8月30日
「突然DMしてしまって申し訳ございません。どうしても糸島さんのご協力を仰ぎたくて……」
「構いませんよ。小藪町に関わる事柄でしたら、お話を伺うだけでも一儲けですから」
「わざわざZOOMまで開いて面会のお時間を取ってくださり、本当にありがとうございます」
糸島先鋭のSNSアカウントにDMが届いたのは、8月29日の未明の事だった。送信者の女性の事を糸島は微塵も知らなかった。しかし、メッセージの内容に非常に興味をそそられた彼は、オンラインなら今日にでも面会できると返信していた。
「こちらこそ、僕なんかをSNSの海から見つけ出してもらえて感謝ですよ」
「わたしも、どんな情報でも知りたい一心なので、藁にも縋る思いで……」
「僕の方でも簡単な情報なら手元にありますから、教えられることは隠さずにお話ししますよ」
糸島先鋭は、森岡県上米良郡小藪町出身のルポライターである。彼は地元の地方誌の刊行にも携わっており、地域活性化の為に、地元の様々なネタを搔き集めている。その情報源として、SNSも欠かしてはいない。
そんな彼に、突如として奇妙な依頼が舞い込んできた。それこそ、地元の謎に関係するものであった。地方誌のネタになるだろうと、彼は心惹かれたことだろう。
「彼氏さんが行方不明となっちゃあ、そりゃあ気掛かりで仕方ないですよね」
「はい……。ずっと眠れていなくて、なにも手につかないんです……」
送信者の女性の名前は福手小詠。大学で物理学を専攻し、卒業後は高校で教鞭を振るっている教師である。
彼女の恋人、七五三和悦が行方不明になったのは、8月26日の事であった。その翌日になっても連絡が取れず、彼女は警察に捜索を依頼。七五三の行き先は事前に彼女に知らされており、発見は時間の問題かと思われていた。しかし、事態は思わぬ方向に方向を変えていったのであった。
「地元でも奇妙な現象だって連日噂になってます。警察の手に負えないとなるとハードル高いですけど、この謎の真相に迫れるのは中々興味深いです。何か分かりましたら連絡しますので。こちらで調査を進めてみます」
「ありがとうございます! どうかよろしくお願いします!」
福手小詠は、彼氏の七五三和悦の発見に一歩近づけたと、そして糸島先鋭は、この謎を紐解けば大きな記事になると、それぞれがそれぞれの期待を抱いていたのであった。
糸島先鋭は、最初に七五三和悦さんが向かったとされる周辺地域の情報収集を始めることにした。歴史や地理のあらゆる観点からその地域を俯瞰してみると、地域雑誌専門のルポライターにも知らなかった古い情報や伝承が見つかった。その調査ポイントというのが、旧子奈之隧道である。
旧子奈之隧道は、県道689号線に建設されている、標高2,943mの子奈之山を貫くトンネルである。入口は森岡県上米良郡小藪町字女鹿迫、出口は森岡県上米良郡法師人村の二町村に跨ており、長さは4,219mと比較的長く、開通年は1957(昭和32)年と比較的古い。道路幅は3.1m。普通車輛は優に通れるが、すれ違うには幅員が狭い。隧道の中間地点には待避所があるらしいが、出合頭の場所によっては、かなりめんどくさいことになるだろう。なお、隧道内に照明は設置されていない。
1957年の開通から30年後の1987年、旧子奈之隧道の改修工事が完了。その際、元々「子無死」であった表記を「子奈之」に改定したらしい。1999年には県道689号線にバイパスが建設され、新子奈之隧道が開通した。旧道の子奈之隧道の頭に旧を付けて呼ばれるようになったのは、この頃からであった。以降、旧隧道の通行者は滅多に無くなっている。その後、出口側で崖崩れが発生し、旧道が寸断されてしまった。その工事は着工されず、県道689号線の旧道は通行止めの廃道と化してしまった。そして、現在のトンネルの在り様に至っているのである。
何かのヒントになるかもしれないと、先鋭は子奈之の地名由来に関する伝承も再調査した。
子奈之山は比較的標高の高い山であり、その周辺地域の村落も標高の高い所に位置している。女鹿迫から法師人村に抜ける旧道が通っている地域は、特に山の傾斜が険しく、崖が崩落する事例は後を絶たなかった。室町期に発生した崖崩れでは幾人かの死傷者を出したが、妻子を持つ者と子供の多くは生存し、亡くなったものは独り者ばかりだったと言われている。このことから、「子無くば死なしむる山」「子は死すること無き山」として「子無死」と呼ばれるようになったという。崖崩れの多い危険な地域でありながら、長年集落が維持されてきたのは、人々が子孫の繁栄に努めてきた結果であるとされた。「子無死」表記が「子奈之」に改められたのは昭和後期のこと。忌み字を忌避してのことらしい。
これらの情報を再確認した先鋭は、今回の調査により興味を抱くようになった。しかし、ここは慎重に事に取り掛からなければならない。なにせ七五三和悦さんはこのトンネルに向かい、行方不明になったと言われている。その捜索に向かった警察の安否も判っていないとなれば、自分が安易に踏み込んでも、ミイラ取りがミイラになってしまうだけだ。まだまだ情報を搔き集めなければならない。
一番有力になるのは、警察の捜索状況を聞き出すことだ。一介のルポライターに警察が情報を流してくれるかは分からないが、捜査協力となれば話は変わってくるだろうか。
先鋭は明日、警察に乗り込むことを決意した。
大学生三人がこのトンネルに迷い込んでから4日が経過した。食料は疾うに底を突き、空腹と脱水症状との闘いになっている。昨日の一件で軽自動車を失い、宿る場所すら失った大学生達は、トンネル出口の壁に凭れ掛かり、意気消沈していた。
「贏也のこと、いつ好きになったんだ?」
ぼそりと口を開いたのはツルだった。
「一か月前かな。ツル抜きで出掛けたりもしていたよ」
傍らの眞姶が答える。二人の言葉と座る位置には、微妙な距離が感じられる。
「眞姶がそれでいいんならいいけど」
「あんたが悪いんでしょ。あんたが素っ気なくなったから、あたしに興味なくなったんだと思ったの」
「まあ、眞姶がそれでいいんならいいけど」
「なにそれ? あたしのこと嫌いになったんならそう言えばよかったじゃん」
「そうじゃないけどさ」
「けどなに?」
「初めての彼女だったから、接し方が分からなくなったんだよ」
二人はトンネル出口で、目を合わせないで語り合う。
「そんなこと言っても、贏也に傾いた気持ちはもう戻らないんだからね」
「うん。そうだね……」
眞姶は起き上がった。
「ほらほらそういうとこじゃん! どうせあたしに飽きたんでしょ! あんたってほんとつまんないのよ!」
眞姶の少し張り上げた声がトンネル内で反響する。
「あんたら、痴話喧嘩はいい加減にしてくれないか。こっちまで気が滅入るんだよ」
トンネル出口には、行き場を失くしたとある一家も身を置いていた。一家はレジャーシートの代わりに車用のサンシェードを地べたに敷き、そこに腰を下ろしていた。反響する眞姶の声に慄いて、幼い少年が父親にしがみつき、父親が彼等に文句を言った。その隣の母親は、終始眠っている。しかし、そこに贏也の姿は無かった。
「僕が悪かったのかな」
ツルの涙声は、誰にも聞こえていなかった。