48.第六章一話
シャーロットは牢の中に置かれたベッドに優雅に腰掛けている。
王族用ということもあり比較的過ごしやすい環境で、特に不便を感じることはない。むしろ王太女生活より自由で気楽で、たった数日しか経過していないのに、なかなか悪くない生活だと慣れ始めている。
取り調べ以外の時間は牢の中だけれど、鎖で繋がれていたり手足に枷がかけられているわけでもないので、本当に自由である。勉強も仕事もなく、今まで常に纏わりついていた義務から解放されている。
シャーロットにかけられている嫌疑は、国家機密を帝国に売ったというもの。そして、国政において杜撰な管理で重要機密書類を紛失し、それを誤魔化すために勝手に、それも正確な内容ではなく偽りの内容で書類を作り直した、偽造や隠匿の罪なども明らかとなっている。
すべて事実なので、シャーロットは弁明しなかった。取り調べにも素直に、正直に答えている。なぜこんなことをしたのか――その理由については、明確にせず。それ以外のことは嘘偽りなく述べていた。
そんな牢生活を送る中で、今日は昨日までと違うことが起こっていた。
「――こんなの何かの間違いです!」
シャーロットが捕われた牢がある地下に響き渡ったのは、ようやく面会が許されたジュリエットの声だ。鉄格子を握りしめ、悲痛な面持ちで開口一番、叫ぶように言い放った。想い人の結婚や自身の護衛だった騎士が起こした所業で気落ちしていたはずだというのに、案外元気そうだ。
ジュリエットの後ろには護衛の騎士が控えており、複雑そうな表情を浮かべて静観している。
シャーロットはというと、牢の中のベッドに腰掛ける態勢はまったく変わらず、冷静にジュリエットを捉えていた。愛しい妹が会いにきてくれた姉にしては随分と冷たい――いや、想いが一方通行な再会である。
「国を裏切ったなんて、お姉さまがそんなことをする人じゃないことはみんな知っています!」
「でも実際に、わたくしはこの国を売ったわ。起こった事実は変わらないのよ」
姉の無実を盲目的に信じているジュリエットとは対照的に淡白なシャーロットは、護衛の騎士に視線を向けた。
「ところで、今は何時かしら」
「……午前十時です」
「ああ、そう。じゃあまだなのね」
突然時間を尋ねたこと、そして時間を確認した後の反応が不可解で、護衛は怪訝そうに眉根を寄せる。ジュリエットも不思議に思ったようだけれど、シャーロットはそんな二人を気にせずジュリエットを見据えて口を開いた。
「わたくしが国を売るような人間じゃないって、どうしてそう思うの?」
「だって……お姉さまがそんなことをする理由が……」
「ないって言うの? 充分すぎる理由がちゃんとあるわよ。わたくしなりのね」
にっこりと、シャーロットは微笑む。
「――無能な妹の尻拭いに疲れたの」
「……ぇ……」
「あら、聞こえなかった? この先も貴女の面倒を見続けなければいけないのが苦痛で仕方ないから、全部投げ捨てたのよ。もちろんそれだけじゃなくて、たくさん不満はあったわ。挙げればキリがないほどにね」
今は、標的であるジュリエットに焦点をあてる。
「王太女殿下」
ジュリエットを追い詰めるシャーロットを護衛が咎めたけれど、シャーロットは鋭い一瞥とともに「黙ってなさい」と命じると、護衛はぐっと唇を引き結んだ。
年下の少女の威圧に怯むとは、騎士も情けないものだ。
「それと、わたくしはもう王太女ではないから、その呼び方は相応しくないわよ。気をつけなさい」
王太女の地位を剥奪されたことを微塵も悔しがることなく、後悔など感じられない悠然とした笑みでシャーロットは指摘する。
想定外すぎる態度を見せられた護衛は更に固まる他なかった。
ジュリエットはというと、衝撃が大きかったようで青い顔で震えていた。
「どう、して……お姉さまは、誰よりも優しくて……なんでも、できて……」
