60.エピローグ
ドレッサーの前に座り、初めてもらった青い石のブレスレットを撫でていると、ノックの音がして顔を上げる。開かれた扉からエセルバートが現れた。これからデートなので様子を見にきたのだろう。
「フェル。準備できたか?」
「はい、エセル様」
笑顔で答えて、フェリシティは立ち上がる。
エセルバートが悩みに悩み抜いて決めてくれたフェリシティという新しい名前にも、そして愛称にも、少しずつ慣れてきている。
ファレルデイン帝国に来た翌日。皇帝夫妻への挨拶が済んだまさにその瞬間、なんと皇帝夫妻の目の前でエセルバートが魔術を使い、二人は公爵領の領主邸に転移した。あれよあれよという間にアディレノン公爵夫妻と顔合わせを行い養子となったフェリシティは、のんびりとした生活を送っている。
魔術大国のアディレノン公爵家唯一の娘となり、皇弟の婚約者にもなるのだ。色々と学ぶことがありそうだと緊張していたのだけれど、暫くは休暇ということでゆっくり過ごし、公爵家、そして帝国に慣れていこうとなった。
エセルバートも現在、皇弟として異例のかなり長い休暇を取って公爵邸に滞在している。とは言っても、魔術師としての仕事はどうしても都合がつかないこともあるとかで、皇都と多少のやりとりをしてはいるようだけれど。
一応、留学から戻った彼は皇都にある魔術大学の第四学年に在籍している学生の身だ。しかし単位は足りているとのことで、大学には滅多に行くことはないらしい。
「その服で行くのか?」
「こちらに来て初めてのデートなので、せっかくならと思いまして」
フェリシティの今の格好は、シンプルながらもレースがあしらわれた白のブラウスと、落ち着いた雰囲気の紺色のスカート、サンダルだ。シャーロットだった頃の初めてのデートでエセルバートがくれた、デートセットである。
ドレッサーに置いている青のリボンを持ち、エセルバートの元まで歩み寄って手渡す。
「結んでくださいますか?」
「ああ。愛しい妻の望むままに」
「ふふ。まだ妻でも婚約者でもありませんよ」
「近い将来そうなるのだから間違ってはいない」
エセルバートとの婚約式は近々行う予定である。皇族の婚約ともなれば色々と手間がかかるようだ。相手が突然公爵家の養子となった娘とあれば尚のことだろう。
受け取ったリボンを結び終わったエセルバートにお礼を告げ、フェリシティは鏡で自身の姿を確認する。
「エセルさ――」
確認が終わったところでエセルバートを見上げた瞬間、エセルバートの顔が近づき、唇が重ねられた。離れたエセルバートは至近距離で甘く目を細める。
「やはりよく似合っている。可愛いな」
「……ありがとうございます」
顔を綻ばせたフェリシティが少し視線を落とすと、エセルバートはパチンと指を鳴らした。エセルバートが光に包まれ、光が収まると彼の服が変わっていた。初デートの日に着ていた服に。
フェリシティが瞬きをしていると、エセルバートはふっと笑う。
「せっかくだから、私もな」
そう言って、手を差し出した。
「行くか」
「はい」
フェリシティも笑みを零して、手を重ねた。
部屋を出て廊下を進み、階段を降りる。
エントランスホールには公爵夫人――母となった人がいた。温和な雰囲気を纏うその女性は、フェリシティとエセルバートの姿を認めるとニコニコと笑う。
「まあ、フェルちゃん。シンプルな服装もとっても似合うわね。フェルちゃんが着ると上品に輝いて見えるわ。もちろんエセルバートが贈ったものでしょうから質は良いと思うのだけれど、それ以上の価値が付加されてるわね」
「ありがとうございます、お母様」
「まあまあ。ふふ。やっぱりなんだか照れてしまうわねぇ」
頬に手を添えて、公爵夫人が気恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに表情を緩める。フェリシティもつられて面映い心地になってしまった。
名前も環境も、すべてが変わった。
公爵夫人にも公爵にも、とても良くしてもらっている。家族、というものの距離感にも慣れつつあるけれど、やはりまだそわそわして落ち着かない部分が多い。
