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あめうらら  作者: あんかけらーめん
めろでぃ、あるいは崩れ行く日常
7/8

めいでん ぼやーじゅ

 私たちは、カフェの前に立っていました。


 何時間か前まで、私はここで働いていたのです。でも、それははるか昔のことのように思えました。人とのかかわりを避けていた私の、数少ない日常の一つ。きっと、もう縁のないのものなのでしょう。

 

 店長は、二階に住んでいます。裏に回って、階段を上ります。雨は相変わらず強くて、カエルちゃんは何度か滑りそうになっていました。


 扉の前に立ちました。インターホンを押します。チープな呼び出し音が流れて、はーい、という聞きなじみのある声が聞こえました。


 店長が出てきました。寝間着姿でした。


「なんでしょう…って、水森さん!?」


 彼女は、びしょ濡れの私たちを見て、驚いたようでした。


「えっと、まず体拭かなきゃ…とりあえずいったん上がって…」

「いいえ、大丈夫です」


 優しくされたら、未練が残ってしまいそうです。


「お別れを言いに来ただけなので」

「お別れ、って?」

「訳あって、ここにはいられなくなってしまいました。どこかに行くつもりです」


 店長は困惑してしまったようです。それもそうでしょう。いきなり訪ねられてきて、こんなことを言われたら、困って当然です。


 でも、雰囲気が伝わったのか、冗談とは思っていないようでした。真剣に話を聞こうとしてくれているようです。


「どこかって、どこ?」


 そんなの、決めていませんでした。


「どこかです。ここから遠く離れたところです」

「どうして?」


 しばらく沈黙が続きました。どう説明すればいいのかわからなかったし、説明する気もありませんでした。


「どうしてもです」

「そう…」


 店長は、こんな私の言葉でも、納得しようとしてくれているようでした。やっぱり、本当にやさしい人です。


 

 また沈黙が続いて、気づいたら、店長が私をじっと見つめていました。どうしたのでしょう。


「ちょっとだけ私の話をさせてもらってもいいかしら」


 店長の話?なんでしょうか。


「私ね、娘がいたの」


 まるで子供をなだめるような、優しい口調で、店長はしゃべりだしました。


「すごく手がかかる子だった。わがまま放題だし、すぐ泣くし。子育てはすごく大変なものだったわ。でも、」


 一旦、言葉を切って、私の方に微笑み、そして、言いました。


「すごくかわいかった。わがままも泣き虫も、全部含めて愛していたの。そりゃあ怒るときもあったけど、それ以上にたくさんのことを褒めてあげたわ。私にとって、彼女は何物にも代えられないものだったの」


 娘さんについて語る店長は、とても幸せそうに見えました。でも、店長の娘さんなんて見たことがありません。ということは…


「でも、彼女は私の前からいなくなってしまった。情報戦争の時、行方不明になっちゃったの。すごく悲しかった。いや、悲しかったなんてもんじゃないわ。なんども死ぬことを考えた。夫たちにはたくさん迷惑をかけたなあ…」


 懐かしい思い出のように語られる店長の過去は、想像するだけでも壮絶なものでした。大切な人を失った悲しみ。それは、果てしなくつらいものなのです。


「やがて、戦争が終わって、カフェを開いたの。なんでカフェを開いたのかは、忘れちゃった。とにかく、思い付きのようなものだったのよ。思い付きを夫に話したら、思いのほか賛成してくれて。貯金なんてあんまりないのに、頑張ってこんな立派な場所を買ってくれて…。それから、いろいろ勉強して、お客さんが来るようになって、常連さんもできたわ。いろいろ忙しくて、くよくよしている暇なんてなくなっちゃって。いつの間にか元気になっちゃった。これも、みんなのおかげね。私の人生は、本当に人に恵まれているのよ。本当、運がよかったんだわ」


 運がいいなんて。娘さんをなくしたことは、きっと今でもつらいでしょうに。


 私のそんな心を察したのでしょうか。店長は私の頭をなでてくれました。


「娘が成長していたら、いまごろあなたぐらいになっていたと思うの。なんだか、私はあなたに娘のように接していたような気がする。別に、あなたがあの子の代わりっていうわけじゃないわ。あの子の代わりなんていないもの。でも、うまく言えないけど、そんな感じがするのよ。あなたも手がかかる子だったものね。まったく、今までに何枚お店の皿を割ったのかしら」

「…勘弁してください」

「ふふ、いいのよ」


 そういって、彼女は私を抱きしめてくれました。雨でびしょびしょの私を抱いたら店長も濡れてしまうはずですが、そんなこと気にしていないように、強く抱きしめてくれました。


