わざと忘れ物をして
SIDE 弥生
「もう眠いなら布団を敷くがどうする?」
「まだ、眠くないかな。直也くんは?」
「俺は少しトレーニングをするからまだ寝ないぞ!!」
そう言って直也くんは浴衣を脱いだ。いきなりのことで目を逸らすこともできず、まじまじと見つめてしまう。
「っえ」
下着は!?
「ああ、すまん!! ついいつもの癖で」
直也くんは甚平に着替えて両手を顔の前で合わせた。
「あ、えと、大丈夫」
思いっきり、見ちゃった。
「な、直也くんって、その……」
「一応鍛えているから見られて恥ずかしい体ではないぞ!!」
「あ、いや、その。毛が……」
「ん?」
直也くんにとっては当たり前のことなんだろう。よくわかってない顔で首を傾げている。ムダ毛の処理をきちんとしているのはわかっていたけど、まさかそこまでとは。
「一緒にやるか?」
「キツそうだから……」
「夜に激しいトレーニングはしないぞ!! 女性でもできるものばかりだ!!」
女性でも。やっぱり直也くんは僕を女性だと思ってるってこと?
「あー、えと……じゃあ、少しだけ」
女性だと思っている上で、平気で裸になれるもの?
「よし、じゃあドローインからだ。こうやって腹をへこませるんだ」
「……こう?」
「上手だぞ!! センスがあるな!!」
ねえ、直也くん。実はモテモテで、経験豊富だったりするの? 聞けるわけがない。そんなの、付き合ってる人に聞くことじゃない。
「次はクランチ。まあ、腹筋だな!!」
「腹筋……」
寝転がっていた体勢から、頭の後ろに手を当てて上体を起こそうとすると、直也くんが覆いかぶさってきた。
「え、な……」
「このくらい」
「あ、あぁ、ここまで起こすってこと?」
へそを見るような姿勢で止められて、ようやく理解した。顔が近い。わ、意外とまつ毛長いんだ。
「全部起こすと腰に負担がかかるからな!!」
にかっと笑ってそう言って、直也くんは離れていった。キス、できそうだったのに。そういえば、前にも一度聞いてみたことがある。
『僕に、キスできる?』
『できるぞ!!』
『それなら、して』
あの時は、どこまでしたら男だってわかってくれるのか、確かめたかった。今思うととんでもないお願いをしてしまったものである。
「弥生ちゃん、疲れたか?」
「あ、うん、ちょっと」
「無理はいけないからな!! 休んでいていいぞ!!」
直也くんはそう言って次々メニューをこなしていった。そういえば、結局キスはしてくれなかったな。
『……ごめん』
あの時の謝罪は、なんだったんだろう。
「ふぅ……何かしたいことはあるか? せっかくの泊まりだし、何か楽しいことを」
「じゃあ、キスして」
直也くんがぴたりと動きを止めた。
「僕たち、付き合ってるんだよね」
「……ああ」
「僕が望むなら犬にでもなるって言ったよね」
「そうだ」
「キスしてよ」
不思議に思ってたんだ。いつも元気で感嘆符をたっぷり付けたような大声で話すのに、こういう話題になると怖いくらいに低い声になること。
「僕のこと、好きなんじゃないの?」
「好きだ」
静かに紡がれた言葉に心が満たされる。僕を、こんな風にしたくせに。
「キスはしてくれないの?」
本当は、僕が男だってことなんかとっくに気付いていて。女の方がいいけど、相手がいないからとりあえず付き合ってて。それで、いい人を見つけたらそっちに行って。そういうこと、考えてるんじゃないのかなって。
「……ちょっと、勇気が」
「それなら、動かないで」
もう、逃がさないから。
仰向けに寝ていた直也くんに跨って、ゆっくりと顔を近付ける。
「……弥生、ダメだ」
「なんで今なの」
呼び捨てにしてほしいって言ってからも、全然呼んでくれなかったのに。
「そんなことしなくていい」
「したくないの」
「したいさ、俺も男だ」
いつもと違う、低く掠れた声。色気のある、大人の男の声。
「僕もしたい」
「嘘だ」
「したいの」
唇を重ねようとまた顔を近付けたら、直也くんは手を僕の胸に当てて、押し返してきた。
「ねえ、お願い」
「無理だ」
無理って、ひどい。急に目頭が熱くなって、直也くんの頬に雫が落ちた。
「なんで? 僕のこと好きだって言ってくれるのに、どうして? 僕が」
ねえ、気付いてるんでしょ。
「僕が、男だから?」
ふと、直也くんの手から力が抜けた。だけど、チャンスだとキスできるような雰囲気じゃなかった。
「……違う」
直也くんは腕で目元を覆って、深く息を吐いた。
「最初は、本当に女性だと思ってて。でも、流石に気付いた。というか気付かされた。でも、男だって知っても好きだ」
用意されたセリフを読み上げるように、淡々と。直也くんは目元を覆ったまま顔を背けた。
「……俺、結構そういう欲、強くて」
「うん」
「止めらんなくなるから」
「うん」
繰り返す同意の言葉に続くのは「それで?」という疑問。
「だから、キスとか、無理」
ねえ、それってつまり。
「男だって知っても、僕としたい?」
「……したい」
「じゃあしようよ」
「女と男じゃ違うから」
もしかして、男の人とも?
