あんだーぐらうんど
ドリーマーが再び現れたことは、瞬く間に世界に知られることとなりました。
奴らの殲滅が確認されてから約五年。人類は文明を代償にすることで、安心を手に入れたはずでした。ドリーマーの脅威なんてもうこりごりだったのです。
だから、世界は混乱しました。
終末思想のもとに、暴徒と化す人がいました。奴に食われるぐらいならと、この世界から逃げてしまう
人がいました。政府は分裂しました。何かを決めようにも、多数決ができるほど意見はまとまっていなかったのでしょう。外出しようとするものは少なくなりました。外は危険でした。
私たちはその時間を、このアパートで過ごしました。こんなこともあろうかと、店長はかなりの量の生活に必要なものを持たせてくれていました。だから、二人でどうにか食いつなぐことができました。
世界が変わっても、カエルちゃんは変わりませんでした。ずっとあの時の姿のままでした。
ただ、私と彼女の仲は深まったようでした。彼女は相変わらず意味のある言葉は発せないけど、彼女が何を求めているのかが大体わかるようになりました。得体のしれない彼女に対して、気味悪さを感じることはほとんどありませんでした。
やがて、ドリーマーの再出現から、一週間が経ちました。世界はだんだんと落ち着きを取り戻してきました。みんなおそるおそると活動を再開しました。なぜドリーマーが再出現したのかはわからないままのようだったけど、止まっているわけにもいかないようでした。
カフェも再開することになりました。店長いわく、不安な世の中だからこそ、憩いの場を求めている人も多いのだそうです。
久しぶりの出勤です。身支度をして、外へ出ます。ふと気づくと、カエルちゃんがこちらを懇願するような目で見てきました。しばらく、このアパートで、一日中一緒の生活をしていたのです。私がどこかへ行ってしまうのが不安なのでしょう。
彼女をそっと抱きしめて、すぐ帰ってくるからね、待っていてね、と言ってあげました。彼女は満足したようでした。
カフェに行くまでの道は、やはり汚い感じがしました。酒瓶やらタバコやらがたくさん落ちていて、本当にこの世界は変わってしまったんだなあ、と実感してしましました。
カフェにつくと店長が店の前を掃除しているのが見えました。店長はこのカフェの二階に住んでいるのです。このあたりは、自衛隊たちが常駐しているため、治安は悪くないようでした。そうでなければ、カフェなんてとっくに荒らされてしまっていたことでしょう。ここに住む店長も、無事ではいられなかったかもしれません。これが、不幸中の幸いというやつなのでしょうか。
カフェには、思っていたよりたくさんのお客さんがきてくれました。カフェが再開したと聞いて、常連さんたちが駆けつけてくれたのです。店長の読みは当たっていたようでした。
やがて、私のアルバイトの時間が終わりました。お疲れさまでした、と言って店を出ました。店長は、また明日ね、と言ってくれました。しばらく休んでいたからでしょうか、そんな挨拶すらも、少し懐かしく感じられました。
まっすぐ家に帰ろうと思いましたが、ふと気が向いて、目の前の事件現場を覗いてみました。研究者と思われる人や軍人らしき人たちがたくさんいました。そして、中心に周囲に指示を出しているリーダーらしき人がいました。よくみると、それはだいぶ前に私とぶつかった、眼鏡でぼさぼさの髪のあの人でした。だいぶ偉い人みたいでした。
家へ帰ると、カエルちゃんがお菓子を出していました。勝手に食べていたのでしょう。私が帰ってくるのに気付いて慌てて隠そうとしたようですが、狭いアパートに隠せる場所なんてなかったみたいです。
別に勝手に食べても怒りはしないけど、隠そうとしたのはよくないことです。罰として、五分間くらいくすぐってあげました。
その後、二人でご飯を食べました。今日は店長の真似をして、パスタに挑戦します。レシピを聞いてきたのです。
レシピに忠実に作ったのに、なんだか物足りない味のものができてしまいました。残全に思ったけど、カエルちゃんはとてもおいしそうに食べてくれました。
お皿を洗って、歯磨きをして、もう今日にやり残したことは無くなりました。寝ようと思いました。カエルちゃんと布団の準備をします。
と、その時、インターホンが鳴りました。
なんとなくだけど、いやな予感がしました。上にパーカーをかぶって、一応だけど、カエルちゃんを布団にもぐらせて、ドアを開けました。
そこには、あの、眼鏡でぼさぼさの男の人が立っていました。
「夜分遅くにすいません。私は茜山研究所の研究員の、春日といいます」
彼はそういいました。嫌味な感じはなく、本当に申し訳なく思っているんじゃないか、と思えました。
「突然で申し訳ないのですが、最近このあたりで、変わったことはありませんでしたか」
なぜだか、心臓の鼓動が速くなった気がしました。
「変わったこと、というと?」
あくまで平然と、言いました。
「そうですね、例えば―――」
男は少し考えて、
「さっきまでなかったものが出てくるとか、ないはずのものがあるとか、あと…いないはずのひとがいるとか」
カエルちゃんのことだ、と思いました。この男は、カエルちゃんのことを言っているのです。
私はとっさに、
「いいえ、知りません」
と言いました。
「そうですか…」
男はそれ以上追及することはせず、去っていきました。
さっきの男はなんだったのでしょう。布団の中で、考えました。
彼は、カエルちゃんを探しているのでしょうか。いったいなぜ。彼はおそらくドリーマーと関係のある人なはずです。カエルちゃんはドリーマーと関係があるのでしょうか。
そして。
私も私だ、と思いました。なぜあの時、嘘をついたのでしょうか。カエルちゃんはここにいるはずのない存在です。ドリーマーと関係があるかもしれないのです。
布団の中で、カエルちゃんが私に抱き着いてきました。
私は、この娘のために、たくさんの人々を見殺しにする気なのでしょうか。私は気が狂っているのでしょうか。
少なくとも、すでにだいぶ崩れている私の日常は、もうすぐ完全に崩れてしまうのではないでしょうか。もうすぐは、本当にすぐなのかもしれません。
そんなことを考えながら、私は眠りに落ちるのでした。