持っていて、僕とのやりとりは常に事務的なものだった。
この肌の色は基本的にもっと別の神を崇めているとされているため、僕は色々な意味で場違いな場所にいるのだと改めて思い知らされる事は多くあったように思う。
彼らは往々にして優しく諭すように語り、一人だけ肌の色が違う僕を突き放すように、本当の居場所はここではないのだと懇切丁寧に諭されることは日常茶飯事だった。
実際そうだった。僕のような肌の色を持つ者は、聖力を持たず、魔力と言われるものを持ち竜を使役すると言われている。隣の国などがそうだ。彼らは神ではなく竜を信仰しており、竜から恩恵を受けているそうだ。
でも僕はこの国で生まれ、この学校に入学が許されるほどの聖力と信仰を持ち、魔力や竜などとは縁がない。僕を纏う色だけがそれを全て否定し、まるで僕が異邦人のように扱われる原因だった。
だから僕は誰よりも役員になりたかった。
だから僕は役員になりたいと切望した。
今まで生活していた寮から本校舎と職員棟、講堂を越えて向かった先は、表向き役員専用とされている寮だ。実際は、問題のある生徒を役員が監視監督しやすいようと機能している準反省房のような機能を持っている寮だ。
主に1対1で担当の役員が、問題のある生徒と同室になり、一緒に生活する上で反省をさせたり矯正をさせたりするための寮なのだと先日説明を受けた。
今まで暮らしていた寮より随分と小ぶりな寮は、聞くにほとんどの部屋を役員が1人もしくは2人で使用しているそうだ。
でも僕の入る部屋は4人部屋と聞いている。
使用の特殊性から言っても、様々な種類の部屋が存在しているのだろう。
今までの寮は3階建のもっと広い寮で、宿直の教師は各階に1人ずついた。しかしこの役員寮は1階に1人宿直の教師がいるだけだと言うのだ。
それに加え、この宿直の教師も毎日居ると言うわけでは無いらしい。学校側からの役員への信頼が厚いことがこれだけでわかる。
今回のことがなくとも、いずれここにくることになっただろうと、早いか遅いかだけだと自分に喝を入れて扉を開ける。
エントランスホールでは役員と思われる生徒が奥で何人か談笑していた。この時点では穏やかな、なんて事のない寮に思える。その中の1人が僕に気づいた。この度の事を僕に提案した張本人のフィン先輩だ。
役員は対外的には優劣は無いと言われているが、フィン先輩は役員の中でも序列の高いとされている相談役の一人である。
1週間前のフィン先輩からの呼び出しを茶化したクラスメイトの「彼はどんな問題のある生徒もたちまちに更生してしまうんだ、君はきっと自分に合った宗教に改宗する羽目になると思うよ」と、したり顔で僕に教えてくれたことを思い出した。
品行方正に過ごしてきたのにと、クラスメイトの言葉に疑心暗鬼になった僕は、フィン先輩からの全く逆さまのあべこべな提案に、あまりにも頭の悪い生徒のように二つ返事をして顰蹙を買ってしまった。そんなバツの悪い僕の言い訳を聞かずとも、なんとなく察してくれているのか正式な返事をした時も、今も、フィン先輩は僕をこの国で当たり前の色を持つ生徒となんら変わらない眼差しを向けてくれている。
「やあ待っていたよベンヤミン。君は一階の端の四人部屋だよ。他の生徒はまだ来ていないから、荷物を置いたら一緒に迎えに行こう」
矢継ぎ早に言うフィン先輩と共に、新しい部屋に向かい荷物を下ろす。
「手伝いはいらないと聞いていたけれど、本当に荷物はこれだけかい?」
「はい」
「僕もあまり荷物の多い方では無いけれど、ゆうにこれの倍はあるし、元同室の友人は僕の10倍はあったと思うよ」
「元々物を持つのは好きでは無いのです」
「引っ越しがしやすくていいね」
早い者勝ちとばかりに窓際に近い場所を陣取り、ベッドの上にシーツで包んだ荷物を置いてから、小ぶりの個人所有できるクローゼットを開けた。
長らく使っていないような少し埃っぽい、カビの匂いがした。
フィン先輩は僕の後ろからクローゼットの匂いを嗅ぐ。この先輩はいやに距離が近いと他の役員の先輩方に忠告されていたが、ここまでとはと驚いた。
「まだ匂いがあるね。しばらく風通しで開けておいたんだけどね」
