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シャーロット王女の死  作者: 和執ユラ
第一章 王太女という名の贄
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06.第一章五話



 夕食の席で、ジュリエットは城下を回ってどんな店に寄ったか、クェンティンとどんな話をしたか、いかに楽しく過ごしたかをフレドリックに語っていた。シャーロットは料理が運ばれてくるのを黙って待っている。

 会話を弾ませていたジュリエットが「あ」と何かを思い出したのか使用人に指示を出し、使用人が小さな花束を持ってフレドリックに近づいた。


「お父さまへのプレゼントです。女の子がお花を売っていたので、それを花束にしてもらったのです。とても素敵でしょう?」


 仕事を人に押し付けておいて、呑気に城下を散策して、プレゼントを買ってくる。ありがとうと喜ばれる光景以外、まったく頭の中に思い描いていない様子で。


「ありがとう、ジュリー」


 実際、フレドリックは嬉しそうにそれを受け取った。愛娘からのプレゼントなのだから当然の、まったくもって見慣れた反応だ。花束自体も無難で珍しい代物ではないし、ありふれている。すべてにおいて変化がなくて面白みがない。

 仕事を放り投げた娘が遊んで帰ってきたのだから、一言くらい注意があってもいいものを。本当にジュリエットを叱ることがない、親バカにも度が過ぎている父親だ。


「お姉さまもどうぞ」


 その言葉を合図に、使用人がシャーロットに花束を差し出す。淡い色の花にピンクの包装紙やリボンでラッピングされた、可愛らしいそれ。


「部屋に置いておいてくれる?」


 そう指示をすれば、使用人は承諾と共に一礼し、食堂を退室していった。視線だけで見送って正面を向くと、キラキラと期待に目を輝かせるジュリエットが映る。


(ああ、気持ち悪い)


 迷惑だとか、そんな考えなど微塵も頭の中にない、好きなように振る舞って好きなように遊ぶ妹。疎ましい存在。

 心の中はどす黒い感情が渦巻いているけれど、それを表には出さない。にっこりと微笑んで、叫びたい本心を押し殺す。


「部屋でゆっくり眺めるわね」

「はい!」


 お礼は口にしなかった。それでも、ジュリエットは姉が喜んでいるとしか思っていない。姉に嫌われているなんて想像もしていないのだから。


「食事を始めよう」


 ジュリエットからのプレゼントなんて飽きるほど貰っているはずなのに、いつものように大事そうにして、くれぐれも気をつけて扱うように使用人に任せて、フレドリックは晩餐の開始を告げた。


 食事は三人で一緒に摂りたいというジュリエットの希望のもと、シャーロットにとっては苦痛でしかないこの時間はほぼ毎日設けられている。仕事の都合で――当然そこはシャーロットとフレドリックに限定されるけれど、二人共が出席できない時は当然なしだ。フレドリックが欠席であればシャーロットとジュリエット、シャーロットが欠席であればジュリエットとフレドリックの二人となる。

 ジュリエットが体調を崩した時ももちろんこの時間はない。シャーロットもフレドリックも二人で食事をしたいと思うことはないし、何よりジュリエットが不調の時、フレドリックはジュリエットに付き添うからだ。その場合、シャーロットは自室で一人で食事の時間を過ごすことになる。その方がストレスがなくていい。


 シャーロットが最も苦痛なのは、ジュリエットと二人の食事の席だろう。話すのは基本ジュリエットで、二人となれば話しかけられるのはシャーロットになってしまうのが必然。無下に対応すれば給仕を通してフレドリックに話が行くので、嫌々ながらも楽しんでいると装って相手をするしかない。

 その点、三人であればジュリエットの相手はフレドリックがほとんど引き受けてくれるので、会話の面では負担が少ないところはありがたい。礼儀作法には一段と気を張る必要が出てくるので、どのみち気楽というわけではないけれど。


「あっ」


 フレドリックと話に花を咲かせて注意が散漫になっていたのか、ジュリエットがカトラリーを皿の縁にぶつけて床に落としてしまった。カラカラと音が響く。


「ごめんなさい」

「姫様、お怪我はございませんか?」

「ええ。平気よ」

「本当か? ジュリー」

「はい。大丈夫です、お父さま」


 給仕で控えている使用人がすぐに新しいナイフを用意して、食事は再開された。怪我があれば大騒ぎになっていたことだろう。

 ジュリエットは心配されるだけで収束したけれど、ナイフを落としたのがシャーロットなら――フレドリックは、みっともないと叱ったはずだ。怪我の心配などなく、ただ失態のみに焦点を当てるのだ。

 誰だって失敗はする。なのに、このような私的な場であっても、シャーロットの失敗は決して許容されない。王太女として、ジュリエットの姉として、完璧でないことなどあってはならないから。


 ジュリエットはフレドリックが心の底から愛し溺愛していた王妃によく似ている。桃色の髪も空色の瞳も顔立ちも、王妃から色濃く受け継いでいる。体も弱いとくれば、フレドリックの想いがジュリエットに傾くのは必然だった。