「だって貴女には優しく接しないと、陛下から罰を受けるんだもの」
まるで理解力に乏しい子供を諭すように、仕方がないという風に零すシャーロットに、ジュリエットは瞠目した。
「昔からそうだったじゃない。貴女が何もないところで勝手に転んで怪我をして泣いたら、そばにいたわたくしがなぜ気をつけていなかったのだと怒鳴られて、貴女が令嬢たちに振る舞ったお茶の種類を勘違いして自慢げに間違った説明をして学がないことを披露して恥をかいたら、なぜもっと早くさり気なく指摘して上手くフォローしなかったのだと叱られて、忙しい中、貴女が放り出した仕事を押しつけられて期限に間に合わなければ、また叱責を受ける。無難に過ごすには我慢して諦めて、貴女が望むように、貴女のために振る舞わなきゃいけなかったのよ。そんな生活がもう耐えられないの」
「おねえ、さま……」
「それ」
眉根を寄せてシャーロットが睨みつけると、ジュリエットはビクッとして呼吸を止めた。
「『お姉さま』って、貴女がそう呼ぶたびに虫唾が走るわ」
「っ……」
「貴女がわたくしとは違うからと自分を卑下するたび、わたくしが周りから咎められるのを知っているかしら。貴女に負い目を感じさせないように気を遣えって。貴女も誰も、わたくしに気を遣ってくれたことなんてないくせに」
シャーロットは立ち上がり、鉄格子に近づく。
「姉だから、王太女だからって幼い頃から言い聞かせられて、つらいことばかり皺寄せが来て。わたくしが寝る間も惜しんで仕事に追われている間、貴女は呑気に遊び呆けていたわけだけれど――しかもわたくしの補佐であり婚約者でもある男を連れ回していたわけだけれど、どうしてそれでわたくしが不満を持たないと思い込めたのかしら。すごく不思議だわ。いくら考えが足りないにしてもほどがあるわよ、ジュリエット」
鉄格子を挟んでジュリエットの前で立ち止まると、心底不可解だと、シャーロットは表情でも示す。
「どんな気分だったの? 少し体調を崩しやすいだけで仕事が免除されて、数少ない仕事までもほとんどわたくしに投げて、勉強もすぐに放り出して王女としての役割を最低限も果たせず、なのに王女としての贅沢な暮らしは享受して、自由時間を満喫して遊んでばかりで、独りよがりなプレゼントをこれ見よがしに押しつけて、姉の婚約者まで奪うのは。さぞ楽しかったんでしょうね」
「そ、んな……奪ったなんて」
「あれはわたくしと過ごすより貴女といる時間の方が何倍も多いのよ。あれが貴女を気にかけているのはもちろんそうだけれど、貴女が色々とお願いしてわがままばかり言うから。わたくしといた彼を連れて行った回数なんて数えきれないじゃない」
――忌々しいと存分に語る姉の姿に、ジュリエットは未だ、現実に理解が追いついていなかった。
確かに、クェンティンと共に過ごす時間は多かったと、ジュリエットにも自覚はある。将来義兄になる人だから仲良くしようと動いていたし、クェンティンもジュリエットを常に気にかけてくれていた。単純にジュリエットはクェンティンが好きなのだ。
あくまで異性として意識しておらず、義理の兄妹になる間柄として距離を縮めていただけなのに――それが、奪ったことになるなんて。そう受け取られてしまうだなんて、考えたこともなかった。
「ねえ。――わたくしが貴女のことを好きだなんて、そんなことがあるわけないじゃない。貴女はいつだって自分のためだけに行動していた自分勝手が過ぎる人間なんだもの。存在そのものが忌々しいわ」
軽蔑の眼差しが、至近距離でジュリエットを射抜く。
あまりにもショックが大きすぎて、ジュリエットは足の力が抜け、その場にへたり込んでしまった。もう心が耐えられないのに、なおもシャーロットは続ける。
「――そもそも、貴女だってわたくしのこと嫌いでしょう?」
脱力して思考も放棄しかけたところに頭上から声が落とされ、ジュリエットの体はぴくりと勝手に反応した。




