54.第六章七話
「――ねえ。あの男への一番の復讐ってなんだと思う?」
また、唐突に質問が落とされた。
感情が忙しくて休憩する暇もなく、まともに頭が回らない状態に陥っているクェンティンだけれど、答えずに終わるという選択は与えられていないことを充分に承知していた。シャーロットの眼差しがそれを許さないと物語っている。
どれほどの時間をかけてでも待つ姿勢をとるつもりなのだと察せられたから、クェンティンはなんとか考えを絞り出す。
「……国を、滅ぼすことですか?」
「唯一の愛娘を壊すことよ」
はっきりと断言したシャーロットの口角が上がった。
予想外で、それでいて物騒な方法に、クェンティンはひゅっと息を吸い込む。
国を滅ぼす方が残忍だ。それでも、彼女の言う一番の復讐はあまりにも衝撃的だった。疲れ切った心に激しく湧きあがったのは、困惑、動揺、恐怖。
「ただ奪うだけじゃだめ。喪失感に苦しむだけじゃあね。壊れたジュリエットのそばにいながら、助けることも何もできない己の無力さを常に心身に深く刻まれながら、死ぬまで苦痛を味わってくれなきゃ。これはあの子に恋心を抱いている貴方への復讐にもなるから、とても素晴らしい案でしょう?」
恐ろしいことを、シャーロットはそれはもう愉しそうに話している。
「だからね、最初はあの子の目の前で自害しようと思っていたの」
「っ、な……」
クェンティンは言葉を失った。流れるように放たれた計画の衝撃が、またもや大きすぎた。
「人が亡くなる瞬間、それも慕っていると思い込んでいた姉の自殺する光景を目に焼き付けてやれば、一生忘れることなんてできないもの。元からプレッシャーにも耐えられないような脆弱なあの心が修復されることもない。確実で最適でしょう?」
あらゆる苦悩から遠ざけられてきたジュリエットは、あらゆる意味で未熟だ。心が脆く弱い。ただでさえ人の自殺を目撃してしまうのは消えない多大な傷を精神に負うことなのだから、ジュリエットに耐えられるはずがない。
シャーロットの望みを叶える手段としては、とても有効的すぎるだろう。
「――けれど、やめたわ」
その場面を想像して血の気が引いていたクェンティンは、引き続き紡がれた台詞に体の力が抜けた。
ジュリエットでなくとも、それこそクェンティンだって、幼馴染みが自ら死を選択したとなれば一生忘れられない傷になる。死に追い込んだのが自分たちだと自覚できる今なら尚更だ。激しい罪悪感と後悔に囚われ続けて生きていくことになる。
しかしそうはならないのだと、安堵するのも束の間。
「死ぬ寸前の時間まであの子に捧げなければいけないなんて、なんだか納得がいかなくて。決定的なトラウマを植え付ける方法は他にないこともないものね」
仄暗さを孕んだ目を細めたシャーロットの優美な笑みは酷く満足げで、クェンティンは現状を思い出した。
シャーロットの目的はすでに達成されている。
最も望んでいた復讐。ジュリエットの折れた心はもう元には戻らないはずだ。以前のような無邪気で明るい天使のようなお姫様は、二度と帰ってこない。ずっと遠ざけられていた悪意を直接目の当たりにしては、知らなかった頃には戻れない。
反逆を起こしたのはシャーロット。けれど、それを誘発したのは間違いなく――。
「わたくしが国を売らず、いつものように普通に執務室でこの話をしていたら……貴方、今と同じ表情を浮かべたと思う?」
「……」
「戻ったら鏡で顔を確かめたら? ずいぶん情けないことになってるわよ」
指摘されるまでもなく、鏡で確認するまでもなく、自分が酷い顔をしていることは自覚できた。だって心が物凄くぐちゃぐちゃなのだ。思考を放棄してしまいたいほど、現実を忘れてしまいたいほどに、まったくもって動揺が治まらない。己の愚かさに反省の念が湧き止まない。
複雑でまとまりのない激情はどこかにぶつけることもできず、拳に力となって伝わり、手が震える。爪が掌に食い込むけれど、痛みは感じない。
「――ここに立っているの、貴方で正解ね」
ふと、クェンティンの鼓膜に穏やかな声が響いた。戸惑いながらもシャーロットに焦点を合わせると、シャーロットは発した声と同様に柔らかな表情を浮かべていた。