「……いつならいいの。ずっとこのまま、手を繋ぐのもキスをするのもその先も、ずっと我慢しなきゃいけないの?」
責め立てるような口調になってしまったけれど、それは仕方ないと思う。だって、僕はこんなに直也くんのことが好きだって気付いたのに。気付かされたのに。
「……ほんとに、我慢するの、キツくて」
「じゃあ、手伝ってあげる」
「弥生にそんなことしてほしくない」
なに、それ。
「じゃあ誰ならいいの。それって浮気するってこと?」
「違う、そうじゃない」
「こっち見てよ」
わからないよ。直也くんが言いたいこと、全然わからない。
「元カノとはできたのに、僕とはダメなの」
あ、なんか僕、すごくめんどくさいこと言っちゃってる。でも、なんか止められない。
「……の、じゃない」
「え?」
直也くんが、小さく震えている。いつも元気な直也くん。明るくて楽しいことが大好きで、でも実は涙脆くて大号泣したりする直也くん。
こんなに静かに泣く彼なんて、初めて見た。
「直也くん、あの」
「元カノ、とかじゃ、ない」
震える声で、消え入るような声で。
「恋人……いたこと、ない」
とても、とても不思議なことを言うから。僕はその言葉を飲み込むことができなくて、何も言うことができなかった。
「したこと、あんのも……結構、無理矢理で……最初は、騙され、てて……」
ぽつぽつと語られる過去に、僕は背筋がゾッとした。そんなのって。
「ご、めん」
きっと、すごく怖かったはずだ。そんな過去があるのに、キスして、なんて迫られて。語りたくないのに、語るしか術がなくて。
「ごめん……ごめん、直也くん……」
離れなくちゃって思うのに、体に力が入らなくて。でも。
「……幻滅、されるかと、思って」
その言葉が、僕を動かした。
「しない。直也くんは悪くないじゃん」
「だって、」
「だってじゃないよ!!」
夜なのに、人の家なのに、僕はかなり大きな声を出してしまった。
「僕、直也くんのこと、すごくすっごく大好き!! 初めはわからなかったけど、今はもう我慢出来ないくらい好きだから!! だから……」
こんなひどいこと、言っていいのかな。こんなに震えてるのに、いいわけないよ。わかってるのに。
「だから……キスしてほしかったの」
そんな人たちに、負けたくないよ。
「弥生」
名前を呼ばれて、目と目が合う。
「すまん。なんか、俺、おかしい」
「おかしくなんか」
「違くて」
キツく抱き締められて、体が密着する。薄い生地の着物はほとんど熱を遮らない。直也くんの熱さが伝わってくる。
「本当にすまん。少しだけ、このまま」
すぐ抑える。そう耳元で囁いてくる声も熱い。
「直也くん、好き。大好き」
「俺も。だけど、今はあまり言わないでくれ。なんか、マジでやばい」
自分をさらけ出したことで、昂ってしまったのかもしれない。そういうことある。
「……また、来てもいい? 僕も、調べてみるから」
「……勘弁してくれ」
痛いくらいにキツく抱き締められて、僕はやっと口を閉ざした。ああ、そういえば。浴衣の袖のところ、ハンカチ入れっぱなしだった。今度、たくさん調べてから取りにこよっと。
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