09.第二章三話
シャーロットは一瞬驚愕したものの、平静を装ったまま視線だけをエセルバートに向けた。すると彼もまた呼応するようにこちらを見て、「驚いたか?」という声が聞こえてきそうなほどニヤリと口角を上げる。してやったり感が伝わってくる。シャーロットが表には出さなくともびっくりしていることは見通されているのだろう。
(魔術……?)
他の可能性は考えられない。
リモア王国では魔術具が少数流通しているものの、それ以外ではほとんど縁のない魔術。皇弟、つまりエセルバートが魔術の天才だという話は何度も耳にしたことがあるけれど、実際に人が魔術を扱っているのを見る――いや体験するのは初めてだった。それもテレパシーとは。
王城では通信具などの魔術具を試験的に導入しており、今後も利便性向上と他国の文化への理解を深めるためとして魔術具の利用を増やす予定だ。だから魔術に関して調べることは仕事の一環であり、シャーロット自身、魔術に興味があるので個人的にも勉強している。魔術師の血筋ではないのでもちろん魔術が使えるわけではなく、ただ知的好奇心を満たすための数少ない趣味のようなものだ。よって多少の知識は持ち合わせている。
他者の脳や精神に干渉する部類の魔術は、相当難易度の高いものだと記憶している。術者はそう多くないらしい。
そんな貴重な術の使用者であることを、こうも簡単に漏らしてしまっていいのだろうか。シャーロットは他国の、それも関係性が未だ良好にあるとは言えない国の次期王なのに。
「あの……?」
二人が視線だけで互いに見つめ合い、何も言葉を交わさない状況が続き、ジュリエットが不思議そうに口を開いた。
「……ああ」
シャーロット以外の存在をそれまで忘れていたかのようなわざとらしい反応を見せたエセルバートは、相変わらず愉快そうに目を細める。
愉快であり、不快。新しく面白いおもちゃを見つけたかのようで、けれども壊れて飽きたおもちゃを押しつけられてうんざりしているような。そんな矛盾した感情が彼の中で渦巻いているように見える。
「私はシャーロット王太女と仕事の話をしていたので、そろそろお暇してもらえるか?」
蝶よ花よと大事に育てられ守られてきたジュリエットは、このように邪険に扱われることに慣れていない。どこかに行ってほしいと言われるなんて滅多にない経験で、理解が瞬時に追いつかなかったようだ。
不自然に固まり、数秒してから動揺を隠せない様子ながらもようやく動いた。
「あ……お邪魔してしまったのですね。申し訳ありません」
「貴女も参加してもらって構わないがな。子供への教育の義務化までにどのような段階を経るか、費用の問題はどうするか……政策についての意見交換なんだが、貴女は何か意見はあるか?」
そう尋ねたエセルバートは一見好意的な笑みを浮かべているけれど、その目は確実に相手を見下している。どうせ無理だろうと言わんばかりで、目での語りに鈍感なジュリエットが気づかないことを理解している。
品定めはとっくに完了したようだ。短時間ながらもきっと正確に、客観的に、ジュリエットという人間を評価できたのだろう。
「わたしではお役に立てそうにありません……。ごめんなさい」
またしてもしゅんとして謝罪するジュリエットに、エセルバートは「そうか」と素っ気なく言い放つ。
「じゃあ、これ以上時間を無駄にさせないでくれ。私は暇じゃないからな」
「え……」
想像の範疇にない冷たい対応をされたせいか、ジュリエットはまたもや停止してしまった。情けない姿だ。
(「気にするな」とか、何かしら慰めの言葉をかけられると思ってたんでしょうね)
いつもそうだから、エセルバートも同様に優しく慰めてくれると無意識で決めつけていたのだろう。待っていた当たり前がなくて戸惑っている。
