57.第六章十話
目を開いたシャーロットは、あの牢とはまったく異なる、統一感がありながらも華やかで気品溢れる部屋にぱちりと瞬きをした。
「ここは……」
「皇宮の私の部屋だ」
降ってきた声に顔を上げる。シャーロットを横抱きにしているエセルバートが、ゆっくりシャーロットを降ろした。
あの牢から、一瞬でこの部屋――隣国ファレルデイン帝国の皇都に佇む皇宮の一室に転移した。長距離の転移には色々と条件があり相当な魔力を消費すると聞いていたのに、エセルバートはけろりとしている。
エセルバートはシャーロットをソファーに導いた。シャーロットが座った後、隣に腰掛けると、華奢な手をとってその甲に口付ける。
「これで君は自由の身だ、シャーロット」
「そうですわね」
用意していた血をばら撒いた。偽物の遺体も用意した。きっと、リモア王国で真実が解明されることはない。
反逆者シャーロットは獄中で自殺。だから、フレドリックたちはシャーロットに謝罪する機会を永遠に失い、未来永劫、許されない罪を背負って生きていくしかないのである。
本当に、愉快で仕方ない。
シャーロットが満足に表情を緩めていると、エセルバートの手がシャーロットの髪に触れた。鎖骨あたりまでの長さになってしまった金髪に、エセルバートは苦い顔をする。
「やはり、ここまで短くしなくてもよかったんじゃないか?」
「あら。偽物の遺体を作り出すにはわたくしの体の一部が必要だと、エセルバート様が仰ったではありませんか」
「君に見せかけるために、君の体の情報が一部でもあればよかったんだ」
あの精巧な遺体は、王都の路地裏で見つけた猫の遺体を基礎に、シャーロットの髪も素材とすることで、シャーロットの姿形を魔術で複製したものだ。
生物を魔術で生み出すことは不可能だけれど、遺体であれば可能だというのでお願いした。遺体がなければシャーロットが脱獄したとなり、追手がかかるからだ。
「ですが、情報量が多いほど精緻な出来となり、効果時間も長くなるのでしょう? ならば多いに越したことはありませんわ」
エセルバートが止めるので、これでも長く残した方だ。傷んでいた髪を切ることに、シャーロットはそれほど抵抗もなかった。体に傷をつけて血を情報媒体にしなかっただけよかったのではないかと思っている。
「数日以内にもあの遺体は埋葬されるはずだ。少量でも支障はないと言っただろう」
「せっかく新しい人生を歩むのですから、思い切って短くするのも悪くないと思ったのですけれど……」
少し間を置き、シャーロットはこてんと首を傾げて「似合いませんか?」と尋ねる。なんともあざとい仕草に、意図的だと承知していてもなお、むしろだからこそ心にくるものがあった。
「いいや。よく似合っている」
エセルバートは素直に感想を告げる。シャーロットもご機嫌に笑みを浮かべた。
「それで、どうされますか? わたくしが持つ情報があれば、リモアを帝国の属国にすることなど容易いですけれど。皇帝陛下への土産として差し出した方がよろしいでしょうか?」
その方が心象が良いのではないだろうか。魔術師ではなくとも役に立つ、と示すために。
「我が国は国土を広げるつもりは特にないからな、あちらの出方次第だ。君を手に入れた今、あの国に求めるものは何もない」
シャーロットを苦しめた国への気遣いなど、エセルバートが抱くはずもない。なるようになればいい、と考えている。
王都の街の住民とはある程度の関係性を築いていたけれど、彼らの心配は特にしていない。必要ないだろうからだ。
フレドリックは最低な父親ではあったものの、王としての資質や責任感はある男だ。玉座に座り続けるのか、他の者に明け渡すのか、はたまた新しい国の在り方を模索していくのか。どの道を選択するのかはわからないけれど、自身の責任はしっかり果たすだろう。あの国の混乱は、そのうち落ち着くはずだ。
王家の威信は、きっと回復しないだろうけれど。
「君が滅ぼしてほしいと言うのなら別だが」
「いえ。最早必要のないことです。時間の無駄ですわ」
「そうか」
シャーロットの復讐は叶った。これ以上のことを望まないのなら、エセルバートにとってもどうでもいいのだ。
リモア王国からしてみれば、国家機密が帝国に流出してしまってヒヤヒヤしているだろうけれど、こちらとしては、せいぜいなんらかの交渉をすることになった際、帝国有利に話を進めるために使うくらいだ。今回入手した情報を駆使して積極的にリモア王国を手中に収めるつもりは現時点ではない。
「それより、君のこれからだな。もちろん私の求婚に頷いてくれるだろう?」
「はい、エセルバート様」
嬉しそうに頬を緩ませて、シャーロットは頷く。エセルバートも満足げに口角を上げた。
そもそも、二人の縁談をフレドリックが拒否したからこそ、今この状況は作られている。
クェンティンに説明した通り、シャーロットは当初、ジュリエットの目の前で自殺するつもりだった。その予定を変更したのは、最期の時間までジュリエットのために費やすのが嫌だったからではなく、エセルバートの存在があったからだ。
彼と共にある未来を、切望したから。シャーロットは生きる道を選んだ。
「君の養子の話もすでにまとまっている」
「まあ。周到ですこと」
「従叔父夫婦なのだが、温かい人たちだ」
「子供がいないのでいずれはエセルバート様が継ぐという公爵家ですか?」
「ああ。居心地の良さは私が保証する。少々口うるさくはあるがな」
幼い頃からエセルバートが通っている家らしい。公爵夫妻はエセルバートを実の息子のように可愛がっているようで、口うるさいという不満も親しみが込められているように感じられた。
公爵夫妻はシャーロットのことも快く迎えてくれるそうで、普通の家族というものをよく知らないシャーロットは待ち構えている対面に実は今から緊張している。
「全部新しくしてしまいましょう。名前も改めたいですね」
「いいのか?」
「構いませんわ」
シャーロットとジュリエットの名前をつけたのは母だったそうだ。ジュリエットは亡き母からの贈り物の一つなのだと大層嬉しがっていたけれど、シャーロットは特別だと感じたことはなかった。むしろ呪縛のようだった。
正直なところ、フレドリックやジュリエットのせいで、母に対する愛情などとっくに消え失せているのだ。
「エセルバート様に呼ばれるのは好きですけれど、わたくしには特に思い入れもない名前です。どうせなら名前も変えてあの国との繋がりなどすべて断ち切り、全くの別人として暮らしていきたいです。貴方と共に」
リモア王国のシャーロットではなく別人として、新たな人生を歩んでいきたい。
「エセルバート様がつけてください。わたくしに、新しい名を」
「そうだな。何が良いか……」
愛おしげに目を細めて見つめてくる彼に、彼女は楽しそうに笑みを浮かべ、己と彼のこれからに思いを馳せた。
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