49.第六章二話
のろのろと、顔を上げる。
ジュリエットを見下ろすシャーロットは、変わらずとても冷酷な目をしていた。
「何を、言って……」
「不出来な自覚は一応持っているから、わたくしに劣等感を抱いてるじゃない。だからと言って努力するわけでもないんだから呆れたものだわ」
どこまでも冷たくて温かみが感じられない、突き放す声だ。
「慈善活動を積極的に行って王女としての仕事をやった気になっているようだけれど、『できるから、やりたいからやる』のと『それしかできないからやる』はまったく違うのよ。欠陥だらけの甘ったれお姫様」
明らかにジュリエットを侮蔑している。
こんなのは、ジュリエットの知る『お姉さま』ではない。
「お姉さまはこんな人じゃ……きっと、誰かに何か吹き込まれて……騙されて……」
原因を何かに求めて現実逃避をするジュリエットがぶつぶつと呟いている姿は、嫌なことを遠ざけられてきたこの国一番の幸せなお姫様のそれとは重ならなかった。
(脆すぎるにもほどがあるわね)
シャーロットが呆れたようにため息を吐いたところで、ジュリエットがハッとする。
「あの人……皇弟殿下がお姉さまを騙して、思い通りに操ってるんですよ! ずっと仲の悪い国同士だもの、この国が邪魔だから――」
「黙りなさい」
解決の糸口を見つけたとばかりにぺらぺらと思うままに語るジュリエットの言葉を遮る。思っていた以上に低い声が出た。ジュリエットもびくりと肩を揺らし、怯えを見せている。
ジュリエットの言動すべてが、疎ましい。
「相変わらず期待を裏切らない短絡的な思考ね。貴女にとって彼は優しくないから敵。だからって責任をなすりつけるなんて、本当にどこまでもわたくしの癪に障るわ」
ジュリエットは賢くない。だからこそ思考が読めないこともあるのだけれど、読みやすい部分もある。
元凶としてエセルバートの名を挙げることは想定通りだった。
「嫌なことを全部嫌いな人間が原因だと決めつけるのは楽でいいわよね。けれど、真実を歪めて都合のいい結論に導くことが許容されるには、色々と条件があるの。例えば相手がそれを了承しているとか、権力者による証拠のもみ消しとか」
最近もよくあった。国のためにと、都合の悪い真実を隠蔽した。珍しくはないことだと言える。
「今回はそうはさせないわ。冤罪を作り出すなんて、お優しい王女様の仮面はもう不要なのかしら」
「えんざい、って……そんなつもりは」
「だってそうでしょう? わたくしは反逆を企てた凶悪な犯罪者。それを唆した者も当然、罰せられるわ。教唆も犯罪の一種だもの」
エセルバートは協力者なので関係ないとは言い切れないのだけれど、エセルバートの協力がなくとも、シャーロットはこの状況を作り出すと決めていた。魔術によって準備が整うのが早くなったに過ぎない。
「現実を見なさい、ジュリエット。これは他でもない、貴女が招いたことなんだから」
「……わたし、が?」
「そう。父親から愛されて甘やかされて努力なんかしたこともない妹、片や愛情なんて向けられずにただ妹にふりかかる煩わしいことをすべて押し付けられる姉。それに甘えて成長する機会を投げ捨ててきたのは貴女でしょう? 役割を放棄して、その穴埋めをする人への迷惑なんて微塵も考えたことがない、愚かな貴女が招いたこと」
「わたし……わたしは、ただ……」
青褪めた顔で体を震わせるジュリエットと目線を合わせるように、シャーロットはしゃがみ込む。
「わたくしに国を売るよう唆したのは、貴女の言動よ。何度目かしら、貴女のせいで起こった犯罪は。けれど残念ね。意図的ではないから罪に問うことはできないわ。本当に残念」
穏やかな声で紡がれる声が、ジュリエットの耳から全身に、心に侵入していく。
自身が裁かれるべき人間であるのではないかと、ジュリエットの中に疑問が生まれる。
「ちが、う……違う、こんなの……」
「これからはせいぜい頑張りなさい。唯一の王女として、もう責務からは逃げられないんだもの。呑気に遊んでなんかいられないわよ。わたくしや陛下と常に比較されて苦痛を味わえばいいわ。わたくしがそうだった以上にね」
「……ぁ……」
「それに、国民からの王家への非難は必至よ。これまでの王家の歪み――貴女の堕落も公になるんだもの。一歩外へ出れば罵倒の嵐が待っているでしょうね。貴女に耐えられるかしら」
シャーロットの口角はゆるりと上がり、目も三日月のように細まる。
「今日が初めてよ。貴女と話していて楽しいって思えたのは」
それはつまり、過去に楽しいと感じたことがないということを意味する。むしろジュリエットは今、楽しいだなんて思えるはずもない。
「大嫌いなジュリエット。ずっとね、貴女をずたずたに傷つけたくて仕方なかったの。貴女の笑顔も、声も、何もかもが煩わしくて――殺してしまいたいほど憎らしいの」
言葉の内容とは裏腹に声はどこまでも穏やかで、優しい響きがジュリエットに届く。いつもなら安心させてくれる、頼りになる声なのに、ジュリエットの心臓はまったく落ち着かずにドクドクと妙に大きく速く鼓動を刻んでいるし、体の震えは止まらない。
殺したいだなんて、言われたことがない。自分がそこまで憎悪されるなんて、面と向かって悪意を受けるなんて、想像もしたことがない。
だってみんな、ジュリエットには優しいから。ジュリエットの世界は優しさで埋め尽くされていたはずだから、そんな暗くて恐ろしい感情が襲いかかってくるような世界は知らない。
姉が、会ったことのない人のように見える。何度も顔を合わせて、いつだって会いたいと思っていた人なのに、今は目の届かない遠くて二度と関わらないような場所に行ってほしくて仕方がない。
こんな、ジュリエットを傷つけようという明確な意志を持って残酷な言葉を淀みなく語り続ける姉は、知らない。
眼前に突きつけられている否定したい現実と、今まで信じていた理想の虚像がせめぎ合い、ジュリエットの思考はまとまらない。ぐちゃぐちゃで、戸惑いやなによりも、怖いという感情が大部分を占めている。悲しみと恐怖で涙が滲み、視界が歪む。
それでもシャーロットはやめない。溜め込んできたものをお返しするように、言葉という名のナイフを容赦なく突き刺す。
「最後に貴女の絶望に満ちた顔を見ることができて少しすっきりしたわ。反逆者の妹として肩身が狭い思いをして、王女として不足しかない自分の無力さに打ちひしがれて、ひたすらもがき苦しんでちょうだいね。出来損ないというありのままの事実を世間に晒し、知らしめなさい。難しくないもの、それが貴女にできる唯一の姉孝行よ」
綺麗で、なんでもできて、優しい自慢の姉だったはずの女性は、やはりとても綺麗で、そして今まで見たことがないほど確かに嬉しそうで。しかしながらジュリエットの心を切り刻んで地の底に落とす、残酷で無慈悲な、曇りのない微笑みを浮かべている。
「その程度ではまったく割に合わないけれど、貴女に高望みはしないから妥協案よ。散々、貴女のために犠牲になってきたんだもの。わたくしの願いも一つくらいは叶えてくれるでしょう?」
この牢で聞いたことがすべて姉の本心であることは疑いようもない、心情をそのまま示した表情だった。
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