離さないって決めた
SIDE 直也
心地よい体温のおかげで緊張も解けて朝までぐっすり寝ることができた。しかし、目が覚めた時に腕の中が寂しかった。
「あ、おはよ。ご飯出来てるって」
「今……何時……」
「まだ五時だよ」
掠れた声で問いかけると、弥生ちゃんが少し頬を赤くして時間を教えてくれた。
「……弥生ちゃん」
両手を広げて名前を呼ぶと、本当に嬉しそうに飛び込んできてくれた。それは嬉しいんだが、まだ眠い。
「……も、ちょっとだけ」
「お疲れだね」
「弥生ちゃんは元気だな……」
体力がないわけでもないし、朝に弱いわけでもない。それなのに気だるさがあって、ものすっごく眠い。
「また弥生って呼んでね」
「うん……弥生……」
「ふふ、なぁに?」
「あい、し……」
しばらく記憶がない。がっつり二度寝してしまった!!
二人で手を繋いで食堂に行くと、父さんと母さんがこちらを見た。
「夕べはお楽しみでしたか」
「それゲームで聞くやつ!!」
パッと手を離してにまにましている父さんに食ってかかる。母さんがじっと弥生ちゃんを見つめている。
「あの、ご挨拶遅れました。直也くんとお付き合いさせていただいてる、木住弥生です」
ぺこりと頭を下げて、それでも何も言わずに見つめている母さんに弥生ちゃんが困惑している。
「由美さん、昨日お泊まりに来たでしょ」
「うん……誰だろうってことじゃなくてね。えっとね。なんというか……」
母さんはいつになく歯切れが悪い。
「あの、やっぱり僕じゃ」
「ああ、違う違う!! 別に反対するつもりじゃなくて!!」
母さんが弥生ちゃんを手招く。口元を隠しているから何を言っているのか予想もできない。
「ちが……っ、あの、違うんです……誤解なんですっ!!」
弥生ちゃんが真っ赤になって否定している。何を言われたんだろうか。
「何も……いや、何もしてなくはない……ですけど、違いますから!!」
すっごい否定している。
「母さん、何を言ったんだ?」
「いや、ちょっと。直也くんに聞いてもわからないこと」
「ん?」
弥生ちゃんを見たらものすごい勢いで顔を背けられた。首まで真っ赤だ。
「で、由美さん。そっちじゃなかったみたいだけど、どう思う?」
「……難しいところね。弥生さんがタフなのか直也くんが敏感なのか……どちらにせよ、一線は超えてるわね」
ふふふ、と笑う母さん。
「……何を、言ってるんだ……」
その言葉の意味がわからないほど純情じゃないぞ、俺は。弥生ちゃんが真っ赤になっている意味は不明だが。
「違いますから……ほんと、根底から……」
「照れなくていいのに」
「違うんです……」
弥生ちゃんが泣きそうだ!! 俺は二人の間に立って弥生ちゃんを背中に隠す。
「あらあら、誰も取って食うつもりはないわよ」
「食わせるか!!」
「そのつもりはないってば。そんなに怒らないで」
つい呼吸が荒くなってしまった。それに喉がひりつく。咳き込むと弥生ちゃんが背中をさすってくれた。
朝食を食べてもイマイチいつもの調子に戻れなくて、上手く笑みを浮かべられなかった。
「直也くんのどの顔も好きだから、無理しなくていいよ」
「どの顔も?」
「うん、全部好き」
弥生ちゃんの「好き」にはずっと熱がこもっていて、不安に苛まれそうだった心が掬いあげられる。
「俺は愛してる」
意識して出してきた高めの声は作れなかったけれど、ずっとずっと想いを込めることは出来たと思う。
「ありがとうね」
玄関まででいいと言われた。本当は送ってあげたいが、仕事の準備もあるので諦めた。靴を履いて振り返った弥生ちゃんが「あ、」と声を上げる。
「髪にゴミが」
「どこだ?」
「取ってあげる。屈んで?」
歩み寄って背を丸めた次の瞬間、唇に触れた温もり。
「またね」
ひらひらと手を振る弥生ちゃん。返事をすることは、できなかった。
SIDE 弥生
直也くん、落っこちそうなほど目を丸くしていた。嫌じゃなかったかな。ドキドキしながら帰路につく。
