ソラジオとの出会い
ある日突然、同級生の陸川晴斗から『呑みに行かないか』とお誘いがあった。高校を卒業して二年、飲酒解禁祝いに居酒屋で集まった時以来だ。特に理由を求めるわけではないが何かあったのかと聞いてみた。あいつのことだから色恋の話ではないだろう。つまらん。
『お前、奏空に新しい連絡先教えてないのか』
俺の名前は桐生虹輝。ぴちぴちの二十歳だ。ごめんなさい調子乗りました。とまあ、そんな俺には忘れられない相手がいる。初恋の相手だとか元恋人だとか、そんな甘酸っぱいものではない。強いて言うならとにかく塩辛い。
「こいつ、わざとか……」
記憶から抹消しようとしていた名前はやけに輝いて見えた。月神奏空は同級生の一人で、晴斗とは性別の壁を超えていい友人関係を築いている。まあ、若干オモチャにしていると表現する方がしっくりくると言えば奏空の性格は伝わるだろう。悪人ではないが間違っても善人とも言えない。
彼女はあまり性別を意識させない言動が多かったが、時折思春期の男子の胸をドキリとさせることがしばしばあった。で、引っかかったのが俺だ。あれ、もしかしてこいつ俺のこと好きなんじゃね? なーんてことは一切思わなかったのだが(本当だぞ)、普段感じることのない女性的な一面を見せられてうっかり告白なんてしてしまった過去がある。
結果は、まあ、うん。
『普通に考えて気まずいわ』
『例の件を言っているなら巻き込まれたこっちの身にもなってくれ』
『それは悪かったと思ってる』
彼女はノータイムで俺の告白を切り捨てた後、何食わぬ顔で「陸川だったら考えないこともないかもよ」と爆弾を投下したのだった。何もかもが唐突すぎてなかったことにされた流れだったが、うっかり告白までして盛大に振られた俺の心の傷はまあまあ深い。そんなわけで彼女は俺にとって忘れられない人となった。他にも理由はあるがそれは置いておく。
『それで、なんで奏空の話が出るんだ?』
『重大発表があるらしい』
『結婚か』
晴斗は論外として、奏空ならあり得ない話でもない気がする。
『みんな集めてほしいとのことだった』
みんな、というのは学生時代バカ騒ぎしていた(もしくは巻き込まれていた)俺や晴斗を含めたメンバーのことだろう。やはり結婚か。ご祝儀袋のマナーとか調べとくべきなのか、これは。ええと、確か顔が表で金額は奇数で。
そして待ち合わせをした二時間後。指定された居酒屋の前で待っていると長い前髪で片目を隠した彼女がやってきた。その髪色は鮮やかな緑で、現実で見かけることの少ない奇抜な色がなんだか妙に彼女らしかった。
「おはちーす」
「久しぶり」
声が裏返ってしまわないように深呼吸してから片手を上げて挨拶をすれば、彼女はこてんと首を傾げた。
「誰だっけ」
「おいっ」
「嘘嘘。四宮太郎君でしょ」
「かすりもしない名前を出すなよわざとだろそれ!」
彼女は口元に手をやってクスクスと笑っている。勝手に気まずく思っていた自分が恥ずかしい。何も変わらない奏空の様子に安堵の息を漏らせば自然と笑顔を浮かべることができた。
「それにしてもスーツか。もっとラフな格好でよかったのに」
「吞みすぎて羽目を外したくないからな」
スーツを着ていると気分が引き締まるので呑みの時はちょうどいい。
「変わらないね。そういうところが好きだよ」
ズルいと思うのは奏空のこういうところだ。色気のある言葉ではないのはわかっているが、女性に好きだと言われてなんとも思わない男なんて男じゃないだろう(個人の見解です)。え、と声を上げそうになった時、向かいの歩道にお婆さんの手を引くやれやれ系の姿。
「彼も変わらないなあ」
ぽつりと零した彼女は少し嬉しそうで、これは勝てるわけがなかったな、と改めて実感させられる。そうか、二人の結婚か。
「奏空、随分奇抜な色にしたな。目立つだろ」
