今は遠い青ざめた春
小洒落たカフェの前で佇んでいると女子高生が二人、チラチラとこちらを気にしながら何か呟いているのが見える。
「ねぇ、あの人かっこよくない?」
「彼女待ちかな……」
「声かけてみる?」
なんて声が聞こえてきたら嬉しいのにな。実際はそんなものとはかけ離れているんだろう。何かおかしなところはないかとさりげなく確認してから顔を上げたら人の流れに逆らえず翻弄するわかめを見つけた。
「何してるんだ、あいつ」
目的地を目の前にして、思い通りに進むことができなくてしょげている。なんだかおかしくなって観察を続けていたが、流石に見過ごせない事が起きている。人混みを縫うようにして彼女に近付いた一人の男が奏空の手首を掴んでどこかへ連れ去ろうとし始めたのだ。
「おい、おっさん。そいつ、俺の連れなんだけど」
「あ、虹輝」
「こ、困ってたから助けようとしただけで……」
「失せろ」
男はバツが悪そうにそそくさと退散していった。日に焼けた奏空の小麦色の肌にほんのり赤い痕がついている。女の扱いがなっちゃいないなとふつふつと怒りが込み上げてきた。
「大丈夫か、痛くないか」
「平気だよ。でも、ありがとう」
に、と笑って彼女は捲っていた袖を引き下ろした。オーバーサイズのパーカーを着ているためか、手首どころか指先まですっぽりと隠れている。
「それにしても……外に出るイメージはないが、結構日焼けしてるんだな」
趣味は、と聞かれたら家の中に引きこもっていても出来ることばかりを挙げるくせに、彼女は家の中でじっとしているのが苦手らしい。読書やゲームなどをわざわざ公園に行ってするというのだからおかしな話。
「ここんとこ雲ひとつない快晴が続いてるからねぇ」
「日焼け止めは塗らないのか? 女ってそういうの気にするだろ」
「はい、出ました偏見」
そういうつもりではなかったんだが、彼女がビシッと指を差して目を吊り上げた。
「男だとか女だとかそういう言葉はnonsenseだよ」
「無駄に発音がいいのやめろ」
「英語の評定よかったんだー。これ一つの自慢ね」
「体育は悪かったな」
「そういうこと言わないでよ。保体の実技は完璧だったよ」
「いや、どこが……待て、そういう意味か!?」
一家に一台、晴斗は必需品。奏空の暴走を止められるのはあいつしかいない。人の往来が激しい中でも平気な顔してぶっ込むからどうしようもない。
「お前……そういうことを平気で言うんじゃない」
「おっと、またまたnonsenseかな」
「女でも男でも関係ないんだよこれは」
まあ、彼女の普段の言動を知らなければその答えに行き着くことはないだろうから完全なアウトではないかもしれないが。表情一つ変えずに際どい発言をする彼女の神経が一体どういうものなのか可視化してほしい。
「何想像してんのさ、えっち」
「お前、ほんとしばき倒すぞ」
丁度俺の肩の高さにある頭に手を置く。彼女はほぼ反射的に頭を揺らした。
「誰が撫でてやるって言ったんだよ」
「頭に手を置かれたからつい」
小動物かよ。随分と人懐っこく感じられるが、忘れてはいけない。学生時代、ダサい二つ名を考えるという謎テーマの元に編み出された彼女の二つ名は「狂犬ポメラニアン」だ。
「全く。可愛く甘えてみせたって俺は騙されないぞ」
「ほんとにー?」
「擦り寄せるな!! バカップルだと思われるだろ!!」
「えへへ、虹輝くん大好きぃ」
「棒読みやめろ!! 少しは夢を見せろ!!」
モテない俺にとってはこんな爆弾女にでも夢を見たいものである。
「いや、本気になられたら困るし」
「その自信が羨ましいよ、俺は」