「この部屋はずっと使っていなかったのですか?」
「そうだね、ここではあまり大部屋を使う理由が無いからね。基本的に相談役と呼ばれる役員がこの任を追うんだけどね、そういった生徒は二人部屋を一人で使っているんだ。そこに問題のある生徒を招き入れるというのが、僕たちの役目なのさ」
フィン先輩は器用に片手で窓を開ける。風が入ってくると空気が入れ替わっていくのがわかった。
市井で聖力の高い子供を見つけて特待生として入学させているこの学校では、毎年十数人なんらかの問題を起こしてここや反省房に入れられる。
聖力と信仰心は比例するが、この学校の気風や勉学、強制される信仰に馴染めない生徒は少なくないのだ。特に今まで無縁だった聖力を使うための訓練はここを目指して入学した生徒にとっても大変なため、ほとんど身売り同然でこの学校に入った彼らが耐える理由を見つけるまでは、大変の一言では片付けられないほどのことだろうと思う。
「今回のベンヤミンの扱う事例は、特異中の特異な事例なんだよ。僕ら、役員もできるだけの助けはするけど、僕らのできることは本当に少ないからね。もちろん身に余るようなら、いつでも棄権してくれて構わないよ」
フィン先輩の真剣な眼差しに思わず息を呑む。異例なのはわかっている。本来1対1で対応するところが1対3なのだから。
「これは僕らに対して、君からの評価がだだ下がりになる話だろうけど、1人を除いて潰し合って退学になってくれればいい、と言う意見も無きにしも非ずなんだ」
「1人を除いての1人は僕では無いんですね」
僕は思わず袖から覗く自分の手に視線を落としてしまった。顔を上げるとフィン先輩は大層困った顔をしていて、この人は他の人やクラスメイトのように僕を見ない人なのだと改めて思った。
役員だって聖人君子ではないのはわかる。実際僕が住んでいた場所の神殿の神祇官も、何人かが僕を視界にも入れたくない様子だった。腐らずに神殿に通うことができていたのは、フィン先輩のような神祇官がいたからだ。
少しだけ郷愁に駆られながら、シーツを解いて寝巻きや下着をクローゼットに荷物を押し込めると、その横のベッドにシーツを畳んで枕を置き、机に勉強道具を並べた。
すっかり元の部屋の僕のスペースとほとんど同じ様子になった。
「この話は僕の一存で君に話をしたんだ。君は知っているべきだと思ってね。でもそれは本当に、ほんの一部の役員の話なんだよ。ほとんどの役員は君の熱意に期待している。だって君はどれだけ何を言われても、君自身を放棄しておらず、自身の目標に邁進しているのを僕たちはちゃんと知っているからね」
窓から入る光で、まるでフィン先輩が後光に輝くように見えて僕は思わず目を細めた。
「僕は僕の目標のために役員になりたいんです。それでも良いんですか?」
「何か悪いんだい?問題のある生徒を更生させたいから役員になりたいって思ってなくちゃダメかってこと?そんなことないよ、僕なんか相談役になりたくなんて無かったんだから。できたら役員にすらなりたくなかったし、なっても統括役辺りか役無しがよかったくらいだ」
眉尻を下げて困り顔をこちらに向けながら、フィン先輩は机の真ん中においた支給品ではない聖書をチラリと見た。聖書について言及されるのではないかと、僕は焦って言葉を続ける。
「そうなんですか?武勇伝を聞く限りではそうは思えませんでした」
フィン先輩はこれ見よがしに大きくため息をついた。
「あれね、棚から牡丹餅も良いところの話なんだよ。こう見えて、言う程信仰心も高くないしね」
口ではそう言いながら、フィン先輩の聖力の高さは卒業後すぐにラドになれると言われていて、在校生の中でも上位中の上位であることは、誰でも知っている。聖力と信仰心の高さは比例するので、フィン先輩が信仰心が高くないと言ってしまえることに違和感を覚えた。
「それ言っちゃって良いんですか?」
「構わないよ。ちゃんと僕を知ってもらって、僕を頼ってもらわないといけないからね」
「どうしてそこまで?」
「僕らの事情を君に押し付けたからさ」
換気のために開け放たれた窓からは、秋の深まりを感じさせる匂いがした。掃除自体は行き届いており、窓は曇りなく磨かれている。