「あ、奏空」
スマホを確認すると不在着信の通知が見えた。
「もしもし」
『やっと繋がった。結局何、行ったん?』
少し余裕がなさそうな声に、くすりと笑いが込み上げてくる。心配してくれてたんだ。
「うん、行った。今帰り道」
『あの、弥生、昨日は』
「大丈夫。奏空のおかげで上手くいったよ」
ちゃんと痕も付けられたし。直也くん、気付くかなぁ。
『弥生ってさ。ヤンデレの素質あると思う』
「え、ないよ」
『ちなみに直也くんのグラビアコレクションは』
「全部捨てちゃった」
『素質あるよ。寧ろそのままだよ』
ちょっと何言ってるか分からないな。だって直也くんはたくさん怖い思いをしたんだから、女の人なんて見ない方がいいと思う。
「あ、そういえば奏空」
『なんだい、メンタルヘラ男』
「乾燥わかめにするよ」
病んでないんだよ僕は。
「あのね。直也くんのことでまたちょっと聞きたいことがあるんだけど」
足を止めて空を見上げる。
『嫌な予感はするものの続く言葉が予測できない』
「直也くんって、制服好きかな?」
ブツッ、ツー、ツー。
「切られちゃった」
好きなら気兼ねなく学生時代からやり直せると思ったのに。嫌な思い出を塗り替えてあげるには他に何があるかな。
「ふふ、愛してるだって」
ついつい顔がにやけてしまう。直也くんのかっこいいところも見られたし、可愛いところも。そんなことを考えていたら通知音が鳴った。
『家に着いたら連絡くれ』
『わかった』
直也くん、出勤したのかな。大丈夫かな。あんな色気のある声、職場の人に言い寄られたりしないかな。
『家に着いたよ』
メッセージを送るとすぐに既読がついた。だけど、返事は来ない。もしかしたら運転中なのかもしれない。
邪魔をしてはいけないから、と思ってスマホを置いたタイミングで着信。慌てて手に取って応答する。
「はい、木住です」
『……森です』
クスクスと笑いながら、声を抑えて囁くように、僕の応答に合わせた返事をする直也くん。
「直也くんだった……」
『ダメだったか? それなら切る』
「やだ、話したい」
あ、つい。
『運転中でメッセージが打てなくてな』
電話の向こうにいるのは確かに直也くんのはずなのに、聴こえる音には耳に馴染んでくれない。一度電気信号に置き換えられた空気振動を体が拒絶する。
今朝別れたばかりなのに、直接耳に吹き込まれる声が恋しい。会いたい、なんて言ったら困らせちゃうかな。
『そういえば、弥生。ハンカチ忘れてないか』
「え、忘れてないと思うけど」
嘘は言ってない。だってそれは置いてきたものだから。
『洗濯機から見覚えのないものが出てきて。弥生の物かと思ったんだが』
「どんな柄?」
『柄というか文字が入っていた。フランス語。ブランド名かもしれん』
「フランス語わかるの?」
『少しだけ』
直也くんって、自分のことをバカだってよく言うけど、全然そんなことないと思う。
『海外から来る人もいるから、それで覚えた』
「でも、読めるのってすごい」
『みにょん、て書いてあった』
発音はあまり得意ではないようで、どこか舌っ足らずな言い方が可愛らしかった。
「それ、僕のだ」
『ちなみに意味は』
直也くんがふ、と笑ったのを感じた。今、すごく僕の一番好きな顔をしているような気がする。
『可愛い』
「っ、そう、なんだ」
顔が熱い。これは電話越しでよかったかもしれない。こんなの、直接だったら昇天してたかもしれないから。
「今度、取りに行ってもいい?」
『届けに行く』
「え、でも」
『父さんと母さんを気にしなくていいところで、弥生を愛したい』
電話越しでも、それはダメだよ。
『すまん、変な意味じゃなくて。弥生? 弥生ちゃん、聞こえてるか?』
返事なんて、できる余裕はなかった。
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