 いつまでそうしていたでしょうか。店長はそっと私から手を離すと、ちょっと待っててね、と言って、奥へ行ってしまいました。

 

 戻ってきたようです。何やら、防水の手提げのカバンを持ってきたようでした。何が入っているのか、カバンはパンパンでした。


「はい」


 手渡されました。


「えっと、これは…」

「今までのお給料と、あと、何かあった時に焼く立つものいろいろ」

「あっ、いや、そんな」


 遠慮しようとする私を、店長は遮りました。 


「いいのよ、とっておいて」


 中には、本当にいろいろなものが入っていました。


「あと、これ」


 何かのカギのようなものを手渡されました。


「これって?」

「自転者のカギ。前に宅配サービスをやろうと思ったときに買ったけど、結局需要がなくって。もう乗らないと思うし、よかったら使ってもいいわよ」

「…何から何まで、ありがとうございます」


 深くお辞儀をしました。本当にこの人は、優しい人です。


 名残惜しいですが、もう行こうと思います。これ以上店長と話していたら、本格的に決意が鈍ってしまいそうです。


「もう、行っちゃうの?」

「はい」

「そう…。もし余裕ができたら、絶対にカフェにご飯を食べに来てね。安くするわ」


 おなかはすいていないけど、店長のパスタが、食べたくなりました。


「じゃあ、さよならです」

「あっ、ちょっと待って」


 引き止められました。なんでしょう。


「最後になんだけど、その娘誰?」


 どうやら、カエルちゃんのことを言っているようです。それもそうでしょう。


「この娘は、カエルちゃんです」


「カエルちゃん?」


 なんだか、よくわからないような顔をされました。


「うーん。…まあ、いいわ。その娘、大切な人なの?」


 大切な人。私とカエルちゃんは、とても複雑な関係でしょう。でも、大切か否かという問いには、胸を張ってこたえられます。


「はい。とても大切な人です」

「そっか」


 店長は、カエルちゃんの顔を見ました。すると、どうもその顔に何か思うところがあるようで、じっと見つめていました。カエルちゃんは、困ったようにうつむいてしまいました。


「そんなわけないか…」

「?どうしました?」

「あっ、いや、なんでもないわ」


 店長は、カエルちゃんの顔に覚えでもあったのでしょうか。そんなことは無いはずですが。


「じゃあ、今度こそ、さよならです」

「そうね。困ったらいつでも帰ってきてね。また、バイトとして雇ってあげるわ。バイトの席は開けとくわね」

「…さっさと新しい人を雇ってください」



 自転車は店の裏に置いてありました。黒い、シンプルなデザインのものです。多少錆びていたけど、まだまだ使えそうでした。かごに、防水バッグを入れます。


 ドリーマーは、春日さんたちを飲み込んで、そのまま、カフェとは逆の方へ行ってしまいました。きっと、どこかでは今頃大惨事になっているのかもしれません。

 

 きっと、ドリーマーとカエルちゃんは何か深い関係があるのでしょう。カエルちゃんは、周囲の人を不幸にしてしまう存在なのかもしれません。でも、私はカエルちゃんを放っておきたくありませんでした。

 

 だから、どこかへ行くことにしました。どこか、なるべく人のいないところへ。


 そして、今までお世話になった店長に、最後の挨拶をすることにしたのです。


 店長と話して、たくさんの未練が生まれてしまいました。今まで人を避けていたつもりだったけど、私をこんなにも大切に思ってくれていた人がいたのです。

 

 でも。春日さんには春日さんの人生があったように、店長には店長の人生がありました。他人には、他人なりの人生があるです。私の知らないところにも、数えきれないほどたくさんの人生があるのでしょう。それはすごく当たり前のことです。そして、その当たり前のことのために、私はどこかに行かなければいけないのです。


 店長は、いつもは私に敬語だったけど、今日はフランクに話してくれていました。そんなことを考えながら、サドルにまたがります。カエルちゃんが、後ろから腰に手をまわしてきました。二人乗りなんて、人生初かもしれません、うまくできるでしょうか。

 

 ペダルに力を込めました。自転車が、ゆっくりと進みだします。打ち付けてくる雨に逆らうように、だんだんとスピードを上げます。もう体中がびしょびしょだから、雨なんてどうでもないのだけれど。


 道路に、人も車もありませんでした。こんな雨の夜中に外に出るような酔狂な輩はそうそういないのでしょう。


 そうして、私たちは、どこかへの旅を始めました。

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