君を守るのはアイツ
『近い内に時間を作ってくれない?』
奏空からそんなメッセージが入ったのは【ソラジオ】の放送が終わってすぐのこと。普段と違う、顔文字のない淡々としたメッセージに何か不穏なものを感じる。
『明日休む』
『そこまではしなくてもよくて。自意識過剰かなって思うんだけど』
『待て、話は後で聞く。とりあえず明日だ』
『ごめん、ありがとう』
自意識過剰、というキーワードが嫌な想像をさせる。またか、と思ってしまうのも仕方のないこと。彼女は過去にもアレに悩まされてきた。
恋に落ちるには相手の容姿だとかそういうものってそんなに重要ではない。そんなことを思ったのはアレに悩んでいた彼女が「自分はイケメンじゃないから」なんて言っていたせいだ。
昔から、彼女は少し厄介な人種に好まれやすい傾向にある。所謂メンヘラとかヤンデレとか言われる人達。気付かずに奏空という沼にハマって抜け出せなくなる子はそう少なくなかった。
だから、今回もアレだろう。
そう、ストーカーだ。
「お待たせ。ごめん、待ったよね」
待ち合わせの時間から少し遅れて奏空がやってきた。くすみ始めた緑色の髪には寝癖がついている。跳ねた毛先を寝かせるように撫で付けながら「気にするな」と言えば、彼女は柔らかい笑みを浮かべた。
「それで、今もなのか?」
「……あー……話が早いね。ううん、今はいない、かな。他の人に見られてはいるけど」
手鏡を出して寝癖をいじりながら、さりげなく辺りを確認した奏空は小さく頷いた。周囲の視線から隠すように壁になりながら店内に入る。
奏空は小柄で、俺はそこそこ身長があるので、二人でいるとチラチラと見られてしまうことは多い。
「2週間くらい前かな。こんなメールが届いて」
奏空が提示してきた文面に、俺は言葉を失った。
『愛してるって言ってくれたのに、どうして他の子に笑いかけるの』
「この『愛してる』はセリフリクエストのコーナーで言ったことだと思う」
奏空は眉尻を下げて悲しそうな表情を浮かべた。
「そんなわけがないって思いたいんだけど、その……ピアスが、さ」
彼女は寂しげなピアスホールに触れた。学生時代からひっそりとそこに鎮座していたはずの彼女のお気に入りのシルバーが見当たらない。
「まさか……取られたのか?」
「あ、いや、ほら、うっかり落としたかもしれないからまだそうとは言い切れないんだけど」
「いつなくなったんだ」
「三日前、起きたら……」
「枕元には?」
彼女は静かに首を横に振った。あまり詳しくはないのだが、ポストとキャッチが一体化している所謂落ちにくいピアスを愛用していた彼女のこと。ここまでくればお人好しを通り越してただのバカだ。
「寝ている内に家に入られてるってことだろ、それ。警察には?」
奏空は寝付きはいい方ではないが、眠ってしまえば何があろうと簡単には目を覚まさない。
「勘違いだったら、恥ずかしいし」
「わからないでもないがな」
起きた時になくなったというなら、もっと危険を感じるべきだ。何が起きてもおかしくないというのに。
「まずは警察に相談しろ。素人に出来ることなんてそうそうないんだよ」
「でも、さ……」
言い淀んだ彼女を説得するのに、俺では力不足なんだと自覚させられる。こんな時、晴斗なら。彼女のことをより深く知るあいつなら。
「まあ、なんだ。虹輝くんの意見だと間違いなくストーカーなんだね」
「……俺はそう思う」
その瞬間、彼女は悩んでいたことが嘘のように晴れた笑顔を見せた。
「いやー、実は誰かにそう言って欲しかったんだよね。スッキリしたー」
それでいいのか。それでいいんだな。まあ、元々解決策なんて最初から期待していないんだろう。ただ、なんとなく。晴斗に言えば大事になるから、俺に。
「……晴斗に、言わなくていいのか」
「え、なんで?」
「お前、好きなんだろ? 晴斗のこと」
思い切った質問だった。俺の声の真剣さを感じ取ったのか、奏空は茶化そうとせずに顎に手を当てて考え込む。
「好きか嫌いかで言うなら、間違いなく好き。だけど、それ以上の感情はないかな」
嘘つけ。俺はコーヒーを飲み干して視線を逸らせた。自称モテない二人が高校時代いい感じだったのも、俺は知ってるんだぞ。何か胸の奥がザワザワと落ち着かないが、俺は黙って続く言葉を待った。
それ以上の言葉を持たない彼女は困っているのだろう。「ホントなんだけどな」とストローで氷をつつき始めた。
「あわよくば、と思ったことがないわけではない」
そういう言葉を待っていた。俺は彼女に向き直り、手で続きを急かす。
「リクは……晴斗くんはさ。優しいんだよ」
「そうだな」
「わたしが無茶苦茶やっても付き合ってくれて、ちゃんと止めてくれて、そういうの」
心地良さそうに目を細める奏空を見ていたら、嫉妬だとかそんなみみっちいものは吹き飛んでしまう。飛んで行ったそれを自覚してようやく、まだ吹っ切れていなかったのかと自嘲した。
「好き……好き、なのかなぁ……」
恋愛的な意味で、と考えるとやはりしっくりこないようで、彼女は頭を抱えた。
「彼となら、上手くいくと思う。だけど、それを彼に強制したくない」
ベタ惚れじゃねえか、という言葉を今は飲み込んでおく。いつか結ばれた二人にぶつけるために。
「心配かけたくないのはわかるが、お前は嘘が下手なんだから先に言っとけよ。何かあった時じゃ遅いんだよ」
「……近い内に」
「約束だからな」
奏空は目を泳がせた。それでいい。迷いがあるようなら彼女はちゃんと相談しに行くだろう。言わないと決めているならこうして迷うこともしない。そういう人だ。
「ソラジオは休止か?」
強がってはいるがやはり怖いのだろう。小刻みに震える手を包んで問いかければ、奏空は「とんでもない」と顔を上げた。満開の笑みだった。
「せっかく色んなところに許可もらってやってるんだから、穴を開けたりしないよ」
「……プロ根性」
「まだプロではないけどね、ラジオに関しては」
「今日も聴く」
「ふふ、皆勤賞だね、【ソラタソのソファ】さん」
にひ、と笑う彼女の頭を一撫でして、それから別れた。
『毎度代わり映えのしない奏空です。今日はcafeteriaに行ってきました。オレンジジュースが最高に美味しかったです。友人はコーヒーを飲んでいたんですがぐびぐび飲むものだから、コーヒーの飲み方はそうじゃないだろうと思いました』
明るい声を聞きながら、何度か打ち直してようやく晴斗にメッセージを送った。我ながら気持ちの悪い内容だ。
『奏空を守ってくれ』
俺はどんな立場でこれを言っているのだろうか。数時間して、ソラジオもとっくに終わって部屋が静寂に包まれていた時。新着メッセージを知らせる通知音が重い空気を割いて響いた。
『仕方ないな』
やれやれ、と首を振っている晴斗の姿は容易に想像できた。そんな俺がやらなきゃ誰がやる、みたいは反応をするやれやれ系イケメソに腹が立ち、人をダメにするビーズクッション目がけてスマホをぶん投げた。
『何をお調べしますか』
握りしめた時にボタンを押していたせいか。無機質な音声はやけに間抜けに響いて俺を脱力させるのだった。