落ち着かないけれど、決して嫌ではない。
「今夜はあの人も視察先から帰ってくるし、四人で夕食を食べましょうね。きっとフェルちゃんへのお土産も山のように持って帰ってくると思うわ。事前に注意はしたのだけれど、あの人ったら念願の娘ができてとてもはしゃいでしまっているから。たった一泊の視察で家をあけることにすら駄々をこねていたくらいだもの」
困ったような声音で夫への不満を零す公爵夫人に、フェリシティも昨日の朝、出発するまで『娘ができたばかりなのに置いて行きたくない』とごねて周りを困らせていた公爵を思い出す。
「はしゃいでいるのはおば上もでは? 先日、フェルにプレゼントするからと精霊の祝福をオークションで落札されたそうですね」
「娘となってくれる子への歓迎の気持ちも込めたプレゼントだもの。妥協できないでしょう?」
精霊の祝福は大きなエメラルドといくつものダイヤモンドがあしらわれたネックレスだ。フェリシティがこの国に来る少し前に、公爵夫人が参加したオークションで落札したものだと聞いている。
五十年ほど前に亡くなった有名な職人の作品で、元はある国の国民からの人気が高かった女王に献上されたものだったらしく、大層価値が上がっているようだ。
「フェルの耳には入っていないだろうが、落札額は四億八千万だったそうだ」
「よ……」
初耳の情報にぎょっとすると、「まあ」と公爵夫人が咎めるような眼差しをエセルバートに向ける。
「フェルちゃんが気を遣わないように黙っていたのに」
「自分の持ち物の価値は把握しておくべきだと思いますよ」
確かに宝石が多くて高いだろうなとは思っていたけれど、あまりの金額に、迂闊に外に持ち出すことはやめようとフェリシティは決意する。
「そういう貴方こそ、宝飾品を特注してプレゼントしていたわねぇ。髪留め、イヤリング、ネックレス、ブレスレット、ブローチ……それも全部に護身用の魔術をその手で施して、一体どれほどの市場価値なのかしら。全部タンザナイトだなんて、独占欲を隠そうともしないんだから」
「妻に贈るものですし、もちろん妥協はできませんので」
「まだ貴方の妻でも婚約者でもなくてよ。私たちの大切な娘なのだから控えなさいな」
「すぐに婚約しますし、結婚もしますよ。おば上こそ気を遣ってくださらないと」
そう言ってエセルバートはフェリシティに顔を寄せると、こめかみに軽くキスをする。フェリシティが目を瞬かせる横で、エセルバートは公爵夫人に挑戦的な笑みを見せた。
「想い合う恋人同士の仲を引き裂くつもりはないですよね?」
「まったく貴方は。本当に意外ねぇ」
呆れたように公爵夫人は息を吐く。
公爵夫人だけでなく、公爵、皇帝夫妻も言っていた。エセルバートが魔術以外の、それも女性にこれほど執着を抱くことは誰も想像できなかった、と。
そして、感謝された。エセルバートの気持ちに応えてくれてありがとう、と。
救ってもらったのはフェリシティの方なので、お礼を言いたいのはこちらだ。エセルバートのおかげで、フェリシティは幸せを感じることができているのだから。
「まあ、楽しんできなさいな。フェルちゃんをしっかりエスコートするのよ? 我が公爵家自慢の領地の良さをアピールしてアピールしてアピールしまくって、心をがっちり鷲掴みにしてちょうだいね」
「承知していますよ」
口角を上げるエセルバートの隣で、フェリシティは軽く頭を下げる。
「行ってまいります」
「ええ。気をつけて行ってらっしゃい」
にこやかな公爵夫人に見送られて、二人は恋人として初めてのデートへと向かうのだった。
◇◇◇
あの日、シャーロット・カリスタ・リーヴズモアは死んだ。
そして、新しい生を与えられたフェリシティは、第二の人生を愛しい人たちとともに歩んでいく――。
補足も兼ねて番外編を書く予定ではありますが、ひとまず本編は完結となります。読んでいただきありがとうございました。
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