「他の人だったら、わたくしは何も話さなかったわ。ジュリエットには壊れてほしかったからある程度の話をしたけれど、エセルバート様との縁談の件とか、動機の全部は告白しなかった」
シャーロットがこれほど素直に話すことができたのは、相手がクェンティンだからだ。それこそ眼前にフレドリックがいたならば、拒絶するだけで終わらせていた。会話なんてまともに交わさなかっただろう。
「婚約者が貴方に決まった時、貴方ならきっとわたくしのことを見てくれると思ってたの。顔合わせの印象は悪くなかったし。――けれど、違ったわね。早々に実感させられたわ」
目を閉じたシャーロットは、昔のことを思い浮かべる。
『この程度、王太女殿下であれば難なくこなせるでしょう?』
彼がシャーロットに向けたのは、シャーロットにとっては悪い意味でありふれた言葉だった。期待はあっけなく裏切られたのだ。
瞼を上げれば、やはり困惑しているクェンティンの姿が映った。大切に思えるかもしれないとかつて期待してしまった、婚約者だった男。
「貴方も、みんなと同じだった。絶対に好きになれないって確信したわ。お互い様ね」
その他大勢に埋もれる人間に、惹かれるような魅力などない。
「貴方とわたくしの違いは、家族から愛されていたか否か。あの子の薄皮一枚被っただけの見せかけの善意を馬鹿正直に受け取ったか否か。そして、理想通りの人物像でなければ許されない国の後継者か否か」
彼にかかっているプレッシャーなど、完璧を求められるシャーロットへのものと比較すれば足元にも及ばない。
「お気楽な環境で羨ましいわ」
依然として仄暗さを孕んだ双眸に見据えられて、クェンティンは息を呑んだ。シャーロットの声は淡々としていて、冷たくて、けれど確かに心の底からの憤怒や嫌悪が滲んでいた。
クェンティンの瞳が揺れる。そこに浮かぶのは、後悔と罪悪感。申し訳ないと、自身の非を認める心情。
「……殿下」
「……」
ふと、シャーロットは目を伏せる。
「ジュリエットのように、わたくしも……あの男ではなく王妃に似ていたら、少しは大切にしてもらえたのかしら。ちゃんと話を聞いてもらえたのかしらね」
「あ……」
彼女の口から零れた疑問。ずっとそんなことを思っていたのだろう。「シャーロット」には、王太女としての価値しかないのだと。一人で抱えて、誰にも相談できず。血の繋がった父も妹も、婚約者までも、彼女にとっては決して味方ではなかったから。
体が弱い。それを免罪符として、周囲はジュリエットになんでも許したから。ジュリエットが亡き王妃の面影を色濃く受け継ぎ、フレドリックの愛情が傾いたから。
そんな中で、きっと彼だけが――エセルバートだけが、彼女の希望だったのだ。本音を語れる相手。勝手な理想を押し付けない、シャーロットを理解してくれる人。シャーロットが、弱くなれる場所。素を出せる場所。
本来、それはクェンティンが果たさねばならない役目だった。国を導く立場を背負うことになるシャーロットにかかる重責を、真に理解していなかった。理想で彼女を覆い尽くして、蓋をして、鍵をかけた。逃げ場を塞ぎ、閉じ込めたのだ。
「――さあ。洗いざらい話したし十分でしょう。疲れたから出て行ってくれる? もう話す気分じゃないわ」
しっしと、虫でも払うような雑な仕草でシャーロットが手を動かす。先程纏っていた寂しげな雰囲気は引っ込んでいた。
「それと……階段にいるその人も、ちゃんと連れて行ってちょうだいね。せっかく人生で初めてこんなにゆっくりできているんだから、無意味な叱責や罵倒で睡眠を邪魔されたくないわ」
ここからは相変わらず死角で見えない階段の方を一瞥したシャーロットは、もう興味をなくしたのか、こちらに背を向ける形でぽすりとベッドに横になった。
クェンティンは口を開いたが、言葉は発さずに口を噤む。コツコツと足音を立てて階段まで行き、そこで待っている男をちらりと窺った。
壁に背を預けて腕を組んでいた男――国王フレドリックの表情は、俯いていて髪が邪魔をしているせいで確認できない。しかし、自身の腕を掴んでいるその手には力が込められているのが見てとれた。
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