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フェリシティ



 正式に王太女となって過剰なスケジュールをこなしていたシャーロットは、夜中の自室で机に向かっていた。

 家庭教師の授業の進みが早く、理解が十分でないところを復習するために必要な時間が増えてきている。しかし理解度がスケジュールに考慮されることはなく、一度学んだことが完璧に身についていないとなると厳しく咎められるだけで、また余分なノルマが課されてしまうため、復習時間を捻出するには睡眠を削るしかなかった。


 毎日睡眠不足や目眩いと闘い、ひたすらペンを走らせる。そんな生活による数多の苦痛が、幼いシャーロットにはとてもつらかった。

 小さな体に大きすぎる期待を背負わされ、逃げ出すことも甘えることも一切許されず、とにかく頑張るしかない。妹が父親と遊んでいても、シャーロットはずっと勉強、勉強、勉強だ。

 ペンを壁に投げつけたい衝動が何度込み上げてきたことか。勉強用のノートを破り捨てたい衝動と何度闘ったことか。『おねえさまとあそびたい』とわがままを言ってシャーロットのスケジュールを狂わせてきた妹に怒鳴りたい気持ちを、何度抑え込んできたことか。少し休みたいと言っただけで『甘えるな』と一蹴した父親への憤りを、何度我慢してきたことか。


 手を止めて、ぶつける先のない感情を持て余し、ペンを持つ手の握る力がぐっと強くなる。


(――王太女になんて、なりたくなかった)


 目頭が熱くなって、しかし堪える。

 泣いたって現実が変わるわけではない。誰かが慰めてくれるわけでもない。怒られるだけだ。


 ノートを見つめて、またペンを走らせる。

 すると少しして――ポタリと、紙に落ちた。赤い、液体が。


(……あ)


 涙ではない。鼻血だ。

 驚くことなく、シャーロットはハンカチで鼻の穴を押さえる。

 無理をしすぎているのだろう。週に何度か鼻血が出てしまうことは正常ではないはずだけれど、もう慣れてしまっていた。


『自己管理もできないとは情けない』


 そう言われてしまうだけだと知っているから、耐えるしかないのだ。



  ◇◇◇



「フェルは魔力の保有量が規格外すぎるため、定期的に魔力を外に放出しなければ、自然と外に漏れ出る魔力を体内で生成される魔力の量が上回り、魔力飽和状態を超え、行き場を失った体内の魔力が暴れ出し、魔力暴走や魔力熱を引き起こすことになる。今までそれが起こらなかったのは、あの過酷で非人道的な過密スケジュールを消化するうえで無意識に魔力を消費して体を強化し、疲労を癒していたからだ。それがなければ過労死していてもおかしくない環境だった。それどころか魔力を消費しすぎて魔力欠乏症になっていてもおかしくはなかった」

「はい」

「しかし今はあのような非情的なスケジュールを組ませるつもりも必要もないし、これまで苦労した分、フェルには十分な休息が必要だ。そうなると体内の魔力は増え続けるばかりとなるが、フェルは魔力操作の訓練など受けていないから、意図的に魔力を操作し外に放出することはできない。誰かが代わりにフェルの魔力を外に逃がしたり受け入れる必要がある。そのためには彼女に触れなければいけない」

「はい」

「つまりこれは治療行為だ」

「いや、イチャイチャしたいだけでしょう」


 足を組んでソファーに座っているエセルバートが隣のフェリシティの肩を抱いてキリッとした顔つきで断言すると、ブランドンは半眼になって鋭く否定した。

 ブランドンの前だというのに、エセルバートはフェリシティにひっついている。休暇中のエセルバートに代わり、仕事で公爵領と皇都を行ったり来たりと忙しない日々を送っているブランドンには、さぞ腹立たしい光景だろう。

 従者の心情を把握していながら見せつけているエセルバートはやはりなかなかの性格をしていると、フェリシティは改めて感じた。


 それにしても、相変わらずエセルバートとブランドンは立場を超えたいい関係性が構築されていると実感させられる。皇弟殿下と従者の距離感がこれほどまでに近いとは。


(長く一緒にいると、案外こんな関係性になるのが普通なのかしら)