 病弱ではあれど、昔よりは丈夫になり、体調を崩すことも少なくなった。王女として何もできないほどではない。頑張れば果たせる役割はもっとたくさんあるはずなのに、取り組む姿勢を見せただけでも『努力』として認められる。その先が責任放棄であっても。

 ジュリエットはどんな粗相をしても、仕事を投げ出しても、すべてが許される。


 ジュリエット・カリスタ・リーヴズモアは、紛うことなきリモア王国の第二王女。その評価は国への評価にも繋がる。ちょっとした病弱なんて、免罪符にもならない毒に思考を侵されている者ばかりのこの環境は異常だ。王位継承権を持ちながらも王族として到底足りないことだらけのジュリエットを快く思わない者も、最終的には絆され、受け入れてしまう。

 不満を抱いたままだとして、その声が表立って広まることはないだろう。この国の王が、その周りが、権力者たちがこぞってジュリエットを肯定するのだから、貴族や使用人が下手に否定などできるはずもない。王が溺愛する愛娘を侮辱するなんて、余程のバカでもなければ犯さない愚行だ。


 そして、病弱というフィルターに惑わされずに常識的な思考を持つ者たちであっても、結局彼らの普通の思考はジュリエットに関することのみだ。フレドリックという男がいる限り、シャーロットへの見方は彼らも他と大差ない。ジュリエットの敵が、シャーロットの味方とは限らない。

 この国ではどうしたって、フレドリック・チェスター・リーヴズモアの存在が大きすぎる。





 一種の拷問とも呼ぶべき食事が終わり、シャーロットは自室に戻ることができた。フレドリックとジュリエットがいないだけで、シャーロットの心はそれなりに平穏になる。胃がムカムカする空間からの解放は、自由を手にしたように錯覚してしまえるほどだ。

 少し気を抜いて椅子を目標に歩いていると、テーブルの上に置かれているそれを見つけて気分が急降下した。

 すっかり忘れていたプレゼントがそこにあった。無駄に存在を主張しているような気がするのは、邪魔としか思っていないからだろう。


 暫く黙って忌々しげに花束を眺めていたシャーロットは、ゆっくりと手を伸ばした。可愛らしくまとめられた花束を、害虫でも見るような目で払い落とす。そうして――ぐしゃりと、右足で思いっきり踏みつけた。

 普段溜め込んでいる分をぶつけるように、何度も足を振り下ろして、体重をかけてぐりぐりと力いっぱいにすり潰す。散りとなって消えてしまえばいいと、そんなふうに思いながら。


 数分後、無惨な有様になった花束を見下ろして、シャーロットはさすがにやりすぎたかと反省した。ジュリエットに悪いという思いが湧いたのではなく、単純に自室を汚してしまったせいだ。それから、花に対する罪悪感も多少はあった。

 侍女を呼べばすぐにやって来た。その侍女は、シャーロットが示した先にある花束だったものを見て瞠目し、息を呑む。


「誤って落として踏んでしまったわ。片付けてくれる? 靴も処分してちょうだい」

「はい……」


 裏に葉が擦り付いている靴を脱ぎ、侍女に渡す。

 ただ踏んでしまったにしてはあまりにもボロボロすぎる花束と、花の残骸が付着した靴。違和感を抱いた侍女は、しかしシャーロットの笑顔で考えを改める。


「ジュリエットには内緒にしてね。悲しむでしょうから」

「はい、かしこまりました」


 妹を想う見せかけのこの笑顔は、フレドリックすらも騙せる。侍女ごときがその下にある黒く染まった本心を見抜けるはずもない。

 案の定、侍女は容易く騙されてくれた。ジュリエットからのプレゼントなのだから、意図的にこんな酷いことをするはずがないと結論を得て、命令に従ってすぐに片付けを行い、部屋を出て行った。

 シャーロット付きの侍女でさえ、その心はジュリエットに傾いている。王太女に仕えていることを誇りに思ってはいるだろうけれど、それだけだ。シャーロットはジュリエットに負けている。能力では劣っていないのに、敗北を喫している。

 フレドリックやジュリエットを凌駕する魅力がないのだと、幼い頃に早々に諦めてしまった。あの二人より人心を掌握する技量が下なのだと。シャーロット自身が人間不信で他者に心を開かないのだから尚更だろう。


 部屋を見渡す。

 部屋の中には、花が生けられた花瓶がいくつかある。どれもこれもジュリエットからのプレゼントだ。シャーロットの好みは一切反映されていない、ジュリエットの趣味全開のプレゼント。シャーロットの部屋のはずなのに、まるでジュリエットの部屋のよう。花も花瓶も椅子もテーブルもカーテンも他の小物も何もかも、全部が全部。


(全部、さっきのと同じようにしてしまいたい)


 花束を思いっきり踏み潰したからだろう。葉や茎の青臭い匂いが、いつもより濃くなっていた。



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