「言っていただいたら、掃除に伺いました」
「掃除は罰則で行うんだ。実のところ、僕はこの寮に入ってから、奉仕活動以外の掃除というものをしたことがないんだ」
フィン先輩は踵を返すとドアへ向かった。
同室になる生徒が誰か僕はまだ知らなかった。どれだけの問題を抱えた生徒なのかと思うだけで、正直、腹の底から緊張した。
まず、僕は容姿に大きな問題がある。それを受け入れてもらわなければ、彼らの問題と向き合うことは叶わないだろう。でも受け入れられなくても、受け入れられてもきっとやることは変わらない。
僕は今フィン先輩にしてもらったように、信頼を勝ち取らなければならないのだ。
「実は今から君と同室になる彼らには、元の部屋で待っていてもらっているんだ」
「同室の生徒がいると思うんですが、そこは大丈夫なんですか?」
「荷物もそれなりにあるだろうからね。本当は君の引っ越しは僕が手伝いに行く予定だったんだけどね」
僕の担当はフィン先輩とばかりの言い方に、不安になる。僕は本当はクラスメイトの言う通り彼らの一員かもしれないという考えが過ぎる。
「目立つ僕らが、君の引っ越しの手伝いをすることがどれだけ注目を集めて憶測を呼ぶか考えた結果なんだよ。せめて僕だけでもと思ったけど、役に立たないから大人しく待っていろとみんなに言われてさ」
目に見えて落ち込むフィン先輩に思わず笑いそうになる。
釣られた腕が痛々しいが、聖力の高い彼の怪我がいまだに治っていないのは何か原因があるのではないかと噂になっているが、僕は聖力の高さをひけらかさないために一般の生徒と同じように怪我が治っていないふりをしているのではと思っている。
「彼らのことはそういう意味では心配してないんだ。彼らはあまり同室の生徒に好かれていなくてね。彼らと同室の生徒は同じ部屋で長時間過ごしたくない様子で、寝るとき以外ほとんど部屋に寄り付かないそうなんだよ。まぁ、彼らも彼らで、あまり自室にはいないみたいなんだけどね」
「それは、また」
僕が言葉を濁していると、フィン先輩は僕の背中を思い切り叩いた。
「今からそんな不安な顔をしていては、先が思いやられるね」
「すみません」
そうだ、誰がなんて関係ない。僕は僕自身のためにやり遂げなくてはいけないのだ。
彼らを殉教の贄にしてしまうことに躊躇いを持つことはあっても、彼ら自身に躊躇いを持つことはないのだから。
「僕はきっとやり遂げます」
決意を新たに、僕は真っすぐ前を向いて宣言した。
「彼らの一番の理解者となり、道を共に探っていってくれると信じているよ」
信じるといういやに言葉が重くのしかかった気がしたが、フィン先輩の表情は何か浮かばない様子だった。
彼もまた彼にとっての問題を抱えているのだろうか。いや、何も問題を抱えていない人間などいやしない。
「軽く彼らのことについて説明しておこう。みんな学年がバラバラだから、直接の面識はないと思うんだ」
役員寮と元いた寮は本校舎や職員棟、講堂を挟んでいるため随分と遠い。校舎内を通ることができたら一直線なのだが、休日の本校舎への立ち入りは禁止されているので大きく迂回しなければならないため遠くなる。
じっくりと説明を聞くには十分な時間はある。
「一人目は君の一つ下の学年のルカ、二人目は君の一つ上の学年のヨナス。そして三人目は君の三つ上で、僕と同じ学年だったパオルだよ」
「だった?」
「彼はある意味学校一の問題児でね、彼が起こした騒動の一つくらいは君の耳にも入っているのではないかな?」
僕が不思議そうな顔をしていると、フィン先輩は肩をすくめた。
そう言った情報が僕には入ってこない。孤軍奮闘といえば聞こえはいいが、遠巻きにされて爪弾きにされていると言った方が実際には正しい。
「だから、彼は去年と同じ学年なんだ、いわゆる留年ってやつだね。君は彼がどうしてああいった態度と言動をもって騒動を起こすのか、その原因を探って解決して欲しいんだ。ヨナスとルカは、そうだね」
フィン先輩の言葉が濁る。
「ヨナスは君も歌声は聞いたことあるね」
「もしかして、礼拝集会の時に一人で歌っている彼のことですか?」