 シャーロットには経験がなかったのでわからないけれど、王族という特殊な立場であっても信頼できる人が一人もいなかったというのは、どう考えても異常なのだろう。


「恋人との時間を大切にしたい気持ちはわかりますが、魔力操作は早々に身につけておくべきでしょう。そのほうが若奥様のためです」

「わ……」


 若奥様、という呼ばれ方にフェリシティは目を丸める。


「……その呼び方はやめてちょうだい。まだエセル様の妻ではないもの」


 照れくさくなりながらお願いするけれど、エセルバートが「別にいいだろう」と嬉しそうにしている。


「どうせあの呼ばれ方になるんだからな」

「それはそうですが」

「慣れておけ。恥ずかしがる姿も可愛いから、別に慣れなくとも構わないがな」

「……意地が悪いですわ」

「君の照れる基準はよくわからないから貴重なんだ、許せ」


 エセルバートは反対する気がまったくないようだ。フェリシティがむすっとすると、ブランドンからため息が漏れる。


「俺の存在忘れてませんか」

「いいや、まったく」


 むしろ空気を読んでどっか行け、とでも言いたげな眼差しをエセルバートはブランドンに向けている。それを無視して、ブランドンの視線はこちらに焦点を合わせていた。


「で、魔力操作について、若奥様はどう思われますか?」


 呼び方を変えるつもりはないらしいブランドンに問われて、フェリシティは諦めて「そうね……」と考える。


「迷惑をかけているならもちろん一刻も早く習得したいけれど、迷惑だなんて欠片も思ってないわよ、この方は」


 味方になってくれることを期待していたのだろう。ブランドンはたじろいだ。


「ですが、いつでも殿下がおそばにいられるわけではありませんし……」

「エセル様のことだから、エセル様がどうしてもそばにいられない間の対策は立てているでしょう? わたくしの健康に関することだもの、その点を怠るわけがないわ」


 それを聞いたエセルバートは「よくわかっているな、さすがだ」と、フェリシティの頭に顔を寄せる。

 そんな存外甘えたがりなエセルバートからは、いくつも魔術具をもらっている。それで対策はばっちりなのだろう。


「満足いくまで好きにさせればいいのではないかしら」

「いえ、その男はいつまで経っても絶対に満足しないと思います」


 その男呼ばわりされているけれど、ご機嫌なエセルバートは寛容なようで、特に注意は飛び出さなかった。


「わたくしが訓練をしたいと言ったら受け入れてくれるわ。わがままだけれど、今はもう少し甘えていたいの」


 ブランドンだって、フェリシティの以前の生活環境を知っているのだから、休養は必要だと感じてくれている。だから強くは言えないだろう。案の定、難しい顔で黙っている。

 フェリシティは笑みを零し、未だに擦り寄ってきているエセルバートから少し顔を離してエセルバートと目を合わせた。


「ところで、私の魔力を受け取って、エセル様はなんともないのですか? エセル様も魔力がかなり多いとお聞きしていますが……」

「私は休暇中とは言え、趣味でもある魔術の研究や魔術具開発の仕事はいくつか継続しているからな。魔力消費には困らない。むしろ魔力がいくらあってもいいくらいだ」

「では、研究に協力できているということですね。よかったです」

「ああ。だから遠慮なくたくさん触れてくれて構わない。私が触れるのも受け入れてくれると嬉しい」


 エセルバートの手が腰に下がり、更に密着する。熱を持った青紫の目を見つめていると。


「わかりました、邪魔者は消えます」


 この空気に耐えられなくなったのか、ブランドンが呆れた様子で退室していった。


「やっと行ったか」


 背もたれに体を預けたエセルバートは、フェリシティの髪をすくって手触りを楽しみ始める。ブランドンを追い出すために、わざと甘い空気を漂わせたのだろう。


「フェル、明日は馬で遠乗りしないか?」

「いいですわね」

「そのうち乗馬の訓練もしよう」


 フェリシティは目を瞬かせる。


「……よろしいのですか?」

「ああ。興味があるんだろう?」

「はい。ありがとうございます」


 嬉しくて顔が綻んだ。フェリシティを見つめるエセルバートもとても優しい表情をしている。


「剣も習うか?」

「護身程度には身につけたいです」

「わかった」


 そう言って、エセルバートは髪から手を離し、今度はフェリシティの手を取った。手のひらや指を撫でられてくすぐったい。


「あまり無理はするなよ」


 その言葉に、なるほどと納得した。

 剣術を習えばマメができたりするはずだ。それが心配なのだろう。けれど、だめだとは言わず、むしろエセルバートの方からやりたいことはないかと色んなことを提案してくれる。フェリシティの意思を尊重してくれる。


「はい」


 彼の想いが嬉しくて、自然と表情も明るくなる。

 一度、取り上げられたもの。シャーロットだった頃は諦めざるを得なかったもの。馬術や剣術もそうだけれど、愛情や家族、このゆったりとした生活。

 彼も、公爵家の人たちも、当たり前のように与えてくれる。


 昔は頻繁に、突然鼻血が出ることもあった。倒れることもあった。それは一人でいる時が多かったとエセルバートに話したら、無意識の魔力操作によって疲労を回復させていたのが、人目がない場所では気が緩んでいたのだろう、という見解だった。成長につれて魔力が増え魔力操作も上達し、更に体が丈夫になってしまって倒れることもなくなったのではないかとのことだ。

 つくづく、リモア王国での生活は過酷すぎるものだったのだなと思う。


 アディレノン公爵家の者たちは、フェリシティの前でリモア王国の話題を一切出さない。きっと今、世界中に話が広まりつつあり、この帝国にも流れてきているはずなのに、使用人や騎士たちにも徹底させているのだろう。

 リモア王国は隣国だ。社交界に出れば嫌でもあれこれ耳にすることになる。

 だからそれまでは、この穏やかな休暇を楽しみたい。



わざわざメッセージをくださった方々、ありがとうございます。個別に返信はできませんが確認しております。

番外編はのんびり更新になるので、気長にお待ちください。

※リモア王国についてはどこまで書くか今のところ未定ですが、一応フレドリック視点は書く予定です。

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