こちらにやってきて顔を上げた晴斗は挨拶より先にそこに触れた。少しだけ痛んだ毛先を摘まみながら奏空はううん、と悩み始めた。二人で言葉を待っていると、彼女は「なんかさ」と深刻そうな声になった。
「わかめになりたい年頃って、あるじゃん」
「ねえよ」
思わず口をついて出た言葉は綺麗にハモった。しまった、と顔を見合わせてからやれやれと首を振る。学生時代からこんな感じ。奏空のよくわからないボケに対してすかさずツッコミを入れてしまって、それも楽しくなってしまう。
「で、それは自分でやったのか?」
「美容室に行ってわかめになりたいですって言うには少し勇気が足りなくて」
「そんな勇気は一生必要ない」
「あと一歩だったんだけど」
「結構近いのやめろ」
そんな雑談をしている内にメンバーが揃っていく。全員が揃ったところで店内に入り席に着く。それぞれ好きな飲み物を頼んで乾杯をしてぐい、と一口飲み奏空が口を開く。
「えー、本日はお集まりいただきありがとうございます。とても喜ばしい報告があったりなかったり」
「そこはあれよ」
「ということで受賞しました」
すかさず入ったツッコミと被せるように報告した奏空はちびちびとカクテルを呑んでいる。何事もなかったかのように。脳内では疑問符が量産され踊りだした。最初に復活したのは晴斗だった。
「何の賞なんだ?」
晴斗の問いかけに奏空がスマホを操作してテーブルの中心に置く。そこには小説投稿サイトの小説が表示されている。
「これ、奏空ちゃんが書いたの?」
「そうかもね」
すいすいとスクロールしながら一人が言うと、奏空は少し照れくさそうにはにかんで誤魔化す。みんなで一つのスマホを注視している様はなんだか滑稽で、タイトルを見て自分のスマホで検索してみる。確かに受賞作品と書いてあるし近いうちに書籍化もするらしい。
「すごいな。あの奏空が小説家か」
「あの奏空ちゃんが」
「あの奏空がねぇ」
「ちょっとみんな失礼かな」
奏空はむっとしているが、全員「あの奏空」という印象は変わらないのだ。悪ふざけをしてバカ騒ぎをして意味のわからないボケを口にして。問題児扱いされてきた奏空が小説家。しかもこんな風に受賞までして。
「おめでとう、奏空」
「うん、ありがとう」
舐めるように少しずつ呑んでいた奏空が顔を上げた。頬がほんのり紅く染まって瞳が潤んでいる。柔らかく綻んだ口元にはピンクの舌がちろりと覗いていて、ちょっとよくない想像をさせられた。
「あ、虹輝くんが奏空ちゃんをえっちな目で見てる」
「見てねえ」
「怪しいー」
否定する以外の選択肢はないのに否定すれば否定するほどイジられる。もう諦めてしまえばいいのか。絶対に諦めないが。
「別にえっちな目で見てもいいけどおかずにはしないでね」
「だから見てねえって」
クスクスと笑った奏空は再びグラスに口をつけはじめた。それからはみんなが大学や就職先の話をして、適当な時間に解散した。
あれからしばらくして、動画配信サイトをのんびり漁っていた俺はとある一つのチャンネルを見つけた。開いてみると中性的な声が楽し気にトークをしている。なんだかつい最近こんな声を聞いた気がするな。ええと、動画のタイトルは。
【ソラジオ~#01~】
「嘘だろ」
結局交換した連絡先にリンクを送る。そして返ってきた言葉は。
『別人だよ』
「嘘つけぃっ」
だがしかし、彼女がそう言うならそういうことなんだろう。仕方ないから素知らぬふりをして三秒で考えたソラジオネームに当たり障りのないコメントを添えて送っておく。
「今度会った時には絶対に吐かせてやる」
彼女が素直に認める日が来るとは思えないけれど。俺はソラジオの音声を聞きながら奏空をカフェに誘うメッセージを送っておいた。
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第1章30話毎日更新です。