回想と開く新たな扉
『えー、続いてのお便り。ソラジオネーム、暗雲に吼える猫さんからの質問。名前すごいね、猫じゃなきゃダメだったのかな? ええと、ソラさん初めまして。いや、三度目まして。こんばんは。ソラさんのコスプレの思い出を教えてください、とのことです。三度目? 名前変えてきたのかな? うーん、コスプレの思い出かぁ……』
ビールにトマトジュース。二日酔いで目が赤くなったような人が好んで飲むという話から名付けられたとされるカクテル【レッドアイ】を飲みながら、今日もソラジオを聴いていた。
これならビールの苦味が抑えられるからと勧められたのだが、なかなかに美味い。ついつい飲みすぎてしまいそうだ。
それにしても、コスプレの思い出という辺り知人の可能性もあるな。奏空のコスプレといえば、やはり高校の時の「女装・男装喫茶」か。
あれは酷かったな、色んな意味で。
「お帰りなさいませ、坊ちゃん」
「……オカエリナサイマセ」
ノリノリで挨拶をする小さな執事と沈んだ声でぎこちない挨拶をする大きなメイド。そんな二人を爆笑しながら教室内に入って案内された席に着く。
「お前……来るなって言っただろうが……」
大きいメイドが三人ほど殺してきたかのような目で俺を睨みつけてくる。
「ぷははは、似合ってんぜ、メイドのハルちゃん」
赤面しているだけで怖さ半減である。よっぽど恥ずかしいのだろう。そりゃあそうだ。俺だったら死んでも着ないね。
「推薦したのがお前だってこと、とっくにバレてるからな」
「いやあ、そうでもしないと俺がやることになってたし。華奢な方が似合うだろ」
「お前と俺じゃ微々たる差だろうが」
「おっと、主人に逆らっていいのか?」
「全身に生クリーム塗りたくってやりてぇよ」
唾でも吐きそうな勢いで可愛いんだか怖いんだかわからない言葉を吐き捨て、晴斗はメニューを差し出してきた。適当に飲み物を頼んで、ちょこまかと動く小さな執事に視線を送る。
「あっちはマジでノリノリだな」
「性別奏空だからな。着慣れない服で動きにくいな、くらいしか感じてないんだろ」
「の割にゃ、ちょこまかとよく動く」
小柄で華奢な体を最大限に活かし、混雑している中を器用に移動する奏空に感心する。あちらこちらでメニューにはないサービスを求められているが、それはそれはいい笑顔で対応している。
「奏空ちゃん、ピースして」
「こうですか?」
明らかに写真に収めようとしている女子生徒にも笑顔で応える。「あれは大丈夫なのか」と問いかける前に、大きいメイドはさっと間に入ってレンズを手で覆った。
「撮影はご遠慮ください、お嬢様」
「は、はひ……」
完全に無意識なんだろうが、耳元であの声に囁かれて落ちない女はそういないだろう。完全に蕩けた視線を送る女子生徒を無視して、晴斗は奏空に向き直った。
「お前が良くても他の奴は撮られたくないんだ。自重しろ」
「ごめん、次から気を付けるよ」
しゅんとした奏空の頭に晴斗の手が置かれる。
「頑張り過ぎるなって言ってるんだよ、俺は」
おっと、ここで晴斗が奏空をときめかせにきた。間近に受けた奏空は耐えられるのか、と観察していたのだがいつもと違って照れる様子がない。
「おい、奏空が平常心を保ってるぞ」
「あの奏空が……」
「も、もしかしたら日常過ぎて動揺しなくなったんじゃ」
「え、奏空ちゃんと晴斗くん結婚した?」
ザワつく教室の中心で、二人は手を組んで気合いを入れ直していた。羞恥心から頬を染めている晴斗と顔色一つ変えない奏空。いつもとは違う様子に、二人をよく知るメンバーも釘付けだ。
「……アリだわ」
ぼそりと呟いたのはクラス一妄想力が化け物じみている腐女子。テーブルの下でスケッチを始めたのだがあれはいいんだろうか。目を光らせていた晴斗もやれやれと首を振りつつ見逃していた。
「奏空、ドリンク来てないんだけど」