「そうだよ。よかった、流石に名前を知っていたね。彼自身が何か問題を起こしたことはないけれど、彼という立場が周りに良くない影響を与えてしまっているんだ」
「彼は何か被害に合っているんですか?」
「被害か、そうやって聞かれると答えるのが難しいね」
「では暴行を?」
「流石にそこまでのことは今の所こちらは把握していないね。でもそれに近しいことが彼に降りかかっていることは確かだよ。でも、問題はそれではないんだよね」
意気揚々に説明を始めたように見えたが、だんだんと口が重くなってくる。
「どう言うことですか?」
「これ以上は、君の目で直に彼を…ヨナスを見てもらう方がいいね。僕が君に色眼鏡を与えてしまうことはあまり良いことではないからね」
なんとも腹落ちのしない言い方をされただけで終わった。彼は天上の歌人だ。神々から聖力と共に素晴らしき歌の才を与えられている。
彼の歌は祝福となって、軽度の病や怪我を治癒させてしまうという噂だが、一般開放日に僕ら生徒は講堂へ立ち入ることができないため、噂以上のものは知らない。
「それからルカだ。彼は入学以来すでに7回部屋を変わっている」
「7回?」
「そう、1年生の時に6回、2年生になってから既に1回。いや、今回の事を合わせると8回になるね」
「2年生って、まだ学年が始まってひと月ちょっとしか経っていないじゃないですか」
僕の驚いた顔を見て、フィン先輩は大きくため息をつくと、眉間を寄せて頭を掻いた。そして僕をもう一度見て、また大きくため息をついた。
「彼は同居人に最も悪影響を与える生徒として、学校側は君との同室が悪い意味で解消されれば次こそ放校処分だと勧告してきているんだ」
「先ほども言っていましたが、聖力が高くなければこの学校に入ることさえできないんですよ?それだけ聖力の高い生徒を放校処分だなんて、できるものなんですか?」
「それだけ彼らは前代未聞で、僕ら役員も学校側もパオルとルカに……、あ……」
罰の悪そうな顔をして天を仰ぐフィン先輩に、思わず失笑してしまう。
「特別はヨナスだとわかっていましたから大丈夫ですよ」
フィン先輩は何度か咳払いをして誤魔化そうとしたが、流石に誤魔化せないと悟ったのか、なかったことにするかのように表情を戻した。
これは僕知ってはいけなかった話のようだ。
「ともかく、彼の見目は蠱惑的で、その言葉は人の一番弱いところを的確に見抜いて語りかけて、心の隙を広げてくそうなんだ」
「まるでエンゾザじゃないですか。信仰心も聖力も入学に足り得る物だったんですよね」
「信仰心と聖力が高いからと言って、清廉潔白な聖人君子ばかりではない例の1人だね。まぁでも、それよりも問題なのは彼は死にたがりなんだ」
「死にたがり?」
「そう。死にたがり」
フィン先輩は黙って僕を頭の先から爪先までじっくり観察された。
死にたがりについての説明はこれ以上ないのだと気付き、どうしたものだと困っている僕を舐めるようにじっと見つめる。
そしてフィン先輩はこれぞ作り笑いという笑顔を顔いっぱいに作り、吊っていない方の手で僕の方をガシッと掴んだ。
「ベンヤミン、君はきっと大丈夫だ」
「そんな……、根拠はなんですか」
「君の言葉も視線も高潔で、清廉だ」
「買いかぶりです、本心を隠してそう見せているだけです」
思わず言ってしまった自分の言葉に言った端から後悔した。
そうあろうとしているだけで、その実最も醜いものでできている。それを聞くやいなやフィン先輩は吹き出すように笑い出した。
「それを今この場で言ってしまえるならもっと大丈夫だよ。君自身もそんな言葉通りだろうと僕たちは考えている。だから、僕たちは君に期待しているんだ」
買いかぶりだ。
僕は全くもって高潔でも清廉でもない。
複雑な思いをぐるぐると腹の中でうねらせていたら、あっという間についさっき来た道を戻っていた。そして入学から長らく住まった寮の入り口に立った。
「さて、誰から迎えに行こうか」
今度は作ったような笑顔ではなく、本来のフィン先輩の笑顔をこちらに向ける。
イラスト協力:pizza様 https://www.pixiv.net/users/3014926