たいむ あうと
雨の中、私は、自転車をこぎ続けていました。雨はだんだん弱くなっているようで、雲ももうすぐどこかへ行ってしまうのではないか、という気すらしました。
私の腰には、ずっとカエルちゃんの腕が巻き付いています。旅を始めてから、今に至るまで、それなりに時間が経っていますが、カエルちゃんの私を抱きしめる力は、ほとんど弱まっていません。
本当に、この娘は、いったい何者なのでしょうか。
久しぶりに、過去のことを思い出してみようという気になりました。だいぶ前に、何重にも蓋をしたような記憶ですが、いつかは向き合おうと思っていたものでもあったのです。きっと、それは今なのでしょう。
私は、ごくごく普通の幸せな家庭に生まれ、当たり前のように親から愛されていた、どこにでもいる恵まれた子供でした。当時は、裕福な人はいても、貧乏な人はいませんでした。文明の発展によって、人間のやらなければいけないことは、ほとんどありませんでした。学問とは道楽で、仕事とは趣味でした。今から考えると、健康で文化的な最低限度の生活は、かなりの高水準で保障されていたのです。
だから、幸せかどうかは、心の持ちようでした。当時は今よりも神を信じる人が多くいました。理論と科学によって設計された世界だからこそ、人々は神に救いを求めたのです。当時はやっていた宗教は、ネイバーボブ教という宗教で…、いや、やめましょう。非常に難解な思想で知られる宗教だし、あまり重要なことでもありません。
私の話に戻ります。一人っ子の私は、親からの愛を独占し、お前は命よりも大事だと言わんばかりに接してくれるのを、当然の権利として受け取っていました。なんとも幸せなおチビさんだったのです。そして、その幸せは、当然に続くものだと思っていました。それは、私だけではないでしょう。当時人口が減りつつあった世界では、他人を愛する風潮がありました。世界は愛であふれていたし、どの愛も永久のものであると誰も疑いませんでした。
それを壊したのは、言うまでもなく、ドリーマーです。奴は、人の愛すらも食らう怪物だったのです。
初めてドリーマーが現れた時、私は七歳でした。その時、私は家でお留守番をしていました。
ああ、そうだ、家。私は暮らしていた家があったのでした。思い出すのは、何年ぶりでしょうか。それは、森の中ありました。母が、自然が好きな人だったのです。木々の下で、草の匂いやら吹き抜ける風やらに囲まれて、まるで子供のようにはしゃいだりする人でした。よく私の遊び相手になってくれたものです。父は、よく冗談交じりで、
「まったく、お母さんがわがままを言うから、こんな田舎に家を建てることになっちゃったのさ。自然なんて、ヴァーチャルで十分じゃないか」
なんて言っていました。実際、当時の技術では、実際の自然とほとんど変わらないところにトリップできました。でも、母は、決まってこう言います。
「いいえ、だめよ。だって、ヴァーチャルだったら、自然じゃないじゃない。自然じゃない自然なんて、どうかしてるわ」
というのです。もっとも、口では文句をいいながらも、父もまんざらでもないようだったことも覚えています。
もうずっと前のことなのに、あの日々のことは、鮮明に覚えています。子供用のピアノが置いてあった、自分の部屋のこと。入ってはいけなかった、書斎のこと。家に虫を入れて、怒られたこと。木に登ろうとして、落っこちたこと。間一髪で父が受け止めてくれたこと…
ああ、また話がそれてしまいました。初めてドリーマーが現れた時の話でしたね。
その時、両親は、私にお留守番をさせて、都会の方に行っていました。一日で帰ってくるけど、一人にするのはかわいそうだから誰かを呼ぼうか、なんて言っていたのですが、ませていた私は、一人で大丈夫だ!と言い張って聞きませんでした。
そうして、私は人生において最初で最後のお留守番を経験したのです。
最初は一人でいられることの解放感や特別さに酔っていたものの、すぐにそれは孤独へ、そして不安へと変貌いきました。
どんなに不安になっても、父や母は帰ってきませんでした。私は泣きました。いつも見ている森が、まるで私を食べようとする巨大な魔物のように思えました。風は、私をさらおうとする誘拐犯でした。なんであの時、一人で大丈夫なんて言ったのだろうか。どうして一緒に連れて行ってくれなかったのだろうか。いくつもの感情が私の中を駆け巡りました。いつまで待てば、どれほど待てば、両親にまた会えるのだろうかと、そんな事ばかり考えていました。
もちろん、父も母も帰ってきませんでした。
どれほど時間が経ったときでしょうか。インターホンが鳴りました。私は大喜びで、ドアを開けました。そこには、見知らぬ人たちが立っていました。いろんなことを言われましたが、内容はあまり覚えていません。
私の両親は、ドリーマーによる、最初の被害者となったのです。
私は、その時、泣きました。泣いて泣いて、やがて涙が枯れるまで泣きました。私の人生で、この時以降に泣いたことは、一回しかありません。
私は、自治体に引き取られました。研究所から私宛にお金が贈られたらしいです。自治体では、みんな優しくしてくれました。でも、私はずっと不愛想だったそうです。きっと、涙と一緒に、感情も流れ落ちて行ってしまったのでしょう。実際、そのころの記憶はあまりありません。覚えていることというと、高度に栄養管理された毎日の食事のことくらいです。
やがて、情報戦争が始まりました。そこの地域は危険というわけではなかったのですが、安全というわけでもありませんでした。もっと安全な場所へ、ということで、地域からどんどん人がいなくなっていきました。特に子供がいる家庭は、わが子を安全な場所で育てようと、積極的に移動をしました。
カプセルの仕組みが開発されたとき、地域の人は五分の一くらいだったそうです。
カプセルとは、即席地下都市のことです。一か月程度で、人々が暮らせるくらいの地下都市を作り出すという嘘のような技術が発明されたのです。地下は、ドリーマーの出現する可能性の薄い、安全な場所でした。
私は年を取った事務員の人に連れられて、カプセルに入りました。出入口は、物々しい扉でふさがっていました。
周囲は、新たな生活拠点となるカプセルに対しての期待や不安で沸き立っていました。私はそんな人たちに9歳の女の子に似合わないニヒルな視線を浴びせて、距離を置こうとしました。
そんな時、私の背後から声が聞こえました。
「こんにちは」
そうです。最初、彼女は私に一言だけ、「こんにちは」といったのでした。
無論、その彼女とは、カエルちゃんのことです。