「晴斗ー、パンケーキまだー?」
主に名指しされるのは二人だけで、さすがに疲れが見え始める。悪いことしたな、と思いながらドリンクをちびちびやっていた時、その事件は起きた。
「晴斗!!」
慣れない服装に目が回るような忙しさ。精神的ダメージも相俟って既に瀕死。ドリンクを運ぼうと一歩踏み出した彼がふらりとよろめいた。
「っと……ちょっと働きすぎかな」
「「「は?」」」
客として来ていた生徒も、スタッフとして働いていた生徒も、見回りに来ていた教師も、みんな目を丸くしてごしごしと目を擦ってもう一度晴斗の方に視線を向けた。
「大丈夫、晴斗くん。少し休む?」
心配そうに顔を上から覗き込みながら問いかけるのは奏空だ。
何が起きたのか説明しよう。
ふらりと体が傾いた晴斗はドリンクを零してしまわないようにと側にいた奏空に預けた。奏空はそれを近くのテーブルに置いたかと思うと、晴斗の袖を掴んで引きながら足を払ったのだ。何をしているんだ、と思った次の瞬間、晴斗は奏空の腕の中にいた。横抱き──つまりお姫様抱っこの状態で。
「え、あの、今の何?」
「わからんわからん」
「てか奏空ちゃん、なんであんな軽々抱っこしてんの?」
「俺に何が起きているんだ?」
折れそうなほど細い腕に抱かれながら、晴斗が混乱している。
「熱はないね。ベッドじゃなくても平気?」
額を合わせてから奏空はスタスタと歩き出して端に用意されていた休憩用のスペースへと入っていった。
「体格差があるから……立ってる状態では抱っこできなかったの、かな?」
「いや、そもそも晴斗何キロあると思ってんだよ。奏空だぞ?」
「お箸より重いもの持てないんじゃなかったの、奏空……」
お箸より、というのは大袈裟かもしれないが確かに彼女が重いものを持つことはない。周りが持たせないというのが大きいのだが、あの容姿ではそれも仕方のないことだろう。小柄で華奢で、風に吹かれたら飛んでいってしまいそうな彼女に荷物なんて持たせておけない。
「お騒がせして申し訳ございません」
深く礼をした奏空に、一人の女子生徒が声をかける。
「大丈夫、奏空。腕痛くなったりしてない?」
「ご心配なく。慣れておりますので」
慣れて、という言葉にざわめきたつ。
「おい、奏空。誤解を招く発言はよせ」
休憩スペースから恥ずかしくて堪らないといった声が響いた。やっと状況を理解したらしい。自分よりずっと小柄な女の子に姫抱きされた事実はかなり深い傷になりそうだ。
「わ、わたしのことも、できる?」
おずおずと手を挙げて問いかけた勇者がいた。
「ええ、もちろん。優しくベッドに運んであげますよ」
「やめろ、供給過多だ!!」
大声を上げて立ち上がった俺に注目が集まる。ああ、そうさ。想像したとも。それの何が悪い。
「ははっ。なんで虹輝くんが言うの」
心底可笑しそうに腹を抱えて笑って、奏空は目元を指で拭った。カッと顔が熱くなって、なるべく小さくなって席に座る。誰か埋めてくれ。
「全く……」
パンケーキの乗ったトレーを持ってこちらに歩み寄ってくる。やめろ、もうこれ以上辱めてくれるな。必死に顔を背けたが、その先に現れた目がすっと細まる。そこでようやく晴斗に優しくされても涼しい顔をしていたワケがわかった。こいつ、今日化粧してるんだ。
「なあ、虹輝」
濡れた声に背筋が震える。
『「惚れるなよ」』
「うわあああああああああ!!」
回想と現実の声がリンクして俺に立ち直れないほどのダメージを与えてきた。全力で壁にクッションを投げつける。
ぽふ、と情けない音がして気が抜けた。
テーブルの上のグラス、意志のないそれがやけに主張してくる。
【レッドアイ】
……カクテル言葉は『同情』。
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