クェンティンが隣で怒りを隠さずに眉間に皺を刻むけれど、相手は帝国の皇弟だ。リモア王国宰相の息子であるクェンティンであっても、言動には慎重に慎重を重ねなければならない存在である。ジュリエットが軽んじられたことに怒りが収まらなくとも、そのままぶつければ命すら危うくなる可能性も否定できない。迂闊な選択で機嫌を損ねればリモア王国全体に、そしてジュリエットにまで飛び火する恐れがある。
そこまで回る頭があるのに、クェンティンの思考はジュリエットという毒に侵されてしまっている。
「クェンティン」
シャーロットが名前を呼ぶと、クェンティンはハッとした。
鋭く細められている眼差しから咎められているのだと気づき、そこで感情が顔に出てしまっていたのだと自覚した。冷や汗が背中を伝う。
「クェンティン・サージェントだったか」
エセルバートと目が合うと、睨まれたわけでもないのに、クェンティンは戦慄した。全身の毛穴が開いたような感覚で、脳が思考を放棄しそうになる。「はい」と声を絞り出した。
クェンティンもエセルバートとは面識があるけれど、これほどまでに緊張、そして恐怖に近いような感覚を与えられたことはない。
それはひとえに、エセルバートがクェンティンに興味を持っていなかったから。邪魔とも思っていなかったからであり、今この瞬間は不要だと示しているのだ。その意思が敵意のごとく、クェンティンを突き刺している。
「さっさと連れて行け。付き添っているんだろう」
後から入ってきた二人が一刻も早くいなくなることを、エセルバートは望んでいる。理解したクェンティンの行動は早かった。これ以上の無礼は晒せない。
「行きましょう、ジュリエット殿下」
「……あ、でも」
「失礼いたします、皇弟殿下、王太女殿下」
一礼したクェンティンが強制的にジュリエットを連れて行く。こちらを見て気にしていたジュリエットは、シャーロットが引き止めなかったため途中で諦めたのか大人しくなって従っていた。
二人になり、エセルバートはテーブルに頬杖をつく。長い足も組み、リラックスしているようだ。呆れを含んだような視線だけはジュリエットとクェンティンがいなくなった方へと向けられている。
「あの第二王女を他国の皇族と会わせなかったのは、王族としての教育がなっていないからか」
「……申し訳ございません。病弱で皆が甘くなってしまうのです」
「君が謝ることではないだろう」
ジュリエットの失態は、周囲の人間がフォローするのが常だった。常態となってしまっていた。それを彼は、すぐに否定した。
「しかし……病弱で、ねぇ」
顎を撫でながらどこか楽しげに目を細め、エセルバートはジュリエット達が去っていった方へと視線を向け、意味深に声を零す。
「殿下?」
「ああ、なんでもない」
気になるけれど、先程の言葉の真意は教えてくれないようだ。
「さあ、シャーロット王太女。邪魔者はいなくなった。話の続きをしよう」
邪魔者、と。ジュリエットをそう称した者を、シャーロットはこの国で誰一人として知らない。なのに簡単に言ってのけるエセルバートを、やはりこの国の思考に染まっていない他国の人間なのだと実感するのと同時に、仲間意識のようなものが芽生えた。ずっとなかった居場所が与えられたような、不思議な感覚があった。
ジュリエットと接すると、最初は悪意を抱いていた者も絆されていく。シャーロットには理解できない魅力がジュリエットにはある。
彼も皆のようにそうなってしまうのだろうかと、惑わされてしまうのだろうかと、少し不安があった。ジュリエットと話しているうちに、甘やかされただけの彼女らしさを受け入れるのではないかと。けれどそれはまったくの杞憂で、彼がジュリエットに好意を抱く気配はない。むしろ軽蔑に拍車がかかっていく様が窺えた。
この国では奇特な人だ。シャーロットと同じ感覚を持つ人。
「はい」
こんなに穏やかな気持ちになるのは一体いつぶりか、前回はもう思い出せないほど幼い頃のことだ。
◇◇◇