一切の表情が抜け落ちた奏空の言葉にため息を吐きつつ、額から項までをゆっくり一撫でして手を離す。店内に入ると店長の趣味が爆発しているとしか思えないBGMが流れていて、奏空がノリノリで口ずさみ始めた。
「カフェでこんなニッチなアニソンが流れる世界線あるんだな」
「ヒーローでもヒロインでもないキャラのキャラソンってとこがいいよねぇ」
「お前が歌えるのもおかしな話なんだが」
一時期めちゃくちゃハマっていた俺ならともかくとして、「あんまり興味ないかな」としれっと切り捨てたはずの奏空がノリまで完璧にコピーしているのが謎である。
「で、何の話? Imaginary marriage?」
「わざわざ呼び出されて空想上の嫁が出来たと報告されても平気なのかお前は。違うわ」
席に着くと彼女はまたやたらと発音よく言った。ワクワクしている奏空には申し訳ないが多重婚は認められていないのでその報告はない。
「これ、どういうことなんだよ」
『ソラジオ♪』のタイトルコールから始まる動画を再生すると、奏空はストローで氷をつついて沈んだり浮かんだりするのを楽しんでいた。
「間違いなくお前だろ、これ」
少し早送りをしてコーナー間のフリートークの部分を再生する。
『友人に小説を書いていたことを明かしたんですけどね。そしたら、あのソラが、なんてみんな失礼なこと言うんですよ』
「まあ、認めるよ」
氷で遊ぶのに飽きたのか、ストローの入っていた袋に折り目をつけて「うねうね」を作り出した奏空が静かに応えた。
「編集さしゃん……編集さしゃ……編集に提案したら、やってもいいって言ってくれたからさ」
「言い難いよな、編集者さん。集中治療室って言ってみ」
「ICU」
思いっきり顔を顰めながら吐き捨てた奏空に思わず口元が綻んだ。
「ちなみに俺のコメントは拾われなかったんだが」
「え、どれ?」
「【ソラタソのちょっといいとこ見てみたい】」
「あれ、君だったのか」
奏空は顔を顰めすぎて梅干しでも食ったかのような顔になっている。ちょっと面白い。
「なるべく拾いたかったんだけど、あの時はちょっと余裕がなくて。こんなの初めてだから緊張してたんだよ」
「声震えてたもんな」
がんばれがんばれと応援のコメントが流れる中、ちょっぴり泣き出しそうな声で奏空がコーナー発表を始めたところだった。
「これ、晴斗には?」
「別に言ってないよ。わざわざ言う必要もないし」
グラスの水滴を掬ってテーブルに恐らく猫であってほしい怪物を描きながら、奏空は少ししんみりと呟いた。
「大人になってもバカ騒ぎしていたいって言ってたじゃないか」
「……彼も忙しいから」
彼女は顔を上げない。
「俺でよければ付き合うが」
「うん……ありがとう」
それは随分と優しい拒絶だった。学生時代のあの言葉から、彼女が晴斗に全幅の信頼を寄せているのはわかっていた。遠慮なんてできるようになったのか、と子供の成長に感心する親のような気持ちになりながら、奏空を見つめる。
「やれやれ系はな。巻き込まれてこそ魅力が引き立つんだよ」
俺の言葉に奏空が小さく吹き出す。
「それなら、逃げ道は潰しておかないとだね」
「……おう、それでこそ奏空だ」
きっといつか人気者になって、後に引けない状態にしてから誘うつもりだろう。引き締められた唇はわずかに震えていて、なんだかやけに晴斗への嫉妬心がムクムクと膨らんできた。
「どうこうなろうとは思ってない」
盛大に振られたあの日を思い出すととてもそんな気にはなれない。突拍子のない俺の言葉に奏空は首を傾げた。
「ただ、応援だけはさせてくれ」
「ありがとう、虹輝」
ちろりとストローを舐めた舌先を見つめながら、俺は動画を停止した。
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